2025年から「風の時代に入った」「グローバリズムが解体し新しい時代に」とSNSを中心によく言われています。
グローバリズムや共産主義の思考、価値観 即ち「今だけ、金だけ、自分だけ」と云う価値観
一部の支配者が利益を貪り一般大衆が貧困に喘ぐ時代が500年以上続いたが
今日に至って終止符が打たれる様になる
では、グローバリズムの後に続く ポスト・グローバリズムとは何か?
知らす国、日本の思考、価値観が未来の世界に羽ばたくと思います。
「将来に、幸せに、皆で」皆で一緒に幸せをつかみ、
繁栄し共生すると云う思考価値観が世界をリードするように思えてなりません。
未来の時代に、我々日本人は此れからどの様に学び
努力、行動したら良いか問われています。
しかし、日本人の中には日本の歴史に劣等感を抱く人も多くいます
(劣等感を抱くと繁栄がなされない)
戦後GHQのWGIP政策によって日本人の教育は自虐史観(日本人は戦場で
鬼の様な酷い事をした)を植え付けさせられた
この背景には、グローバリズムによって日本人を愚民化させて
支配者が利益を吸い取る構図があります。
日本人がポスト・グローバリズムの世界に貢献し
世界のリーダーとなる為には
自虐史観を取り除き、誇りをもつ事が必須です。
ここでは、WGIP政策の自虐史観で「嘘の歴史」が日本人の
心の奥底に浸透している事を憂い
嘘の歴史を暴き真実の歴史を具体的に語りたいと思います。
嘘の歴史の一つに「戦中、日本軍はチャイナ、半島、東アジアに於いて
原住民を虐殺し奴隷化して植民地にし利益を貪った」
と云う大きな嘘
ここに、氷山の一角ですが日本軍が行った
歴史を語りたいと思います。
パラオ・ペリリュー島の悲劇と、感動の逸話
前述 植民地支配と云う名のグローバリズム支配が500年以上続いたと書きました
これは、西欧列強国の植民地支配 スペイン、ポルトガルから始まり
イギリス、オランダなどの西欧諸国によるアフリカ、アジア、
南アメリカの国々を植民地化し原住民を人間扱いせず
過酷な労働を強いらせ自分達は大儲けする時代が500年以上続いた事です。
この植民地支配を終わらせたのは日本です。
日本も戦時中、東アジア諸国を委任統治しましたが
西欧諸国の支配とは、全く違い
日本は統治した原住民も豊かな生活が出来る様に
インフラの整備、教育、軍の育成、文化の育成などに尽力しました。
決して利益を貪る事はせず、反対に日本から多大な資金、人材を提供し
原住民が幸せに生活が出来る様に努力しているのです。
ここに、パラオに於いての西欧列強国の支配と、日本の委任統治
について語りたいと思います。

透き通る青い空と海、住民は穏やかで優しい 南国パラダイス・パラオ
パラオ人は、超が付く程、親日

90才にもなる老女が語る「日本統治の時代は楽しかった
本当に感謝している」と涙ながらに
我々日本人の中には、「どうして日本が暴力支配したのに
楽しい、感謝だなんて」と思う人も多い
(自約史観に染まって抜け出せないでいる人)
ここで、何故、「楽しい感謝している」と語る人が多いのか
歴史を遡って考えてみます
真実の歴史を知り未来の日本に役に立つために
1885年、スペイン人がパラオに入り植民地支配を行い
1899年、スペインに代わりドイツが植民地支配をひいた
急に、西欧諸国が入り込み、何も知らない無垢な原住民を
奴隷化し「一日3時間寝れば、休める」と朝から深夜まで
強制労働させた 休みも無く鞭打たれて働く、病気になっても
治療してくれない
過酷な労働とヨーロッパが持ってきた天然痘によって
原住民はバッタ、バッタと亡くなり
5万人の人口が5千人まで減った
90%の人が亡くなっているので、どれだけ非常で過酷な状況か解る
原住民も支配奴隷にされる事が日常になり
諦めの心境であった。
世界情勢が変わり第一次世界大戦が終結すると
戦勝国の日本がドイツに代わってパラオを委任統治する
原住民は「日本人も、スペインやドイツを同じ様に我々に
酷い事をするのだろう」と怯えていた
しかし、その怯えは笑顔に変わる
日本の委任統治は、西欧諸国の支配とは全く別物であった。
日本は「日本が統治する以上パラオは日本である、
パラオ人は日本人でもあり、もっと文化的に豊かな
生活を送らなければいけない」とパラオに
庁を置き、稲作や野菜果実などの農業
缶詰、ビール工場を建てて道路、橋、病院などを建てて
当時、日本国内でも珍しい電話を引いた

また、パラオ人は文字を持っていなかった為に
学校を築き、日本語教育、小学校では九九の暗唱と
繁栄の為の教育のレールをひいた。


原住民を豊かにする為に、時には厳しい指導もあった
しかし、その厳しさが将来、実りとなった現実がそこにはあった。
こうしてパラオ人は少しずつ日本人に愛着をもつ
苦しい時、楽しい時に手と手を取り合って協力していくうちに
お互い信頼と云う絆で結ばれて
日本人はパラオ人の為に、パラオ人は日本人の為に
思いやりの心で一緒に寝食を共にし豊かで楽しい生活を送っていた。
日米戦争、日本軍人の悲劇とパラオ・ペリリュー島民
ここに一人の軍人、中川洲男隊長

中川隊長は、人情に厚く無口だが涙もろい 人望溢れる人物
パラオ人とも寝食を共にしパラオ人からは「親父さん」と慕われていた
中川隊長は細かい事に気づきパラオ人が良き良い生活が送れる様に
指導していてパラオ人も尊敬と愛情をもって接していた
病院の建設が完了し祝賀会の時、
中川隊長は「パラオ人が居なかったら病院は出来なかった」と言って
日本人とパラオ人一緒に、飲めや食えやで大盛り上がり、楽しいひと時を
パラオ人は、中川隊長の事を無口だけれど心優しい人
心底愛し「この人の為なら」と利他主義を抱いていた
「日本兵と一緒に戦うぞ オー」
パラオ・ペリリュー島にある日本軍防衛陣地(日本兵1万)に対し
米艦隊5万の兵力が押し寄せてきた
日本の子供と一緒に教室で学び、同じ旗の元手を合わせてきたパラオ人
一心同体であった
パラオ・ペリリュー島民の若者が日本軍と一緒に戦う覚悟をもって声を上げた
若者が中川隊長のもとへ行き、「愛する日本兵と一緒に戦いたい、自分も死ぬ覚悟は
出来ています、どうか戦わせて下さい」
しばらく沈黙の時が流れ 普段温厚な中川隊長が大声で怒鳴った
「帝国軍人が貴様ごとき土人と一緒に戦えるか!」
「今、中川隊長は土人て言ったよな」若き島民の心が砕けた
戦いを拒否された事に悲しいでは無い「土人」を言われた事が悲しい
そして、島民は日本人も我々を差別していたのかと怒りと悲しみで
拳を振るわせた。
戦場と化すペリリュー島を離れ安全な島へと向かう避難船に島民全員乗り込んだ
日本兵は誰一人見送りに来てくれなかった
避難船が島を離れ沖に出ようとした時に
島民の目に信じられない光景が
真っ白な砂浜に、死を覚悟した日本兵全員が、手が千切れんばかりに振り
「達者に暮らせよ、戦争が終わったら後は頼むぞ」
笑顔で出迎えていた 先頭には中川隊長が笑顔の姿が
日本兵は、島民と共に唄った歌を大声で歌っていた、涙で顔を腫らす人も
この瞬間、島民は全てを悟った
あの「土人」と云う言葉は、自分達島民の命を救う為に
戦闘に巻き込まれない為の偽りの怒り
自分たちを愛するがゆえの苦渋の演技だったと
そして、船は安全な島へと
アメリカ軍は、3日あればペリリュー島を落とせると楽観視していた
2メートルの厚さのコンクリートの壁も吹き飛ぶ艦砲射撃
雨あられの様な砲弾の嵐
日本軍は、塹壕を網の目の様に堀り耐えた
米軍の上陸部隊に日本軍の反撃が
血を血で洗う激戦 両軍とも多大な戦死者を出した
「日本軍がこんなに強いのか」と思った米軍ではあるが
物量にものを言わせ日本軍を追い詰めた
そして、日本軍の最後の日が中川隊長は本国に
「サクラ、サクラ」と伝報をうって玉砕した。
戦闘は73日も続き日本本土空爆を遅らせた。
戦闘が終わって、島民がペリリュー島に戻ると
目も当てられない位、悲惨な光景が
米軍の戦死者は丁寧に葬られていたが
日本兵の亡骸は、野ざらし
島民が一人ひとりの日本兵の亡骸を丁寧に葬り墓を作った
亡骸の一つに中川隊長らしきものも
戦後の今日も墓に花が絶える事がない
島民の皆様「ありがとう」
日本人が今、学ぶ事、考える事

ここにパラオの国旗があります。
日の丸と酷似しています
パラオは1994年独立を果たし国旗が出来ました
青い海と黄色の月 日本に遠慮して黄色の月は中心より少し
ずらしています
2015年4月9日 天皇皇后両陛下が戦没者慰霊の為パラオ・ペリリュー島に

日本から持ってきた白色の菊の花を献花台に
日本人もパラオ人もペリリュー島で亡くなった兵隊さんへの
恩が報われたのではないでしょうか
パラオへ行った人は感じると思いますが
島民の人には日本語が通じる人も多く
日本人である事が解ると断然な、色々なサービス受けて
親切にしてくれます
歴史に詳しくない人は「何故、日本人には特別にしてくれるのだろう」
と疑問を抱く人も多いでしょう
日本統治時代に、パラオの発展の為に努力してくれた恩を
今日のパラオの人達、子供から大人まで知っているから
知っているからこそ恩を感じ、日本人に愛着が湧き親切にする
知る事が大切
知らなければ何も始まらない 知らない事は罪な事でもあります。
知って考えて、感謝する事がポスト・グローバリズムの一歩であると思います。