偉人散歩

偉人散歩

日本人って素晴らしい

よく「日本人は無宗教」と言う人もいます

確かに、宗教の掟に縛られない文化、生活を送っている人が大半です。

外国の宗教では、神は絶対であり神に反する事は許されず

掟に背くことは死よりも怖い仕打ちが待ている事もあるでしょう

日本に於いては、自然崇拝が縄文時代から続いていて

自然を正しく恐れ、正しく恵みを享受

山や巨石、巨木などに神々が宿ると考え

拝んできた文化があります。

何時の時代でも、人が生きてゆく上で

大なり小なり悩みがあるもので

天災、人災にあい愛する人が亡くなり

「もう、死にたい」と思っている人も少なくないでしょう。

この様な人が大ピンチに陥った時

得体の知れない宗教に嵌まっていく事例も多く見られます。

1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件があり

多くの尊い人命が奪われました

今日に至っても、後遺症に苦しんでいる人も多い

悲惨なテロ事件でした。

当時の、オウム真理教はロシア産のヘリコプターを使って

東京の上空からサリンをばら撒く計画も企てていました

そんな破壊的カルト教団(親子、友人関係の破壊、私有財産の破壊

社会、国家の破壊)が全国に広まってしまう事を

想像するだけで、ぞーとします。

 

日本最古の破壊的カルト教団 イモムシ教

西暦644年7月、現在の静岡県富士市辺り駿河湾側で

イモムシ教が起きた

教祖の大生部多(おおべのおお)が「この常世の神(イモムシ)

を崇め奉れば願い事が忽ち叶う」と布教していた

4寸(約12cm)親指程の太さ緑色で黒い点がある

アゲハチョウの幼虫とみられる

イモムシを拝めば、あなたも豊かで幸せな生活を送れると言うのである。

644年は飛鳥時代、高級官僚達は豊かな生活を送っているが

庶民は貧しい人が多い

生活の困窮から「藁尾をも掴む」心理が働き胡散臭い

イモムシ教を信じる人が出てきた

貧困過ぎて正しく考える力が失っているのである

大生部多は言う「病気が治りたい、老けたくない、愛する人と結ばれたい

と願うのであれば、沢山寄進すれば、する程あなたの願いは叶われる」

破壊的カルト教団の常套手段

白く天女の様な衣を着せ、頭に鉢巻きの様なものを巻いた

女性にイモムシの周りで舞をさせた

神秘的な演出をさせた

この様な演出もあって世間の目が集まり

イモムシ教の信者が急増

食料、田んぼ畑、屋敷を全部寄進する人が急増し

貧困どころか生きてゆく事もままならない人も多く

それでも信仰を止めない

破壊的カルト教の恐ろしい所です。

信者が爆発的に増え、世は仏教かイモムシ教かの二択

と云う事態に陥った。

イモムシ教が都にも波及する様に至った

朝廷は問題視する 世を脅かす存在になると

 

日本の形が破壊する危機的状態に救世主が

秦河勝(聖徳太子の同志として国造りに貢献、全国の八幡神社を管理する

立場、秦氏はユダヤ人の末裔、中東のシナイの地からディアスポラ(離散民)

となって日本まで渡ってきて縄文、弥生の心豊かな文化に触れ

惚れて同化し国造りに貢献した民族)

 

秦河勝が大生部多に会いに来ると言う

大生部多は「秦河勝を入信させてしまえば、この世はワシのもの」

と思った。

秦河勝がイモムシ教の本拠地、静岡に来た

大勢の信者に見守れながら

秦河勝は、イモムシと大生部多に「秦河勝でございます」と

深く頭を下げた

大生部多は「これで世はワシのもの」と思った瞬間

秦河勝は素早く剣を抜き大生部多を一刀両断のもとに斬り捨てた

イモムシも真っ二つに

信者の顔が青くなる

教祖が居なくなったのでイモムシ教は一気に消滅する。

 

その後、都では「太秦(うずまさ 秦氏)は神とも神と聞こえ来る

常世の神を打ち懲ますも」の唄が大流行

ここでポイントになるのが

何の理由で斬り捨てたのか?

イモムシと云う胡散臭いものを神として宗教を広めたから?

大生部多がお金を集め贅沢な暮らしをしたから?

違います 何をもって信仰しても自由

贅沢な生活を送っても自由、どれだけ寄進しても自由

大生部多を斬った真実の理由は

他人の財を奪っても、何とも思わない自己中心性

人の痛みが解らない人間性が許されないからです。

 

日本の歴史を遡ると秦河勝の様な、国の形を守り

許されない者を駆逐した偉人が多くいます。

国の大ピンチうぃ救ってくれた偉人に感謝。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は、よく福井県織田町(おたちょう)にある剣神社へ参拝に行きます。

福井県織田町の剣神社

織田家の先祖の神社です

織田家は元々剣神社の神官を務めていました

参拝と同時に楽しみにしている事があります

ラッキーな日だと天使に会えます

神社猫です 

この猫、犬の様に人懐っこく「おいで」と手招きしたら

ニャン、ニャンとお返事してスリスリ、ゴロゴロ たまんないです。

今回は、本当の織田信長像について書きたいと思います。

 

捻じ曲げられた信長のイメージ

織田信長と聞いて、どんなイメージを抱くでしょうか

冷酷、合理的、上司にしたくない偉人など

血も涙もない怖いと思う人も多いでしょう

大河ドラマや映画などで、信長は冷酷で非情に描く方が

面白くなり、高い視聴率を取れ、イメージ付けをしている

事も影響していると思います

しかし、最近の古文書の発見などで怖いイメージが崩れてきています

 

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」は何の根拠も無い嘘

「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」信長

「鳴かぬなら鳴かして見せようホトトギス」秀吉

「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」家康

戦国三傑の言葉?

信長、秀吉、家康が発した言葉ではありません

江戸時代後期に作られた言葉で

三傑の人物像を勝手にイメージ付けした詞です。

まだ、イメージ通りになっていれば良いのですが

全く逆のイメージになっています

この詞が明治時代にブームになり現在、独り歩きしています。

 

「天下布武」の本当の意味

「天下布武」と聞いて天下を武力をもって制覇すると考える事も多いでしょう

しかし、意味が違います

武とはホコを止めると書きます 要するに戦を止めるのが武です

武士の多くは能を堪能していました信長の能好きは有名です

能舞台には、松と竹の絵が描かれています

松は痩せた土地でも力強く生き生き育ちます

竹は真っすぐに育ちます

「武士は食わねど高楊枝」の言葉にある様に

腹がへっても貧しくても誇りをもち曲がった事を許さない

正義感をもって 世の為、民の為なら一命を捧げる事も覚悟

を持つのが武士

 

天皇から与えられた特権

織田家は弾正台の家柄

弾正台とは天皇直下の組織で悪い事、筋が通らない曲がった事を

した高級官僚を一刀両断できる組織

天皇の名の下で太政大臣と言えどもバッサリ出来る

弾正台は非常に正義感が強く、大きな志と誇りを兼ね備えています

その弾正台の正義感溢れる信長が言った「天下布武」とは

民の生活を顧みず不幸にする不届き者「今だけ、金だけ、自分だけ」

私腹を肥やす事しか頭に無い為政者を許さない

曲がった事を許さない世 

民が平和で、豊かな生活を送れる世を

天下に布すると云う意味です。

 

慈愛に満ちた正義感の強い武将 信長

暴力集団の寺院やヤクザが支配する「市」を寺院やヤクザから解放し

民が自由に商売が出来、利益が採れる楽市楽座

また、一人の知恵遅れ無宿者の人生を救った

「山中の猿」の逸話

信長には部下や民に優しい逸話がいっぱい有ります

そんな優しい信長だったから部下に慕われたのです

考えても見て下さい

信長の優秀な家来、丹羽長秀、柴田勝家、羽柴秀吉

滝川一益、明智光秀など多くの武将が

「信長様の為なら」と命をかして力になりました

もし、信長が冷酷で自分の利益しか考えない様な

親方だったら部下が付いて来る訳はありません

「こんな冷酷な上司の下では命が幾つあっても足りない」と

離れてゆくでしょう

信長には信頼できる部下が付いて来た 

ここに信長は冷血であったと云う嘘があります。

 

比叡山焼き討ちにみる真実

比叡山焼き討ちと聞いて、平和な現代人の我々は

「坊さんを皆殺しにするなんて信長は非情だ」と云う

感情が芽生えても可笑しくありません

しかし、時代が違います

平和な現代の考えで戦乱の時代を評価してはいけない

当時の、寺院坊さんの多くは民の幸せの事など考えていません

如何に民を騙し、多くの布施を取り、道のあらゆる所で多額の通行税

を取って莫大な資金を持って僧兵を作り、政治に圧力をかけて

世を思いのままにする仏教の風下にも置けない寺院集団

その大本山が比叡山延暦寺です。

信長は、民を苦しめ私利私欲の為に世に蔓延る

仏の皮を被った鬼を成敗しました

 

信長は、戦国時代と云う不条理な下剋上、私利私欲が闊歩する

時代に於いて世を、竹の様に真っ直ぐに正す

正義感の強い武将でした。

 

歴史上の偉人を評価する時、イメージだけで評価していては

「歴史から学ぶ」事は出来ません。

色々な本を読み、色々な知識をつけ自分の頭で考える

事で、違った偉人像が見えてくると思います。

 

 

 

 

 

 

皆様、人間関係に於いてお悩み事はあると思います

会社や仲間内で、自分の意見「これは良い意見」と

発言しても蔑ろにされ無視される

「ちょっと位聴いて貰ってもいいのでは」と嘆く人も

少なからずいらっしゃると思います。

人が集まり組織になると、声の大きい人や

役職の高い人の意見が通る事が現実です。

その悩みを消し去る名言があります。

 

それは、最澄のお言葉です

最澄と言えば平安初期、空海と共に唐へ渡り

仏教を学び日本に帰国してから

布教に努め、天皇から「伝教大師」の名誉ある称号を与えられ

比叡山延暦寺(延暦7年 788)を建立しました

最澄の功績は、天台宗の開祖で

法然、親鸞、一編、道元、日蓮を育て

日本の仏教の基礎を築いたと言っても過言では無いでしょう。

最澄のお言葉「一燈照隅 萬燈照国」です

 

一燈照隅→ 一つの小さな燈火を自分が良いと考えたら

      隅っこでも良いから灯し続けなさい

      他人が、どう言おうとも自分の信念をもって

      照らし続けなさい

      始めのうちは、「こんな無駄な事を」「何の金にもならない事を」

      と揶揄されるでしょう

      ここで多くの人は心がめげて照らす事を止めてしまいます

      しかし、他人がどう言おうと自らが良いと思った事を

      照らし続ける事で

      一人、ニ、三人と「君のやっている事は素晴らしい

      私も仲間に入れてくれないか」と

      同じ志をもつ者が増えてきます。

 

萬燈照国→ 増えてきた仲間 燈火が万人になれば国をも

      照らす 

      最初の一人の時は吹けば飛ぶ様な燈火であっても

      大きくなれば認めざるを得ません。

 

理不尽と思われる事に陥ってる人

この最澄のお言葉を覚えていると元気が湧いてくると思います。

 

 

皆様、初詣は行かれたでしょうか

誰でも大なり小なり悩み事はあるもので、初詣でお願いをして

神頼みしたいのは人情と云うものです。

希望校に入れます様に、結婚、恋人が出来ます様に、商売繁盛、家内安全

などお願いする人も多いでしょう。

ここで、初詣の意義の見方を変えてみるのも面白いと思います。

 

天皇陛下にも初詣はあります

我々、国民が願う事とは違う事をお祈りする「四方拝」と言います。

四方拝とは

天皇が、元旦 朝5時30分に行われます

天皇は私事の願いは一切しません

五穀豊穣、国家の安寧、国民の幸せを祈念あそばせます。

皇居吹上御苑の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に

専用の御座が設けられ祈念あそばせます。

伊勢の神宮 (天照大神、豊受大御神)

天神地祇

神武天皇陵

先帝三代の陵(明治、大正、昭和天皇)

武蔵国一宮 (氷川神社)

山城国一宮 (上賀茂神社、下賀茂神社)

石清水八幡宮

熱田神宮

鹿島神宮

香取神宮

の神々を皇居にお迎えして

天皇は黄櫨染御袍を身にまとい、

激寒の中、神々に対して頭が地面に付く程

お辞儀をなされ、立って深くお辞儀をなされる

これを何度も繰り返します

体力的にも厳しいと思いますが

天皇は顔色一つ変える事無く、国民の幸せを祈念されます。

 

天皇の「祈りのお言葉」に国民は感謝

天皇は、祈りの言葉を発せられます

 

賊寇之中過度我身 →賊による危害

毒魔之中過度我身 →害毒による危害

毒気之中過度我身 →悪意による危害

毀厄之中過度我身 →傷つける危害

五急六害之中過度我身 →突然起きる自然災害、人災(人と人とが対立し争う)

五兵六舌之中過度我身 →内乱と外寇

厭魅之中過度我身 →人々の呪い

 

萬病除癒 →万病を取り除き癒せ

所欲随急急如律令 →我が欲する事は神のまにまにあり

          その成就を速まれ

 

国民の害、不幸の全てを天皇の我が身を通して浄化され

幸せだけを国民にお与え下さいと祈念されます。

悪い事は、天皇が引き受け良い事だけを国民が享受する

国は世界に日本しかありません。

 

初詣という字には「旨い」が入っています

国民が幸せな旨い所だけを受け取るから初詣と言います。

我々国民も、天皇の御心を想って

神社やお寺にお参りする時に私事だけを祈っているのでは

勿体ない

隣人の幸せや社会の安寧を祈るのも

一回り大人になった成長したと思われませんか。

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

2026年は、飛馬の如く時代を駆け上るアグレッシブな

飛躍の年になりそうです。

午年と言えば

僕は、名馬ウラヌスを思い出します。

バロン西の愛馬です

バロン西改め、西竹一陸軍大佐と愛馬ウラヌスとの

ハンカチ無しでは語れない絆の物語

 

西竹一とウラヌス

西竹一は、1902年東京都港区西麻布で男爵、西徳次郎の三男として

生を受けました

1912年に父が他界、僅か10歳で後を継ぎ男爵となる。

その後、軍人となり希望していた騎兵隊に配属した

生まれながら裕福で気品溢れる家柄で育だち

大人になってからは、自由な考えを持ち、英語が流暢で

型に縛られない性格

エルメスのブーツを履きオープンカーでドライブ

カッコ良すぎる遊びを満喫していた

本筋の馬術の方は、天才的な技能を持つ反面

馬に対しては愛情深い心の持ち主

後輩、同僚、先輩たちには、憧れの眼差しもあったが

「カッコばかりで、いけ好かない」と言う嫉妬感が

混じった感情を抱く人も多かった

要するに、仲の良い人とは、とことんと付き合う

でも周波数の合わない人には、とことんと嫌われる人物であった

西竹一は人にも馬に対しても愛情深く

気の合う仲間全員にタキシードをプレゼントしたり

馬に対しても、調教、練習は厳しいが、馬が負傷すると

一日中、看病する、外見とは合わない心の豊かな持ち主であった。

ロールスロイスの上を飛び越える演技を披露する西竹一

 

ウラヌスとの奇跡的な出会い

1930年、ロサンゼルス五輪の馬術競技選手候補が選抜

西竹一も選抜された

そんな折、西竹一のもとに一報が入る

イタリアの今村安少佐から

「イタリア人も乗りこなせない馬体が立派で売れ残っている

障害競技用の馬がいる アングロ・ノルマン馬だけど血統書は無い

実力はありそう 名はウラヌス(天王星)」

それを聞いた西竹一はピーンときた

「これだ」購入を二つ返事で決め

大金を懐に入れ、ヨーロッパ行きの豪華客船に乗る

 

船内で思いもよらない出会いが

ハリウッドスター ダグラス・フェアバンクスとメアリーピックフォード夫妻

と気が合い放題 毎晩お酒を酌み交わし

プール上で、子供の様に全裸となりターザンごっこをする程、親しい仲になった

ダグラス・フェアバンクス、メアリーピックフォード夫妻

戯れる西竹一とダグラス

 

船がヨーロッパに着くと、イタリアへ速行した ウラヌスのもとへ

ウラヌスは体高が181cm 稀に見る巨馬

筋肉が発達していて肩は良い具合に傾斜しており

障害競技馬としては理想

イタリアでは、騎兵中尉が所有していたが

余りにもじゃじゃ馬ぶりに持て余していた された馬であった

西竹一の目には間違いが無かった

「私が求めていたのは、此れだ!」 一目ぼれだった

私費をもって500ドル(現在の価格では800万円程)

ポーンと一括で支払い購入

後、西竹一は手紙で「聞きに勝る大きさ、跨ってみると

これはまた駱駝の様」

試しの乗りとばかりに、そのままウラヌスとコンビを組み

欧州各地(イタリア、フランス、スイス、ドイツ)の競技大会に参戦

格式高く強豪ぞろいの本場の大会でも臆する事無く好成績を残した

「この馬とならいける」と手ごたえを胸にウラヌスと共に帰国

 

西竹一は40キロの距離をものともせず、ウラヌスが預けられている

千葉県習志野の騎兵学校へ毎日通い調教と練習を重ねた

ウラヌスは素晴らしい馬であったものの気性が激しく

なかなか西竹一の思う様には動いてくれない

でも西竹一は愛情をふんだんに注ぎ 愛情が伝わり

能力を十分に発揮し競技馬として実力を育んでいった

西竹一は「人には、なかなか理解できなかったが、ウラヌスは自分を理解してくれる」

名門の出でありながら、人からは理解しても貰えず孤独を味わっていた

西竹一の言葉であった。

 

品格ある優美な競技姿に世界が絶賛

一人と一頭 いや二人で勝ち取った金メダル

会場内での西竹一

1932年(昭和7年) ロサンゼルス・オリンピック開幕

馬術大障害競技は最終日

オリンピックの花形競技で世界中の人々が注目

優勝候補はアメリカのチェンバレン選手

チェンバレン選手は少しミスした様で減点12で競技を終えた

でもチェンバレン選手の優勝の予想は変わらない

西竹一とウラヌスの番が来た

じゃじゃ馬気質のウラヌスを「落ち着けと撫でながら

ウラヌスの実力を信じてやまなかった」

(堀の水は黄色、緑色に染めていたり、助走距離が短い

超難コース 出場者12名の内全てクリアしたのは5名だけ)

ウラヌスは西竹一の言う事を忠実に聞いて

人馬一心一体で難関を見事にクリア

一回、蔦を絡ませたハードルに躊躇したが、二回目で見事に飛んだ

西竹一とウラヌス 品格ある礼儀正しい競技姿に

会場内の観客はどよめき、そして歓声の渦を起こした

西竹一とウラヌスは減点8 見事金メダル

世界の人々は、東洋から来た西竹一を賞賛

流暢な英語力、誰とでも笑顔で接するコミ力、気品漂う姿

に惚れ惚れし「バロン西」という名を授けた

ロサンゼルス・タイムスも大体的に西竹一とウラヌスを取り上げ

そして、米国人の脳裏に西竹一とウラヌスは刻まれた。

二人で勝ち取った金メダルと報道した

ハリウッドのスター達にも人気の西竹一

 

時代の流れに翻弄 悲痛の別れ そして天国で

武子夫人と子供達

日本の戦争状態が泥沼化し 日本軍の快進撃もミッドウェー海戦を期に

敗戦が続く 物量に大きく勝るアメリカに押し出される形だ

日本中の都市がB-29によって空爆を受け、多数の民間人が死傷している状態

そんな折、硫黄島の存在が重要になってきた

東京から、およそ1250キロ南に浮かぶ硫黄島

日本がこの島をアメリカに取られると空爆に拍車がかかる

民間人の命を守る為に島を取られてはいけない

栗原忠道中将率いる日本兵21000人が死守する硫黄島に

西竹一大佐は戦車第26聯隊長として配属の命を受ける

西竹一大佐は、「日米の最終決戦地となるだろう この島が俺の死に場所か」

と軍人としての覚悟を決めていた

東京都 世田谷にある馬事公苑で余生を過ごしていたウラヌスに会う

「俺はこれで終わりかも知れない ウラヌスよ達者で暮らせよ」

と涙が溢れるのを堪え、形見にウラヌスの、たてがみを少し切り取り

ポケットに閉まった これが今生の別れ

 

硫黄島では、守備隊日本兵21000人火山地形を活かし

地下壕やトンネルを網目状に堀り、米軍の砲撃に耐える戦術を取った

(硫黄島は火山島、地下を掘ると60度の灼熱地獄)

米軍が島を取り囲む

航空母艦16隻、戦艦8隻、巡洋艦15隻、駆逐艦77隻 110000の兵力

74日間、空爆 艦砲射撃3万8000発を加え 島の形が変わった

米軍は、此れだけの軍事力の差が有る事に5日で落とせると予想していた

1945年2月19日、米軍が上陸してきた

栗林中将率いる日本兵は此れを待っていた

上陸部隊に雨あられの銃弾、砲弾の嵐を浴びせた

米軍の損害は日本軍を上回る様になった

西竹一大佐率いる戦車聯隊も大活躍

しかし、物量に大きく勝る米軍にじりじりと押されていった

戦車聯隊も、350m四方敵に囲まれ必死の状態

戦車を土中に埋めて砲塔として戦うも守り切れず

北部の本隊と合流しようとした時

西竹一大佐は致命傷を負う「これまでか」と

ポケットに忍ばせていたウラヌスのたてがみを握りしめ

「ウラヌスよあの世で待っている」とピストルの引き金を引いた

1945年3月21日バロン西こと西竹一大佐 硫黄島に散る (享年43歳)

戦場の混乱の中、アメリカ軍から拡声器を使って呼びかけられた

「バロン西、あなたの軍人としての名誉は保たれた 投降してください

我々は、あなたを失う事が非常に悲しい」

しかし、西竹一大佐は、誇り高い日本軍人として

両親や妻、子供の命を守る為に、自らはどんな悲惨な死に方でも良い

と云う武士道精神の持ち主

 

遠く離れた、馬事公苑にいるウラヌス

主人が戦死された事を感じ取っていたのだろう

西竹一の戦死から6日後、静かに眠る様に天国へ上った

天国では、西竹一とウラヌス元気で障害競技に励んでいるでしょう

西竹一とウラヌス、両者共に個性が強く よく似た者同士

天国へ行ってからも仲良くしているでしょう。

 

安倍総理が見せた心の叫び

平成25年4月14日

安倍総理が硫黄島に降り立った

総理はすかさず地面に跪き手で地面を優しくなでた

「この滑走路の下に、まだ遺骨が眠っています 足で踏んでしまって

申し訳ない 安らかに眠ってください」と言って

地下の灼熱地獄で亡くなった日本兵の無念さを安倍総理は感じ

申し訳ない気持ちと感謝の念で心いっぱいになったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、12月8日は「何の日」でしょうか?

1941年(昭和16年)に日本海軍がアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃した日です。

此の決断の日から、艱難辛苦の日々が続きます。

今日、巷の多くの人は、「日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した」

「日本は、石油欲しさでアジアに侵略し多くの人々を戦火に巻き込み

アメリカと無謀な戦いをした」と思いでしょうが、

真実は違います

戦後、日本の教育に於いて、GHQはWGIP政策を強引に行い

日本人の「強い魂」を抜け殻にし劣等感を植えさせる為に

「嘘の大東亜戦争(太平洋戦争)」を日本人に教え込みました。

 

真珠湾攻撃では、外務官僚の不手際でホワイト・ハウスへの

通達が30分遅れた(真珠湾攻撃から30分後)を良い事に

フランクリン・ルーズベルト大統領は

「日本は奇襲する卑怯な国である」とレッテルを貼り

米国民を戦争参加へと世論を誘導した。

これも変な話で、世界史には幾多の戦争が起きましたが

宣戦布告をして戦いが始まる事は殆ど無い

世界の常識で宣戦布告無しの戦争が普通なのです。

しかし、ルーズベルト大統領は「日本は卑怯者」

と国民を扇動するプロパガンダに利用した。

 

また、当時の石油の禁輸に於いても

アメリカが、日本を陥れる為にABCD包囲網

(A=アメリカ、B=ブリテン(イギリス)C=チャイナ、D=ダッチ(オランダ))

をつくり日本に石油一滴も入れない様に策略した。

日本が最初の一発を撃たせる為の、厳しい外交戦略でありました。

 

西欧列強国による植民地支配から一転、豊かな日本統治へ

アジア諸国では500年以上前、スペイン、ポルトガルに始まり

イギリス、オランダ、アメリカ、ドイツ、フランスなどの

西欧列強国が植民地支配(奴隷化支配)され続けていました

要するに、被支配国の利益は宗主国に搾取され

原住民は家畜以下の生活を余儀なくされました。

この支配が何百年も続いたのですから、

原住民の人々は「独立」と云う概念も無く

ましてや教育される事は無い

当たり前の様に、家畜以下の生活を送っているのが現状でした

 

日本が統治するまでは

日本が第一次世界大戦に於いて、戦勝国になり

太平洋に散らばっていたドイツ支配下の島々を

日本統治下に置いた

日本には植民地支配(奴隷化支配)と云う概念が無く

「日本が統治した以上、原住民も日本人」

だから、日本人と同じ様な文化的、物質的にも豊かな生活

教養のある人材をつくらなくてはいけない

日本人は原住民と共に、汗を流しインフラを作り

学校を作り原住民の教養を高めていった。

そして、原住民は豊かで安全な生活、教育を受ける事で

「独立心」が自ずと芽生えていった。

この日本の素晴らしい統治を知ってきた

ベトナム、インド、インドネシア、フィリピン、マレーシア、

などの西欧列強国の植民地支配に喘いでいた国々の人々は

西欧列強国を手散らすために来てくれた

日本軍の進軍を

両手を挙げて歓喜し、喜びに胸躍った

これが真実の歴史であります。

 

しかし、戦後の歴史教育では「日本軍は原住民を虐待、殺戮した」

と云う嘘を日本人に教育しました。

当時の日本軍規は世界一厳しい

訳も無く、原住民を殺せば非常に重い厳罰が下ります。

 

日米開戦、背景には「人種差別の撤廃」と云う大きな志が

当時、日本の石油備蓄量は一年分でした

石油が無くなれば、国の存続が危ぶまれます

しかし、当時の石油産出国の筆頭はアメリカです

そのアメリカと戦争をしたら、石油が輸入出来なく事は誰でも解ります。

それでも戦争に踏み切った

そこには、深い意味があります

人種差別撤廃と云う志が

西欧諸国の宗主国人と被支配国人とでは、同じ人間でありながら、人間と動物

程の差別があります

日本は、その差別支配に雷を落とし

戦後、アジア、アフリカ、中東、南アメリカの国々が続々と

独立を果たす道のりを築いてきました。

 

アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなどの戦勝国は

実は敗戦国なのです

戦いに勝って、時代の変革に負けているのです

今まで、宗主国の利益をがっぽがっぽ搾取していたのが

独立を果たして、その利益が0になるのですから。

 

最後に心温まる、感動、日本人なら涙流す言葉

ククリット・プラモート(タイ国 元首相)の名言

「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した

日本と云うお母さんは難産して母体を損なったが

生まれた子供はすくすくと育っている

今日、東南アジア諸国民がアメリカ、イギリスと対等に

話が出来るのは、一体誰のお陰であるのか

それは、「身を殺して仁をなした」日本と云う

お母さんがあった為である

12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれた

お母さんが一身をかして重大決意された日である

更に、8月15日は我々の大切なお母さんが

病の床に伏した日である

我々は、この2つの日を忘れてはいけない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月27日、高市総理がASEAN(東南アジア諸国連合)関連首脳会議に臨みました。

各国首脳は、高市総理との挨拶で列が出来るほど、日本との友好

そして日本に大きな期待を抱きました。

「日本がアジアのリーダーになり、引っ張て下さい」と言わんばかりの歓迎ぶり

高市総理の人間的な魅力もありますが、

背景には、戦時中、日本がアジア諸国の独立を導いた

被支配国は、日本の指導の下義勇軍をつくり、

西欧支配国の軍隊に勝利し、アジア、中東、南アメリカ、アフリカの多くの

国々が独立を勝ち取った事実があります。

 

戦時中は、日本が西欧列強国の支配(奴隷支配)に苦しむアジア諸国に

軍隊を送り、宗主国と激しい戦いをもって勝利し

日本がアジア諸国を統治しました

日本の統治は奴隷支配とは真逆の統治

「現地の皆さんが、豊かで文明的な生活を」送れる様に

インフラ整備 道路、病院、学校、港、工場など大金を本国から出してもらい

現地民が発展する様に尽力しました。

 

今日、台湾、ベトナム、タイ、パラオ、インドネシア、マレーシア、など

幾多の国々が親日国である所以であります。

 

東京オリンピックは特別な平和の祭典

1964年10月10日 アジアでは初めてのオリンピック

1948年のロンドンオリンピックの参加国数は59か国

16年後の、東京オリンピック参加国数は93か国

何故、参加国が倍近くに増えたのでしょうか?

前述の、世界の小さな国々が続々と独立を果たした結果です。

独立した国々の多くは、「日本のお陰と感謝の念を抱き、東京オリンピックには

絶対参加したい、天皇、日本国民の目の前に、我が国はこんなに立派になりましたよ」

と見てもらいたい一心でした。

中には、選手団を送出せる程の経済力が無く

国民から寄付金を募って1人の選手の参加に至った国もありました

 

東京オリンピックは人種差別を超えた最高の祭典です。

 

開会式 胸躍らす選手たち 天皇のお心使い

前日の大雨にの関わらず、10月10日は神々祝っている様な

目が覚める様な青空

青空に見事な五輪 ブルーインパレスの神業

開会式の本丸、選手入場

ゲートが開く

場内に古関裕而作曲のオリンピック・マーチが

胸躍らせるマーチが鳴り響く

古関裕而氏             オリンピック・マーチを奏でる

新独立国の選手達は、「涙が溢れるばかりに感無量」感謝の念を込めて

ガーナ選手団は民族衣装で

エチオピアのアベベ選手(マラソン金メダル)

 

選手入場が始まると天皇陛下、一人だけ立って迎えていました

一人立って選手たちをお迎えた天皇陛下

天皇は「各国の選手に礼儀と愛情、尊敬の眼差し」がお心にあったと思います

天皇自ら、周りの人達が立とうとするのを、宥めたのだと思います。

 

この様な、天皇のお姿を見て世界の人達は、「天皇の愛情深さと、尊敬の念」

を抱いたに違いありません。

最後は日本選手入場

 

シラス国、日本に生まれてきた幸運に感謝

天皇にとって「幸せ」とはなんですか?

天皇「国民の幸せが、朕の幸せ」とお答えになるでしょう

天皇は、国民の事を想って祈る 国民に愛情と慈悲をかけてくださる

選手入場の時でも、お一人立っておられて

選手一人ひとり見送りました

天皇の下で、生まれてきた日本人は、シラスと云う国の形

感謝しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

10月21日 高市早苗先生が総理大臣に就任されました。

本当に、心から拍手を送りたいです。

今までの政治腐敗から脱却し、新しい女性総理の下、日本の未来は明るいと確信しています。

所信表明演説に挑む高市総理大臣

 

 ここでは、日本史に於いて女性がトップに立ち世の中を動かした時

時勢が大きく変わり、世が平になる事が多く見られます。

一例ではありますが書きたいと思います

日本に見る女性の時代

①卑弥呼

弥生時代、各地の豪族が「「この土地はオレのものだ」とお互い譲る事無く

争い、戦いそして幾多の尊い命が喪われた

この乱世に卑弥呼が現れ神のお告げを聞いた

(日本は子供を産む女性だけが神々と通じ、お告げを聞く)

この世を安らかに平らにせよと

「卑弥呼様には盾突く事は出来ない

を豪族達は矛を収め、血を血で洗う戦いは終わった。

 

②神功皇后

14代仲哀天皇の皇后

仲哀天皇が熊襲征伐に兵をあげた時

神功皇后は、「神のお告げで熊襲征伐は中止、三韓征伐に回れ」

と急遽三韓征伐に兵を送って事を成した。

 

③持統天皇

第41代天皇、日本の教育、伝統、文化の基礎をつくる

日本書紀は、1945年(昭和20)までは教育の根幹にあった

 

④北条政子

源頼朝の正室 承久の乱では大演説をして

関東武士団の心を一つにまとめ勝利に導き

鎌倉幕府を盤石のものに

 

⑤日野富子

11年にも及ぶ応仁の乱で、京の町は焼野原

京の町人は飢えと疲労で生きるのが精いっぱい

こんな乱世を経済の力で終わらせた。

 

⑥扇千景

最近に於いても、女性の決断力と行動力には頭が上がらない

九州南西の日本領海に不審船現る

再三の警告を無視しスピードを上げる不審船

国交大臣の扇千景は「射撃をせよ、船を止めろ」を命令

不審船が沈没した後も、サルベージ船で引き揚げを命令

チャイナや北朝鮮は猛反対

そんな事も気にせず、船を引き揚げ真実を国民の目に曝せた

 

以上の様に女性がトップに立ち世を動かすと

争い、戦いの時代に終止符を打ち調和と共生の時代になる事が解ります。

解り易く言えば、男と云うものは、争い戦いの性分を生まれながら

持っていて「誰よりも金を持ち、早く出世し大きくなりたい」と云う

欲望が心の中で渦巻いています。

一方、女性は争い戦いよりも安定、共生、響き合いの性分を

生まれながらに持っています。

 

植民地支配からの脱却、次に来るものは

500年以上続いた白人による植民地支配

500年程前、スペイン、ポルトガルが世界を二分する支配

アジア、アフリカ、中東、南アメリカの地域を次々と

植民地支配下に置いて白人が利益を総取り

原住民は殺されたり奴隷にされた

その後、スペイン、ポルトガルに替わり

イギリス、オランダなどが同じ支配をした

一部のトップが利益の大半を手に入れ

末端の人は貧困に喘ぐ この様な植民地支配の構造は

「グローバリズムDS」と云う名に変わって

今日でも残っています。

この様な、500年以上続いた拝金主義、

「自分が儲かれば良い 他はどうなっても良い」

「今だけ、金だけ、自分だけ」の争い戦いの時代に

終止符を打つ時代が目の前に来ています

日本では、女性総理大臣、内閣の発足と云う形で表れています。

 

これからは、真面目な国民の時代

今日までの、争い戦いの時代は一部の、政治家、官僚、経済人など

公金チュウチュウし、バレなければ良いと考える者が跋扈していました

しかし、今日からは共生、響き合いの時代

公金チュチュウの馬鹿者は淘汰されるでしょう

国民一人ひとりがSNSなどで真実を知り

もう黙っていられないと志を立てた

これからは、真面目に働き、社会に貢献する人が

金銭的にも心豊かさを手に入れる事ができるでしょう。

 

 

 

 

今日、小中学校の給食時に「頂きます、ごちそうさま」を言わせない学校が少なからず

あると言います。

PTAや親御さんからクレームが入る

「給食費を払っているのに、頂きます、ごちそうさまを言わせるなんて可笑しい」

「宗教色が強い」などと言い訳にもならない事で生徒達に言わせないと言う

金を払っている者が立場が上とでも思っているのだろうか

呆れてしまいます。

 

昭和育ちの、僕にとって「頂きます、ごちそうさま」を言うのは当たり前

動植物の命を頂く事に感謝する気持ちがあって自然に口から出るもの

従って、感謝の気持ちを口にしない事は、全てに於いて感謝しない事を意味します。

心ある日本人なら、同意してくれると思います。

 

「頂きます、ごちそうさま」は食べられる事の感謝の気持ちは

古来から培ってきた日本文化に染み付いています。

それらの感謝の気持ちを生徒から奪う事は、日本文化を伝えずに

文化を壊す行為である事だと普通の日本人だったら気付きます。

 

禅が教える「食」の大切さ

曹洞宗大本山 永平寺

禅寺で、座禅を組んだ人なら「あ、あ、そうそう」と同感してくれると思います

禅の修行で大切なものの一つに「食への感謝」があります

食べられて生きる事への感謝です

禅寺での食事の前に、般若心経を唱え、続いて「五感の偈」(ごかんのげ)を唱えます

五感の偈

一つには、功の多少を計り 彼の来処を量る

二つには、己が徳行の全欠を忖って供に応ず

三つには、心を防ぎ過を離ることは貧等を宗とす

四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり

五つには、成道の為の故に今此の食を受く

 

ここでは、一つにはに注目したいと思います

功の多少を計り→お釈迦さまは「あなたは今日一日、善い事をしましたか

   それとも人を虐めたり、不幸にしませんでしたか?と説いています

   一日の功が多いか少ないか計算しなさい

 

彼の来処を量る→彼とは端的には言えばお百姓さんの事

   目の前に料理があります お百姓さんが渾身こめて作った米や野菜

   その農産物を運ぶ人、売る人、調理をする人、

   色々な人々の汗と努力があってはじめて目の前の料理が在ります

   その人々への感謝する心を、自分の心に来処を設けなさい

 

禅寺での修行は、ご飯粒一粒、汁の一滴も残してはいけません

全てありがたくいただくのです。

 

日本人は、古来から「食事をありがたく頂く」と云う文化が

親から子へと受け継がれてきました

しかし、戦後80年西欧の合理主義、大量生産大量消費の飽食の時代になって

この素晴らしい文化が忘れています

もう一度、大人から日本文化を見直し「日本人らしい」

国民になって貰いたいです。

   

 

2025年から「風の時代に入った」「グローバリズムが解体し新しい時代に」とSNSを中心によく言われています。

グローバリズムや共産主義の思考、価値観 即ち「今だけ、金だけ、自分だけ」と云う価値観

一部の支配者が利益を貪り一般大衆が貧困に喘ぐ時代が500年以上続いたが

今日に至って終止符が打たれる様になる

では、グローバリズムの後に続く ポスト・グローバリズムとは何か?

知らす国、日本の思考、価値観が未来の世界に羽ばたくと思います。

「将来に、幸せに、皆で」皆で一緒に幸せをつかみ、

繁栄し共生すると云う思考価値観が世界をリードするように思えてなりません。

未来の時代に、我々日本人は此れからどの様に学び

努力、行動したら良いか問われています。

しかし、日本人の中には日本の歴史に劣等感を抱く人も多くいます

(劣等感を抱くと繁栄がなされない)

戦後GHQのWGIP政策によって日本人の教育は自虐史観(日本人は戦場で

鬼の様な酷い事をした)を植え付けさせられた

この背景には、グローバリズムによって日本人を愚民化させて

支配者が利益を吸い取る構図があります。

日本人がポスト・グローバリズムの世界に貢献し

世界のリーダーとなる為には

自虐史観を取り除き、誇りをもつ事が必須です。

 

ここでは、WGIP政策の自虐史観で「嘘の歴史」が日本人の

心の奥底に浸透している事を憂い

嘘の歴史を暴き真実の歴史を具体的に語りたいと思います。

嘘の歴史の一つに「戦中、日本軍はチャイナ、半島、東アジアに於いて

原住民を虐殺し奴隷化して植民地にし利益を貪った」

と云う大きな嘘

ここに、氷山の一角ですが日本軍が行った

歴史を語りたいと思います。

 

パラオ・ペリリュー島の悲劇と、感動の逸話

前述 植民地支配と云う名のグローバリズム支配が500年以上続いたと書きました

これは、西欧列強国の植民地支配 スペイン、ポルトガルから始まり

イギリス、オランダなどの西欧諸国によるアフリカ、アジア、

南アメリカの国々を植民地化し原住民を人間扱いせず

過酷な労働を強いらせ自分達は大儲けする時代が500年以上続いた事です。

この植民地支配を終わらせたのは日本です。

日本も戦時中、東アジア諸国を委任統治しましたが

西欧諸国の支配とは、全く違い

日本は統治した原住民も豊かな生活が出来る様に

インフラの整備、教育、軍の育成、文化の育成などに尽力しました。

決して利益を貪る事はせず、反対に日本から多大な資金、人材を提供し

原住民が幸せに生活が出来る様に努力しているのです。

 

ここに、パラオに於いての西欧列強国の支配と、日本の委任統治

について語りたいと思います。

透き通る青い空と海、住民は穏やかで優しい 南国パラダイス・パラオ

パラオ人は、超が付く程、親日

90才にもなる老女が語る「日本統治の時代は楽しかった

本当に感謝している」と涙ながらに

我々日本人の中には、「どうして日本が暴力支配したのに

楽しい、感謝だなんて」と思う人も多い

(自約史観に染まって抜け出せないでいる人)

ここで、何故、「楽しい感謝している」と語る人が多いのか

歴史を遡って考えてみます

真実の歴史を知り未来の日本に役に立つために

 

1885年、スペイン人がパラオに入り植民地支配を行い

1899年、スペインに代わりドイツが植民地支配をひいた

急に、西欧諸国が入り込み、何も知らない無垢な原住民を

奴隷化し「一日3時間寝れば、休める」と朝から深夜まで

強制労働させた 休みも無く鞭打たれて働く、病気になっても

治療してくれない

過酷な労働とヨーロッパが持ってきた天然痘によって

原住民はバッタ、バッタと亡くなり

5万人の人口が5千人まで減った

90%の人が亡くなっているので、どれだけ非常で過酷な状況か解る

原住民も支配奴隷にされる事が日常になり

諦めの心境であった。

 

世界情勢が変わり第一次世界大戦が終結すると

戦勝国の日本がドイツに代わってパラオを委任統治する

原住民は「日本人も、スペインやドイツを同じ様に我々に

酷い事をするのだろう」と怯えていた

しかし、その怯えは笑顔に変わる

日本の委任統治は、西欧諸国の支配とは全く別物であった。

日本は「日本が統治する以上パラオは日本である、

パラオ人は日本人でもあり、もっと文化的に豊かな

生活を送らなければいけない」とパラオに

庁を置き、稲作や野菜果実などの農業

缶詰、ビール工場を建てて道路、橋、病院などを建てて

当時、日本国内でも珍しい電話を引いた

また、パラオ人は文字を持っていなかった為に

学校を築き、日本語教育、小学校では九九の暗唱と

繁栄の為の教育のレールをひいた。

原住民を豊かにする為に、時には厳しい指導もあった

しかし、その厳しさが将来、実りとなった現実がそこにはあった。

 

こうしてパラオ人は少しずつ日本人に愛着をもつ

苦しい時、楽しい時に手と手を取り合って協力していくうちに

お互い信頼と云う絆で結ばれて

日本人はパラオ人の為に、パラオ人は日本人の為に

思いやりの心で一緒に寝食を共にし豊かで楽しい生活を送っていた。

 

日米戦争、日本軍人の悲劇とパラオ・ペリリュー島民

ここに一人の軍人、中川洲男隊長

中川隊長は、人情に厚く無口だが涙もろい 人望溢れる人物

パラオ人とも寝食を共にしパラオ人からは「親父さん」と慕われていた

中川隊長は細かい事に気づきパラオ人が良き良い生活が送れる様に

指導していてパラオ人も尊敬と愛情をもって接していた

病院の建設が完了し祝賀会の時、

中川隊長は「パラオ人が居なかったら病院は出来なかった」と言って

日本人とパラオ人一緒に、飲めや食えやで大盛り上がり、楽しいひと時を

パラオ人は、中川隊長の事を無口だけれど心優しい人

心底愛し「この人の為なら」と利他主義を抱いていた

 

「日本兵と一緒に戦うぞ オー」

パラオ・ペリリュー島にある日本軍防衛陣地(日本兵1万)に対し

米艦隊5万の兵力が押し寄せてきた

日本の子供と一緒に教室で学び、同じ旗の元手を合わせてきたパラオ人

一心同体であった

パラオ・ペリリュー島民の若者が日本軍と一緒に戦う覚悟をもって声を上げた

若者が中川隊長のもとへ行き、「愛する日本兵と一緒に戦いたい、自分も死ぬ覚悟は

出来ています、どうか戦わせて下さい」

しばらく沈黙の時が流れ 普段温厚な中川隊長が大声で怒鳴った

「帝国軍人が貴様ごとき土人と一緒に戦えるか!」

「今、中川隊長は土人て言ったよな」若き島民の心が砕けた

戦いを拒否された事に悲しいでは無い「土人」を言われた事が悲しい

そして、島民は日本人も我々を差別していたのかと怒りと悲しみで

拳を振るわせた。

戦場と化すペリリュー島を離れ安全な島へと向かう避難船に島民全員乗り込んだ

日本兵は誰一人見送りに来てくれなかった

避難船が島を離れ沖に出ようとした時に

島民の目に信じられない光景が

真っ白な砂浜に、死を覚悟した日本兵全員が、手が千切れんばかりに振り

「達者に暮らせよ、戦争が終わったら後は頼むぞ」

笑顔で出迎えていた 先頭には中川隊長が笑顔の姿が

日本兵は、島民と共に唄った歌を大声で歌っていた、涙で顔を腫らす人も

この瞬間、島民は全てを悟った

あの「土人」と云う言葉は、自分達島民の命を救う為に

戦闘に巻き込まれない為の偽りの怒り

自分たちを愛するがゆえの苦渋の演技だったと

そして、船は安全な島へと

 

アメリカ軍は、3日あればペリリュー島を落とせると楽観視していた

2メートルの厚さのコンクリートの壁も吹き飛ぶ艦砲射撃

雨あられの様な砲弾の嵐

日本軍は、塹壕を網の目の様に堀り耐えた

米軍の上陸部隊に日本軍の反撃が

血を血で洗う激戦 両軍とも多大な戦死者を出した

「日本軍がこんなに強いのか」と思った米軍ではあるが

物量にものを言わせ日本軍を追い詰めた

そして、日本軍の最後の日が中川隊長は本国に

「サクラ、サクラ」と伝報をうって玉砕した。

戦闘は73日も続き日本本土空爆を遅らせた。

 

戦闘が終わって、島民がペリリュー島に戻ると

目も当てられない位、悲惨な光景が

米軍の戦死者は丁寧に葬られていたが

日本兵の亡骸は、野ざらし

島民が一人ひとりの日本兵の亡骸を丁寧に葬り墓を作った

亡骸の一つに中川隊長らしきものも

戦後の今日も墓に花が絶える事がない

島民の皆様「ありがとう」

 

日本人が今、学ぶ事、考える事

ここにパラオの国旗があります。

日の丸と酷似しています

パラオは1994年独立を果たし国旗が出来ました

青い海と黄色の月 日本に遠慮して黄色の月は中心より少し

ずらしています

2015年4月9日 天皇皇后両陛下が戦没者慰霊の為パラオ・ペリリュー島に

日本から持ってきた白色の菊の花を献花台に

日本人もパラオ人もペリリュー島で亡くなった兵隊さんへの

恩が報われたのではないでしょうか

 

パラオへ行った人は感じると思いますが

島民の人には日本語が通じる人も多く

日本人である事が解ると断然な、色々なサービス受けて

親切にしてくれます

歴史に詳しくない人は「何故、日本人には特別にしてくれるのだろう」

と疑問を抱く人も多いでしょう

日本統治時代に、パラオの発展の為に努力してくれた恩を

今日のパラオの人達、子供から大人まで知っているから

知っているからこそ恩を感じ、日本人に愛着が湧き親切にする

知る事が大切

知らなければ何も始まらない 知らない事は罪な事でもあります。

知って考えて、感謝する事がポスト・グローバリズムの一歩であると思います。