偉人散歩

偉人散歩

日本人って素晴らしい

皆様、人間関係に於いてお悩み事はあると思います

会社や仲間内で、自分の意見「これは良い意見」と

発言しても蔑ろにされ無視される

「ちょっと位聴いて貰ってもいいのでは」と嘆く人も

少なからずいらっしゃると思います。

人が集まり組織になると、声の大きい人や

役職の高い人の意見が通る事が現実です。

その悩みを消し去る名言があります。

 

それは、最澄のお言葉です

最澄と言えば平安初期、空海と共に唐へ渡り

仏教を学び日本に帰国してから

布教に努め、天皇から「伝教大師」の名誉ある称号を与えられ

比叡山延暦寺(延暦7年 788)を建立しました

最澄の功績は、天台宗の開祖で

法然、親鸞、一編、道元、日蓮を育て

日本の仏教の基礎を築いたと言っても過言では無いでしょう。

最澄のお言葉「一燈照隅 萬燈照国」です

 

一燈照隅→ 一つの小さな燈火を自分が良いと考えたら

      隅っこでも良いから灯し続けなさい

      他人が、どう言おうとも自分の信念をもって

      照らし続けなさい

      始めのうちは、「こんな無駄な事を」「何の金にもならない事を」

      と揶揄されるでしょう

      ここで多くの人は心がめげて照らす事を止めてしまいます

      しかし、他人がどう言おうと自らが良いと思った事を

      照らし続ける事で

      一人、ニ、三人と「君のやっている事は素晴らしい

      私も仲間に入れてくれないか」と

      同じ志をもつ者が増えてきます。

 

萬燈照国→ 増えてきた仲間 燈火が万人になれば国をも

      照らす 

      最初の一人の時は吹けば飛ぶ様な燈火であっても

      大きくなれば認めざるを得ません。

 

理不尽と思われる事に陥ってる人

この最澄のお言葉を覚えていると元気が湧いてくると思います。

 

 

皆様、初詣は行かれたでしょうか

誰でも大なり小なり悩み事はあるもので、初詣でお願いをして

神頼みしたいのは人情と云うものです。

希望校に入れます様に、結婚、恋人が出来ます様に、商売繁盛、家内安全

などお願いする人も多いでしょう。

ここで、初詣の意義の見方を変えてみるのも面白いと思います。

 

天皇陛下にも初詣はあります

我々、国民が願う事とは違う事をお祈りする「四方拝」と言います。

四方拝とは

天皇が、元旦 朝5時30分に行われます

天皇は私事の願いは一切しません

五穀豊穣、国家の安寧、国民の幸せを祈念あそばせます。

皇居吹上御苑の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南側の庭に

専用の御座が設けられ祈念あそばせます。

伊勢の神宮 (天照大神、豊受大御神)

天神地祇

神武天皇陵

先帝三代の陵(明治、大正、昭和天皇)

武蔵国一宮 (氷川神社)

山城国一宮 (上賀茂神社、下賀茂神社)

石清水八幡宮

熱田神宮

鹿島神宮

香取神宮

の神々を皇居にお迎えして

天皇は黄櫨染御袍を身にまとい、

激寒の中、神々に対して頭が地面に付く程

お辞儀をなされ、立って深くお辞儀をなされる

これを何度も繰り返します

体力的にも厳しいと思いますが

天皇は顔色一つ変える事無く、国民の幸せを祈念されます。

 

天皇の「祈りのお言葉」に国民は感謝

天皇は、祈りの言葉を発せられます

 

賊寇之中過度我身 →賊による危害

毒魔之中過度我身 →害毒による危害

毒気之中過度我身 →悪意による危害

毀厄之中過度我身 →傷つける危害

五急六害之中過度我身 →突然起きる自然災害、人災(人と人とが対立し争う)

五兵六舌之中過度我身 →内乱と外寇

厭魅之中過度我身 →人々の呪い

 

萬病除癒 →万病を取り除き癒せ

所欲随急急如律令 →我が欲する事は神のまにまにあり

          その成就を速まれ

 

国民の害、不幸の全てを天皇の我が身を通して浄化され

幸せだけを国民にお与え下さいと祈念されます。

悪い事は、天皇が引き受け良い事だけを国民が享受する

国は世界に日本しかありません。

 

初詣という字には「旨い」が入っています

国民が幸せな旨い所だけを受け取るから初詣と言います。

我々国民も、天皇の御心を想って

神社やお寺にお参りする時に私事だけを祈っているのでは

勿体ない

隣人の幸せや社会の安寧を祈るのも

一回り大人になった成長したと思われませんか。

 

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

2026年は、飛馬の如く時代を駆け上るアグレッシブな

飛躍の年になりそうです。

午年と言えば

僕は、名馬ウラヌスを思い出します。

バロン西の愛馬です

バロン西改め、西竹一陸軍大佐と愛馬ウラヌスとの

ハンカチ無しでは語れない絆の物語

 

西竹一とウラヌス

西竹一は、1902年東京都港区西麻布で男爵、西徳次郎の三男として

生を受けました

1912年に父が他界、僅か10歳で後を継ぎ男爵となる。

その後、軍人となり希望していた騎兵隊に配属した

生まれながら裕福で気品溢れる家柄で育だち

大人になってからは、自由な考えを持ち、英語が流暢で

型に縛られない性格

エルメスのブーツを履きオープンカーでドライブ

カッコ良すぎる遊びを満喫していた

本筋の馬術の方は、天才的な技能を持つ反面

馬に対しては愛情深い心の持ち主

後輩、同僚、先輩たちには、憧れの眼差しもあったが

「カッコばかりで、いけ好かない」と言う嫉妬感が

混じった感情を抱く人も多かった

要するに、仲の良い人とは、とことんと付き合う

でも周波数の合わない人には、とことんと嫌われる人物であった

西竹一は人にも馬に対しても愛情深く

気の合う仲間全員にタキシードをプレゼントしたり

馬に対しても、調教、練習は厳しいが、馬が負傷すると

一日中、看病する、外見とは合わない心の豊かな持ち主であった。

ロールスロイスの上を飛び越える演技を披露する西竹一

 

ウラヌスとの奇跡的な出会い

1930年、ロサンゼルス五輪の馬術競技選手候補が選抜

西竹一も選抜された

そんな折、西竹一のもとに一報が入る

イタリアの今村安少佐から

「イタリア人も乗りこなせない馬体が立派で売れ残っている

障害競技用の馬がいる アングロ・ノルマン馬だけど血統書は無い

実力はありそう 名はウラヌス(天王星)」

それを聞いた西竹一はピーンときた

「これだ」購入を二つ返事で決め

大金を懐に入れ、ヨーロッパ行きの豪華客船に乗る

 

船内で思いもよらない出会いが

ハリウッドスター ダグラス・フェアバンクスとメアリーピックフォード夫妻

と気が合い放題 毎晩お酒を酌み交わし

プール上で、子供の様に全裸となりターザンごっこをする程、親しい仲になった

ダグラス・フェアバンクス、メアリーピックフォード夫妻

戯れる西竹一とダグラス

 

船がヨーロッパに着くと、イタリアへ速行した ウラヌスのもとへ

ウラヌスは体高が181cm 稀に見る巨馬

筋肉が発達していて肩は良い具合に傾斜しており

障害競技馬としては理想

イタリアでは、騎兵中尉が所有していたが

余りにもじゃじゃ馬ぶりに持て余していた された馬であった

西竹一の目には間違いが無かった

「私が求めていたのは、此れだ!」 一目ぼれだった

私費をもって500ドル(現在の価格では800万円程)

ポーンと一括で支払い購入

後、西竹一は手紙で「聞きに勝る大きさ、跨ってみると

これはまた駱駝の様」

試しの乗りとばかりに、そのままウラヌスとコンビを組み

欧州各地(イタリア、フランス、スイス、ドイツ)の競技大会に参戦

格式高く強豪ぞろいの本場の大会でも臆する事無く好成績を残した

「この馬とならいける」と手ごたえを胸にウラヌスと共に帰国

 

西竹一は40キロの距離をものともせず、ウラヌスが預けられている

千葉県習志野の騎兵学校へ毎日通い調教と練習を重ねた

ウラヌスは素晴らしい馬であったものの気性が激しく

なかなか西竹一の思う様には動いてくれない

でも西竹一は愛情をふんだんに注ぎ 愛情が伝わり

能力を十分に発揮し競技馬として実力を育んでいった

西竹一は「人には、なかなか理解できなかったが、ウラヌスは自分を理解してくれる」

名門の出でありながら、人からは理解しても貰えず孤独を味わっていた

西竹一の言葉であった。

 

品格ある優美な競技姿に世界が絶賛

一人と一頭 いや二人で勝ち取った金メダル

会場内での西竹一

1932年(昭和7年) ロサンゼルス・オリンピック開幕

馬術大障害競技は最終日

オリンピックの花形競技で世界中の人々が注目

優勝候補はアメリカのチェンバレン選手

チェンバレン選手は少しミスした様で減点12で競技を終えた

でもチェンバレン選手の優勝の予想は変わらない

西竹一とウラヌスの番が来た

じゃじゃ馬気質のウラヌスを「落ち着けと撫でながら

ウラヌスの実力を信じてやまなかった」

(堀の水は黄色、緑色に染めていたり、助走距離が短い

超難コース 出場者12名の内全てクリアしたのは5名だけ)

ウラヌスは西竹一の言う事を忠実に聞いて

人馬一心一体で難関を見事にクリア

一回、蔦を絡ませたハードルに躊躇したが、二回目で見事に飛んだ

西竹一とウラヌス 品格ある礼儀正しい競技姿に

会場内の観客はどよめき、そして歓声の渦を起こした

西竹一とウラヌスは減点8 見事金メダル

世界の人々は、東洋から来た西竹一を賞賛

流暢な英語力、誰とでも笑顔で接するコミ力、気品漂う姿

に惚れ惚れし「バロン西」という名を授けた

ロサンゼルス・タイムスも大体的に西竹一とウラヌスを取り上げ

そして、米国人の脳裏に西竹一とウラヌスは刻まれた。

二人で勝ち取った金メダルと報道した

ハリウッドのスター達にも人気の西竹一

 

時代の流れに翻弄 悲痛の別れ そして天国で

武子夫人と子供達

日本の戦争状態が泥沼化し 日本軍の快進撃もミッドウェー海戦を期に

敗戦が続く 物量に大きく勝るアメリカに押し出される形だ

日本中の都市がB-29によって空爆を受け、多数の民間人が死傷している状態

そんな折、硫黄島の存在が重要になってきた

東京から、およそ1250キロ南に浮かぶ硫黄島

日本がこの島をアメリカに取られると空爆に拍車がかかる

民間人の命を守る為に島を取られてはいけない

栗原忠道中将率いる日本兵21000人が死守する硫黄島に

西竹一大佐は戦車第26聯隊長として配属の命を受ける

西竹一大佐は、「日米の最終決戦地となるだろう この島が俺の死に場所か」

と軍人としての覚悟を決めていた

東京都 世田谷にある馬事公苑で余生を過ごしていたウラヌスに会う

「俺はこれで終わりかも知れない ウラヌスよ達者で暮らせよ」

と涙が溢れるのを堪え、形見にウラヌスの、たてがみを少し切り取り

ポケットに閉まった これが今生の別れ

 

硫黄島では、守備隊日本兵21000人火山地形を活かし

地下壕やトンネルを網目状に堀り、米軍の砲撃に耐える戦術を取った

(硫黄島は火山島、地下を掘ると60度の灼熱地獄)

米軍が島を取り囲む

航空母艦16隻、戦艦8隻、巡洋艦15隻、駆逐艦77隻 110000の兵力

74日間、空爆 艦砲射撃3万8000発を加え 島の形が変わった

米軍は、此れだけの軍事力の差が有る事に5日で落とせると予想していた

1945年2月19日、米軍が上陸してきた

栗林中将率いる日本兵は此れを待っていた

上陸部隊に雨あられの銃弾、砲弾の嵐を浴びせた

米軍の損害は日本軍を上回る様になった

西竹一大佐率いる戦車聯隊も大活躍

しかし、物量に大きく勝る米軍にじりじりと押されていった

戦車聯隊も、350m四方敵に囲まれ必死の状態

戦車を土中に埋めて砲塔として戦うも守り切れず

北部の本隊と合流しようとした時

西竹一大佐は致命傷を負う「これまでか」と

ポケットに忍ばせていたウラヌスのたてがみを握りしめ

「ウラヌスよあの世で待っている」とピストルの引き金を引いた

1945年3月21日バロン西こと西竹一大佐 硫黄島に散る (享年43歳)

戦場の混乱の中、アメリカ軍から拡声器を使って呼びかけられた

「バロン西、あなたの軍人としての名誉は保たれた 投降してください

我々は、あなたを失う事が非常に悲しい」

しかし、西竹一大佐は、誇り高い日本軍人として

両親や妻、子供の命を守る為に、自らはどんな悲惨な死に方でも良い

と云う武士道精神の持ち主

 

遠く離れた、馬事公苑にいるウラヌス

主人が戦死された事を感じ取っていたのだろう

西竹一の戦死から6日後、静かに眠る様に天国へ上った

天国では、西竹一とウラヌス元気で障害競技に励んでいるでしょう

西竹一とウラヌス、両者共に個性が強く よく似た者同士

天国へ行ってからも仲良くしているでしょう。

 

安倍総理が見せた心の叫び

平成25年4月14日

安倍総理が硫黄島に降り立った

総理はすかさず地面に跪き手で地面を優しくなでた

「この滑走路の下に、まだ遺骨が眠っています 足で踏んでしまって

申し訳ない 安らかに眠ってください」と言って

地下の灼熱地獄で亡くなった日本兵の無念さを安倍総理は感じ

申し訳ない気持ちと感謝の念で心いっぱいになったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日、12月8日は「何の日」でしょうか?

1941年(昭和16年)に日本海軍がアメリカ・ハワイ真珠湾を攻撃した日です。

此の決断の日から、艱難辛苦の日々が続きます。

今日、巷の多くの人は、「日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した」

「日本は、石油欲しさでアジアに侵略し多くの人々を戦火に巻き込み

アメリカと無謀な戦いをした」と思いでしょうが、

真実は違います

戦後、日本の教育に於いて、GHQはWGIP政策を強引に行い

日本人の「強い魂」を抜け殻にし劣等感を植えさせる為に

「嘘の大東亜戦争(太平洋戦争)」を日本人に教え込みました。

 

真珠湾攻撃では、外務官僚の不手際でホワイト・ハウスへの

通達が30分遅れた(真珠湾攻撃から30分後)を良い事に

フランクリン・ルーズベルト大統領は

「日本は奇襲する卑怯な国である」とレッテルを貼り

米国民を戦争参加へと世論を誘導した。

これも変な話で、世界史には幾多の戦争が起きましたが

宣戦布告をして戦いが始まる事は殆ど無い

世界の常識で宣戦布告無しの戦争が普通なのです。

しかし、ルーズベルト大統領は「日本は卑怯者」

と国民を扇動するプロパガンダに利用した。

 

また、当時の石油の禁輸に於いても

アメリカが、日本を陥れる為にABCD包囲網

(A=アメリカ、B=ブリテン(イギリス)C=チャイナ、D=ダッチ(オランダ))

をつくり日本に石油一滴も入れない様に策略した。

日本が最初の一発を撃たせる為の、厳しい外交戦略でありました。

 

西欧列強国による植民地支配から一転、豊かな日本統治へ

アジア諸国では500年以上前、スペイン、ポルトガルに始まり

イギリス、オランダ、アメリカ、ドイツ、フランスなどの

西欧列強国が植民地支配(奴隷化支配)され続けていました

要するに、被支配国の利益は宗主国に搾取され

原住民は家畜以下の生活を余儀なくされました。

この支配が何百年も続いたのですから、

原住民の人々は「独立」と云う概念も無く

ましてや教育される事は無い

当たり前の様に、家畜以下の生活を送っているのが現状でした

 

日本が統治するまでは

日本が第一次世界大戦に於いて、戦勝国になり

太平洋に散らばっていたドイツ支配下の島々を

日本統治下に置いた

日本には植民地支配(奴隷化支配)と云う概念が無く

「日本が統治した以上、原住民も日本人」

だから、日本人と同じ様な文化的、物質的にも豊かな生活

教養のある人材をつくらなくてはいけない

日本人は原住民と共に、汗を流しインフラを作り

学校を作り原住民の教養を高めていった。

そして、原住民は豊かで安全な生活、教育を受ける事で

「独立心」が自ずと芽生えていった。

この日本の素晴らしい統治を知ってきた

ベトナム、インド、インドネシア、フィリピン、マレーシア、

などの西欧列強国の植民地支配に喘いでいた国々の人々は

西欧列強国を手散らすために来てくれた

日本軍の進軍を

両手を挙げて歓喜し、喜びに胸躍った

これが真実の歴史であります。

 

しかし、戦後の歴史教育では「日本軍は原住民を虐待、殺戮した」

と云う嘘を日本人に教育しました。

当時の日本軍規は世界一厳しい

訳も無く、原住民を殺せば非常に重い厳罰が下ります。

 

日米開戦、背景には「人種差別の撤廃」と云う大きな志が

当時、日本の石油備蓄量は一年分でした

石油が無くなれば、国の存続が危ぶまれます

しかし、当時の石油産出国の筆頭はアメリカです

そのアメリカと戦争をしたら、石油が輸入出来なく事は誰でも解ります。

それでも戦争に踏み切った

そこには、深い意味があります

人種差別撤廃と云う志が

西欧諸国の宗主国人と被支配国人とでは、同じ人間でありながら、人間と動物

程の差別があります

日本は、その差別支配に雷を落とし

戦後、アジア、アフリカ、中東、南アメリカの国々が続々と

独立を果たす道のりを築いてきました。

 

アメリカ、イギリス、オランダ、フランスなどの戦勝国は

実は敗戦国なのです

戦いに勝って、時代の変革に負けているのです

今まで、宗主国の利益をがっぽがっぽ搾取していたのが

独立を果たして、その利益が0になるのですから。

 

最後に心温まる、感動、日本人なら涙流す言葉

ククリット・プラモート(タイ国 元首相)の名言

「日本のお陰でアジア諸国は全て独立した

日本と云うお母さんは難産して母体を損なったが

生まれた子供はすくすくと育っている

今日、東南アジア諸国民がアメリカ、イギリスと対等に

話が出来るのは、一体誰のお陰であるのか

それは、「身を殺して仁をなした」日本と云う

お母さんがあった為である

12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれた

お母さんが一身をかして重大決意された日である

更に、8月15日は我々の大切なお母さんが

病の床に伏した日である

我々は、この2つの日を忘れてはいけない。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

10月27日、高市総理がASEAN(東南アジア諸国連合)関連首脳会議に臨みました。

各国首脳は、高市総理との挨拶で列が出来るほど、日本との友好

そして日本に大きな期待を抱きました。

「日本がアジアのリーダーになり、引っ張て下さい」と言わんばかりの歓迎ぶり

高市総理の人間的な魅力もありますが、

背景には、戦時中、日本がアジア諸国の独立を導いた

被支配国は、日本の指導の下義勇軍をつくり、

西欧支配国の軍隊に勝利し、アジア、中東、南アメリカ、アフリカの多くの

国々が独立を勝ち取った事実があります。

 

戦時中は、日本が西欧列強国の支配(奴隷支配)に苦しむアジア諸国に

軍隊を送り、宗主国と激しい戦いをもって勝利し

日本がアジア諸国を統治しました

日本の統治は奴隷支配とは真逆の統治

「現地の皆さんが、豊かで文明的な生活を」送れる様に

インフラ整備 道路、病院、学校、港、工場など大金を本国から出してもらい

現地民が発展する様に尽力しました。

 

今日、台湾、ベトナム、タイ、パラオ、インドネシア、マレーシア、など

幾多の国々が親日国である所以であります。

 

東京オリンピックは特別な平和の祭典

1964年10月10日 アジアでは初めてのオリンピック

1948年のロンドンオリンピックの参加国数は59か国

16年後の、東京オリンピック参加国数は93か国

何故、参加国が倍近くに増えたのでしょうか?

前述の、世界の小さな国々が続々と独立を果たした結果です。

独立した国々の多くは、「日本のお陰と感謝の念を抱き、東京オリンピックには

絶対参加したい、天皇、日本国民の目の前に、我が国はこんなに立派になりましたよ」

と見てもらいたい一心でした。

中には、選手団を送出せる程の経済力が無く

国民から寄付金を募って1人の選手の参加に至った国もありました

 

東京オリンピックは人種差別を超えた最高の祭典です。

 

開会式 胸躍らす選手たち 天皇のお心使い

前日の大雨にの関わらず、10月10日は神々祝っている様な

目が覚める様な青空

青空に見事な五輪 ブルーインパレスの神業

開会式の本丸、選手入場

ゲートが開く

場内に古関裕而作曲のオリンピック・マーチが

胸躍らせるマーチが鳴り響く

古関裕而氏             オリンピック・マーチを奏でる

新独立国の選手達は、「涙が溢れるばかりに感無量」感謝の念を込めて

ガーナ選手団は民族衣装で

エチオピアのアベベ選手(マラソン金メダル)

 

選手入場が始まると天皇陛下、一人だけ立って迎えていました

一人立って選手たちをお迎えた天皇陛下

天皇は「各国の選手に礼儀と愛情、尊敬の眼差し」がお心にあったと思います

天皇自ら、周りの人達が立とうとするのを、宥めたのだと思います。

 

この様な、天皇のお姿を見て世界の人達は、「天皇の愛情深さと、尊敬の念」

を抱いたに違いありません。

最後は日本選手入場

 

シラス国、日本に生まれてきた幸運に感謝

天皇にとって「幸せ」とはなんですか?

天皇「国民の幸せが、朕の幸せ」とお答えになるでしょう

天皇は、国民の事を想って祈る 国民に愛情と慈悲をかけてくださる

選手入場の時でも、お一人立っておられて

選手一人ひとり見送りました

天皇の下で、生まれてきた日本人は、シラスと云う国の形

感謝しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

10月21日 高市早苗先生が総理大臣に就任されました。

本当に、心から拍手を送りたいです。

今までの政治腐敗から脱却し、新しい女性総理の下、日本の未来は明るいと確信しています。

所信表明演説に挑む高市総理大臣

 

 ここでは、日本史に於いて女性がトップに立ち世の中を動かした時

時勢が大きく変わり、世が平になる事が多く見られます。

一例ではありますが書きたいと思います

日本に見る女性の時代

①卑弥呼

弥生時代、各地の豪族が「「この土地はオレのものだ」とお互い譲る事無く

争い、戦いそして幾多の尊い命が喪われた

この乱世に卑弥呼が現れ神のお告げを聞いた

(日本は子供を産む女性だけが神々と通じ、お告げを聞く)

この世を安らかに平らにせよと

「卑弥呼様には盾突く事は出来ない

を豪族達は矛を収め、血を血で洗う戦いは終わった。

 

②神功皇后

14代仲哀天皇の皇后

仲哀天皇が熊襲征伐に兵をあげた時

神功皇后は、「神のお告げで熊襲征伐は中止、三韓征伐に回れ」

と急遽三韓征伐に兵を送って事を成した。

 

③持統天皇

第41代天皇、日本の教育、伝統、文化の基礎をつくる

日本書紀は、1945年(昭和20)までは教育の根幹にあった

 

④北条政子

源頼朝の正室 承久の乱では大演説をして

関東武士団の心を一つにまとめ勝利に導き

鎌倉幕府を盤石のものに

 

⑤日野富子

11年にも及ぶ応仁の乱で、京の町は焼野原

京の町人は飢えと疲労で生きるのが精いっぱい

こんな乱世を経済の力で終わらせた。

 

⑥扇千景

最近に於いても、女性の決断力と行動力には頭が上がらない

九州南西の日本領海に不審船現る

再三の警告を無視しスピードを上げる不審船

国交大臣の扇千景は「射撃をせよ、船を止めろ」を命令

不審船が沈没した後も、サルベージ船で引き揚げを命令

チャイナや北朝鮮は猛反対

そんな事も気にせず、船を引き揚げ真実を国民の目に曝せた

 

以上の様に女性がトップに立ち世を動かすと

争い、戦いの時代に終止符を打ち調和と共生の時代になる事が解ります。

解り易く言えば、男と云うものは、争い戦いの性分を生まれながら

持っていて「誰よりも金を持ち、早く出世し大きくなりたい」と云う

欲望が心の中で渦巻いています。

一方、女性は争い戦いよりも安定、共生、響き合いの性分を

生まれながらに持っています。

 

植民地支配からの脱却、次に来るものは

500年以上続いた白人による植民地支配

500年程前、スペイン、ポルトガルが世界を二分する支配

アジア、アフリカ、中東、南アメリカの地域を次々と

植民地支配下に置いて白人が利益を総取り

原住民は殺されたり奴隷にされた

その後、スペイン、ポルトガルに替わり

イギリス、オランダなどが同じ支配をした

一部のトップが利益の大半を手に入れ

末端の人は貧困に喘ぐ この様な植民地支配の構造は

「グローバリズムDS」と云う名に変わって

今日でも残っています。

この様な、500年以上続いた拝金主義、

「自分が儲かれば良い 他はどうなっても良い」

「今だけ、金だけ、自分だけ」の争い戦いの時代に

終止符を打つ時代が目の前に来ています

日本では、女性総理大臣、内閣の発足と云う形で表れています。

 

これからは、真面目な国民の時代

今日までの、争い戦いの時代は一部の、政治家、官僚、経済人など

公金チュウチュウし、バレなければ良いと考える者が跋扈していました

しかし、今日からは共生、響き合いの時代

公金チュチュウの馬鹿者は淘汰されるでしょう

国民一人ひとりがSNSなどで真実を知り

もう黙っていられないと志を立てた

これからは、真面目に働き、社会に貢献する人が

金銭的にも心豊かさを手に入れる事ができるでしょう。

 

 

 

 

今日、小中学校の給食時に「頂きます、ごちそうさま」を言わせない学校が少なからず

あると言います。

PTAや親御さんからクレームが入る

「給食費を払っているのに、頂きます、ごちそうさまを言わせるなんて可笑しい」

「宗教色が強い」などと言い訳にもならない事で生徒達に言わせないと言う

金を払っている者が立場が上とでも思っているのだろうか

呆れてしまいます。

 

昭和育ちの、僕にとって「頂きます、ごちそうさま」を言うのは当たり前

動植物の命を頂く事に感謝する気持ちがあって自然に口から出るもの

従って、感謝の気持ちを口にしない事は、全てに於いて感謝しない事を意味します。

心ある日本人なら、同意してくれると思います。

 

「頂きます、ごちそうさま」は食べられる事の感謝の気持ちは

古来から培ってきた日本文化に染み付いています。

それらの感謝の気持ちを生徒から奪う事は、日本文化を伝えずに

文化を壊す行為である事だと普通の日本人だったら気付きます。

 

禅が教える「食」の大切さ

曹洞宗大本山 永平寺

禅寺で、座禅を組んだ人なら「あ、あ、そうそう」と同感してくれると思います

禅の修行で大切なものの一つに「食への感謝」があります

食べられて生きる事への感謝です

禅寺での食事の前に、般若心経を唱え、続いて「五感の偈」(ごかんのげ)を唱えます

五感の偈

一つには、功の多少を計り 彼の来処を量る

二つには、己が徳行の全欠を忖って供に応ず

三つには、心を防ぎ過を離ることは貧等を宗とす

四つには、正に良薬を事とするは形枯を療ぜんが為なり

五つには、成道の為の故に今此の食を受く

 

ここでは、一つにはに注目したいと思います

功の多少を計り→お釈迦さまは「あなたは今日一日、善い事をしましたか

   それとも人を虐めたり、不幸にしませんでしたか?と説いています

   一日の功が多いか少ないか計算しなさい

 

彼の来処を量る→彼とは端的には言えばお百姓さんの事

   目の前に料理があります お百姓さんが渾身こめて作った米や野菜

   その農産物を運ぶ人、売る人、調理をする人、

   色々な人々の汗と努力があってはじめて目の前の料理が在ります

   その人々への感謝する心を、自分の心に来処を設けなさい

 

禅寺での修行は、ご飯粒一粒、汁の一滴も残してはいけません

全てありがたくいただくのです。

 

日本人は、古来から「食事をありがたく頂く」と云う文化が

親から子へと受け継がれてきました

しかし、戦後80年西欧の合理主義、大量生産大量消費の飽食の時代になって

この素晴らしい文化が忘れています

もう一度、大人から日本文化を見直し「日本人らしい」

国民になって貰いたいです。

   

 

2025年から「風の時代に入った」「グローバリズムが解体し新しい時代に」とSNSを中心によく言われています。

グローバリズムや共産主義の思考、価値観 即ち「今だけ、金だけ、自分だけ」と云う価値観

一部の支配者が利益を貪り一般大衆が貧困に喘ぐ時代が500年以上続いたが

今日に至って終止符が打たれる様になる

では、グローバリズムの後に続く ポスト・グローバリズムとは何か?

知らす国、日本の思考、価値観が未来の世界に羽ばたくと思います。

「将来に、幸せに、皆で」皆で一緒に幸せをつかみ、

繁栄し共生すると云う思考価値観が世界をリードするように思えてなりません。

未来の時代に、我々日本人は此れからどの様に学び

努力、行動したら良いか問われています。

しかし、日本人の中には日本の歴史に劣等感を抱く人も多くいます

(劣等感を抱くと繁栄がなされない)

戦後GHQのWGIP政策によって日本人の教育は自虐史観(日本人は戦場で

鬼の様な酷い事をした)を植え付けさせられた

この背景には、グローバリズムによって日本人を愚民化させて

支配者が利益を吸い取る構図があります。

日本人がポスト・グローバリズムの世界に貢献し

世界のリーダーとなる為には

自虐史観を取り除き、誇りをもつ事が必須です。

 

ここでは、WGIP政策の自虐史観で「嘘の歴史」が日本人の

心の奥底に浸透している事を憂い

嘘の歴史を暴き真実の歴史を具体的に語りたいと思います。

嘘の歴史の一つに「戦中、日本軍はチャイナ、半島、東アジアに於いて

原住民を虐殺し奴隷化して植民地にし利益を貪った」

と云う大きな嘘

ここに、氷山の一角ですが日本軍が行った

歴史を語りたいと思います。

 

パラオ・ペリリュー島の悲劇と、感動の逸話

前述 植民地支配と云う名のグローバリズム支配が500年以上続いたと書きました

これは、西欧列強国の植民地支配 スペイン、ポルトガルから始まり

イギリス、オランダなどの西欧諸国によるアフリカ、アジア、

南アメリカの国々を植民地化し原住民を人間扱いせず

過酷な労働を強いらせ自分達は大儲けする時代が500年以上続いた事です。

この植民地支配を終わらせたのは日本です。

日本も戦時中、東アジア諸国を委任統治しましたが

西欧諸国の支配とは、全く違い

日本は統治した原住民も豊かな生活が出来る様に

インフラの整備、教育、軍の育成、文化の育成などに尽力しました。

決して利益を貪る事はせず、反対に日本から多大な資金、人材を提供し

原住民が幸せに生活が出来る様に努力しているのです。

 

ここに、パラオに於いての西欧列強国の支配と、日本の委任統治

について語りたいと思います。

透き通る青い空と海、住民は穏やかで優しい 南国パラダイス・パラオ

パラオ人は、超が付く程、親日

90才にもなる老女が語る「日本統治の時代は楽しかった

本当に感謝している」と涙ながらに

我々日本人の中には、「どうして日本が暴力支配したのに

楽しい、感謝だなんて」と思う人も多い

(自約史観に染まって抜け出せないでいる人)

ここで、何故、「楽しい感謝している」と語る人が多いのか

歴史を遡って考えてみます

真実の歴史を知り未来の日本に役に立つために

 

1885年、スペイン人がパラオに入り植民地支配を行い

1899年、スペインに代わりドイツが植民地支配をひいた

急に、西欧諸国が入り込み、何も知らない無垢な原住民を

奴隷化し「一日3時間寝れば、休める」と朝から深夜まで

強制労働させた 休みも無く鞭打たれて働く、病気になっても

治療してくれない

過酷な労働とヨーロッパが持ってきた天然痘によって

原住民はバッタ、バッタと亡くなり

5万人の人口が5千人まで減った

90%の人が亡くなっているので、どれだけ非常で過酷な状況か解る

原住民も支配奴隷にされる事が日常になり

諦めの心境であった。

 

世界情勢が変わり第一次世界大戦が終結すると

戦勝国の日本がドイツに代わってパラオを委任統治する

原住民は「日本人も、スペインやドイツを同じ様に我々に

酷い事をするのだろう」と怯えていた

しかし、その怯えは笑顔に変わる

日本の委任統治は、西欧諸国の支配とは全く別物であった。

日本は「日本が統治する以上パラオは日本である、

パラオ人は日本人でもあり、もっと文化的に豊かな

生活を送らなければいけない」とパラオに

庁を置き、稲作や野菜果実などの農業

缶詰、ビール工場を建てて道路、橋、病院などを建てて

当時、日本国内でも珍しい電話を引いた

また、パラオ人は文字を持っていなかった為に

学校を築き、日本語教育、小学校では九九の暗唱と

繁栄の為の教育のレールをひいた。

原住民を豊かにする為に、時には厳しい指導もあった

しかし、その厳しさが将来、実りとなった現実がそこにはあった。

 

こうしてパラオ人は少しずつ日本人に愛着をもつ

苦しい時、楽しい時に手と手を取り合って協力していくうちに

お互い信頼と云う絆で結ばれて

日本人はパラオ人の為に、パラオ人は日本人の為に

思いやりの心で一緒に寝食を共にし豊かで楽しい生活を送っていた。

 

日米戦争、日本軍人の悲劇とパラオ・ペリリュー島民

ここに一人の軍人、中川洲男隊長

中川隊長は、人情に厚く無口だが涙もろい 人望溢れる人物

パラオ人とも寝食を共にしパラオ人からは「親父さん」と慕われていた

中川隊長は細かい事に気づきパラオ人が良き良い生活が送れる様に

指導していてパラオ人も尊敬と愛情をもって接していた

病院の建設が完了し祝賀会の時、

中川隊長は「パラオ人が居なかったら病院は出来なかった」と言って

日本人とパラオ人一緒に、飲めや食えやで大盛り上がり、楽しいひと時を

パラオ人は、中川隊長の事を無口だけれど心優しい人

心底愛し「この人の為なら」と利他主義を抱いていた

 

「日本兵と一緒に戦うぞ オー」

パラオ・ペリリュー島にある日本軍防衛陣地(日本兵1万)に対し

米艦隊5万の兵力が押し寄せてきた

日本の子供と一緒に教室で学び、同じ旗の元手を合わせてきたパラオ人

一心同体であった

パラオ・ペリリュー島民の若者が日本軍と一緒に戦う覚悟をもって声を上げた

若者が中川隊長のもとへ行き、「愛する日本兵と一緒に戦いたい、自分も死ぬ覚悟は

出来ています、どうか戦わせて下さい」

しばらく沈黙の時が流れ 普段温厚な中川隊長が大声で怒鳴った

「帝国軍人が貴様ごとき土人と一緒に戦えるか!」

「今、中川隊長は土人て言ったよな」若き島民の心が砕けた

戦いを拒否された事に悲しいでは無い「土人」を言われた事が悲しい

そして、島民は日本人も我々を差別していたのかと怒りと悲しみで

拳を振るわせた。

戦場と化すペリリュー島を離れ安全な島へと向かう避難船に島民全員乗り込んだ

日本兵は誰一人見送りに来てくれなかった

避難船が島を離れ沖に出ようとした時に

島民の目に信じられない光景が

真っ白な砂浜に、死を覚悟した日本兵全員が、手が千切れんばかりに振り

「達者に暮らせよ、戦争が終わったら後は頼むぞ」

笑顔で出迎えていた 先頭には中川隊長が笑顔の姿が

日本兵は、島民と共に唄った歌を大声で歌っていた、涙で顔を腫らす人も

この瞬間、島民は全てを悟った

あの「土人」と云う言葉は、自分達島民の命を救う為に

戦闘に巻き込まれない為の偽りの怒り

自分たちを愛するがゆえの苦渋の演技だったと

そして、船は安全な島へと

 

アメリカ軍は、3日あればペリリュー島を落とせると楽観視していた

2メートルの厚さのコンクリートの壁も吹き飛ぶ艦砲射撃

雨あられの様な砲弾の嵐

日本軍は、塹壕を網の目の様に堀り耐えた

米軍の上陸部隊に日本軍の反撃が

血を血で洗う激戦 両軍とも多大な戦死者を出した

「日本軍がこんなに強いのか」と思った米軍ではあるが

物量にものを言わせ日本軍を追い詰めた

そして、日本軍の最後の日が中川隊長は本国に

「サクラ、サクラ」と伝報をうって玉砕した。

戦闘は73日も続き日本本土空爆を遅らせた。

 

戦闘が終わって、島民がペリリュー島に戻ると

目も当てられない位、悲惨な光景が

米軍の戦死者は丁寧に葬られていたが

日本兵の亡骸は、野ざらし

島民が一人ひとりの日本兵の亡骸を丁寧に葬り墓を作った

亡骸の一つに中川隊長らしきものも

戦後の今日も墓に花が絶える事がない

島民の皆様「ありがとう」

 

日本人が今、学ぶ事、考える事

ここにパラオの国旗があります。

日の丸と酷似しています

パラオは1994年独立を果たし国旗が出来ました

青い海と黄色の月 日本に遠慮して黄色の月は中心より少し

ずらしています

2015年4月9日 天皇皇后両陛下が戦没者慰霊の為パラオ・ペリリュー島に

日本から持ってきた白色の菊の花を献花台に

日本人もパラオ人もペリリュー島で亡くなった兵隊さんへの

恩が報われたのではないでしょうか

 

パラオへ行った人は感じると思いますが

島民の人には日本語が通じる人も多く

日本人である事が解ると断然な、色々なサービス受けて

親切にしてくれます

歴史に詳しくない人は「何故、日本人には特別にしてくれるのだろう」

と疑問を抱く人も多いでしょう

日本統治時代に、パラオの発展の為に努力してくれた恩を

今日のパラオの人達、子供から大人まで知っているから

知っているからこそ恩を感じ、日本人に愛着が湧き親切にする

知る事が大切

知らなければ何も始まらない 知らない事は罪な事でもあります。

知って考えて、感謝する事がポスト・グローバリズムの一歩であると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何も言えない日本、マインドコントロールするアメリカ

「勝てば官軍、敗ければ賊軍」と云う言葉があります

勝者も敗者も正義は、それぞれに言い分があります

しかし、敗者の方は、全否定される事が歴史上幾多あります。

戦後の日本に於いても、敗けて焼野原になった日本は

アメリカの横暴に沈黙するしか無い状況でした。

アメリカGHQは、戦前戦中の価値観を全否定

アメリカに盾突かない日本をつくる為に

WGIP政策をもって日本の政治、経済、軍部、社会、教育に

至るまで変革した 「古来からある日本の形」を壊し、アメリカの都合の良い

日本の形をつくった。

「あの戦争は日本が全て悪い、アメリカは日本の全体主義を壊し

民主主義を広めた救世主だ」とマインドコントロール

正直な日本人はそれを金科玉条の様に思い込んでいた

(僕は、何がアメリカが崇高な民主主義を与えただ、西欧民主主義は

一部の支配者による奴隷契約を結ぶ事だ 日本は古来から「知らす」と云う

誇り高い民主主義があると思います)

残念ながら、今日でもWGIP政策は続いています。

「何でもかんでも、西欧は素晴らしい」と思い込んでいる人が多い事か

日本の政治家、経済人、官僚、マスコミなどは「アメリカ様の言う通り」と

ペコペコして間違っていてもNOとは言えないのです。

 

現代日本人が、学ぶべき武士道

終戦直後、焼野原の日本にあって、アメリカにNOを叩きつけ

アメリカの悪事を公の場で暴露した

志のある武士 戦争の天才と言われた軍人がいました

石原莞爾

その名は石原莞爾元中将 その実話

昭和21年5月3日から東京裁判が開廷されました

東京裁判の光景

勝者アメリカが敗者日本を徹底的にたたき

日本の言い分は一切聞かない、一方的な茶番裁判

裁かれる日本陸軍将校はどうか

自らの命は顧みず裁判に臨む武士の様な軍人もいれば

自らの刑を軽くしようと、アメリカ贔屓の発言をする

腰抜け軍人も多くいた事は聞きます。

そんな、状況下で一人の男が吠えた

「何故、俺を裁判にかけないのか!!」と

 

アメリカの裁判長は驚愕し、そして何も言えなかった

アメリカGHQは石原莞爾をわざと裁判にかけなかった

何故、石原は戦争の天才と言われた男

裁判にかけたらアメリカの悪事三昧を暴露されアメリカにとって不利になる

と云う思惑があった

石原の再三の要望があって仕方なく裁判を行った

「私は病気療養中だ、東京に行ける訳がない、お前達がこっちへ来い」

と出だしから石原のペースだ

1947年(昭和22)5月山形県 酒田市で東京裁判出張法廷が開廷された

リヤカーに乗って法廷に向かう石原莞爾

堂々と誇りをもって法廷に臨んだ石原

GHQの思惑は一つ、東條英機を死刑にする為に

石原の証言を取りたかった事

東條英機

 

裁判長の質問「証人、石原はこの裁判に関して聞きたい事はありますか?」

石原「勿論ある、何故俺を戦争犯罪者として裁かないのか 

この度の戦争は満州事変が発端となり起こった

満州事変を起こしたのは、この俺だ」

石原の発言に裁判長は狼狽した

裁判長「あなたは証人として、ここに呼ばれたのですから

その様な発言はなさらないで下さい」

と石原の発言を遮った

そういう事も構わず石原は

「まだある、アメリカは日本の戦争責任を随分古くまで

遡っている様だが一体何時頃まで遡るつもりなのか」

裁判長「日本の行った侵略戦争全てです 出来る事なら

日清、日露戦争まで遡りたいところです」

 

裁判長の発言に対して石原の思いもよらない発言を

「それならペリーを連れて来い 日本は鎖国していた

無理矢理、開国させたのはペリーだろ」

正論を叩きつける

法廷内が静まり返った 裁判長は「これは一筋縄にはいかない」と悟る

裁判長「石原さん、あなたは日本軍の21倍もの支那に勝つ自信があったのですか?

私たちは、到底無謀な計画の様に思えてなりません」

石原「勿論、勝算はあるさ 君に教えてやろう

戦争は数の勝負ではないんだよ 大切なのは作戦さ

もしも、この戦争で私が指揮を取っていたならば、

裁判長、あなたの席に私が座り

ここには、あなたが立っていた筈だ」

裁判長も他の裁判員も何も言えなかった

何故、石原が戦争の天才である事を、そこにいた

全員知っていて、実際あり得る事と納得していた。

 

気が付けば裁判長は、石原から石原さんと呼び最後は石原将軍と呼ぶに至った

(敵であろうと、素晴らしい人だと将軍と呼ぶ アメリカ人の良い所です)

石原を呼んだ理由は、東條英機をする為に証言を取る為

裁判長は核心に迫る質問を

「あなたは、東條英機と思想上の対立があったと聞きますが?」

石原「ない」

裁判長も必死である「いやいや、そんな筈はないでしょう あなたは東條英機と対立してた筈」

石原「ああ、対立はしていたさ それは思想上の問題では無い

何故なら、東條の馬鹿には思想と云うものが無い

私には少なからずあるけれどな」

裁判長は予期せぬ石原の証言に戸惑いつつ

起死回生の最後の質問を

裁判長「最も罪深い戦争犯罪者は誰か?」

裁判長は「東條英機に決まっている」と証言を期待していた

しかし、石原の口から出た、とんでもない言葉は

石原「ああ、それならアメリカ大統領トルーマンである」

そこにいた全員が耳を疑った 石原は構わず

「そうであろう、なんの罪も無い民間人を原爆で殺しまくり

20万人も殺して それが正義と言えるか!!

トルーマンこそ最大の戦犯だ!!」

裁判長は、裁判記録の破棄を命ずるしかなかった。

トルーマン大統領

裁判後、A新聞社の記者が涙いっぱい浮かべながら

石原のもとへ駆け寄った

記者「将軍、私は非常に嬉しかったです、

日本が戦争に負けて、かつて偉そうにしていた指導者達が

手のひらを返す様に、オドオドペコペコして答弁する様子を見てきました、

それは非常に悲しい光景でした

ですが、今日の裁判の様子

将軍の発言を聞いて胸がすく思いです ありがとうございました。」

 

石原は、記者に対して「私は、もう将軍ではないよ」

 

戦後80年、石原莞爾から学べ

石原莞爾は真っすぐな志、大和武士の様な

「ダメなものはダメ」と相手が誰であろうと躊躇無く言える

偉人がいた事は日本にとって幸せな事です。

戦後80年、日本は、西洋諸国、アメリカにペコペコご機嫌を取っていた。

もう、ペコペコの時代は終焉を迎える

これからの時代は、共生、共振、共鳴の時代に入るのだから

西欧諸国、中国に見られる 一部の支配者が利益を分捕り

一般民が苦しい時代は終わるのだから

共生、共振、共鳴の新時代に石原莞爾の様な

誇りある真っすぐな志をもった人材を多く

日本から排出してもらいたい

その為に、我々が出来る事に努力を重ねたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎年の事ですが、8月になると戦争に関してのブログが多くなります

皆様は、戦争にどの様な思いがあるでしょうか。

人が戦死する様な戦争は、暗くて悲惨だから考えたくもないと云う人も多いでしょう

しかし、終戦の日を機に、戦争について、調べ考え 語り合う事も大切ではないでしょうか

大東亜戦争は、どうして起こったのか

何故、日本はアメリカと戦争をしたのか

当時、どんな人が志を立てて、どの様な想いで行動し努力し

その結果どうなったのかを歴史から学ぶ事が

明るい未来の日本を形成に繋がってゆきます。

 

歴史は過去と現在が一本の線で結ばれていて

過去に先人の皆様が、努力し行動し犠牲を伴う事もあって

現在がある事は間違いないです。

では、未来はどうなるのでしょう

未来は、現在生きている我々が、どう行動するか

努力をするか、しないかで決まります。

幸せな日本、世界を築く為に我々日本人は未来を見据えて

努力、行動しなければ明るい未来は訪れません

即ち、現在の我々が、どの道を選択するかで

日本の将来が、明るいか、暗いかが決まります

我々が、何も考えず何も学ばず何も行動しなかったら

最悪の暗い将来への道を進むでしょう。

明るく希望ある日本を築く為には、まず我々日本人が

自虐史観から脱却し真の歴史を学び

そして努力、行動する事が求められます。

 

大東亜戦争の嘘

大東亜戦争は日本が東アジアへ侵略し、インドネシアの石油欲しさに

軍を南下させ、米英、ダッチ、仏と戦争をして

そして日本軍は、各戦場で酷い殺戮を繰り返し

怒った西欧列強国、支那は日本に鉄槌を下した

そして日本は負けたと云う自虐史観満載の作り話に

日本人は戦後80年間、騙されていた。

GHQのWGIP政策のプレスコードの命令で

日本のマスメディア、新聞社は、こぞって反日、

自虐史観を国民に流布した

その結果、「日本は酷い国、西欧、中国は素晴らしい」と思い込んでいる人が

国民の大半を占めた。

 

南京事件の嘘

自虐史観の一つに南京事件があります。

一般的に、通説とされる事には、いくつもの嘘があります

中国側は、「あれは、南京大虐殺だ30万人もの市民が殺戮された」

と主張しています

これ本当の事でしょうか、中国の主張は殆どが嘘

第一、当時の南京市民は20万人、どうして30万人も殺戮できるのでしょうか

1937年12月に起こった南京事件、当時南京は支那の首都で

市内には西欧列強国の領事館員、政治家、ジャーナリスト、商人など

幾多の西欧人が駐留していました

こんな状況で、30万人もの南京市民を殺戮したら

市内あちこちで、西欧人の目に止まる

そして、「日本軍はホロコーストをしている」と光の速さで

母国へ電報を打つでしょう 国際大問題になります

しかし、現実は虐殺の「ギャ」の字も出なかった

要するに、大虐殺は無かったと云う事

第一、日本兵士が持っている銃や弾丸は

「天皇から頂いた崇高なもの」と云う認識です

その大切な武器で、武装していない市民を殺すでしょうか

東京裁判 東條英機

 

「南京大虐殺」の言葉が最初に出てきたのは、戦後の東京裁判です

日本人に自虐史観(劣等感)を植え付けさせたかったGHQが

南京大虐殺と云う作り話をでっち上げた

以後、アメリカは日本が盾突かない様になってから

「南京大虐殺」は嘘と発表しています。

蒋介石

毛沢東

また、中国が「南京大虐殺の証拠だ」と言って一枚の写真を提示した

この写真を分析した結果、上海事変の時に

国民党軍(蒋介石)と八路軍(毛沢東)との戦闘で

亡くなった人々の写真である事が判明した

何の南京事件と関係が無い

今でも、中国はこの偽の写真をもって、南京大虐殺だと叫んでいます。

中国は南京事件を政治利用しているだけ

 

日本の侵略、支配の為の戦争と云う嘘

日本は、支那や東アジアに侵略、支配の為戦争をした事も嘘です

日中戦争にしても、当時の支那には、幾つもの支那の軍閥が跋扈して

その軍閥が、市民の財産を略奪し、強姦し、殺戮した 鬼も目を背ける様な業

軍閥が反日を掲げ、日本人居留区を襲い良心の欠片もない事をしました

日本軍は、日本人の財産と命を守る為、軍閥と戦ったのです

それが日中戦争です、日本に侵略、支配の意図は無いのです。

フランクリン・ルーズベルト大統領

コールデン・ハル国務長官

 

日米戦争に於いても、日本政府は開戦直前まで外交で問題解決に奔走した

しかし、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は日本とは一切

会談せず無視した その一方でABCD包囲網、ハルノートを突きつけ

日本から戦争を仕掛ける様に仕向けた

日本は米国とは戦争をしたくなかった

天皇も仕方なく、開戦の勅語を下したが本音では戦争をしたくは無かった。

しかし、アメリカとイギリスの陰謀によって、対米戦の引き金(真珠湾攻撃)

を余儀なくされた

真珠湾攻撃

東アジアにおける日本と西欧列強との戦争も、人種差別の撤廃

植民地支配からの開放の為であり

日本が東アジア諸国を植民地にして支配の意図は無い

日本が東アジア諸国と仲良くして、貿易を盛んにし

文化交流し、共に発展し合う事を目標にしていました。

日本は戦争に敗れはしたものの、戦後、アジア、アフリカ、南アメリカ

中東の諸国が独立戦争に勝利して独立を果たした。

有色人種でも白人の支配から独立出来ると云う勇気を、日本は身をもって

示した。

 

若い人を中心に自虐史観から脱却、真の歴史を学び誇りある日本人になろう

戦後、80年の歴史教育は、GHQの思惑「日本人を骨抜きにする」をずーと引き摺ってきました

この為に、どれだけ国益が損なわれたか

「嘘で固めた日本史」をもう信じている場合じゃないのです。

真の歴史を自ら調べ、学び知って、語り合い話し合う 勿論反省すべき点もあるでしょう。

先人が、努力、行動し涙で培ってくれた日本に誇りと感謝の念を

持つ為に、若者が中心となり歴史を勉強する事を願います。