BENMEMOの偉人散歩 日本人て誇り高く素晴らしい(悲運の偉人、小栗上野介忠順) | 偉人散歩

偉人散歩

日本人って素晴らしい

幕末維新の偉人と問われて

勝海舟や西郷隆盛、大久保利通など有名偉人が数多くいます。

幕臣、小栗上野介忠順(おぐり、こうずのすけ、ただまさ)

と聞いて、「誰」と思う人も多いと思います。

あまりにも有能であった幕臣、小栗は

明治新政府に怖れられ悲運の最期をむかえた偉人

僕は、幕末偉人3人挙げよと言われれば、

真っ先に小栗の名が浮かびます。

小栗上野介忠順

 

産業革命以降、西欧と日本 技術の差を埋めよ

1839年アヘン戦争以降 清国(中国)は西欧列強国に

虫歯まわれ、あの強かった清国は面影も無い

東アジアの国々もイギリスをはじめ西欧列強国に植民地化され

残るは日本だけの状況

1854年(嘉永7年)ペリーが下田で日米修好通商条約を締結

日本にとっては不利な条約

西欧列強国としては、生産性が低く軍事力も弱い

日本と平等な条約なんて結ぶ気も無い

不平等な条約を締結して日本から利益を吸い取る事を考えていた。

 

日本が植民地にされず、西欧列強国と渡り合えるには

日本の産業、軍事、政治体制などを近代化しなければ

それも短期間のうちに

西欧列強国の進んだ技術を学ぶ事から始まる。

産業を盛んにし、軍事力を強化する事が早急に求められている。

 

一本のネジに込められた近代化への道

群馬県 東善寺所有

ここに一本のネジがあります。

このネジは、小栗がアメリカから頂いたもの

1860年(万延元年)、幕府の使節団を乗せたポウハタン号が

一路サンフランシスコへ出港

ポウハタン号 模型

その中に小栗の姿があった。

小栗の使命は、アメリカと結ばれていた

金銀交換比率の見直しという大仕事を熱く胸に抱いて

(ポウハタン号の護衛艦として随行したのが有名な咸臨丸)

小栗はアメリカに入って近代化した風景に驚きの連続したものの

西欧から学ぶ思いは太陽よりも熱く燃え滾っていた。

 

ワシントンにあるワシントン海軍工廠(造船所)を見学

日本の製鉄技術との歴然たる差に驚愕

とてつもない大きな蒸気マシーンの数々

日本もいち早く巨大マシーンを取り寄せ産業を強化しなければ

と強い思いが湧いてきた

小栗は、記念にネジをもらった

ネジを握りしめ

「巨大なマシーンを作るにも、この小さく精巧に作られたネジが無ければ

巨大マシーンは作れない」

 

小栗は日本に帰国後、直ぐ老中に

ネジを見せ

「我が国は、ネジ一本も作れない 精巧なネジを作り

大きな軍艦をも造らなくては日本の未来はない」

と力説

しかし、老中の顔には危機感が無い、ネジを見せられても

変わった釘としか見ていないであろう。

小栗の近代化の想いは上層部には伝わらなかった。

それほど「平和ボケ」していた。

根気強く、熱心に、製鉄所、造船所の建設が日本の近代化の原動力になる事を訴えた

莫大な資金が必要でOKを出す上層部はなかなかいない

でも、小栗の努力が実を結ぶ時が、

1865年(慶応元年、11月15日)

横須賀に製鉄所と造船所の建設が着工

当時の製鉄所

横須賀製鉄、造船所の絵図

ここに、世界有数な製鉄、造船所ができる

横須賀造船所で戦艦比叡、航空母艦飛竜、信濃など多くの

戦艦が造られ現在では、

横須賀米海軍が、160年も昔のドックを利用している。

現在のドック

 

無知なる者の大罪

徳川慶喜が大政奉還して鳥羽伏見の戦いへ

小栗は慶喜に、「徳川の陸軍と海軍をもってすれば

薩長に勝てる勝算があります」と慶喜の脚に縋り

訴えた

しかし、戦う意思の無い慶喜は小栗を罷免する。

小栗は、政から身を引き

故郷の上野国群馬、権田村へ隠居

しかし、新政府は反逆勢力分子と言いがかりをつけ

小栗と家臣を捕縛

若干20歳の新政府の隊長の命で

斬首

小栗上野介忠順 42才

ここに日本の宝が無残にも散った。

20歳の隊長は、小栗がどんなに大切で

有能で新政府の高官に抜擢すれば貢献できるか

知らない

知らないで徳川の残党としか考えていない

知らない事が、愚かな事態を招くか

歴史は悲運がつきものでしょう。

あの時、20歳の隊長ではなく

西郷や桐野が対処していれば明治になっても小栗は

日本の為に尽力、多大な貢献したであろう。

小栗上野介忠順の終焉の地

群馬県高崎市倉渕町権田

 

明治の元勲、涙ながらの感謝

日露戦争を勝利に導いたといっても過言ではない

日本海海戦

日本聯合艦隊VSバルチック艦隊

日本聯合艦隊の圧倒的勝利で日本の勝利に終わった。

司令長官、東郷平八郎は戦後、明治45年

自宅に小栗の遺族を呼んで

「軍事上の勝因の第一として、小栗殿が

横須賀造船所を建設してくれた事が、

どれ程、役に立ったか計り知れません」

東郷平八郎