BEN MEMOの偉人散歩 日本人て誇り高く素晴らしい (石原莞爾、東京裁判) | 偉人散歩

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日本人って素晴らしい

「勝てば官軍、敗ければ賊軍」と言われる通り

大東亜戦争、日米戦争に負けた日本は

アメリカの言いなりを、強いられた。

戦中は、「鬼畜英米」と戦争を鼓舞していた

戦争指導者は敗戦とともに萎縮し

「アメリカの言う通り」と手のひらを返す者もいた

日本人の風上に置けない愚者といえる。

 

裁判の体を成していない東京裁判に「俺を出させろ」

1946年(昭和21年)5月3日~11月12日

極東国際軍事裁判(東京裁判)が開廷

アメリカの本音は

「ある事無い事でっち上げも辞さず

戦争犯罪者を極刑にし、もう二度と日本人がアメリカに

盾突かない様に劣等感を刷り込ませる為の裁判」

「日本人に日本軍は取り返しのつかない罪を

犯した」と思い込ませる事を狙っていた。

 

残念ではあるが、日本軍の指導者の中には

自らの戦争責任を問われない様に、部下に

責任を押し付け保身に奔走する者もいた。

 

そんなアメリカの一方的で身勝手な裁判に

「喝」と吠えた人物が山形にいた

石原莞爾「何故、俺を戦犯にしないんだ、

この戦争の発端は満州事変、

満州事変を起こしたのは、この俺だ」

と出廷を大声で叫んだ。

アメリカの考えは「石原は危険人物、

法廷に出したらアメリカの不利益な事を

どんどん発言する、こんな人物を法廷に呼べるか」

であった。

 

石原の正論に涙、喝采

東條英機を何としてもA級戦犯にしたかった

アメリカが一人の軍人に目を向ける

石原莞爾だ

石原と東條とは犬猿の仲

東條英機を極刑にする為には石原の証言が必要

アメリカは石原に証人として東京裁判に出てほしいと要請した。

石原「俺は病気(膀胱がん)療養中だ、東京にいけるか

そんなに話が聞きたければお前たちがこっちへ来い」

1947年(昭和22年5月1日~2日)山形県酒田市で特別法廷が開廷

特別法廷に向かう石原莞爾

裁判長 「この裁判に関して言いたい事はありますか?」

石原 「もちろんある、なぜ、俺を戦犯として裁かないんだ

    この度の戦争は満州事変が発端、満州事変を起こしたのは

    この俺だ」

裁判長 (狼狽)「あなたは証人として呼ばれたのだから、その様な発言はなさらぬ方が」

石原 「まだある、アメリカは日本の戦争責任を随分古くまで遡っている

    様だが一体いつまで遡るのか」

裁判長 「日本の行った侵略戦争全てです できる事なら

      日清、日露戦争まで遡りたい」

石原 (ニヤリと微笑んで)

    「ならば、ペリーを連れてこい 日本は鎖国をしていた

    それを、無理やり開国させたのはペリーだ」

法廷内静まり返る

ペリーの事を言われて動揺した裁判長は話題を変える

裁判長 「石原さんあなたは、21倍もの支那軍に大鉄槌を下し

      勝利した 自信はあったのですか?

      私には到底、無謀としか思えません。」

石原 「いや中鉄槌を下した(法廷内爆笑)

    勝算はあった 君に教えてあげよう

    戦争は数の勝負ではない 大切なのは

    作戦だ。

    もしも、この戦争で私が指揮を執っていたならば

    裁判長あなたの席に私が座り ここには、あなたが立っていた」

裁判長も他の裁判官も何も言えなかった

何故なら、石原は戦争の天才と全員知っていたから

気が付けば、石原さんと呼び、後半では石原将軍と呼んでいた

東條英機をA級戦犯にする為の裁判本題に移る

裁判長 「あなたは、東條英機と思想上の対立があったと聞きますが」

石原 「ない」

裁判長 「いやいや、そんな事は無いでしょう あなたは東条英機と

      対立してた筈」

石原 「ああ、対立していたさ しかし、そんな思想上の問題は無い

    何故なら、東條の馬鹿には思想なんてものは無い

    私には少なからずあるけれども」

裁判長 「最後の質問として

      今回の戦争最も罪深い戦争犯罪者は誰だと思いますか?」

裁判長は「東條に決まっている」との言葉を導くものと確信していた。

 

石原は眼をランランと輝かさせ

石原 「それなら、アメリカ大統領トルーマンである」

余談であるが(僕は、トルーマンに加えてフランクリン・ルーズベルトも)    

全員耳を疑った

構わず続ける

石原 「そうであろう、なんの罪の無い民間人を原爆で殺しまくり

    何十万人も殺して それが正義と言えるのか

    トルーマンこそ最大の戦犯だ」

 

裁判長は裁判記録の破棄を命じそのまま裁判を終わらせた。

 

裁判後、裁判を傍聴していたA新聞記者が石原に駆け寄り

その眼に涙を浮かべながら

「将軍、私は非常に嬉しかった 日本が戦争に負けて

かつて、偉そうにしていた指導者が手のひらを返すように

オドオド、ペコペコして答弁する様子を見て

それは、悲しい光景でした。

ですが 今回の裁判の様子

将軍の発言を聞いて胸がすく思いでした ありがとうございます。」

 

石原 「私は、もう将軍ではないよ」

 

現在、責任を回避して保身に傾ける政治家、起業家

も多いですが石原莞爾の様な責任を一身で受け

日本人の誇りを守った偉人の功績を知る事が大切と思います。

 

石原莞爾は数年後の8月15日に旅立った

何か運命を感じます。