BEN MEMOの偉人散歩 日本人て誇り高く素晴らしい(山本権兵衛と石原莞爾 有事時トップ人事) | 偉人散歩

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日本人って素晴らしい

「戦争」と聞いて誰もが悲惨、暗黒と思い、もう二度としてはいけないと思える。

しかし、覇権主義を振りかざし領土野心が強く

他国を侵略しようと企てを図る「ならず者国家」が存在する。

現在、日本の周囲にも中国、ロシア、北朝鮮は

隙あれば日本に侵略しようとする

危険国である、ましてや核保有国

日本の歴史を振り返れば「ならず者国家」との戦争が続いていた。

日清、日露戦争、大東亜戦争と「ならず者国家」の暴挙に対する

自衛の為の戦争を強いられていた。

戦争は勝つ事が大切

敗ければ植民地化され悲惨な将来が待っている。

勝負の優劣に「トップ人事」が大きく左右する事は否めない。

トップ人事に有能な人材が就けられるか

それとも、無能な人材が就くか

戦争の勝敗はトップ人事にかかっている事は

歴史が証明している。

「トップ人事」に見る戦争の歴史2つご紹介します。

 

明治時代、日露戦争に勝てた人事 日本海軍の父、山本権兵衛

山本権兵衛 1852年(嘉永5年)10月15日 薩摩(鹿児島)で生を受けた。

戊辰戦争を戦い抜いた強者

武骨精神の塊で

海軍兵学寮ではケンカ三昧の日々

 

明治維新後の日本は「西欧に追いつけ、追い越せ」の精神で

急激に近代化の道を登っていった。

日清戦争に勝ち、ロシア帝国との戦争が避けられない時代

世界の軍事は日進月歩

軍事技術や戦略が進歩している中

日本海軍のトップは古い頭でしかなかった。

明治維新の功労者が海軍トップの座に居座り

時代の変化に追いついてゆけない考えに固執していた。

(海軍は兵隊、兵器、食料の運搬だけの役割、制海権という概念が無い)

 

西郷従道と山本権兵衛の絶妙なコンビ

海軍トップの人事を大リストラしなければ日本はロシアに負ける。

10年間でロシアに十分対抗できる海軍をつくる事が必須

大リストラこの大仕事を任された西郷従道(西郷隆盛の実弟)

部下に山本権兵衛が具体的に人事改革を任された。

山本権兵衛と(右)西郷従道

西郷従道は

認めた有能な部下に全てを一任

部下がやり易い様に道筋を立てて

根回しに専念し、全ての責任を自分が背負う

薩摩武士の典型な人物

山本権兵衛は西郷従道がバックについて

大リストラ、大変革がやり易くなり

思いっきり大ナタを振るう

 

山本権兵衛は新海軍人事リストを西郷従道にチェックしてもらう

西郷従道が認めた人物にはをつけた

加藤友三郎参謀長 独創的な秋山真之作戦参謀

秋山真之

最後の人物に西郷従道のが止まった

聯合艦隊司令長官 東郷平八郎の名のところで

当時の東郷平八郎は病気がちで

周りの人から「お調子者」と揶揄されて

武勇識見が高く評価されている訳でもないからだ

山本権兵衛は東郷平八郎の

「ものに動じない性格」

「日清戦争時に国際法を通用させた」

「敵の砲弾は当たらないが、自分の撃った砲弾は全命中

という強運の持ち主」

を高評価しての抜擢

西郷従道を説得して認めさせた。

そして、日露戦争勃発

日本陸軍が全戦全勝する中

日本聯合艦隊はバルチック艦隊を完全撃破する快挙

山本権兵衛が考えた「トップ人事」がうまく歯車が

噛みあい大きな力となって勝利した。

 

東條英機の真面目過ぎる事が失敗

時は流れて昭和時代

石原莞爾

石原莞爾 「五族協和」五つの民族が協力して

差別の無い満州国をつくった。

しかし、石原莞爾は満州国を退く事になり

東條英機が満州国の指導者に就いた

東條英機

東條英機は満州国を日本の準植民地化にした

石原莞爾の理想郷満州国は形骸化した

その後、石原莞爾は再び満州国に

東條英機の下に赴任

石原莞爾の理想郷を認めない東條英機との確執は大きい

 

東條英機が中心となってつくった「戦陣訓」

石原莞爾は否定的

「こんな戦陣訓は兵に必要か?

東條英機は中将の分際で大将にまで訓戒を垂れるのか

何事か」

石原莞爾は戦陣訓を配布せずに山積みに放置した。

東條英機と石原莞爾の人間関係は修復不可能

石原莞爾クセが強いせいか出世できない

一方、東條英機は陸軍次官、陸軍大臣、総理大臣と昇進してゆく

石原莞爾は東条英機の怒りを買い

1941年3月に石原莞爾は予備兵役に追い込まれ

実質上30年の軍人生にピリオド

1942年の暮れ東京で東条英機と石原莞爾の会見があった。

東條「戦争をどうしたら良いものか?」

石原「君には戦争指導はとても無理、一刻も早く

   総理大臣を辞めるべき」

 

そもそも、普通の凡人努力派の東条英機と

破天荒な変人、天才肌の石原莞爾とは根本的に合わない

石原莞爾が戦争指導者なら勝てたと思うが

東条英機は石原莞爾を指導者から外した

この時点で敗戦が決まったと言っても過言ではない。

 

上記の様な、日露戦争時と大東亜戦争時のトップ人事に於ける実話

明暗がはっきり分かれる

平和な時は、「真面目過ぎる」「空気を読める」「長いものに巻かれる」

人材はそれなりに機能するが、

非常時(戦争時)に於いては、平和時の人事は足かせになる。

クセが強くても有能な人材が非常時には必要不可欠

と考えます。