BEN MEMOの偉人散歩 日本人て誇り高く素晴らしい (東條英機) | 偉人散歩

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日本人って素晴らしい

歴史上の人物でヒール(悪者)として後世に伝わっている人も多い。

しかし、100%ヒールの人もいない、100%善人もいない。

大切なのは、その歴史上の人物の一面だけを見て判断せず

違った面からも見て評価する事。

ここでは、東京裁判(極東国際軍事裁判)で断罪された

東條英機の意外な一面についてお話します。

東條英機

 

人道主義を貫いた日本人

日本人にとって「人種差別」は理解し難い

何故なら、日本人には「人種差別」の概念が無いから

肌の色、異民族という事だけで差別する

最悪になると強奪、強姦、殺人になるまで差別が横行してゆく。

ヨーロッパや支那などの大陸でユダヤ人、人種差別が横行し

ホロコースト(大虐殺)、ポグロム(ロシアで起こったユダヤ人迫害)

が起こり、ユダヤ人は命からがら逃亡する。

そんな悲惨な20世紀の世界で

ユダヤ人救出に尽力した日本人は多い。

杉原千畝、樋口季一郎、松岡洋右、安江仙弘

その中に、東條英機がいます。

 

「真面目過ぎた首相」が大東亜戦争を拡大していった

東條首相を評して、周りの人は「真面目過ぎる」との評価

「東條は堅物、頑固」と揶揄する人も

石原莞爾から言わせると「無能な軍人」なのでしょう。

真面目過ぎる故に、思い切った判断、行動が出来ない。

軍部の暴走を許し

日本の国力をはるかに超えた戦争拡大を許した。

それが故に終戦が遅れ、戦争の傷は甚大なものに

国民の尊い命が亡くなっている中

東條は首相として一早く戦争を終わらせなければ、いけない立場

最終的には、鈴木貫太郎首相が終戦に導いた。

東條は東京裁判でA級戦犯(政治上の戦犯)になり絞首刑に処された。

 

その後、後世の日本人からはヒールとして認識されている。

 

東條英機参謀長の決断が無かったら

時は、1938年3月

ソビエト(現ロシア)と満州国(日本統治)の国境線沿いにある

ソビエト・オトポール駅

ドイツ・ナチスのユダヤ人迫害やソビエトのポグロムから

逃れてきたユダヤ人1万人以上がオトポール駅で足止めされていた。

3月とは言ってもマイナス30度が当たり前の極寒の地

寒さと飢えで尊い命が亡くなっていく

「一日も早くこの地を脱出しなければ」悲願がユダヤ人を覆っていた。

樋口季一郎はユダヤ人救出の為、いち早く行動

樋口は参謀長だった東條にユダヤ人救出の許可を貰いに

樋口「ドイツのユダヤ人迫害という国策は、人道上の敵であり

   日本と満州国の両国が、これに協力すれば人の道に外れる

   ヒットラーのお先棒を担いで弱い者虐めする事が

   正しいと思われますか」

東條は樋口の訴えを不問にし、ユダヤ人救出に{GO」の指示を出した。

これから来るドイツの圧力を覚悟して

満州鉄道はユダヤ人を乗せ上海などへ特別列車を走らせた。

ドイツは怒り

ドイツ外務省は満州国に猛抗議

東條は「人道以上の配慮によって行われた」と一蹴

ドイツの圧力に屈せずユダヤ人救出に尽力

 

樋口は満州鉄道株式会社、松岡洋右に協力を依頼

松岡も人道主義者 二つ返事で了解

運賃無料で特別列車を用意

とりあえず、5日間の満州ビザ発給

松岡は「私は、ナチ党の反共(反共産主義)の協定には

     支持するが、反ユダヤ主義には賛成しない」

 

樋口は安江大佐に依頼して、ユダヤ人入植者の為に

土地や住居の斡旋、最大限の支援

 

ユダヤ人1万人以上の尊い命が救われたのは

樋口季一郎、松岡洋右、安江仙弘らの

私心を顧みない貢献が背景にあった

あの時、東條英機参謀長の{GO」の指示が無かったら

ユダヤ人救出は絵に描いた餅になった。

トップの決断、指示は扇の要になる事は否めない。