「記事リクエスト・質問・その他:その5」の記事(こちら)の2つ目のご質問への回答です。

 

(記事の最後に「仕事」「進路」についての過去記事のリストをしています。)

 

質問の内容は:

 

小学校1年生(6歳)の男の子
自閉症スペクトラム、3歳から療育

現在の状態:情緒面の遅れが1歳半~2歳ほど、学習面・運動面は問題なし、IQ125と高め、情緒面との差が大きい(困難の原因)

将来の夢が警察官、「白バイに憧れて、あれに乗る人になりたい」とのこと。

親の感想:
まだ6歳の可愛い夢
警察官や消防士、自衛隊員など、目に見えない規律や規則の中厳しいプログラムをこなすことは我が子には向いていないのでは。

見守りつつ、心中『やめとったがいいよ~』と思っている。


仮に警察学校に進んだ後や就職した後、やっぱり違ったとなった場合、進路を立て直すのは相当難しいだろうし本人のダメージも大きいのが理由

具体的な質問点:高校生くらいになって進路を本格的に決める時期に親から見て無謀と思える夢を持った子がいた場合、どんな風に声をかけていますか?応援しますか?それとなく他の道を示しますか?ダメだったらその時はその時と考えますか?

以上がご質問の抜粋です。

抜粋しつつ、いくつか過去記事が参考になるのでは、と思いました。それは、親族の小さい頃からの関わりや方向性の示し方、「頭の中の空想ではなく、現実の実地の経験から将来へつなげていく」というコツコツ、の方針に大きくかかわる「今後10数年の過程」に関わることだからです。

 

私は何ら専門家ではありません。ただ、発達に凸凹を持つ人間が圧倒的に多い身内の中で育ち、その「学びと方針」を受け継いで次の世代に渡せる年齢になっているだけ、という「狭い経験から学んだことを情報として出している」だけの者ですので、ごくイチ個人の、ごく少数のマイナーな一族の、ごく一部の経験として読んでいただければ幸いです。

 

最初にお返事をするとしたら

 

いまからの、方向性の出し方、それによってお子さんが意欲的に取り組み、10年を経た後であれば、『高校生くらいになって進路を決める時期に』応援するか、の答えはYESです。意欲、継続、努力、今と異なる本人の心身の成長と変化、好きなことへの欲求と執着が20歳前後で終結したならば、発達凸凹のある人間が『望む職種を全うするほどのめりこみ、適職となる』可能性は大だと思うから」です。

 

「警察官になりたいなぁ、というお子さんの話を聞きつつ、『今のお子さんのスキルや発達凸凹具合』に基づいてやれそう、よさそうな職種として親側ではじき出した警察とは別の職種に『意識』を向けさせて、視野を広げていこう、という関わりをしたならば、どうか。『今のお子さんのキラキラ具合、意欲』が他職種に向けられたならOKですが、『まあまあ、ふーん、そういう職種もあるのか~』という程度で年数を過ごしたならば、その成長度合いは『意欲的』ではなく『それなりに』になる可能性があり、よって10年後、『高校生くらいになって進路を決める時期に』来たたときに、お子さんがはたして 『それなりにできそうな職種』に対してどれほどの執着と、喜びとねばりをもって取り組めるか、を考えると、『高校生という年齢になって、望む職種を新たに見つけて、その職種を全うできる状態になっているか』は、誰にもわからない・未知数であり、発達凸凹のある人間から見ると『心から湧き出る喜びや望み、意欲が持てる職種ではない場合や、そこに到達するまでの幼い頃からの下準備や努力過程がない場合は、届かなそうな夢を小さい頃から思い描くのと同等程度』と思える」

 

というお返事になろうかと思います。

 

定型の人と違う点が、この解答になります。定型の人は、大学最後に就職活動をして、部署が定まらない大きな企業へ入社しても何とかやっていける柔軟性と「曖昧でもそこで道を見つける」臨機応変さや器用さがありますが、発達凸凹の人は、それらのスキルがほぼないことが多いです。曖昧では「やる気なし、働く意味すらわからない、企業に入った理由も見いだせない」と脱落する結果になるのでは、と思います。

 

私達の場合、親族のほぼ全員が何かの収入があり、また職をつないでも続けているのは、それが「自分が心の琴線に触れている職種だから」か、「それをしたいという気持ちがやはり根底にあるので、多少の長時間や根気や努力が求められても、好きだから耐えられる」か、真逆的に「人のいる場所で仕事なんて絶対できないし嫌だ!この仕事ならまあできるから、やっている。」という部分で心の均衡を保っているわけです。

 

例えばですが、子供が「白バイはかっこいいし、乗りたいし警察官になりたい」と発言した場合、私達はほぼ、以下のような手段にでます。

 

大学を出て警察官になる試験を受けるまでの過程で「できること・もしくはやらねばならないこと」を具体的に親側は想像します。もし子が本気なら、今後はそうした現実の情報を日常生活の中で、ちょっとずつ小出しに出して、それが継続できるように応援します。具体的な行動としては、

 

「場所を探して提供する(習い事など)」

「継続できるようにその都度調整する(ハードルの高い・低いを年齢によって、心身の状態によって、都度上げ下げする)」

「必須となる条件を達成できるように、進路を意識して具体的に伝える(高卒、大卒が必須であればその進路に到達するように、この先10年の進路・道を共に考える)」

 

などを、「空想でいいなと思っている夢」から「現実的に、ハードな面もある、夢をかなえるためには条件をクリアしなければいけない具体的な目標を掲げて、一つ一つクリアしていく」という、子供が現実の日常生活でできる範囲にすこーしずつ、落とし込んでいきます。

 

基本的な考えは

 

「夢はその人個人(子供)のもの」なので、否定も肯定もせず、達成できるか、したいかはその人個人にまかせる。

 

です。そのためには、幼い・未成年の子供たちが自分で選択していけるように、現実的な知識も、未来を進路を選ぶ方法も知らない子達が「選びたい」と思えるように「具体的な情報」が必要です。空想で夢を膨らませそのまま成長したのであれば、自閉した空想の世界で20歳になり「夢をかなえよう」と急に現実世界で受験して警察学校へ入り、こんなはずじゃなかった、という結果になるのは明白です。ですので6歳の今から、

 

「自分の夢を自分がかなえようとすれるならば、何をすれば叶うのか

「そこまでしてかなえたい夢なのか・そこまでやるならあきらめて他の夢がいいな、と思うのか」

 

を、自分で選択できるように、「提供できるものをすべて親側で提供して、子が自分で判断できるように経験させる・わかりやすく解説していく」ことはします。

 

「経験させる」「解説」という部分が大事です。これなくして、「知らない未来のことは想像できない」という特性を持つ発達凸凹の子の「今すべき努力」を理解させることはできないからです。

 

親族の子でも、消防士になりたい、自衛官になりたい、警察官になりたい、という夢を持つ子はもちろん今までにもいました。現実になっている人もいます。その人たちは小さい頃から「なりたい!」と言ってただ夢を見ていただけではないのです。その「小さい頃からの過程」を私達は知っています。

 

上の3つの職業は、どれも体が資本の体力も判断力も必要な仕事です。忍耐力と気力が必要な仕事だと思いますので、文武両道を小さい頃から意識して、それが無理ない範囲で、「やりたい」という意欲のもと、努力できた者が夢をかなえています。

 

小さい頃にやっていた習い事がすでに、「将来の夢をかなえるため」の習い事です。

 

まず、最低限の学力をつけるために、不登校をしていたとしても学習嫌いでも、通信教育をしていたり公文や学習塾へ通っていたり、学業は必ず続ける、という点を頑張るのが習慣になっています。そして高卒、大卒までたどり着いて初めて「公務員試験を受けられる」わけです。「公務員試験を受けられるまでの道のりが、簡単じゃない」というのが子供の口から出るぐらいです。単位制だろうと夜間だろうと、高卒以上にならなければ、それをやり切る気力や頑張りがなければなれない職業だ、そう思ってやってきたわけです。

 

具体的に、公務員試験というのはどういうものか、も「公務員試験対策専用の専門学校があるぐらいしっかり勉強しないと受からない」という点も情報として与えられて、中学生や高校生になると本屋で過去問などを見させたりもします。高卒で公務員試験を受ける子は、よほど学業を頑張らないと受からない、というのも過去問を解いて、実際に経験者の先輩警察官や消防士、自衛官から聞いて理解します。

 

武道、運動は習い事として必ずしています。理由は、仕事で危険に対応するための体術は必須とされている職業だから、絶対に体を使う必要があるから、それだけです。職業上、柔道や逮捕術などの武道が必須だからといっても、幼稚園児や小学生ではまだ体も弱弱しい子も多いですし、とても将来、体資本の仕事をできそうにない子もいるわけです。よって、格闘技的ではないやりやすい合気道や、子供によっては太極拳だったり、もしくは初歩の運動教室、水泳などで基礎体力を作っていこうという感じでやっていました。

 

「夢に向けての下準備」を親側から声かけして、「継続できたら警察官になれるかもね。警察になったら毎日、逮捕や追いかけたりで走ったり戦ったりするんだから、今できないと仕事にするのはムリだものね。」という現実面からの具体策を出して、理解して努力するのか、しないのか、を子供の「意欲」にゆだねるわけです。

 

消防士を目指す場合は、睡眠をしっかりとれるように練習もしています。しっかり寝ていないと急に起こされて消防の仕事にあたるのだから、寝るべき夜に寝られず、昼寝をしてゲームをして、悪循環的に夜はだらだらと起きているような昼夜逆転の日常生活の人には無理な仕事だ、と言われると子供も「俺には消防士は、やっぱ無理」とか「なんとか、ジョギングして夜は寝れるようにする」とか、反応が返ってきます。それが夢をあきらめる・あきらめないの分かれ目です。

 

発達障害の子は正直です。好きならやります。それほど好きではなく「なんとなくいいな、と思ったぐらい」なら、すぐ諦めます。そこですでにお子さんの中で結論が出ます。本当に意欲的で、好きで没頭する子は体が小さいだの、弱虫だったりしても、あきらめないのです。障害特性の「思い込みの強さ」や「過集中」「好きなことは没頭する」凹みのはずの部分が良い方へ働いて、それゆえ本当ならあまりできないはずの「努力」が自然と発動します。

 

大人になった時、「小さい頃のその子からは想像できない職種についている」

 

という現実は、私達一族の中では多々あります。具体例を出すと、ある人は、小学校時代に勉強がさっぱりできなかった、多動で問題児と言われて近所ではバカの代名詞のように言われていた子が、海外にいくつも会社を持つ企業に勤めて溌剌と社会人をしているなんて、と今だにご近所からは言われているそうですが、私達の中では「人には向き・不向きがあるのだ」という当たり前の結果です。この子は「人づきあいがうまい」のです。

 

この人の親はもう亡くなっていませんが、子どもの「良い部分」を大いに伸ばした見本のような人たちです。

この学業不振で問題児の子に対して、塾の代わりにマナーをしっかり守れば楽しめるボーイスカウトに入れました。サバイバル系が大好きなので、キャンプにもたくさん行かせましたし、山登りも好きなので週末のいろんなイベントに参加させました。勉強は「最低限でも1教科は得意になるまで頑張れ」と主張し(これは今、私達がよく子供たちに伝えている方針の元祖です)、理科だけは実験好きもあり、頑張って常に5段階評価の4か5で、他はオール2、たまに1という結果でした。それでも底辺の高校には行けましたし、「人好き」のするこの子は高校生活を謳歌しました。

 

小学校が一番たいくつ、中学は窮屈、高校は楽しかった、だけど日本に限定しないいろんな価値観や習慣、マナーがある海外との仕事ならいくらでも意欲的になれた、やればやるほど面白い、お金がどんどんたまるし好きに使える、これが最高だ、といつも陽気に話すおじちゃんになっています。今でも稼いだお金でいい車に乗るのが一番の趣味です。

 

逆に、人付き合いがさっぱりできない、というよりもうしたくない、しても悪い方へ行く、限られた少人数の友人だけで十分、という親族もいます。それがずっと「夢」のようなものでした。この人はずっと、小さなお土産屋さんでずーっと働いています。裏方も掃除も売り子もします。棚に陳列するのも全部自分でするそうです。雇った頃はそこそこの年齢だった経営者も、すでに年を取りましたが、お店の内部のこまごまとした動きを切り盛りしているのは実際はこの親族です。そうして「ここは居心地がいい」と自分の場所を得ながら、時期がきたらゆっくりご主人と老後をすごす。そういう穏やかな道を選んでいる人もいます。

 

よりよい道や、より定型の人が簡単と思われる道、より定型の人が効果的と思う過程はたくさんあると思います。ただ、発達障害の人の場合、そこに「意欲、執着、好きという気持ち、あきらめない、過集中が可能、逆に絶対無理と思うことに近寄らない」などのキーポイントがないかぎり、打算や妥協で選んだ道や決断は、あまり好ましい結果にならないように思います。

 

その点では発達障害の人に、定型の人の価値観と「自然と備わった自己制御のスキルを持つ」立場の人としてのアドバイスは、「そうした価値観やスキルを持ち合わせない非定型の人」とかみあわないことも生じる可能性はあります。それ(かみ合わなさ)が親子で起こることももちろんありますので、非定型の子の凸凹具合と価値観を良く知ることは支援者が一番できることではないか、と思います。

 

今後、お子さんの進路を共に考え、共にいろんな問題に解決していく場面に出会うかと思います。その際、難しいことであるようで、実はシンプルなのですが

 

「子供の好き・嫌い」

「こどもの執着や意欲のベクトルの先はどこか」

「あきっぽい分野、過集中する分野(これも好き嫌いがベース)」

「性質の変化(自信をつけていく過程を経ると、特性は変わりますが性質は大きく変化します)」

「気が向かないこと(嫌だと思っていても自覚しておらず、無意識に避けること)」

 

などをヒントに、親がいいと思う考えを、上の「こどもの特性や性質」に落とし込んで考えてみて、いけそう、これはムリそう、と予測することが「親の予測が現実にヒットする精度を上げる」ことにつながると思います。お子さんの本質を良く知れば知るほど、親のアドバイスもより具体的にヒットする、よい結果が出るような方向性のものを発見することができるようになるからです。

 

話が大きくズレましたが、大事なことなので書いてみました。

 

お子さんの夢は、「今後どんな過程を過ごしていくか」「お子さんがその過程で自分の本音でどういう選択をしていくか」でいくらでも変わっていくと思います。また、今から10数年で出会う人、遭遇した出来事に触発されて、違う「開眼」をする可能性も大です。その時のためにも、「今できること」として、上に書いたように、具体的に生活に落とし込めば落とし込むほど、またお子さんが色んなことを「体験・経験」したり、子が理解できる「解説」でこの世界に存在する現実面や条件、クリアすべき課題などを親子で共有することで、ある程度「歩み」が地に足のついたものになっていくと思います。「いましたこと」は職種や夢が変わっても、当然無駄にはなりません。「この夢のために、自分はきっと回り道をして、色んな経験をしてきたんだな。」と思う結果となることも多いからです。

 

これから、その過程を親子であと10年、15年ぐらいはぜひ楽しめますので、その参考にしていただければと思います。

 

個性的なので参考にならないかもしれませんが、過去の親族の進路選択や職業に関しての記事をリストしておきます。

 

☆ 中学受験、高校受験、専門学校・大学受験のこと。

☆ 不登校、大学中退の過去から通信制大学を卒業目前に。仕事も決まりました。

☆ 「人と違う道」を行く。奨学金を選ばず高卒社会人となり、大学へ進学・目指した仕事へ。追加記載あり。

☆ 「親がどう思うかじゃなく、あなたがどう思うかだよ」と言ってもらった子ども達。

☆ 成人の発達障害の人間が、「自分に合わない仕事」だけどその道を選ぶとき。

☆ 不登校の子が、進学を決めました。「君は居るだけで人を穏やかにする」という言葉を支えに。

☆ 小学校6年生、突然求められた親離れ。自立を意識する転機の話。 (夢と現実の間を埋める作業の具体例として。)

☆ 小学校で不登校した子の人生の開花。内気で大人しく、緘黙気味な女の子の進路の話。

☆ 「自閉度が高い子はどんな仕事をしているのですか」というご質問に、参考例。 (子供時代と仕事の関係性の話あり)

☆ 発達障害の人間がどう職業を選ぶか。「自分の能力を過大評価せず過小評価もせず、準備をきちんと。」

☆ 発達障害と不登校、社会生活。成人してからの自分の役割と義務とは。親からの教え。 (子供が社会人になる意義・意味を心の中で育てていく過程を書いています。ある意味、「仕事」を見つけたり続けたりする根底となる、最も大事な点です。

 

他にも「仕事」や「進路」でブログ内検索をしていただけると記事が多数見つかると思います。とりあえず、いくつかをリストしてみました。

 

 


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