省エネと「環境信仰」は違う
自然環境の保護は、少なくとも60年代には唱えられていたことだと思う。しかし、アル・ゴア氏による啓発活動『不都合な真実』(2006年)は大きな反響を呼び、環境重視ということはお茶の間の認識事項となった。
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■成長期の日本における環境問題
日本は、公害による汚染という問題が戦前からあったけど、高度経済成長が一息つくまで、ある意味見捨てられてきた。しかし河川汚染や光化学スモッグ・酸性雨・鉱毒など目に見えるくらい激しかったので、公害反対運動は大衆を巻き込んだ大きな運動となった。
*高度成長期には、司法において「許された危険」という法理があった。あんまり厳しくすると日本経済がなりたたくなる、という経済成長を支援する論である。
*最後には安田講堂で火炎瓶闘争を行うことになる「東大紛争」(1968年)を加熱させた発端の一つにも、公害問題(田子の浦湾)における学者・官界・企業の癒着への怒りがあった。
さらに70年代に石油危機に見舞われると、エネルギー問題が石油資源のない日本を直撃した。着々と成長してきた日本も資源小国ゆえにやはりここまでかと思われた。
しかし、日本が世界に対して優越感を得るようになったのは「省エネ」の国家的成功によってであった。「省エネ」は全体主義のように日本人誰もが口にし実践するところとなった。
これらは、現在の「環境信仰」とは異なる。
これまでのものは、公害の根元にある大企業などへの憎悪、つまり反体制であり、資源小国としての日本の国策であったようだから。
*大学紛争が終焉すると「新左翼」と呼ばれる人達の中には公害運動や反核運動へ転換する者もいた
二酸化炭素排出と「環境信仰」
しかし、『京都議定書』(1997年)から続いて二酸化炭素削減・地球温暖化防止というスローガンはいっそう強化されていっている。それは省エネに成功し、低燃費自動車産業などを擁する日本財界に「乾いた雑巾を絞るがことく」で打撃だったようだ。
世界で公害は大規模に起こっている。それはとめなければいけない。それは中国などBRICSの工場がからんでいる。また旧東欧諸国など遅れた工場を維持している地域も問題だ。
しかしもはや環境問題は、公害や二酸化炭素排出という次元を超えてしまった観もある。それは自然環境への崇拝といった「環境信仰」とも呼べるものにまでなっている気がする。
環境社会主義?
社会にはいろんな意見があり、イデオローグが望むように綺麗にまとまることはない。ましてや民主主義において。同じ政党内ですらそうだ。哲人が独裁する体制でもないかぎり、中途半端な妥協的解決しかありえないのが現実の社会だ。
しかし、「環境」については誰も文句のつけられない事項になった。野党も与党も程度の差はあれ、誰も「環境」を否定できる者はいない。「温暖化人為説」への反発は素人の陰謀説程度にみなされている。
「環境信仰」となると、それは、まるで人類が農耕という形で自然を加工・管理してきたことまで原罪のようにとらえ、さらには工業文明とこれを可能とした「近代」を憎悪するといったものにまでなっている観がある。
日本は日米貿易摩擦の80年代頃から、戦闘的文明の西欧VS調和を重んじる日本などといった文化論争まであった。それが「環境」ブームによって「自然との共生」なら日本文化が優越する、といったものに転換している。
*それはいつの頃の日本文化だ?と言いたい。都市化し規格化された鉄筋コンクリの穴に住むわれわれに「自然との共生」文化があるのか?
あらゆる改革は、さまざまなしがらみ・献金勢力に阻まれて国内を席巻することもなく、なし崩しに終わりやすい。
しかし、「環境」だけは「錦の御旗」にでもならんとする勢いのようだ。「環境」に逆らう者は逆賊になる。21世紀において「環境」は突出した価値をもっているのだ。そして環境ビジネスは富を生むものとして大きな期待を寄せられている。
IPCCのクライメート・ゲート
環境における人間の罪「温暖化」においてIPCCという国連の国際学術機関が科学的に大きな影響力をもってきた。
・IPCC(wikipedia)
しかし昨今、著名な環境学者フィル・ジョーンズ教授のデータ改ざんが話題になっている。タイミングとしてはコペンハーゲンで地球温暖化問題の国際会議(COP15)が12月7日から開催されている。米財界の片棒をかつぐ米共和党の中ではウォーターゲート事件になぞらえクライメート・ゲート事件と呼ぶ連中もいる。
・地球温暖化めぐる歪曲と暗闘(1)(2009.12.02田中宇)
・温暖化データに「トリック」?研究者メール暴露(2009.12.09読売新聞)
・温暖化データねつ造疑惑 衝撃強く、欧米で大騒ぎ(2009.12.09J-CAST)
こうした騒動はNASA科学者で環境学者のJames Hansen氏のCOP15への批判(努力があまりにも足りず危機感が薄すぎる、馴れ合いの国際会議などやめてしまえ)とは対照的である。
・Copenhagen climate change talks must fail, says top scientist(2009.12.02ガーディアン誌)
しかし、疑惑のフィル・ジョーンズだけが統計の大元というわけではないだろう。世界の学者全員がグルになることは難しいのではないか?
やはり二酸化炭素排出量は増えているし、中国の公害は鉱毒被害を招いていたり、自然破壊・砂漠化などが起こっているのは事実だろう。それがどの程度「地球温暖化」に寄与しているかという因果関係の証明の問題だ。
学者も研究予算がほしくて筋をまげることあるのだろう。理系学者ですら「公正なる哲人」とは信じることは危険なのだろう。しかしこうしたことは学者でない人間には手も足も出ない。科学者がウソをつくとお手上げである。
ところで地球温暖化自体は人為とは無関係に太陽活動が原因でも起こるものらしい。
*地球は寒冷期と温暖期を繰り返している。4世紀のゲルマン民族の大移動は寒冷化と関係あるらしい。欧州の農業革命は10世紀頃の温暖化と関係あるらしい。
誰が得をするのか?
鳩山政権の大胆な目標(温室ガス25%減)は国際舞台で脚光を浴びたが、日本の財界は悲鳴をあげている。だから日本の財界は全体としては得をしないのだろう。
「環境」が世界的に騒がれることで誰が得をするのか?
さまざまな環境施策は、コスト増大となって経済の重しともなる。しかしここまで「環境信仰」が普及してしまえば、環境こそが商売のアピールにもなるのだろう。
その中で、欧米とりわけアメリカが得をするような気がしてならない。米元副大統領のアル・ゴア氏はもともと裕福な生まれだが、環境ビジネスへの投資で資産が50倍に増えたともいわれる。環境こそ新たなビジネスの種という動きの中でアメリカは先行しているようだ。
・Al Gore could become world's first carbon billionaire (2009.11.03テレグラフ誌)
■バイオ燃料と食糧生産を牛耳るアメリカ
たとえば石油燃料代替としてのバイオ燃料は「とうもろこし」がある。
自動車や家電という製造業が弱く、全体として輸入超過傾向のアメリカにおいて「とうもろこし」は主要輸出品だ。またアメリカは穀物市場を牛耳る先物金融も世界的に牛耳っている。「安いドル」で輸出も有利だ。さらに遺伝子操作(GM)農作物についてもアメリカは先端を走っている。アメリカは種を牛耳るように遺伝子を牛耳るのだろうか?
BRICSのさらなる成長は避けられないが、彼らはもっと肉を食べたがっている。そうなれば「とうもろこし」は飼料として需要が下がることはない。経済危機が収束したならば、むしろ世界の穀物は不足するだろう。それならば、冷害・病気に強く大量生産型栽培が可能なGM農作物は「飢餓の救済者」になるかもしれない。そして投資ファンドのジム・ロジャーズの言うように今後は株などでなくて商品先物で金融は盛況になるのかもしれない。
アメリカがそこまで考えているなら、日本の有機農法ブームはきわめて感傷的なものであろう。おいしいが生産が不安定な有機農作物に手が出せるのは、充分な年金がありセカンドライフを充実させたい老人や食費を削らなくてもよい一部である。軽作業などに従事している非正規労働者は、カップ麺などで過ごしている。学校給食で「食育」を教えても、卒業生はコンビニ弁当や「10秒メシ」を食っていることだろう。だから農水省の有機農法も文科省の「食育」も国家戦略ではなく感傷・情緒であろう。
■国家の税収と金融屋を利する
国家は「環境税」という新しい税源を手に入れることができる。増税は怒りを呼ぶし、新税というのは理由付けに困るものだ。「環境信仰」があるなら環境税導入は容易であり、財政赤字に悩む先進国を救済しうる。
また二酸化炭素排出取引は市場であり、金融業を再び活性化させうる。環境ベンチャーキャピタルも登場し、世界の政府が連携して環境を下支えする中で、環境ビジネスの将来への投資は有効だろう。80年代あたりからの株式・社債だけで奇跡を起こそうとするさまざまな取り組みがあったが、今では吹っ飛んでしまっている。今度は、資源や穀物や二酸化炭素・環境ビジネスが新たな儲け口となり、金融取引の発達した英米が再び支配力を獲得することにもなるのかもしれない。
日本においてはメインバンク制には否定的態度がとられたものの、銀行に頼る「間接金融」が根強く、グローバル金融を主導できるような金融システムが未熟だから、国際金融を牛耳る力は獲得しないだろう。
さらに各種代替エネルギー発電の電力買取のシステムは技術だけの問題ではなく制度的熟成の問題であろう。それゆえ、早く手がけたほうが支配的地位を獲得できる。
・「賢い送電網」が本格始動=再生可能エネルギー取り込みへ-米(2009.12.09時事通信)
日本はトップを走ってはいない。出遅れている。
日本の電力会社は買い取りが嫌なのだ。
電力を売る商売なのに電力を強制的に買わされるなんて・・ということだろうか。多分、日本は石油危機のときに国策として原子力発電に狙いを定めたのだ。日本の電力会社とすれば、ウラン燃料再利用である「プルサーマル計画」などの計画を今更変更したくないのだろう。日本の電力会社は自らが大規模太陽光発電を行うことで、買取に抵抗したがっている気がする。「オール電化」に入れ込んでいる電力会社であるが電力買取には消極的だ。
・太陽光発電の余剰電力、電力会社に買い取り義務づけへ(2009.02.25AFPBB)
・世界最大級メガソーラー発電所、関電が起工式(2009.11.24産経新聞)
・電事連:森会長 自然エネルギー全量買い取りに注文(2009.11.11毎日新聞)
■環境系製造業の躍進
日本のハイブリッド車・電気自動車は今後もトップを独走しそうだ。さらに自動車に電池を提供する日本メーカも活発にグローバル展開している。太陽電池パネルも、技術で負けていないドイツQセルズに普及で遅れをとり次第に劣勢になったが、電力全量買取の強化や促進政策にによっては挽回しうるかもしれない。
*2007年太陽電池生産シェア:1位シャープ、2位Qセルズ(独)、3位京セラ、4位サンテック(中)
・中国サンテック、太陽電池生産で世界一に/独Qセルズを抜く(2009.08.11サーチナ)
日本はつまるところ、環境分野はやっぱり製造業、すなわちモノで勝負することになるのか。しかし、特定産業分野へ注力するということは、それ以外の産業分野のコスト増大をもたらすから、政治的にはそう簡単ではない。電力買取価格など政策が技術よりもモノをいう。そもそも原子力政策はどうなるのか、といった問題もある。政府民主党は原子力政策について言及がない気がする。
いずれにせよ、国内生産であれば円高ドル安の打撃をうける。産業空洞化が進展すれば、日の丸太陽電池が世界を席巻しても、働き口は日本にはない。「なんとなく環境ビジネス」という政策ではあまりインパクトはないだろうし、日本の問題は解決できないだろう。
いまさらウソだったともいえない
環境が絶対的要件となることによって、世界中の各種産業が再び勃興の芽をつかもうというときに、「人為的温暖化」はウソだった、実は太陽活動の周期のせいだったともいえないだろう。
しかし、戦争が実は経済のための最大の公共事業であったように、今度は環境がそういう地位を与えられているという感覚は捨てられない。需要というものは常に煽動されている気がしてならない。