ゼネコン汚職とISO
建設業は何故ISOを導入する必要があったのでしょうか?約55万社、就業者数約600万人という国の基幹産業である建設業は、ISOが必要とするグローバルな国際的企業は一部にすぎません。では何故こうも蔓延したのでしょうか?(ちょっといいすぎか)
私が考えるには、1993年の宮城県、仙台市に端を発したゼネコン汚職が大きな転換期であったと感じています。ゼネコン汚職がISO導入のすべての出発ではないかと思っています。談合等による建設業の体質から多くの膿を噴出させた出来事です。
過去において建設業の多くは指名競争入札という制度が合理的な手法として面々と続けられていました。成績によりランク分けした指名業社数十社によって入札を行う方式です。この方式は約束事が守られている限り良い品物が出来る可能性のある制度と思います。企業は上位ランクに入るために努力を惜しまないことが絶対条件になります。
行政にとって良い品物をつくるためにはQ(品質)、C(コスト)、D(工期や納期)を守らなければ住民の合意を得られません。これは何も公共事業に限らず、例えばお昼の食事にしてもQCDがおのずと判断基準になっていると思います。Qはよく行く店だから成績がよく安心だということで個人にとって指名業者に入っていると思います。Cは価格ですから注文する以上納得して金については合意しているわけです。またDは注文品をすぐに持ってくることで納得できるものであり結果もすぐわかります。
このように考えると公共工事も、C(コスト)とD(工期)は契約等により初めての業者でも担保することはできますが、Q(品質)だけは担保するものが無く指名入札制度で担保していたのです。ところが企業は上位ランクに入るための努力を全く異なる汚職や談合により補完しようとしていたのです。ゼネコン汚職や談合等のニュースにより制度の根幹が問われ、このためQ(品質)を担保するものがなくなったというのが大きな流れになったと思います。・・・つづく
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私が考えるには、1993年の宮城県、仙台市に端を発したゼネコン汚職が大きな転換期であったと感じています。ゼネコン汚職がISO導入のすべての出発ではないかと思っています。談合等による建設業の体質から多くの膿を噴出させた出来事です。
過去において建設業の多くは指名競争入札という制度が合理的な手法として面々と続けられていました。成績によりランク分けした指名業社数十社によって入札を行う方式です。この方式は約束事が守られている限り良い品物が出来る可能性のある制度と思います。企業は上位ランクに入るために努力を惜しまないことが絶対条件になります。
行政にとって良い品物をつくるためにはQ(品質)、C(コスト)、D(工期や納期)を守らなければ住民の合意を得られません。これは何も公共事業に限らず、例えばお昼の食事にしてもQCDがおのずと判断基準になっていると思います。Qはよく行く店だから成績がよく安心だということで個人にとって指名業者に入っていると思います。Cは価格ですから注文する以上納得して金については合意しているわけです。またDは注文品をすぐに持ってくることで納得できるものであり結果もすぐわかります。
このように考えると公共工事も、C(コスト)とD(工期)は契約等により初めての業者でも担保することはできますが、Q(品質)だけは担保するものが無く指名入札制度で担保していたのです。ところが企業は上位ランクに入るための努力を全く異なる汚職や談合により補完しようとしていたのです。ゼネコン汚職や談合等のニュースにより制度の根幹が問われ、このためQ(品質)を担保するものがなくなったというのが大きな流れになったと思います。・・・つづく
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ISOとは
ブログでは多くの方に見ていただいていると思いますので折角ですからISOとはの超簡単説明を致します。私がいま取り上げていますのはISO9001の話題ですが、そもそもISOとは国際標準化機構(International Organization for Standardization)の略でIOSではなく言いやすいからISOになっているのでしょうか。このあたりは?です。
ISOではJISのように物を細かく規定していることが多いです。例えば金物屋さんで売っているISOサイズのネジやクレジットカードの規格が身近なものです。JISも基本的には物を細かく規定しています。
本来はこのような物の規格である中で、ISO9001やISO14001などは物を規定しているのではなく、例えばISO9001では経営者は方針を立てなさいとか、各部門や場合によっては各自は目標をたてて結果がどうかを考えましょうとか、働く人の力が不足している場合は力がつくように教育しなさいとか、悪さ加減があれば改善しなさいとかが規定されています。これらはいわば「システム」の規格になっています。経営では当たり前のことで、わざわざそれをかゆい所まで規定している規格なのです。
どのような企業もISO9001の内容を実践しているから現在があるわけで、とりたてて難しく考える必要はないと思います。これらのシステムの内容を守れば、結果としてお客さんが満足する製品やサービスが出て来るであろうという考えです。
でも現実には企業ではドンブリ勘定や、このような流れが明確でないため多くの企業が苦労されて赤字ばかりというのが多いのではないでしょうか。ですからISOはまさに経営ツールであり、一部の関係者が実践するだけではないということです。ISO9001を日本語に約した規格がJISQ9001になっています。
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ISOではJISのように物を細かく規定していることが多いです。例えば金物屋さんで売っているISOサイズのネジやクレジットカードの規格が身近なものです。JISも基本的には物を細かく規定しています。
本来はこのような物の規格である中で、ISO9001やISO14001などは物を規定しているのではなく、例えばISO9001では経営者は方針を立てなさいとか、各部門や場合によっては各自は目標をたてて結果がどうかを考えましょうとか、働く人の力が不足している場合は力がつくように教育しなさいとか、悪さ加減があれば改善しなさいとかが規定されています。これらはいわば「システム」の規格になっています。経営では当たり前のことで、わざわざそれをかゆい所まで規定している規格なのです。
どのような企業もISO9001の内容を実践しているから現在があるわけで、とりたてて難しく考える必要はないと思います。これらのシステムの内容を守れば、結果としてお客さんが満足する製品やサービスが出て来るであろうという考えです。
でも現実には企業ではドンブリ勘定や、このような流れが明確でないため多くの企業が苦労されて赤字ばかりというのが多いのではないでしょうか。ですからISOはまさに経営ツールであり、一部の関係者が実践するだけではないということです。ISO9001を日本語に約した規格がJISQ9001になっています。
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鉛筆とボールペン
94年版当時は鉛筆では改ざんがありダメだとか真顔で言われたものです。今でもそうなのでしょうか。結論としては鉛筆でも問題はないということです。もちろん推奨しているわけではありませんが、そもそもこういう議論がされること自体ISOの形骸化の一因と思います。
現実の社会では例えば履歴書とか重要書類を鉛筆で書くなどはクライアントを考えれば行われませんし、理想としては鉛筆は避けたほうが良いと思います。しかし社内のシステム構築の文書や記録のすべてをボールペン等にした場合、そのための作業が審査の前にドサッと来るのは目に見えています。
例えば継続した管理台帳のような文書を紙で管理する場合は、電子管理で無いため一行記入する度に手書きにならざるを得ないのですが、見事に毎回ワープロ打ちの鮮明な捺印のオンパレードになっています。毎回すべての内容を確認して捺印しているということなのでしょうか。どうして鉛筆手書きで追記しないのでしょうか。
本当にこういう細かいレベルから改善することが商売にもなっているようでISOはますます方向がおかしくなるばかりで悲壮感すら感じるときがあります。
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現実の社会では例えば履歴書とか重要書類を鉛筆で書くなどはクライアントを考えれば行われませんし、理想としては鉛筆は避けたほうが良いと思います。しかし社内のシステム構築の文書や記録のすべてをボールペン等にした場合、そのための作業が審査の前にドサッと来るのは目に見えています。
例えば継続した管理台帳のような文書を紙で管理する場合は、電子管理で無いため一行記入する度に手書きにならざるを得ないのですが、見事に毎回ワープロ打ちの鮮明な捺印のオンパレードになっています。毎回すべての内容を確認して捺印しているということなのでしょうか。どうして鉛筆手書きで追記しないのでしょうか。
本当にこういう細かいレベルから改善することが商売にもなっているようでISOはますます方向がおかしくなるばかりで悲壮感すら感じるときがあります。
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ISOは無用の長物か
建設業は工事のロットが大きくISOのコストは取るに足らないと言いました。同じことが人件費でも言えると思います。粗利益が10%としますと単純に言えば10倍の完工高が必要なのですが、ここにも原価のドンブリ勘定が見え隠れします。ISOにかかる人件費は給与として固定費で支払うもので腹を痛めない「出費ゼロ」の意識がどうしても出てくるのです。
さらに粗利益というのも非常に不確定要素を含んだ指標だと思います。現場の所長は血眼になって粗利益を確保します。でも粗利益の細目の分析を棚上げして粗利益確保は本末転倒と思います。
どうも建設業は、いま述べたように構造的にISOはロゴを取得するだけの無用の長物なのでしょうか。つづく
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さらに粗利益というのも非常に不確定要素を含んだ指標だと思います。現場の所長は血眼になって粗利益を確保します。でも粗利益の細目の分析を棚上げして粗利益確保は本末転倒と思います。
どうも建設業は、いま述べたように構造的にISOはロゴを取得するだけの無用の長物なのでしょうか。つづく
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ISOは所詮金銭的には微々たるものか
建設業のISOは赤字を許容した上で運用をしているといいましたが、これは建設業の構造的な問題が多分にあります。昨日の話で年間300万円のランニングコストがかかったと言いました。製造業の場合は1円、1銭のコスト削減の話であるのに建設業は工事のロットの単位が数千万円や数億円が一般的ですから建設業では取るに足らない金額なのです。そこにISOの形骸化を許容する一因があると思いますが如何でしょうか。
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