市議会議員として20年間船橋市政を見てきた結果として街はこうあるべきだという考えをまとめている最中ですが、その触りをお読みいただきましたところ、続きをということでした。今日、書き始めた部分の全部をアップしますが、まだ一行も書いていない部分がほとんどです。また、無責任に書きかけでアップするものもありますが、昨日も書いたのですが、私の考える政策を、自分のものにしようとする議員がいたりすると嫌なのでオリジナルは私ですよの意味もこめて、ここに残しておこうということです。いやらしいか考えかもしれませんが、戦略上お許しください。
またアップする順番も、順不同です。最終的には読みやすいものにするための順番になると思います。
ということでございますから、あくまでも書き始めの第一稿の校正前ということをあらかじめご了承くださいませ。
また、ご意見はいくらでも承りますので、
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までご一報くださいませ。
教育とは、国家百年の大計である。といわれます。我が国の教育は、教育基本法の前文にその精神が凝縮された形で述べられています。
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
これは、次のような経緯で改正されました。
教育基本法改正の経緯(文部科学省ホームページより)
教育基本法の見直しに関する議論はこれまでも様々な機会になされてきましたが、平成12年3月に内閣総理大臣の下に設けられた教育改革国民会議は、改めて国民的な議論を提起しました。同会議は、12年12月、「教育改革国民会議報告-教育を変える17の提案-」をまとめ、15の具体的な政策と並んで、教育振興基本計画の策定と教育基本法の見直しの必要性を提言しました。
この提言を受け、平成13年11月には、文部科学大臣から中央教育審議会に対して、新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について諮問がなされました。約1年4か月にわたる審議を経て、中央教育審議会は、15年3月、「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」(答申)を文部科学大臣に提出しました。
答申では、これまでの教育基本法に書かれている「個人の尊厳」、「人格の完成」などの普遍的な理念は今後とも大切にする一方で、21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を目指す観点から、今日極めて重要と考えられる教育の理念や原則を明確にするため、教育基本法を改正することが必要であると提言されました。
具体的には、教育の目標として、公共の精神、道徳心、自律心の涵養や伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養などを新たに盛り込むほか、これまでの教育基本法では触れられていない、生涯学習の理念、大学や私立学校、家庭教育の役割、学校・家庭・地域社会の連携・協力などについて、新たに規定するよう提言されました。
また、与党においては、平成15年5月以降「与党教育基本法改正に関する協議会」及び「検討会」が設けられ、約3年にわたって精力的な議論が行われ、18年4月に「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」が取りまとめられました。
これらの中教審答申や与党の最終報告などを踏まえ、政府において教育基本法案を作成し、平成18年4月28日に閣議決定し、国会に提出しました。
国会では、第164回通常国会から第165回臨時国会にかけて、衆議院と参議院にそれぞれ「教育基本法に関する特別委員会」が設置され、合計190時間近い審議を経て新しい教育基本法が平成18年12月15日に成立し、12月22日、公布・施行される運びとなりました。
さて、教育というのはどのような仕組みで日本国民に施されているのでしょうか?基本的な部分でいうと、「学校」で行われます。学校とは幼稚園、小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、大学及び高等専門学校をいい、細かくは学校教育法ならびに関連法令によって定められています。
その設置主体も、公立、私立と言われる形で様々な形態がありますが、その運営の多くには公私の差はありますが、国民の収めた「税金」が、使われています。公立学校は言うまでもありませんが、私立学校もかなりの部分に「税金」が投入されています。
戦後の日本国憲法ならびにそれに基づく法律の制定や改正はともすれば我が国本来の国民の間にしっかりと根付いた良き伝統や誇るべき「部分」(様々なことにおいて)を封印するが如くの部分がありました。
教育も同様でありました。簡単に表現をすると「戦争」の「結果」を一方的に戦勝国の価値観で押し付けるような形で、干渉をされ、現在に至っているものも少なくありません。その一つが教育であったのですが、改正案提出までに熟議を重ねた上、さらに長い時間の議論の末に平成18年に改正されました。
国家百年の大計でありながら、元来の日本国の良い部分を骨抜きにする教育が戦後60年間にわたっておこなわれていました。
現在、新教育基本法に基づいて、我が国本来の教育が始まったわけですが、60年間欠如していた「公共の精神、道徳心、自律心の涵養や伝統・文化の尊重、郷土や国を愛する心と国際社会の一員としての意識の涵養」を社会に取り戻すのは並大抵のことではありません。日本人には馴染みにくかった欧米の「個人主義」「民主主義」が、誤った形で国民のあいだに浸透させられ、過度に強調され個人主義によって破綻した公共性や公共心によって、自分ひとりの世界に閉じこもり、他者感覚を喪失した人間が増加した社会になってきてしまいました。
「他人に迷惑をかけてはいけません」と説くのは簡単ですがその根拠を説得力をもって納得させるのは、実はたやすいことではありません。それが戦後60年間の教育の結果であると言っても過言ではないのです。
家庭教育においていくらそれらについて教えても「学校の先生」が「違う」と言わないまでも、間違った形のあるいは欧米式のつまみぐいの「個人主義」「民主主義」を随所に織り込めば、それは確実に浸透をしていくことになります。