華佗と青洲と麻沸散 | 春月の『ちょこっと健康術』

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こんにちは 

「一から学ぶ東洋医学 No.3 東洋医学の歴史 中国編①」の続きを書き始めたら、華佗(かだ、華陀とも書く)の話にひとり盛り上がってしまいました。そのまま続けたら長くなって、本編に入れなくなりそうなので、急きょ別枠で書くことにしました。

華佗のことは、『三国志』好きの方なら、それが歴史本でもドラマでもゲームでも、ご存知ですよね。『三国志』は、魏(ぎ)の曹操・仲達、呉(ご)の孫権・周瑜、蜀(しょく)の劉備・諸葛孔明・関羽・張飛・趙雲などキャラの濃い登場人物たちが繰り広げるハラハラドキドキの物語。曹操の要請に妻が病気と偽って出仕せず、そのウソがばれて処刑されてしまうのが華佗です。

華佗は、2世紀中期から3世紀にかけて、魏・呉・蜀の三国がそろう前の後漢時代の人で、「一から学ぶ東洋医学 No.2 西洋医学との違いは?」に書いたように、五禽戯(ごきんぎ)を編み出したとされています。また、曹操の頭痛を治した、関羽の矢傷を治した、寄生虫病の治療に長けていた、麻沸散(まふつさん)という麻酔薬を使って外科手術を行った、屠蘇散をつくったなどと言われています。

「されている」とか、「言われている」となってるのは、華佗その人が記したとされる書物が現存していないから。でも、『三国志』に『華佗伝』があり、『後漢書』の『方術伝』や『三国志演義』に記述があるため、実在した人物であり、そうした功績があったとされているんですね。

あれ? 麻沸散と言えば、華岡青洲(はなおか・せいしゅう)じゃなかったっけ? 調べてみました。青洲が開発した麻酔薬は、曼荼羅華(まんだらげ;チョウセンアサガオ)を中心に、烏頭(うず;トリカブト)や当帰(とうき)などの数種の生薬を配合した通仙散(つうせんさん)。その別名を麻沸散というとのこと。

ほら~、やっぱり、華岡青洲じゃん。青洲(1760~1835)は、江戸後期の和歌山の人で、西洋医学(蘭方)と東洋医学(漢方)の両方を学んだ蘭漢折衷派。1804年に通仙散(麻沸散)を使った全身麻酔で乳がん手術を成功させた。で、これが「世界初」の全身麻酔手術だ!って、日本の医療界では言われています。

むむむ…。だったら、華佗の麻沸散はどうなるの? 和歌山県立医科大学付属病院紀北分院のHPに、「チョウセンアサガオは三世紀頃の中国で麻酔薬として使われていたと言い伝えられていましたが、具体的な配合や使い方に関する記録は何も残っていませんでした。」との記述を発見!

3世紀ごろ!? 西暦で言えば200年ごろだから、まさに華佗の時代。ということは、麻沸散の元祖は華佗ってこと?と思ったら、Wikipediaの通仙散の項に「江戸時代の外科医華岡青洲が、中国の後漢末期の医師・華陀が発明したとされる麻酔薬「麻沸散」の記録をもとに開発した全身麻酔薬」とありました。

なるほど、そういうことなのね。すっきりしましたー。でも、3世紀から19世紀初頭まで、ずいぶん間が開いてますねぇ…。もし、華佗自身が記した麻沸散の処方と手術の記録が書物としてちゃんと残っていたら、外科手術は儒教の教えに背くという考え方がなかったら、医学の歴史はずいぶん変わっていたかもしれませんね。

青洲のほうは、手術の成功という栄光の影で、通仙散の配合が決まるまでに、人体実験にすすんで協力した実母を亡くし、妻を失明させたことは有名な話。『華岡青洲の妻』って、映画でもTVドラマでもありましたよね。手術の成功後は弟子も増え、春林軒という医学校を建て、医学発展に貢献しました。

東洋医学の歴史を調べるうちに、麻沸散に興味を惹かれて調べてみたけど、おもしろかったー。江戸時代に東西医学を融合させて治療に当たっていた華岡青洲。春林軒、行ってみようっかな…。

一天一笑、今日も笑顔でいい一日です。

 

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