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HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。

演奏活動を始めると共にもう何年もレッスンを行なっている。
それはプライベートであったり、トランペットパートであったり。(合奏の指導もするけど今回の内容からは外れる)

トランペットパートをみる場合はある程度目標が決まっていて、例えばコンサートやコンクールへの目標の為と言う目安となるものが有りそこを目指す事が一番の目標となる。

個人レッスン。
専門的な勉強をしたい人もある程度の目標は明確になる。受験生に代表される様に。

クラブをやってる中高生も力を入れている子が多いからやはり目標は自然とはっきりとする。
しかし、中には本当に頑張りたいって言うほどの情熱を持たない子も居る。
また、愛好家である人、少し上手くなりたいからって思う人のレッスンがちょっと難しいと時々感じてしまう。

どこまで求めるべきなのか?

結論を先に述べると目標がある人や専門家を目指す人と目指す方向や目指すクォリティは変わらないと考えて進めている。
もちろん、進展の速度やそれぞれの状況を考慮する事は当然で、ただ先に進む事だけを求めるわけで無く、調子が落ちればそれを戻す手伝い〜トレーナー的なレッスンもとても大切なのだと思う。

専門家を目指す人とそうでないと人に差をつけないのは何故か?

先ずは上手になり自由にできる事が増えると面白くなり先に進みたくなるものだから。その時に、行き当たりばったりでその場しのぎのレッスンをしてしのいで居るとそれが足かせになる事が有る。

根本的に上手くなるためにはやはりソルフェージュも含めてその人の内側からその人自身で動かす事が必要になる。この点はもう専門家であれ愛好家であれ変わりは無い。

ちゃんと感覚から伝えて、守るべき事やポイントでのコツを伝えながら上手く生徒が自分で上手くなれる手助けをしないとならない。気がつくべき事に気が付いてもらわないとならない。押し付けてはならない。
その人の中から引き出す事が大切。

実はそういうレッスンは時間(月日や年月も)がかかる。習う方も教える方もかなりのエネルギーを使う。

ちょっとコツを習って上手くなる、誰でもスッとできる様になるってのは実は表面的な場合だけだ。


本当に音楽を楽器の演奏を通して楽しもうとするとそうは行かない。レッスンを受ける場合はそこまで求めて居るのか否か?をちゃんと自分で意識する事が必要だろう。
(初心者の方を教えるのが一番難しい。先ずは楽しみを伝え、かつ、後々に本当に上達を目指す時に邪魔をしないものを構築しておくべきだから。そこをおろそかにしてしまうと経験者となった時に苦労する。だから最初にちゃんと習う事が大切だと言われるのだと思う)


ちょっと人より吹ける様に、音を出して楽しみたいって辺りなら習う必要はあまりないと思う。本当に上手くなりたい… これは今の自分より上手くなってより前に進みたいって思う事で演奏家レベルになりたいって意味では無い… て時にレッスンはとても効力を発揮する場合が多い。

ただ、手段を習おうとしてもあまり効果は無いと思う。その先生が何を見て何を聴いて何を感じて音を出しているか?そこをちゃんと感じて、先生が何を意図して言葉を発して居るのか?少なくとも大人なら考えて想像する事が大切。先生の演奏から盗む事も大きな効果が有ると思う。

教える側としてはそこをちゃんと伝えないとならない。そして生徒であるその人から引き出す事。手段は長い目で見るとそれ自体は大して役に立たない。音楽的な感覚を伴って初めて効力を発揮する。“その場に限りに有効だった”って事も少なくないし、以外に教え手がそこに気が付いてないと思う。
(僕自身も若い時は気が付かなかった。手段をあの手この手で伝えていた)

皆で上手くなろうも無い。

と思う。

自分で上手くなる。基本は一人で頑張る。
時にそれを競争するのは良い事だろう。
自分だけで気がつかない事をレッスンで気がつかせてもらう。仲間のアドバイスでも良い。でもそれを選択して活かすのは自分自身。

だから、僕のレッスンは時間もエネルギーも沢山使う。初心者と一部の方以外は1.5〜2時間 時にそれ以上かける。



さて、最後に最近レッスン中に気が付いた事。自分では当たり前なのに何人かの生徒さんがどうしても出来ない事。

上手く吹けないって人や吹けない時に、タンギングの毎と言うか音を出す度にも唇を上下の唇を完全に、または殆ど息が通らない程閉じてる人が多い。
マウスピースの中の事で見えないので本人も気がつかない。マウスピース無しで「タタタタ…」とアンブシュアを作りながらやってみて、タンギングの度に唇の真ん中にできる穴が大きく、ハッキリと動く人はそれはきっと発音や音のコントロールを邪魔してる。ちゃんと最初から準備して出来ていれば殆ど穴は動かない。穴は息を通す前から存在する方がずっと楽に発音が出来る。スラーよりもタンギングが苦手な人は観察して見ると発見が有るかも知れない。


後打ちなど休みを伴いタンギングをする時に発音と同時に常にお腹が動く人は息のホールドが上手くいって無い事が多い。舌の付け根から喉のコントロール〜トレーニングも足りないかも知れない。
ハイトーンが苦手、またはデカイ音でしか吹けない人にも同じ事が言えると思う。
ハイトーンが続くフレーズではこの部分のコントロールが身体の中に生まれるエネルギー(圧力)をコントロールする(生み出す)大切なスキルとなる。決して息のスピードでは無い。ハイトーンでは息は少ない。少ないという事はスピードも無い。(物理的にスピードが有って量が無いことはあり得ない)
身体の中に圧力、エネルギーを感じる。これは肺(腹筋や呼吸に関わる筋肉)から喉までの力のコントロールがとても大事だと思う。喉が使われると舌も使われる。K、H(ドイツ語のch)の発音と同じかそれより少し奥の部分。そこを過度で無く程よい加減にコントロールする事。これは歌えない、ソルフェージュがままならない、声が上手く出せない人には掴み難いと思う。ここからは想像だけど声をコントロールするテクニックにかなり近いのではないかな。

写真は少し難易度の高いバロックトランペットの自分への課題。この辺りを美しく優雅に演奏しようとすると息のスピードは邪魔。よく言われる "i" シラブルも音色を変えてしまう。逆にエネルギーを保ちつつ喉を上に拡げる感覚が美しいハイトーンを生み長いフレーズでも耐久力を生み出す。
師の教えも喉を開け!だった。
弦楽器や木管と会話の出来る師のこの優雅なハイトーンは身体を上手く使い喉を開いて響かせる事で生まれる。









普段のメールやチャット、ブログ、SNSでも言葉の使い方は難しいけど、レッスンで何かを説明するときは本当に難しいと感じる。

これは一度きりのレッスンで言葉の受け取り方がどう変化をするか?を観察してないと気がつかなかったりする。

1つの言葉に対するそれぞれの人の感じ方や考えた方は百人いたら百通り有るのではないかな?

その相違を探す事が教える時の肝だったりもするし、ワザと明確でない言葉を使う事も多い。

何かのポイントを言葉にする時に、理解してる同士は言葉を受け取った後に瞬間的に頭の中で、その意味する事のイメージを思い描いてそれぞれの言葉に修正して理解し合える。若しくはその時点で言葉から離れる。

でも、理解していない人に伝えるときは言葉では難しい。解りやすくした時点で本来の意味のものと違ってしまうし。(ここに気が付かない人も多いと思う)

先日のレッスンでタンギングを「タ」と説明したら、受け手の頭の中で口の中を広くと変換されてた。こちら側は「タ」と喋る瞬間の動きをイメージしてるのだけど(広くても狭くても良い)、「口の中を広く」と思うと最初が「トゥゥ」って思いっきり狭く閉じて発音してから口の中を拡げようする事を「タ」だと認識してたりする。

「音を真っ直ぐに響くように」が「息を真っ直ぐ吐く」、「唇を完全に閉じない様に」が「唇を開く」などなど…

解りやすい、目に見えるは、幻想じゃないかな… と実感してる。

一番明確なのは音の変化から判断する事なのだけど、これも人それぞれにフィルターがかかるので意外に変化に気が付かない事が有る。

結局は言葉をマニュアルとして捉える思考の癖を無くしていく様に進めないと、自分で自分の音を聴いて、身体の感触を感じてコントロールする事は難しいんだよな。

シェフが常に秤をみて、温度を見て、時計で測って、それだけで料理をするだろうか?必ず自らの舌で確認するし、その舌の精度が落ちない様により様々な事が感じられる様に努力するだろう。もちろん味覚は体調や環境で左右されるが、それでも、味覚で判断出来る舌を作り上げるだろう。
楽器を上手くなるのも同じで、出てくる音の違いが聴こえてその時にどう身体を使うかを覚えて、高い精度でコントロール出来ないと上手くなれない。

その為には言葉の手順に頼ったり、1つ1つの動作やパーツに切り離して考えてたんじゃゴールには辿り着かないと思うんだけどね。

いや、表現って本当に難しい。

僕は青が好きだけどその好きな青を言葉で完全に説明することは出来ない。見せてこれだよって言うことはできるが。
(でも、みなが同じ様に見えているとも限らない〜この辺りを突き詰めるのが本当のサイエンスだと思うが、それが音楽に役に立つかどうかは分からないな〜)

写真は30年前と今のアンブシュア。
全然違うね。
変えたので無くて、身体の使い方や音のイメージが変化したら勝手に変わった。
生徒も結構変化するんだよね。身体と音からのアプローチで。
(ただし、極端にずれたマウスピースの位置では苦労する事が増えるのは確か。)


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たまに聞く話なのだけど、まずは音をちゃんと並べて音合わせしてからフレーズを…


これをやると自然なフレーズや音楽の流れ、和音の進行には先ず辿りつけない。

音を合わせるのも、和音を合わせるにも、コードの進行の中でないと合うわけがなく、そのコードの進行とフレーズ感は深く一致する。
これは、どんなに理屈で反論されようが西洋音楽が発展してきた歴史の中では真実で有ってちょっとコラールなどを歌ってみれば明らかになる。

音1つ1つ合わせることから始めると言うのは音楽そのものを理解出来てない証となってしまう。奏法的にも息が流れなくなり、音はますます合わない。

もちろん、譜読みをちゃんとすることは大切だけど、多少の歪みや音の欠けが有っても全体像が掴めるようにフレーズを意識に持ちつつ、そこから細かい事に入っていかないと自然なものにはなり難い。その為には全体のイメージやフレーズは不可欠。そして、コードの移り変わりを感じられて初めて音が合わせられる。

たとえ、相反する解釈をする人が居たとしても、フレーズ感を持って取り組んで居れば、その解釈が極端に異端でない限りはなにもフレーズを感じない状態よりずっと早く対応が出来る。

ちょっときつい表現になってしまったけど、とても大事な事だと思う。

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一月の半ばに行ったバロックトランペットとナチュラルトランペットでのソロとレクチャーのコンサート。

それまでの5ヶ月〜半年間は1日の初めをオリジナルのサイズバロックマウスピース使いナチュラルトランペットで始めてました。

バルブ付きの現代の楽器と古いスタイルの楽器を吹く奏者の殆どの方はモダン楽器に基準を置いていると思います。これは、仕事上の都合を考えると最良な選択だと思います。

しかし、僕はナチュラルトランペットやバロックマウスピースのオリジナルの大きさや形の意味を知りたくて年に半分位はそちらで始めます。まあ、仕事がどちらに傾いているか?で決めてます。でも、3ヶ月を越えて続けるのは初めてだったかも知れません。

久しぶりのモダン楽器の音出しで感じるのは「マウスピースが小さい」「ベルが重い、楽器が重い(ナチュラルでは右手で保持してるので左腕が疲れる)」。

1週間くらいでマウスピースの大きさやモダンのBb管のコントロール感触はほぼ完全に戻ります。今回は1日のうち一度はモダン楽器を吹く様にしていたのでいつもより楽でした。1日の最後にクラークをやっておくと指も忘れない… これ、バロックばかり吹いてると本当に指が動かなくなります。

現在モダンを吹いていて半年前より高い音域も低い音域もクォリティが上がった気がします。息の使い方や身体のバランスが少しバージョンアップ出来た感じ。上手くナチュラルトランペットでトレーニングをすると体幹からしっかりと鍛えられます。


ただし、モダンを中心に置くとレッスンも楽です。
(ナチュラルを中心に置いてレッスンで急にモダンを吹くと口が付いて来なくて「やべ… 」て瞬間が有ります 汗)
基礎のトレーニングとテクニック的なエチュードをさらったら、3月に吹くボレロのピッコロをさらうってのが、今の暇な時期(吹く方)の自分への課題。小さなマウスピースを上手く吹く練習も大切。
バロックマウスピースが19mmでピッコロ用が16mm。数年前にモダンに基準を置くことをやめて基準を2つ持つ様にしてから、最初は難しかったのがけっこう慣れるもんです。まあ世の中にはこの方みたいに何の苦労も無く行ったり来たり出来る演奏家も居らっしゃいますが…(の様に見える)


とは言え、面白い事にマウスピースの大きさは違っても音域が一緒のバロックのレパートリーとピッコロの方が行き来はしやすい事を今感じてます。じっくりとモダンの長い楽器をさらってからピッコロを吹く方が難しい。笑

さて、レッスン。
大人の方はソルフェージュで苦戦してます。これは若い子のほうが早い。案外に大人の経験のある方にソルフェージュに問題を抱えている方が多い。
目立つのは真ん中のシ、レ、ミ、が下がる人は上に繋がらない。これは唇で音を掴んでいると下がります。それを持ち上げようとして唇で更に掴む〜高い音に行くのが難しい。それを無視して息のスピードやパワーオンリーに走るとコントロールの効かないハイトーンになります。人によっては全く出ない。

ちゃんと耳で音程と響きをキャッチしつつ、バランス良く口元から身体を使えると下がりませんし自然に上の音域にも繋がる。その時にソルフェージュの力が大きく関わります。簡単に言えば声に出してちゃんと取れるか?声に出した時と同じだけ音程や響きに注意を払ってるか?

実は小学生くんも少しソルフェージュで苦戦中。彼は未だ楽譜を読む事を始めたばかりで未経験な世界に足を突っ込んだ状態。ラッパの習いに来たのに歌を歌わされてる…てつまらなくならない様に、一緒に歌ったり小難しい譜面を吹いて見せてから、その後にそれを歌って聞かせたりしながら興味を持ってもらえる様にしてます。音程は綺麗だけど瞬間的に楽譜が読めない。慣れですね。(音程は綺麗なので真ん中のシレミは下がりません〜バジングを全く教えてないので唇で音を掴む感覚が無いのです)

しかし、大人の方は出来てない事に気が付かない事が多い。指摘してもかなり長い期間気が付かない方が多いのです。気がつくのに何年かかったりもします… 誤解のない様に付け加えると、もちろんその場では気が付かれるのですが、普段の練習でまた気が付かれなくなってるだろう事がとても多い。これは、本当の意味で気が付いてない。
ここが動かないとどんな優秀なマニュアルを使っても上手くいきません(そんなマニュアルは1つも有りませんが… そんな物が有ったら皆が凄く上手くなってるって今日のレッスンでも中学生さんに伝えました〜真意が伝わってると良いな… )


高校生さんはマウスピースを大きくしました。5Cから1-1/2Cへ。これは、色々な事が関連してマウスピースの中に上手く唇が収まって無いと判断してたので、時期が来たら一度大きくして楽に唇に当てる事、楽に響く音を感じる事を日々の中で体感して欲しかったので実行しました。幸い、所属するオケで本人が好きな下のパート(高い音が出ないとか嫌いだという事で無く、内声を吹く方が楽しいというとっても前向きな理由)を吹ける事もあり一年位時期を伺ってましたが「今のうち!」と言うタイミング。
後に元のサイズに戻るかも知れません。
でも、その場で大きな方が音もコントロールもハイトーンも良かったので今のイメージや状態には合ってると判断してます。

高校生くんには昔使ってた(30年位前?)マウスピースを渡して有ります。もう少し柔らかな響きを感じて欲しくて。彼も少しソルフェージュが… この二点が解決したら周りが驚く位に上手くなると思うんだけどなぁ。

これは本人のスイッチ次第ですね。中学生さんにも直接に話したのですが、本人の中のスイッチが入るかどうか。自分でしかそのスイッチを押せません。
ちなみにうちの息子は「僕のやる気スイッチってどこにあるのかな〜」って言ってますが 汗 (勉強の話です)

レッスンってどうしてもマニュアルを与えてもらえる場所だと思いがちな方が多いですが、マニュアルは無いと思います。
パターン分けも本質的には無理だと思います。百人居たら百通り。パターン分けやマニュアルは最終的に邪魔になると思います。(一時期的には有効でも意外とすぐに矛盾が起きる)
出来るまで練習するのが基本で、レッスンは解決の為のヒントを得る場所。気が付いてない事を指摘してもらったり、ヒントになるキーワードをもらったり、先生から技術やイメージを盗んだりする場なんです。(昔は「先生、早く吹いてくれないかなー」ってよく思いました)

教える側として僕は、気が付いて欲しい事に対して、良くなった状態と悪い時の違いを体感してもらう為に手を尽くします。良い状態を引き出すために言葉を使います。(パターンやある種のマニュアルはこの時には有効です。僕は自分で使うときもある種のその場限りのマジックみたいなものだと思ってます。)でも、言葉を使い過ぎるとその言葉だけが完全に奏法マニュアルとして生徒さんに残ってしまう。大事なのは出来たその時の音や感覚なのに。マニュアル化するともう別のものになってしまう。
しかも、その言葉は生徒さんの中の常識の中の言葉に置き換わります。答えは常識の外に有ったりするんですけどね。

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一番確実なのは「上手い人の演奏を聴いて観て(見るで無くて)、そこから盗む事」だと思う。

盗めないって事は盗むだけのものが自らの中に育ってないので、幾ら方法を求めても役に立たない。そんな時は沢山の音楽の演奏やその他のなんでも良いから感性を刺激するものに触れて自らの感覚を磨く事。その時にきっと頭は空っぽにした方が良い。

昨今の世の中には色々なメソードやシステムが存在してそれが気軽に手に入るのだけど、自らの感覚を使って出来るまで練習する事は基本だし、長い歴史の中で伝わって来た事にはその言葉の表面で無くて真意を汲み取れれば、大きな大切な、そして揺るがない芯が有る。

もちろん、具体的な手法は各々によって合う合わないはあると思う。そこは柔軟に対応できる事が必要だとも思う。

安易にコツやマニュアル、方法を求めるのはとても危うい。1つの方向に皆が向いてるのはもっと危うい。色々なタイプの人がいてそれぞれの表現をするが、実は共通している事がとても多いし、体現出来る人は軽々しくそれが唯一の方法だとは口にしない。言葉に出来ない事は多いし、解りやすく言葉にした途端に一番大切なものは消えてしまう。

技術は音楽と表裏一体でもある。音楽を求めれば自然と技術は必要となり身体が適応していく。そこで頭で考えただけの理論や、自らの体験の中の常識に縛られたり、一定の法則に縛られたり、その全てが身体の自然で自由な動きを止める。確かに何かに頼るのは心は楽だが、楽をしたツケは自分に返る。シンドくても自らの手で掴めた方が確実で人生を豊かにするものが手に入る。

頭をリラックスさせて出来るだけニュートラルにして、目の前にあるお手本を真似してみるって大切。盗み取ろうとする事。レッスンなどではアドバイスから、アドバイスをくれた人が何を感じているのかを考えるのが大切。

技術は全ては音楽や音、それらのコントロールの為にある。音楽が無ければ何も始まらないし、その人の持つ音楽(イメージ)以上には発展はしない。

感性や感覚失くしては何も成り立たない。
音の良さはどこで判断する?
チューナーやオシロスコープで見て?

いや、聴いて感じて判断するでしょ?

もちろん、ヒトの感覚は体調や状況に左右される。不安定であるのは事実。
でも、日本の誇る職人技に代表されるように、最新の機械より精度の高いコントロールを可能にするのはヒトの感覚である。
そこまで精度を上げる努力が技術を向上させる。ヒトの感覚は当てにならないからと、そこを“放棄”したらもう音楽をする技術では無くて技術を得るための方法論に終わる。それでは寂しい。
精度の高い感覚を伴った技術を身につけた人、現在はなんだかの事情で体現出来なくともかつて持っていた人、感覚がとても鋭い人でないと判らない「差」も有る。
これは、判るまで自らの感覚を磨くしかない。そこにマニュアルは無い。
(感覚がぶれたり、精度が落ちていることを判断出来るのも大切)

音楽をする時に1つづつ動作を確認していては何も出来ない。全てが同時にタイミングもバランスも良く動かないと音楽をする事は不可能。例えば、高い音はこう、低い音はこう… マニュアルに頼りすぎて、こうなっては邪魔になる。

短い時間で出来たと思う事は大抵すぐ消えるか、出来てるつもりになってるだけで、毎日、少しづつ鍛錬をして築き上げたものに比べると比べようも無い。

先日、仕事で一緒になった大学の同級生に「松野は上手くなったよね!」と言われた。上で書いたような事に気がついてから変われた気がする。

若い時はひたすら縛られてたし方法を探してた。でも、自分のイメージするものとちゃんとリンクするものには出会えなかった。当たり前なんだな。先ずは自分のイメージが大切でそれを実現するために身体を使う事が大切。上手くなってから何かしようとしても何も出来ない。自分より優れた人の演奏を感じ取る事は何よりも自らを進化させてくれる。それが出来て初めて自らのメソードが組み立てられていく。
(決して自分勝手に吹くって意味では無いんだけですけどね)


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本日は3時間半のレッスン2つ(笑)
頭がバテた。

最初は鹿児島からの方⁉︎(これだけの為にこの地方にいらっしゃったのでは無い)
ナチュラル バロックトランペットの事が知りたい、メサイアのシャルサウンドをと依頼されてたので先ずは一時間程ナチュラル バロックトランペットの話を吹いて聴いてもらいながら。サウンドや表情に興味を抱かれたみたい。
その後は基礎のトレーニングについてのアドバイスになった。これはナチュラルの話の中からそのアプローチに興味を持たれた様子。体幹がしっかりした方で爪先立ちがしっかり出来る〜良い意味で強いエネルギーが有る。溜息からの呼吸の説明を直ぐに理解されて音を動かす事も直ぐにこちらの意図を理解された。
具体的で無い言葉を使う意味も音の変化や身体の感触から感じ取ってもらえたので非常にスムーズに進んだ。音さえ聴き取れれば音楽が身体を導く。

シャルサウンドは音を並べる事には全く問題のない方なので、音楽的なことを軸にして音の感じ方や喋り方を伝える。

楽しいレッスンでした。

その後のレッスンもこちらも気がつかされる事が幾つか。

基礎のトレーニングでは良くなるのに曲になると極端に上手く行かない。うーん、行けるはずなんだけどな〜と思いつつ今日は気になるアンブシュアの動作が目に入る。ブレスの度に崩れていく。
一曲を通せるようにバテてもひたすら通す事に挑戦されてた様で… (これがアンブシュアへの無理な動作を生む)もちろん、短いフレーズの中で良い状態が保てる様になってから繋げて行くってアプローチは伝えて有るのだけど、必死に練習するあまりに何処かへ行ってしまってるみたい。これは殆どの人がはまる罠。テレマンの協奏曲の最初の楽章を、ただ何度もトライしても心地良く一曲吹ける様には先ずならない。ひとつひとつのフレーズの中で完璧にコントロール出来ればそれは一曲繋がる様になる。
このプロセスを我慢しきれない人が多いんだよな。音域を広げるのも同じ。地道な訓練を感覚を伴って続けられる人は底力が付く。

て、きっとこれ本人も読まれるんですけどね(笑)
信頼関係が有ると思うのでここに書く事で改めて振り返ってもらえたらOK〜本人以外の生徒さんもドキッとしたりして…

ついでに生徒の皆さんへ補足。
マウスピースは唇に優しく乗せて下さいね〜ノンプレスって意味では無いです。優しく当てた方がレスポンスは早い。
反応しないのは頭と身体の準備が足らないから。最初に押さえ込んじゃうと身体が動けなくなり、息を吐いたり音を出すのに努力が必要になる。科学的や医学的に有効な溜息の利用が出来なくなる。このレスポンスが感じられるかは自由に吹けるか否かの境目だと思う。ただ、このレスポンスの早さは感じた事の無い人には判らないのも事実。音を出す時に息を吐く努力がいる時はきっと上手くいってない。息を吐く時にお腹や何処かに力を意識的に使う事が必要な時も。息は勝手に内から外へ流れる。

お土産に頂いた「かるかん」美味しかったです。

そして、今のところこの曲にはこの組み合わせ最強。以前にこの曲に使ってた◯ルキーのマウスピースよりパワーとスタミナ倍増以上の手応え。ただし、レッスンで体はこう使ってるんだよって見せつつ、練習のつもりでいきなり吹いてみたら心臓バクバク。身体のコンディションをコントロールしてないと倒れるな… 
アーカンだと写真辺り部分の指ヤバし。

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朝、善通寺を発って京都で温かな食事をして電車に乗ったら、最初の師匠にばったりと会いました。
(よくいろんな所でばったり会うんです)

会場で会うかも知れないと思っていたのですが… 

師匠で有り兄弟子です。

2人で乗り換えた後に見事に反対方向に乗り(笑)開場から少し遅れて到着。列車の中でジャズで活躍する大学の先輩とも再会。(本当に巧い… 何年か前に違う先輩と久しぶり聴いた時は二人して口を開いたまま、、第一声は「凄い…」)

受付で師の奥様にご挨拶をして。

スタートのシャルパンティエから、本当に瑞々しいステキな音でした。
後は言葉にしません。

久しぶりに先生の音楽と再会しました。

コンサートの中のトークで「中学生でラッパバカになって…中略… 未だ、辞められないんです!」〜吹いていたいの意味。

終わってから、「幾つか悔しいところ有るんだよ〜!」
兄弟子である最初の師に「俺より◯◯若いんだよ」って…

はい、なーんにも言えません。

最初の師にも歳を聞かれて「未だ若いな〜、未だ未だ踏ん張りが効く歳だよ」

二人の師匠から音と言葉でエネルギーを頂きました。

未だ、28年は現役で吹ける大きな可能性が有りますね。(笑)

写真を撮り忘れた…

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凄く長いです…

旅の帰りです。

この何年か四国学院のメサイアの公演に参加させて頂いている。ちゃんと数えてないのだけど、5,6回目だろうか?

初めての年はツアー続きで風邪をひいたままの参加。皆さんに迷惑をかけたにも関わらず温かく迎えてもらった記憶がある。
しかも、パソコンを使いたかった事もあり1人だけわがままを言って別の宿にして頂いた。

それから回数を重ねて、3回を超える頃にモダンオーケストラなのにバロックトランペットを持ち込む事を指揮の Oさんに相談した。

これにはいくつか理由がある。
先ずはバロックトランペットの可能性を伝えたい事。そして、ここのメサイアは常に前進をし続けている事。これは、停滞した安定よりはリスクを持って挑戦した方が良いと言うマエストロの考えが強いと思っている。それも有り私から全体のサウンドとして良くなるであろうバロックトランペットを使うアイディアを出した。難しくはなるが一度やるともう戻れない位オーケストラと声に馴染む。

この姿勢は昨日のレセプションで、年によってソロを歌われたり、完全に裏方にまわられたり、このコンサートの存続のために奮闘する I先生の言葉に「毎年、同窓会の様に集まって演奏するので無く、常に次のステージを目指して」と言う言葉に表れているのだけど、参加するすべての方が常に労力やリスクをいとわず変化を求め変化し続けている。

参加するすべての方は舞台に立つ方だけで無く、取りまとめて下さるH先生、Yさん、を始め、予算を組んでくださる大学や手伝ってくださる大学の職員、学生の方々皆さんであり皆さんが思いを持って変化し続けている。

お隣の韓国からの学生や音楽関係の方もコンサートに参加、聴きに来られる。

お客さんも毎年満席で今年も補助椅子を含めて満席。一人として予定調和で無くてさらに一歩先を目指す。

音楽家としてこう言う場に参加し続けることは幸せだ。音楽家は安定を求めた時点で成長はおろか安定も出来ず下降線を辿ると思っている。もちろん、年齢による体力の低下など戦ったり、対処を考えなくてはならない事はある。でも、前進し続ける魂は絶対に必要でそれはそれぞれのレベルとは無関係。皆がそれぞれの中で踏ん張るからこそ全体が本当に良いものになる。
ここまで出来たら良し、周りがこれ位だからそれに合わせて、正確に音にしたから… そう言うことは全部要らない。

さて、自分自身。
今年は配置が変わって最初の合わせは正直とてもきつかった。しかも、ソリストの声がとてもよく響く素晴らしい声でラッパも対等の位置で対等に鳴らさないと負けてしまう。もちろん勝ち負けではない。しかし、このアリアのラッパは物凄く大切。
自分がずっと考えていたり、耳にする幾つかの演奏より遥かに大きな意味を持って大切なのだと昨年スーザン氏は教えてくれた。その為には対等で無くてはならない。

今までは歌が入ったら引く〜今回は全く必要が無くて逆に上げる(笑)
これは凄い事。若い I氏は年々パワーアップしておりこちらも負けてられない。再度言うが勝ち負けでない。歌が存在感を増したらラッパも存在感を増さないと意味が薄れてしまう。もちろん、ピッコロを使えばバランスも技術も何分の一になり楽。でも、あの場面の「ラッパの音」、合唱との共鳴を考えると戻れない。

前日のリハはこちらからも要求して何度もやり、今年は他の奏者の協力を得てティンパニも含めたパート練習も敢行。普通のリハーサルの数倍は吹いた。

当日は軽くして欲しいとお願いしてあったので本当に軽く。前奏と後奏のみ。しかも、僕の要求した確認の為に。
(ハレルヤは韓国から参加した方々の為に前日を含めて何度かやったが)

コンサートは蓄積してる疲れを心配したが大丈夫だった(実際コンサートの中で疲れを感じていた)。やはり、少しソロの声の響きに包まれてしまい自分の音を見失う(!)事は有ったが、安定感は大きく増す事が出来、本来の物語に必要な強さ、威厳も少し音や言葉に出来たのではないか?と思ってる。録音を聴いた感じは悪くない。

実は、昨年瀬戸でやったメサイアを聴かれた方が気に入って下さり、関東から聴きに来てくださっていた。お話をしたら、出身が同じ土地。その方の出身高校は生まれ育った家の近く。
そして、現在は単身赴任で故郷の幼稚園の園長をされている。私のラッパ師匠と同じ歳らしい。
その方がガッカリしない様に。その為には巧くでなくて真摯に正面から向き合った演奏をと思っていた。

ソリスト達から歌を感じたと言ってもらえた。僕は人の声の歌に勝る楽器は無いと思っている。如何に歌い、語り、それが自らの心、身体の奥から自然に発せられる様に技術と音楽に向き合うか?

楽器を置くまで続けるんだろうな。

旅の帰りと記したのだけど、それを体現してる80歳の師匠のリサイタルに向かっている。師から習った事で一番大きな事は音楽に対する生き様。

ちょっと身体を鍛えないと…

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こうすれば簡単だよ。

数回のやりとりで解決。

ほんの10〜20分程のレッスンで劇的に…

記事だけでなくて日本語以外も含めて色々な動画も見るのだけど、一番根本が動いてないのが見えないのかな… と思ってしまう事が本当に多い。表面しか変わってないんだよ。だから、そう言うのは出来てもやらない。


今まで自分のレッスンでも使った手法がいくつも色々な所で、殊更特別に有効な方法として紹介されてるのも見るけど、それは、ちょっと優れた指導者なら出来て当たり前のことで、そこばかりに焦点を当てるのはとっても危ういと思う。

根本的な事に集中して耳を澄ましてコツコツと続ける事が結果的に早いし確実なんだ。安易なコツを求めるべきではないのではないかな。だから、敢えて言わないし考えてもらう。

何週間、何ヶ月、何年と経った時に確実な変化として自らの上に感じる様な練習をしないと崩れるのも早い。それが出来た人達が本当の意味で上手くなる。

教える人はちゃんとそこまで見るべきであり、安易な発言は本当に控えるべきで有ろう。

もちろん、個人の意見や発見を述べるのは悪く無いし、思いつきを含めてそこからヒントを得ることも沢山あるだろう。でも、それをさも特別な様に記すと一つの意見として伝わるので無く、確立された方法として伝わるかも知れない事を意識する事も大切だと思う。

ハイトーンを自在にコンサートで操れる人がハイトーンを語ってるか?
ロートーンが素敵な響きを持つ人がロートーンを語ってるか?
音の豊かな人が音を語ってるか?
コンサートで安定した演奏をする人がその精神論を語ってるか?

ましてや人の心に触れる指導はお互いの本当の意味での信頼(憧れや有名だからって言う安心感でなくて)が有って、何時間もかけて真剣に向き合わないと、とても危険な無責任だと気がつくべきだと思う。街角の占いじゃ無いんだから。

コンビニエンスな技術、アドバイスは所詮表面的な一時しのぎにしか過ぎない。そこの差が聴き取れる感覚を持つ事が何よりも最優先されるべきであろう。教わる側もそこを意識しないと振り回されるだけになる。習うことの意味も考えないといけないと思う。

方法なんて耳(これはイメージも含んで)が出来てから、それからで良い。

名手のレッスンを見てごらん。
まずは音楽が大前提。
そこに行くためにどうする?
時間の短いレッスンでは奏法に触れる事はしない。それが如何に危険か判ってるから。危険で無いアドバイスは薬にも毒にもならない。

でもね、音楽的なイメージを膨らませるアドバイスは何の副作用もなく、その人のポテンシャルを大きく引き出す事が出来る。そう言う指導は教える本人が音楽を体現出来ないとあり得ない。

先ずは音楽を聴いてイメージを膨らます。発展させる。自分の中のものを豊かに育てる。そうすれば必要なアドバイスが選べる様になるから。

娘の車の運転の練習に付き合ってる。

昨日、娘の運転中に真っ直ぐでなくて左右どちらかに寄って行く時に「寄っ行ってるよ」て言うと「ちゃんと(ハンドル)真っ直ぐにしてるのに」て答えが有った。

でも、見てる場所や身体の癖、意識が腕の僅かな動きを起こしてスピードが出てる時には車体はそちらに少なく無く動く。

車の動きを感じ取ってれば(普通は視覚が主)それがリアルタイムで判る。

そこに辿り着かないと自由には運転が出来ない。


楽器を演奏する時に上手くいかない〜ちゃんと息を吐いてる、ちゃんと◯◯してるのに上手くいかないって時に、音を感じてる(普通は聴覚)かどうかに考えを向けるのはとても大切。

そして、視覚が錯覚を起こす様に(その人の持ってる常識にも左右される)耳にも錯覚が起こるしフィルターがかかる事も知ってた方が良い。

聴ける事に行き着く前に他の感覚に置き換えて(視覚や触覚…)気が付いたり、修正したりするのは有効だけど、そこで出来たと思うと気が付かない間に効力を失ったり、行き過ぎて違う問題を引き起こしたりする。


いつもレッスンで口にする事を逆の場面で感じて面白かった。人に何かを「教える」て行為は自らを振り返る時にとても役に立つ

。自分の上にも沢山有ることで、常に振り返ってないと気が付いた時に大きく逸れてたりするんだな… 

上手くいかないって時は、その時に取ってる方法そのものの問題より出て来てる音に対しての認識が自らの思いとずれてる事が殆どで、それにリアルタイムに気がつければ変わるのだと思う。

だから、他の感覚や方法論で一時的に良くなっても長期的に改善しなくて上手くいかない事が起こる。

技術的、音楽的に上達する程(上手くなる程)、より僅かな差を聴き取れる事が先を目指す事に必要になり、それを克服するのにも時間もそれまでより要する。より多くの情報を一度に同時に処理する能力が必要になり、それを一つ一つ言葉に置き換える事はある時期には有効でも、そこからさらに進んで行く為には考えて意識していたのでは間に合わない。

全体として眺めて知覚出来ないと。

(これは方法としての身体の使い方を眺める時も有効だと思う)


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