楽器を上手くなるには? | HARUのブログ

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ラッパの事、普段の事、色々。

一番確実なのは「上手い人の演奏を聴いて観て(見るで無くて)、そこから盗む事」だと思う。

盗めないって事は盗むだけのものが自らの中に育ってないので、幾ら方法を求めても役に立たない。そんな時は沢山の音楽の演奏やその他のなんでも良いから感性を刺激するものに触れて自らの感覚を磨く事。その時にきっと頭は空っぽにした方が良い。

昨今の世の中には色々なメソードやシステムが存在してそれが気軽に手に入るのだけど、自らの感覚を使って出来るまで練習する事は基本だし、長い歴史の中で伝わって来た事にはその言葉の表面で無くて真意を汲み取れれば、大きな大切な、そして揺るがない芯が有る。

もちろん、具体的な手法は各々によって合う合わないはあると思う。そこは柔軟に対応できる事が必要だとも思う。

安易にコツやマニュアル、方法を求めるのはとても危うい。1つの方向に皆が向いてるのはもっと危うい。色々なタイプの人がいてそれぞれの表現をするが、実は共通している事がとても多いし、体現出来る人は軽々しくそれが唯一の方法だとは口にしない。言葉に出来ない事は多いし、解りやすく言葉にした途端に一番大切なものは消えてしまう。

技術は音楽と表裏一体でもある。音楽を求めれば自然と技術は必要となり身体が適応していく。そこで頭で考えただけの理論や、自らの体験の中の常識に縛られたり、一定の法則に縛られたり、その全てが身体の自然で自由な動きを止める。確かに何かに頼るのは心は楽だが、楽をしたツケは自分に返る。シンドくても自らの手で掴めた方が確実で人生を豊かにするものが手に入る。

頭をリラックスさせて出来るだけニュートラルにして、目の前にあるお手本を真似してみるって大切。盗み取ろうとする事。レッスンなどではアドバイスから、アドバイスをくれた人が何を感じているのかを考えるのが大切。

技術は全ては音楽や音、それらのコントロールの為にある。音楽が無ければ何も始まらないし、その人の持つ音楽(イメージ)以上には発展はしない。

感性や感覚失くしては何も成り立たない。
音の良さはどこで判断する?
チューナーやオシロスコープで見て?

いや、聴いて感じて判断するでしょ?

もちろん、ヒトの感覚は体調や状況に左右される。不安定であるのは事実。
でも、日本の誇る職人技に代表されるように、最新の機械より精度の高いコントロールを可能にするのはヒトの感覚である。
そこまで精度を上げる努力が技術を向上させる。ヒトの感覚は当てにならないからと、そこを“放棄”したらもう音楽をする技術では無くて技術を得るための方法論に終わる。それでは寂しい。
精度の高い感覚を伴った技術を身につけた人、現在はなんだかの事情で体現出来なくともかつて持っていた人、感覚がとても鋭い人でないと判らない「差」も有る。
これは、判るまで自らの感覚を磨くしかない。そこにマニュアルは無い。
(感覚がぶれたり、精度が落ちていることを判断出来るのも大切)

音楽をする時に1つづつ動作を確認していては何も出来ない。全てが同時にタイミングもバランスも良く動かないと音楽をする事は不可能。例えば、高い音はこう、低い音はこう… マニュアルに頼りすぎて、こうなっては邪魔になる。

短い時間で出来たと思う事は大抵すぐ消えるか、出来てるつもりになってるだけで、毎日、少しづつ鍛錬をして築き上げたものに比べると比べようも無い。

先日、仕事で一緒になった大学の同級生に「松野は上手くなったよね!」と言われた。上で書いたような事に気がついてから変われた気がする。

若い時はひたすら縛られてたし方法を探してた。でも、自分のイメージするものとちゃんとリンクするものには出会えなかった。当たり前なんだな。先ずは自分のイメージが大切でそれを実現するために身体を使う事が大切。上手くなってから何かしようとしても何も出来ない。自分より優れた人の演奏を感じ取る事は何よりも自らを進化させてくれる。それが出来て初めて自らのメソードが組み立てられていく。
(決して自分勝手に吹くって意味では無いんだけですけどね)


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