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HARUのブログ

ラッパの事、普段の事、色々。

この冬から春にかけてのバロック関係中心のコンサートの出演予定です。
すみません、形式が一定していなくて…
言葉に慣れていなくてどう記載するのが良いのか、、、情報が不確定なものはまた、書き足せる時に追加予定です。
一つづつのご案内もするかも知れません。
12/6より渡独。
その打ち合わせのメールのやり取りで夜型加速中。やっと、予定がほぼ確定しました。
一つだけバロックで無いものが混じってますが、ソロトランペットを15本も使う珍しいハチャトリアンの交響曲の演奏にケムニッツで参加させて貰います。さっき気がついたらライブ録音あるらしくヤバし。。
しかも、翌日のバロックのコンサートとリハーサルは同じ日で進行。さて、どうなる事か。
パートの記載の無いコンサートはトゥッティパートです~
あるコンサートでは、何故かコンチェルトが入ってると言う… 



☆2015.11.28. 18:30 開演
岐阜バッハ合唱団 
ミサ ロ短調」J.S.バッハ
岐阜サラマンカホール

*1st ピッコロトランペット

☆2015.12.5. 17:30 開演
第39回 四国学院大学 メサイア
四国学院大学 清泉礼拝堂

*1st バロックトランペット~モダンオーケストラ

☆2015.12.9. 19:00
                10. 20:00

Robert-Schumann-Philharnie  Sinfoniekonzert

Chatschatutian Sinfonie 3 
etc.

Chemnitz Stadhalle


☆2015.12.11. 19:30 
   Dresden Annenkirche                 
☆2015.12.13. 19:30
   Weingarten Kultur-und Kongresszentrum

   Dresdner Kammerchor "Magnificat"
   J.S.Bach, P.Torri, ........


☆2015.12.15. 19:30
    Leipzig Peterskirche
    Bach-Weihnachts Oratorium 1-3

☆2015.12.19. 17:00
   Leck St.Willehad Kirche
☆2015.12.20. 17:00
   Husum St.Marien Kirche

Vivaldi-Groria, Tolerri-Trompetenkonzert, etc. 

*solo part-Baroque Trumpet

☆2015.12.25. 
   Hameln 
   Bach-Mgnificat Es dur etc.

*solo part-Baroque Trumpet

☆2015.12.27.
   Fehmarn 
   Bach-Weihnachts Oratorium 1-3

*solo part-Baroque Trumpet

☆2016.2.14. 14:00 開演
松本バッハ祝祭管弦楽団
マニフィカト ニ長調 J.S.バッハ

*1st バロックトランペット

☆2016.3.27. 
   Harmony for Japan
   ミサ ロ短調 J.S.バッハ
    東北大学百周年記念会館萩ホール

*1st ピッコロトランペット

☆2016.4.24. 
   瀬戸
   メサイア G.P.ヘンデル
   
*1st バロックトランペット

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たった1行の意識を見つけるのに要した時間。

しばらく、大崩れ無くペースを保っていた生徒さん。今日は少し様子が変。

7月に楽器もマウスピースも新しくなったし、それをきっかけに良くなった部分も有るのに。。

楽器もチェックして。

何が悪いかは判るし、何処をどう調整すれば良いかも判るのだけど、その場だけ修正しても直ぐに戻ってしまうのは明らか。

何故そうなるのか?
本人のどの意識がそうさせてしまうのか?
今日はそこを探り出すのに時間がかかってしまった。。

一緒にも吹き、音の聴き方や幾つかの手順を試すが、一人で意識を持ってアプローチしてもらうと、響きを失いきつい方向へ向かう。何か本人の意識の中でそちらに引っ張ってる事が有るはずなのだが。。


こういう時は本人はそれは当たり前の事で有ったり、凄く有益であると考えている事が多いのでなかなか会話でも引き出せ無い。

少し取り戻してきた終盤の一言。

「身体の中の響き方が変わりました… 」

なるほど。。

では、それを忘れて外の音だけ聴いて自然に歌う様に。
それで解決。
苦しそうに唇で音を掴む事から即解放。

歌う様に~リップスラーでも喉の響きのチェンジを感じる事などを伝える場合が有るのだけど、拡大解釈、過多な意識となると有益な感覚で無くて邪魔をする。身体の使い方と同じ。

空間に響く音がしっかり感じ取れていれば修正が利くのだけど、これがなかなか難しい所。まして、空間で無く自らの身体の中に強い意識を持ってしまえば(これは身体の使い方を意識する場合にとても多い)外への意識は薄れるか飛んでしまう。

その聴くことを邪魔する感覚や意識が有るうちはどんな手法を使っても相殺されてしまい上手く行かない~色んな手法を使ううちに偶然逆にその意識が飛ぶ事が有り、その時は上手くいくが。

どんな方法や身体の何処をどう使うかより、自らのイメージをどう持って、どう自らの音を聴き、感じ取り、それに対してどんな意識でアプローチ取るか?そして、その時に感じる身体の状態は?そこが核心を突いていたら身体は自然にその方向へバランスを取り動き始める。一つ一つをバラバラにするのは危険だしますます迷路にもはまる。

今日は直接関係無いが、理論を組み立てるのはその後の方が良い。先ずは感じ取らなければ、聴こえなければ始まらない。
そして、そこで止まらずに裏付けとして理論が組み立てられれば役に立つ。そこは考えたりない事は起きても考え過ぎは無い。感じとらないうちに考えると考え過ぎって云われる状態が生まれる。目の前にある事すら見えなくなる。自分が視える事だけに真実が有るとは限らない~オカルトっぽい!(笑)

そんな事も改めて感じたレッスン。。

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長い文書を珍しく推敲しながら書いたら消えた…

ので、簡単に(笑)

先日のレッスンの中の生徒さんの一言からある閃きが有った。


舌のポジションを見つけた。シラブルで無くて全ての音域で一択。
そしたらナチュラルトランペットのコントロールが劇的に楽になった。大きな18.5mm口径のマウスピースでもハイトーンが楽になり、バッハのハイパートをピッコロと殆ど同じエネルギーでさらえる=極端にばて無い。下のド(ヘ音記号内)の発音が楽。
これは身体、楽器の構え方、呼吸、歌、全てが整った時にそこに舌が来るしアンブシュアも良いバランスに勝手になる~自分で力でねじ伏せてるのは例え音程の為でもNG。大きいと収まり難いマウスピースの位置も勝手に収まる。完全では無いが音程のコントロールもよりやり易くなる。



同時にもう一つ「筋肉の共縮」と言う言葉をある記事で読んだ。なるほどと。。技術的にもメンタル的にも起こる現象。
それはスポーツでは説明されてるが楽器にも思い当たる事が有るし、ナチュラルトランペットなどには物凄く影響が大きい。
言葉は初めて見たのだけど身体では感じていた事。
そこをコントロールするのにインナーゲーム手法が自分には一番合ってると思う。
実践の中でこの2,3年試して上手く機能してる。




吹く前にちゃんと準備をする事と言うのは此処でも書いてるしレッスンでも常に触れる事。

準備とは身体の準備だけで無くて頭の中、イメージなど全てを含む。

その中に楽器を吹いている状態の高さまでちゃんと持ち上げて、ふらつかずに、しかも口元の変化に合わせて自然と力加減を身体に合わせる事が出来る様にキープ出来る事が凄く大切。

ラッパという楽器は他の金管楽器よりは小さくて軽いが、実は楽器の重さを支える位置が身体の芯より離れて居るので意外にその重さを支えるのは大変で、僕は左手の二の腕の裏辺りが口や身体より疲れる。
1kgちょっとの物を身体から離れた位置にキープしつつ、微妙な力をコントロールする事は簡単では無い。

(孔の無いナチュラルトランペットを右手で構えて大きなマウスピースで吹く時などは、本当に身体の全てのバランスが取れてないと上の方まで上がれないし、それを保つのには身体の力のバランスが取れた上で自然な呼吸が大事になる。)


試しに楽器を構えて口元から離して1分間全くぶれずに、しかも力加減がコントロール出来る様にキープしてみると感じ取る事が出来る。

さて、同じ疲れを楽器を演奏している時にちゃんと感じ取れているだろうか?
例えば、一分間同じ音をずっとタンギングし続ける~息が無くなったら間を空けても良いから息を吸いとにかく続ける~の後に同じ身体のバランスが保ちつつ、楽器をただ支えてた時と同じ腕の疲れを感じられるか?

もし、感じ無いと言う場合は腕で支えきれずに身体が段々と崩れて居たり、プレスという形で唇に楽器の重さをかけているかもしれ無い。

これは演奏する上で唇に大きな負担となる。プレスがどうしても強すぎて…と言う人は自分にとってスムーズに楽器が吹ける~息がスムーズに流れて唇の振動が自然に起こる楽器の位置をキープ出来ているか疑ってみても良いかも知れない。


今日、ある方のレッスンで、少し しつこい位にそこをチェックしたら、特に高い音でギュッと握り締めてプレスも強く、唇で音を掴む事からも離れられない状況が自然に解消された。

子供など身体が出来上がって居ない場合は、特にそこへの配慮が必要だなと改めて考えた。

上手い人の立ち姿(座り姿)や楽器の構え方が余裕が有ってゆったりと見えるのは、本人に特段に意識が無くても自然な呼吸が出来て、その人にとって口の一番良い位置にマウスピースが乗っかる様にキープされて居る事の表れでもある。

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もう何年も改めてピッコロをさらうって事が指以外の理由では殆ど無い。

バロックラッパをさらってると、もっと言えばナチュラルトランペットをさらうと、その時代の音楽をバロックやピッコロで吹く事は、孔が開く、短くなりピストンが付くという順番にずっと楽になる。

そうは言っても楽器やマウスピースが変わったりすると、ちょっとした音程やバランスが変わるのでそれを感覚的に理解しないといけなくて久しぶりにさらってみる。

11月の終わりに演るバッハのロ短調ミサを題材にして。先ずマウスピース感じが違うので、凄く心地良い所と少し今までの感覚から移行しないとならない部分が出て来てる。基本的にサウンドも音程もずっと良い。しかし、耳やコントロールは27年使った物に慣れてるのでそこを感覚と頭で知覚しないと、こう言う高い音域でのタフな演目は本番で痛い目を見る。
そして、いつもそう言う本番の前はバネの力を貯めて置く為にもう殆どさらわないし、その前の辺りは12月のメサイア(ヘンデル)、クリスマスオラトリオ、マニフィカトのD&Es(バッハ)、グローリア(ヴィヴァルディ)、協奏曲(トレッリ)、その他 スライドトランペット等 国外での言葉の壁も有るコンサートでのバロックの準備もしなくてはならないので、今のうちにさらって後は寝かせながら頭の中で準備。

その練習の中でずっと探していたある答えに行き着いた気がする。
古い時代のアーテキュレーションなのだが、速くなると舌が極端に短い(劣性遺伝で舌先は1cm有るか無いか)自分にはどうしても解決しない部分が有った。実は答えはインマー氏に言葉としては貰って居たのだけど、実際にどう聴こえるか?が問題で、そこを先日のバロックラッパの会で何人かのプロ奏者に聴いてもらって感想を教えてもらい、少しディスカッションした事がこの数日の練習の中での発見となった。
大雑把に言うと、"tara tara" (tiri tiri), " taka taka", "taha taha" は同じ種類の発音で後の音の発音の場所が少しづつ違うという事。そして、そこに気が付くとそれらはリンクさせる事が出来るし、それぞれのニュアンスを違う方法でも出せる=喋れるニュアンスが圧倒的に増える。
外から聴いた感想をきっかけに、自分の中のほんのちょっとした思い込みから解放される事で目の前に有った答えに気が付いた感じ。
自分の考えの常識の枠の中から一旦は出る事が、新しい事を理解する為に大切な事だと判って居ても時に囚われてしまう。たった10分の時間だったが、この一年考えて来た事の答えへのきっかけになった。今から感覚、身体に落とせば12月に間に合い、試しながら実践の中で修正が出来る。
haの発音は口笛で使ってる事だからそこを動かすトレーニングする必要は無くて、ただラッパを吹く時にそのスキルを迷い無く動かせる様にするだけ。

これはもちろんピッコロにも使えるし、他の時代の音楽にも使える。より譜面から自由になれる。


ところで、このマウスピースは物凄く面白い。今まで音とコントロールの面から殆ど使わなかった楽器のオプションのセッティングも心地良く使える様にマウスピースがカバーしてくれる。

どれだけ使いこなせるかは自分次第。

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さあ、風呂にと思ったら奥様に先を越されたのでその間にブログを。(笑)

9月は割と静かな月、の筈だった。

それが1日のリハーサルから6日間で、白鳥の湖、眠りの森の美女、計6回の本番~リハーサルと本番の数からして日にちが合わない(笑)のスクランブルな依頼を受けて東京に向かう事なり急に慌ただしくなった。この時期、何故か東京ではラッパ吹きが足らず地方に住む僕の所に旅費を全て負担するのでと依頼が来た非常に珍しいケース。

細かな事情は誤解を生むので割愛。
リハーサルの前日に東京入りして、翌日の1日は朝10時から13時までは白鳥湖のリハーサル。14時から16時半までは眠りの森のリハーサルを渋谷で行ない、板橋に移動して眠りの森の踊り合わせを18時より21時半過ぎまで。
これは曲を知っている、楽譜を知っている、バレエの仕事を知っている人には、普通はあり得ない、、え?っと言うスケジュール。
しかも、使う譜面を受け取れたのは前日の夜で、バレエに付きもののカットもリハーサルで口頭で伝えつつ初見に近い。全て海外からいらした側の都合でオーケストラもかなり過酷な状況に置かれた一週間。9時間の常に集中を要求されるリハーサルは普通は無い~ みなさん凄い。

翌日は白鳥湖の踊り合わせと本番。
受け持った1stコルネットパートには有名なソロの曲も有り、コンディション、集中力共にレベルを保たなければいけない。
その翌日から2日は夜のコンサートだけだったが、土曜日は朝に追加のリハーサルと二回の本番。眠りの森を二回はかなりきつい。最終日は一回だったが一週間を乗り切れたのは、新しいマウスピースとバレエ団の団体として取って頂いたホテルの美味しい朝食が大きかったと思う。
いや、本当にきつい一週間だった。
同時にとても良い経験をしたと思う。
素敵な人との出会いも有った。

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翌週は溜まったレッスン。

そして、先週はこちらにも案内をしたアンサンブルペガサスのコンサートの為に再び上京。
乗り番が少なめだったのもありマウスピースを試しに毎日の様にリハーサルの前に高田馬場へ。羊のマウスピースのショールーム。スペア用に少し安価な物を購入予定で、ピッコロのマウスピースを時間をかけてこれから相談しつつしばらくしてから製作してもらう筈で有った。
しかし、出会ってしまったと言うかスペアを諦めてピッコロのマウスピースを購入~全く予定外。しかし、リハーサルや本番でそのまま使っても良い感じで帰宅してさらっていてもとても良い。お値段も良いのだが(笑)、本当に良いサウンドとバランス。少し深めのピッコロ用のモデルでレギュラーの品番では無く、ひょっとするとこれ一本だけかも知れない。グリーンゴールドのメッキがまた美しい。

アンサンブルでは大阪から参加されたT氏にもお会い出来て、大学のかなり下の後輩とも知り合えたり、愛知に居る頃から知っていて今は京都のオーケストラに居るIさんの大きく進化したサウンドを聴けたり、その他にも書き尽くせないほどの濃い物であった。良いコンサートだったと思う。

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コンサート翌日は、午前から昼過ぎまで生徒さん二人の楽器を選定してから高田馬場へより、夕方は板橋でバロックラッパを吹く会。夜はそのまま板橋の鮨屋で皆で食事。
バレエの時は集中力と唇の疲労が激しかったが、今回は移動の体力の消耗が。。
もう一泊して、翌日は出身大学の近くの根津や千駄木を散策。昼に学生の頃に行った中華でデカイ餃子を食べてから羽田から帰宅~マイル消化の為だったが、アクセスも良く無いし広過ぎて新幹線の方が10枚楽だと感じてので今後は乗継も含めて極力使う事は避けるだろう。。(笑)

今週はレッスン!

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年齢層が広く、日本各地から集まり、独自の編成、アレンジでコンサートを行います。今回は日本人の作品を多く取り上げています。

私はコアメンバーでは有りませんが、ペガサスの名前を冠したこのアンサンブルの前身となるアンサンブルから参加した事が有り、国内のコンサートには都合の許す限り参加させて頂いています。

年齢層の厚さ、雰囲気の良さから来るのか、他のアンサンブルに無い大らかな暖かいサウンド。特に、ゆったりとした心地で金管楽器のアンサンブルを楽しみたい方にお薦めです。

チケットは私の方に御連絡頂いても準備できますし(ホームページよりメールが送れます)、他のメンバーも扱います。直接のメール先、販売をお手伝いして下さる楽器店もチラシに記載されてます。

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げます。


2015年9月17日(木)18:30 会場  19:00 開演
小金井 宮地楽器ホール(小金井市民交流センター)大ホール
2800円(全自由性)

アンサンブル・ペガサス トウキョウ 第8回演奏会メンバー(34名)

Trp/picc-trp/fghn
松崎祐一、三島明子、班目加奈、村上俊也、古土井友輝、松田優太、松野美樹、稲垣路子、末岡希和子、竹森健二、北川晉、小島光博、木村結衣

Hn
市川克明、宇井智美、折坂裕子、佐々田裕美、仙田絵己子

Trb
Ten: 和田美亀雄、小坂達也、大内邦靖、山本靖之、岩下真澄
Bs; 坂田朱夏

Bsflghn/Euph
円能寺博行、正田律子、齋藤充、齋藤亜由美

Tuba
安元弘行、堤拓幸、谷口史洋、橋本晋哉

Perc
加藤大輝

Direction
山本訓久


普段は学生や愛好家の方をレッスンする事が多いのですが、たまに若い演奏家や演奏家を目指す若い方にアドバイスをする事が有ります。

大抵、日本在住で無くて日本では会った事の無いか滅多に会わない方(笑)
まあ、優秀な日本人の演奏家は沢山いらっしゃいますから、こんな田舎のマイナーな人間の処に来る事の方が珍しいかも(笑)


それでも、選んでレッスンをと希望される時は、事情が無い限りちゃんとレッスン代も頂いてこちらも真剣に~貰わないと真剣で無い云う訳で無く、自分の経験からも身銭を切る事はそれなりの覚悟が必要で、やっぱり何処か大切な事なのだと思うからです。

ちょっと教えて?って時は深く入り込めませんし結局中途半端になります。受ける側も同じ。次回に会った時にやっぱり覚えて無いんだな~と思う事は多々有ります(爆弾)ま、いいか、、と思いますけど… 

レッスンなら状況を判断しながら必要だと感じたら深いところにも配慮を持って触れられます。
この配慮は能力が高い方に対してはとても大切でその方の元々の良いイメージまで壊す事にならないように、自分のアイディアがそこに良い意味合いでプラスされる様に言葉を選んで行きます。
少し上にも書きましたが自分も同じ。この数年、何十年ぶりかに巨匠に直接レッスンを申し込みアドバイスして貰い、次に行く時にはそれが自分の中で消化されてクリアーされてる事~何事も無かった様に指摘され無い事がクリアー出来てる。一応、どうですか?って言葉でも聞きますけど(笑)

さて、コンタクトを取ってくる方は明確な意識を望んでいらっしゃる。これはとっても大切な事で、なんでも良いから上手くなりたいってのは専門に勉強してる身としてはちょっと甘い。愛好家の方の場合は何が足り無いか判らないと云うのはある意味当然の事ですし、それを才能とかセンスで片付けずに、問題と解決方向をちゃんと明確に示す事が大事になる。もちろん、その人がその時点で何処あたりまで望んでいてと云う事も大事な要素です。

結局、レッスンの内容の根本に差は全く有りません。

専門家を目指す人にはより精度が高く難易度が上がるだけです。

先日のお題はピッコロにおけるハイノート。
上のファから上と云う事でしたが、詰まる所、普通の楽器の真ん中に当たる音から、どう音のセンターを捉えてそれを高い所まで同じ感覚で行けるか?って話になりました。

長くなるので今回はピッコロ限定として書きます。(長い楽器でも同じなのですが)
先ず真ん中の音から5度位音階で短い音を軽くクリアーなタンギングをして吹く(例えばドレミファソ)。その時に音の頭、タンギングした瞬間から音のセンターを打ち抜く、射抜いて無いと上の音は力~息のスピードやプレス、アンブシュアの強さに頼る事になりキツくなります。特にピッコロは楽器が短く抵抗も多いので長い楽器の様に幅に余裕が無く、うんともすんとも言わ無くなる事になる。
(因みにバロックラッパ、ナチュラルラッパとなると穴が少なくなる程に難易度はモダンより桁が増す様にシビアになります~長いくせに…)

この音階を半音づつ移調して上がって行きます。移調出来ない人は出直しましょう(笑)

真ん中のブレがハイトーンのバランスを作る為の精度を作り出せ無い原因になります。闇雲に上がっても無駄です。若いうち、体力のある人はパワーに頼っても高い音が出ますが、僕の歳では既に無理ですし、歌や弦楽器とアンサンブル出来る繊細な音やうるさく無いフォルテは先ず出せないでしょう。

最初から真ん中を打ち抜くには身体がバランスよく使われて一方向にだけ強い力や、一箇所だけを抜き出して使う様な一点集中方法は役に立ちません。因みにソルフェージュが出来るているのは必須です。

息のスピードも、量も、過大なパワーも基本的には必要無いんです。

当たり前ながら先ずは"音の頭"が聞こえてること。ここが聴こえ無いと修正しようが無い…

そして自然な呼吸をして肺が下にも極端に上にも行かず自然に浮いていて、音域が変わろうが自由に膨らんだり萎んだり出来る事。これはレッスンを受けてもらわ無いと意味は判らないかもしれません。

息を増やさない~音階を吹いて行く時に勝手にクレッシェンドがかかる時は息のパワーでハイトーンをこじ開けている状態なので自然とは言えない。
この場合は大抵プレスもかなり強い筈です。


息が適度になるととプレスが不用意に強い事に気がつきます。ただしプレスは適度には絶対に必要です。でも、その時々にどの位力がかかっているか唇で感じ取れて無いと直ぐに終わります。楽器の持ち方と言うか、プレスを含めた楽器のキープも大事です。頭(感覚)、身体(呼吸)の準備が出来た唇の上にマウスピース乗る。

上の音に向かって身体の中の力が下方向に強く向く時もきっとキツイでしょう。力は360度バランス良く。僕は吹き手を観察して、例えばエネルギーが前に下に向いてる様に見て取れれば、そちらにだけで無くて、同じ様に後ろ上の方向に力を感じてと伝えます。
この時に使っている力と"同じ強さを使う"と伝えるのはNG。以前に書いた様に力で抗うのは倍の力を使う事になり良い方向には向かない。
言葉の受け取り方を考えて身振りを交えて言葉のトリックを使い"同じ様に反対方向へもエネルギーを感じて"と伝える事で、大抵は一方向に向かう力がバランスの取れる方向に分散します。どちらが反対方向かはその時の判断次第。
上手くいかなければ違う言葉を使う事になります。
バランスの取れた状態を覚える事が大切でその指示が大切で無い事は伝えます。
そこを保ちながら上まで、決して先を慌てずに上がって行きます。もちろん音頭からセンターを打つ様に。決して大きな音で無く。崩れたら最初に戻り仕切り直す。

ここまで、感覚の鋭い人なら直ぐに掴めます。ただ、この時にシラブルを意識的に使わないことも大事。「イー」と意識をすると舌の真ん中部分まで全て上がってしまい、ただでさえ息の流れの細いピッコロにはきついアプローチになります。確かに舌の両端や全体は上に上がりますが、真ん中は下がっていて息の通り道をキープしてる事が大事。これは意識的にそうするより 「ア」「タ」と意識する事で自然にそうなるので「イー」の意識を排除するだけで十分。(決して無理やり下げる意味では有りません。「ア」のままで声で舌から上に歌って見ると判ります。)響きを頭の方や頭の後ろに感じる事が出来れば話は早いです。実はリップスラー、長いベー管の下のドとソのリップスラーでその辺りがちゃんと掴めていて、そのままハイトーンのリップトリルまで繋げる練習はピッコロにも有効です。
シラブルについての僕の考えは前に記してます。

この辺りまで出来る様になると、自然と身体の内側がしっかりとして、背筋が程よく伸びる様な感覚が生まれてる筈です。
程良い、バランスの取れた身体の緊張。
(決して反ってるわけではありません!)
もしこれがリラックスしてるだけだと中音域は吹けても、低音域はぼけた響きで上に行く時に何処かで力の使い方を変えないと行けなくなりますし、高音域は確実に頭打ちになります。下腹だけ、下腹中心にに息が入る状態は要注意。普段の呼吸の様に真ん中から上下にバランスよく膨らむ感覚が良いと思います。その時に肺が浮かぶ感覚があるとより自由になる。(100%近く吸っても普通に、普通以上に軽く響く声で話が出来る呼吸で有り、ピッコロやハイトーンの場合は実際には80%位までに抑えないとブラックアウトして倒れるかも知れません。)
ここまで来た時には"支えの意味"が分かると思います。下から上まで同じバランスのコントロールになれる。

そして、この辺りまで来れたら、5度上がる音階で、上に上がったら一度止めてその感じを覚えたまま一度ブレスをして、今度は上から降りてきます。そのフレーズの一番上の音の感覚を最初からいきなり再現する~狙う事が出来る様に。

気をつける事として息を入れすぎ無い事を意識しているうちに今度は消極的な息や気持ちになり易いので、そこは音を聴きながら響きを失わ無い様に息の流れは確保します。場合によっては今度はもう少し息を吐いてと声をかける事になります。

以上が掴めたらそこから響きを膨らませる事を意識する事で段々と大きなサウンドにもなる。

これらの作業は方向性はその日のうちに掴めても、実際にコンサートで使えるには暫く、1~3ヶ月、半年、一年~ と人や音域によっても違うとは思いますが、ゆっくりと時間をかけて自らを育てないと失敗します。

先日の方はしっかりと掴まれました。
僕のアドバアイスがこの先にゆっくりと役に立つと良いな~と思います。自分の感覚に共感してもらいそれが良い方向に働く事ほど嬉しい事は有りません。

良い感じのレッスンだったので覚書も含めたBlogです。

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自分には生涯をかけて具現化したいものがある。具現化といっても音であり、しかも、音そのものと言うよりその向こう側に有る物。ひょっとしたら音楽以外を選んで居ても同じ所を目指していた気がする。

もちろん、楽器が上手くなりたいという気持ちは今も有るけど、若い頃よりはなぜそうなりたいか?と言う事がよりクリアーになってる。

そして、今はハッキリと生涯をかけたい事は十代の頃からずっと自分の中にあったもので、最近やっと意識の中に元々自分の中に有った事なのに見失い、回り道をしていた事を再確認出来た気がする。

楽器のレッスンでも、指揮をする時でもそこに踏み込んだ時に、対する人の心が動き共感して居る事を感じ、その瞬間から音楽が生まれて動き始めるのを感じる。

その時、対象の年齢は関係無く、ただ、縛られる事が多い人には届き難い事を除いてはそこに踏み込んだ時に、踏み込める時に初めて根本の何かが動く。

この夏はそれを感じた。
共感して心が動き空気が動いた事を感じた。


自分が居る世界でそこは一番大事だと確信してる。毎年、家族に迷惑をかけて仲間の助けを借りて渡航するのも、そこを強く感じる事の出来る環境で有るから。

なぜ、そこを求め無いのだろうって事が少なく無い。それは、自分のただのわがままなのか?単に嗜好?

考えれば考えるほどに、感じれば感じるほどに、そんなもので無くて核心なのだと思う。自分は自分でしか無いし人にはなれ無い。でも、確かに共感を生む事は出来る。
(近年、"感動"って言葉の安売りが多過ぎて"感動"はあまり使いたく無いし、そんな安い感動は要らない。小さくて良い。共感が生まれる事から始まりが有る。)

だからこの夏に大きな喜びと大きな落胆を同時に感じた。

生を終える瞬間に自分が歩いて来た本当の答えが見える気はする。その瞬間まで追い求めていたい。せっかくこの世に生まれたのだから。


金羊が良い感じでいろんなコンディションに馴染んで来た。本当の意味で使いこなすには未だ時間が要る。でも、それも楽し。

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僕が楽譜を読む時に一番最初に感じ取るのは、この曲はどんな時間の流れの中でどう進んでいくのだろうという事。

どういう音程でどんなリズムかって事も含んでいるのだけど、細かな事、ディテールよりも大きな部分。

この春から夏は、ある学校の吹奏楽部のコンクールへの取り組みを手伝った。とても、素敵な楽しい時間だった。
最初から唯の一度もメトロノームとチューナーを使わず、音の表面的な形には触れず、その曲の中の音の言葉や文章をどう紐解いて感じ取り音にするか?そして、その為に必要な事、技術、ソルフェージュ、原曲を知る事… 自分の言葉で音で伝え続けた。もちろん、それぞれ自分の音や周りの音を聴くという事の大切さを繰り返し伝えた事は言うまでも無い。

技術的にかなり厳しい部分も有ったがそこは「必要なんだよ」とは伝えたものの強要は一切せず、ただ、指摘して意識だけを持ってもらうようにしつつ、自ら気が付いた時に技術を求める事に進んで行けるように気を付けた。

それらが彼らの中から自発的に音や意識として現れ始めたのは最後の一週間~合宿辺りからであろうか。その三日間の変化は驚いた。楽器を始めてそんなに年数も経って無い子も含まれていて、二人で一つのパートをやっと、、でも、きちんと音にするのが厳しかったりする場合も有った。しかし、何人かの中心になる子達の理解しようとしてくれた頑張りや、その演奏から全体が大きく音楽を発し始めて、先生を中心に彼らが持てる技術の中で目一杯の音楽を、合宿の最後からそして本番で、全員が共感、共有した演奏を音にする事が出来た。

4ヶ月を楽しかったと言ってくれた。本番が本当に楽しかったと… もう、合宿の最後の音を聞いた時から十代のその秘めた力に心の奥から動かされて居た。本当に魂から楽しく全力で自らの感覚を渡そうとした時間だった。不覚にもジーンと来てしまった。

コンクールでは残念ながら狙った賞には届かなかったが、そんな事は彼らには関係ない位お互いが音楽を通してその時間を見事に共有した。心の深い所に刻まれた12分だったと思う。
間違い無く大人の音楽をしてた。
僕は誰がなんと言おうと、彼らが僕のアプローチを必死で理解しようとしてくれ事と、自らが感じて見事な音楽をしてくれた事を誇りに思う。表面を整える事は敢えて音合わせにおいてもせずに、彼らの内側から生まれるものに訴え続けた結果だから。



僕は音程やハーモニー、リズムは素晴らしいが少し音楽の流れが… て演奏より、技術は少し辿り着かなくて乱れは有るが、音楽がそこに存在する演奏に間違い無く惹かれる。音楽は時間が無いと存在でき無い。
流れが良いという事は、音楽に対して適切な時間を感覚で掴めて居て、音楽を感じ取れていないと出来無い事で、本来は最も大切な事で有りもっと評価されるべきものだと思って居る。
そこが有るから音を磨いたりテクニックを追い求めたりするのが本来の姿では無いかと思う。僕はそこに目覚めた時に音楽を専門にやりたいと思った~15の時。
音楽の流れは良いけど他がダメだから…と他を優先する事は結局本来の目的で有る音楽には辿り着かないとも思う。

例えば譜面にスタッカートが有る。
それは一つの状態を表す記号では無い。
その音楽を理解する~拍子感、テンポ、和製、音色、フレーズ… 多くの要素が絡み合って生まれるそこの表情があり、そのニュアンスを出す為の技術の選択はその表情から決まる。決して技術が先にあるわけでは無い。何故スタッカートが有るか?って事が一番最初に無いと音になった物は音のパズルでしか無い。それを、大きくしたり、表情を工夫しても、ただショーアップされたものでしか無くて、本来の音楽から感じ取り寄り添い、読み解き、共感したものを音にする事からは全くかけ離れた別物だと思う。
最近、そんな演奏を聴く事が有り、それを賞賛する周りの雰囲気(原曲の魂は何処かに行ってしまっていたのに…)と共に、その空気感に何故か酷く心の奥が傷付いた。



たとえ音階練習でもそこに音に対する感覚が存在しなければ、それは音楽の為のものでは無くなってしまう。


アンソニー ホプキンスのインタビューを観たことがあり、その中で彼は「演技をするので無くて、ただ、台詞を読む」と言うような事を話して居た。それでも、彼の存在感は凄い。彼はその物語の背景を調べたりもしないそうだ。ただ、台詞を読む。それがどういう意味か。表面的な受け取り方で無くその言葉の重みは楽譜を読む事、音楽する事にも通じるとその時に感じたのを思い出した。

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