しばらく、大崩れ無くペースを保っていた生徒さん。今日は少し様子が変。
7月に楽器もマウスピースも新しくなったし、それをきっかけに良くなった部分も有るのに。。
楽器もチェックして。
何が悪いかは判るし、何処をどう調整すれば良いかも判るのだけど、その場だけ修正しても直ぐに戻ってしまうのは明らか。
何故そうなるのか?
本人のどの意識がそうさせてしまうのか?
今日はそこを探り出すのに時間がかかってしまった。。
一緒にも吹き、音の聴き方や幾つかの手順を試すが、一人で意識を持ってアプローチしてもらうと、響きを失いきつい方向へ向かう。何か本人の意識の中でそちらに引っ張ってる事が有るはずなのだが。。
こういう時は本人はそれは当たり前の事で有ったり、凄く有益であると考えている事が多いのでなかなか会話でも引き出せ無い。
少し取り戻してきた終盤の一言。
「身体の中の響き方が変わりました… 」
なるほど。。
では、それを忘れて外の音だけ聴いて自然に歌う様に。
それで解決。
苦しそうに唇で音を掴む事から即解放。
歌う様に~リップスラーでも喉の響きのチェンジを感じる事などを伝える場合が有るのだけど、拡大解釈、過多な意識となると有益な感覚で無くて邪魔をする。身体の使い方と同じ。
空間に響く音がしっかり感じ取れていれば修正が利くのだけど、これがなかなか難しい所。まして、空間で無く自らの身体の中に強い意識を持ってしまえば(これは身体の使い方を意識する場合にとても多い)外への意識は薄れるか飛んでしまう。
その聴くことを邪魔する感覚や意識が有るうちはどんな手法を使っても相殺されてしまい上手く行かない~色んな手法を使ううちに偶然逆にその意識が飛ぶ事が有り、その時は上手くいくが。
どんな方法や身体の何処をどう使うかより、自らのイメージをどう持って、どう自らの音を聴き、感じ取り、それに対してどんな意識でアプローチ取るか?そして、その時に感じる身体の状態は?そこが核心を突いていたら身体は自然にその方向へバランスを取り動き始める。一つ一つをバラバラにするのは危険だしますます迷路にもはまる。
今日は直接関係無いが、理論を組み立てるのはその後の方が良い。先ずは感じ取らなければ、聴こえなければ始まらない。
そして、そこで止まらずに裏付けとして理論が組み立てられれば役に立つ。そこは考えたりない事は起きても考え過ぎは無い。感じとらないうちに考えると考え過ぎって云われる状態が生まれる。目の前にある事すら見えなくなる。自分が視える事だけに真実が有るとは限らない~オカルトっぽい!(笑)
そんな事も改めて感じたレッスン。。