働くママ(SOHO編) -3ページ目

最近おぼえた「おしらさま」について。

最近おぼえた「おしらさま」は、養蚕の技術を伝えている。その内容は…

 

裕福な庄屋に「おしら」という美しい娘がいる。

母親が死ぬと、継母がやってくる。

庄屋がおしらにばかり着物や櫛を買い与えるので、継母はやきもちを焼く。

次第におしらが憎らしくなり、召使いに殺させようとする。

 

一度目は、獅子のでる山へ置き去りに。

二度目は、人喰い鷹のいる岩山へ。

三度目は、舟に乗せて沖へ流してしまう。

 

けれども、その度、おしらは無事に屋敷に戻ってくる。

とうとう、継母はおしらを庭に生き埋めにしてしまう。


都から戻った庄屋は、庭のすみで金色に輝く桑の木に気づく。その根元を掘ると、おしらのなきがらがでてくる。ようやく真相を知った庄屋は、継母と召使いを家から追い出す。


金色の桑の木には一匹の蚕(かいこ)がついていた。

庄屋はその蚕を、おしらの生まれ変わりと思って大事に育てる。
やがて、まゆから糸をひき、つむいで、布を織らせ、美しい着物にしたてて、おしらを偲んだ。

それから、かいこのことを「おしらさま」、そして四度の脱皮を「シシのねむり」「タカのねむり」「舟やすみ」「庭のかたすみ」とよぶようになった。

 

 

 

 

遠野の「おしらさま」は、馬と娘の悲恋を描く。その中国の捜神記に由来するとされる馬娘婚姻譚とは違い、継子譚や舟が登場するこの昔話は蚕影山縁起に近い。

明治から昭和初期にかけて、養蚕業の発展に伴って普及した養蚕信仰に由来し、その技術を伝えている。

 

家畜でありながら「オカイコサマ」「オシラサマ」と呼び、大事に育てなければ、繊細な蚕は死んでしまう。技術と信仰が養蚕を支えたのだろう。

 

今日、養蚕業は衰退し、地図から桑畑の記号も消えてしまったが、養蚕信仰は各地に名残をとどめている。

下記は、大正時代に盛行した和讃のひとつ。

女性が集い、皆で唱和したらしい。
七五調で耳に心地よい。ぜひ声に出して読んでみてほしい。

 

きみょうてふらいこかげさん、蚕の由来を尋ぬれば、昔神代のことなるが、天竺みかどの一人姫、ちぶさの実母に棄てられて、邪険な継母の手にかかり、清涼山の奥山に、獅子の餌食に棄てられて、この時獅子ごと申すなり。そまや山人憐れみて、みかどの館に連れ参り、それを継母は見るよりも、千里薮にと棄てられて、この時鷹ごと申すなり。神通得たる姫君は、またも我家へ帰られる。桑のうつろの船に乗せ、この時船ごと申すなり、桑の葉入れて流されて、憐れなるかや姫君は、沖吹く風にただようて、鳴戸の磯につき給う。浜の人々ひき上げて、見れば貴っとき姫君の、桑の梢を手に持ちて、扶榕(ふよう)の顔(かんばせ)、気高きに、ただ人ならぬ御人と、何故流れ給うぞや、国は何処と尋ぬれば、恥しながら自(みずか)らは、さいしょう国の主にて、父はせんしんじょうをうと、継母のねたみの恐ろしや、かかる難儀の悲しさよ。語り給えば浜人の、我々御共申さんと、さいしょう国へと送りける。それを継母が見しよりも、乾(いぬい)の御殿の広庭に、七尺深く埋めしぞ。その時庭ごと申すなり。いん七日のそのうちに、蚕の虫と現れて、日(ひ)の本(もと)さして天下る。豊浦港につき給う。これこそ蚕の本地なり。南無あむだぶつ、阿弥陀仏。

 

今野圓輔 『馬娘婚姻譚(ばろうこんいんたん)』

P.172 口承文芸と祭文 蚕影山縁起より

 

 

 

 

「ふるやのもり」を語る時。

「ふるやのもり」を語る時は、まず、聴き手に暗闇を想像してもらう必要がある。
 

「はるか遠い昔、電気がない頃の明かりは何でしょう?」と問いかけると、「火!」や「ろうそく!」という答えが返ってくる。

 

そして、囲炉裏を登場させるのだ。

薄暗い灯火や雨音が、家に忍びよる者たちの気配を消してくれる。



 

当時は人と馬が同じ屋根の下で暮らす。

仔馬を狙って厩に潜む泥棒と狼は、囲炉裏を囲む老夫婦の会話を盗み聞きしている。

 

「おまえがこの世でいちばん怖いものはなんだ?」という爺さんの問いに、婆さんが「ふるやのもり」だと答えると、爺さんが大いに頷く。

「そうじゃなぁ。この世でいちばん怖いのは、ふるやのもりじゃなぁ!」

 

すると、泥棒と狼は、「この世でいちばん恐ろしい、ふるやのもりとは、いったいどんな化け物だろう」と肝が震えるほど怖くなり、身体を縮めている。

 

次第に雨が強まると、「そら! ふるやのもりが出た!」と老夫婦が叫ぶ。

それに肝をつぶした彼らは、「きゃあ、ふるやのもりが出た!」とパニックに陥り、恐怖にかられて逃げ出すのだ。




「ふるやのもり」は、怪談に通じている。

そして、夜を徹して語られる怪談の起源は、この世のものではない者たちへの語り聞かせであったらしい。

「世の中にはもっと恐ろしいモノがいる」と知らしめることで、家に近づく怪しきモノを祓う呪詞となり、「ふるやのもり」はその名残をとどめている。

折口信夫は、夜、怖い話をすることで家に近づいてくる怪しきモノに対して恣意行動をしているものととらえ、<御伽衆>の役割との関連を説いている。


昔話・伝説を知る事典 P. 209「古屋の漏」より抜粋

 

 

 

闇も静けさも怪しきモノも感じられなくなった今、「ふるやのもり」の本質も消えてゆきそうだが、思い描くイメージが聴き手に届く時、想像力はそれを補えるのかもしれない。

 

昔話は非日常世界への没入体験なので、今はなき囲炉裏を再現できる。

現代では、ろうそくの火でさえ珍しがられるが、しかし、私たちは火明かりを通して、物語を伝搬してきたともいえる。囲炉裏の歴史は古く、口承文学の起源の場でもある。家族で火を囲み語らうことが幸せであった時代のほうが、はるかに長い。

最も古い歴史を持つ暖房は「囲炉裏(いろり)」です。竪穴住居(約16,000年前)の時代から家の中に作られ、食物の煮炊きや夜間の照明を兼ねつつ中を暖めてきました。

 

 

囲炉裏の火、馬や狼、そして原始的な恐怖、それらの古くから紡がれてきた物語や風習が、現世では途絶えてしまっている。

それを少しでも取り戻したいと思う。

 

最近は、古い昔話にかなり肩入れしてしまい、自分ごとを語る言葉よりも、聞いてもらいたい昔語りが増えてきた。 年のせいかしらね。

現世との別れの準備かもしれないが、私の人生はまだしばらく続くのだろうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突然こみあげてくる幸せの正体はなんだろう?

部屋にふきこむ風が花の香りを運んでくる。
この懐かしさは何だろうと思う間もなく、子どもの頃に過ごした庭のなかにいる。
その植物をいずれ住む場所に植えれば、私は安らぎを維持できるのかもしれない。


朝食のホットケーキを手でちぎって頬ばれば甘い卵の香り。
初めて家に電子レンジが届いた日に、スーツ姿の男性が焼いてくれた、黄色いふわふわの卵ケーキの驚きと歓声。
何度だって、あの時の小さな感動はよみがえる。


ならば、さきほど100円ショップで感じたのは何だったのだろう。
引っ越してきた当時の記憶だろうか?
必要な生活雑貨を買い求めながら、誰かへの愛おしさが募ってゆく多幸感は未来への期待?
ああきっとそうだな。
やがて生まれる赤ちゃんと暮らす日々を、心に描いていたんだろうなぁ。
18年が経過しても、意識の底にある不思議さよ。



しばらく続いた風邪がようやく治りかけて、ぼんやりふらふらと出歩いている。
しかし、身体は不調でも、心が上を向き始めたようだ。

言葉で表さなければ明日には忘れてしまうような小さな幸せを、今日の糧として記録する。

言葉の力で、私を満たしてくれるものを探すのだ。

 

気分のよい朝。非日常を楽しむ休日。

喉が枯れ、そのうえ調子っぱずれな自分の歌にうんざりして、ネットで曲を探したら、懐かしい作品に再会。

 

料理は最強の武器だね。

「めっちゃ、いいにおいするね」と昼寝から覚めた息子。
今日は、チャーシューとカレーを同時に煮込んでいるため、それらが混ざり合ったスパイシーな肉を連想させるのだ。

美味しい匂いは、浪人生の息子の心もほぐす。
料理は最強の武器だね。
不機嫌が、期待や充実感に変わってゆく。
健康で食欲があり、かつ私の気力体力が満ちている今この時こそ。
幸せは突然やってくる。


10年前はこうはいかなかった。
ここ最近は体調が悪く、ほとんど寝ていた。
だから、今日みたいな気分のよい日の出来事を、よ〜く覚えておくのだ。
私はお婆さんになり、今日の日の幸せを何度も思い返すだろう。

山姥(やまんば)に出会う。

昔話の起源を探るうち、様々な昔話が同根であることを知る。
時代をさかのぼり、生物進化の系統樹のように末端の枝葉から太い根幹へと降りてゆくと、そこに視えるのは、我々の祖先が崇めた自然や古い神々だ。

私はようやく山姥に近づいた。

 

そう。時には、「三十郎、牛よこせえ!」と恐ろしい声で叫びながら、髪ふり乱して追いかけてくる、あの「やまんば」のことね。

 

 

 

柳田國男が宮崎県椎葉村で採録した「後狩詞記(のちのかりことばのき)」の付録「狩之巻」は、マタギが肌身離さず持ち歩いた秘伝書で、その中に、山の神のお産を助ける話が登場する。

 

西山小猟師(にしやまこりゅうし)は、小摩(しょうま)の猟師とも言い、大摩の猟師と共に狩に出かける。

2人とも、山中で山の神が出産している場面に遭遇するが、大摩は産の穢れを嫌い助けず通り過ぎる。しかし、小摩は粢(しとぎ)とヨイノシタタメ(一夜造りの酒)を山の神に食べさせ、火を焚いて体を温めさせ介抱する。
山の神は小摩に御礼として獲物を数多く授けることを約束し、小摩は以後、多くの獲物を獲得する。
山の神信仰の系譜(永松 敦) P.212

 

 

 

吉田敦彦氏の『縄文の神話』にも、同様の狩人の起源譚が登場する。
猟に出かけた大山祇命(オオヤマツミノミコト)の兄弟が、お産で苦しむ山姥に出会う。二人の弟は山姥を助けず通りすぎるが、大山祇命はハヤゴや蕗の葉に水を汲んで山姥に与える。山姥は元気を取り戻して78,000人の子どもを出産し、大山祇命は千頭の鹿がいる猟場を教えてもらい、それらが視える特殊な能力を授かるのだ。

 

 

 

狩猟習俗は、神話成立と前後する時代までさかのぼることができ、そこで交わされる言葉や空気を感じたければ、現代の常識を捨てる必要がある。

手当たり次第に集めた資料を、なおも興味がつきずに二度三度と読み返して、ようやくとっかかりを掴む。

多くの思い込み(既成概念)の壁を壊してゆくと、いつの間にか恐ろしい山姥が消えている。

 

 

長野県飯田市上村程野の伝説では、猟に出た山神の兄弟がお産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、7万8000の子を産み、彼に猟運を授けた。 

 

山の中で出産に苦しむ山神や山姥、女に出会い、それを助けた人間が福をもたらされるという伝承は全国各地にいろいろな形で伝えられるが、同様に、女神たる山神も、多産、また難産であることが知られている。 

 

長野県飯田市上村下栗では、一度に75人の子を産むという山神や、徳島県では一度男の肌に触れただけで8万近くの子を妊娠した山神などがいる。宮崎県の1,200人の子を出産する山の女神また徳島や高知の昔話によると、山神の妻になった乙姫は一度に404人あるいは9万9000もの子を産んだと伝えられている。

 

このように、非常に妊娠しやすいという特徴、異常な多産と難産であるという資質は、元来、山の神の性格であり、山姥が、山岳信仰における神霊にその起源を持つことを示している。

 

 

 

はるか古代の山の神は、多くの命を生み育む豊穣の女神だ。
山中の者が道徳を持って接すれば、猟運(山の幸)を授かり、その逆であれば災厄を被る。

やがて、女神にかわって大山祇神(オオヤマツミノミノカミ)が山の神となるが、男神であれば、ひとりで命を生み出すことができない。
そこで、龍王の娘(乙姫)を娶り、海辺もしくは山中で多くの神々を産む。

異類婚姻譚の始まりかもしれないね。


神は時代を経て性格を一転させることが多く、女神は山姥へ変化してゆく。

豊穣神の名残として、「天道さんの金の鎖」では山姥の死体から作物が生じる。

死と再生をつかさどるため、「三枚のお札」や「牛方山姥」のように人間や動物を喰らう。

 

 

 

 

 

私をここまでいざなってくれたのは、「山の神と乙姫さん」だ。

いざなぎ流をはじめ、狩猟伝承や日向神話や縄文神話など、私を深く闇い場所へ沈めてくれるすごい昔話なんだよ。

 

 

大きな視野で小さなことを積み重ねる

今、J-WAVEで、内田也哉子さんが、谷川俊太郎さんと交わした言葉について、語っている。

 

善いことをしよう。

それはどうしたらいい?

大きな視野で小さなことをするんだよ。

 

 

課題は大きな視野を持つこと。

どんな小さなことでも、その先を見据えて選択し動く。

各々の目指すものが違っても、大きな視点で捉えれば目的地は同じ場所にある。

大きな視野で小さなことを積み重ねる。

些細な違いは気にならなくなる。

自由であり、相手にも自由を与えることができる。

「我良し」から脱却すべき時代だね。

我も彼も、ということだ。

 

 

斉藤洋さんの『アーサー王の世界』

毎日やることが多くて。

溜息をつきながら本を開くと、それが面白くて数分後には浄化されている。
最近は、斉藤洋さんの『アーサー王の世界』シリーズが手元にあり、ある瞬間からそれが輝きを放ち始めた。私は本に救われている。

 

 


巨人との戦いは、言葉少なにスピード感をもって驚きの展開が描かれる。光景が理解に追いつかず、混乱と緊迫感を抱く。見事だ。
3巻の最後で、アーサー王は湖の姫に勇気と徳を認められ、エクスカリバー(水界からの贈り物。魔法アイテムだね)を手にいれる。


そこで、アーサー王は、大魔法師マーリンに問う。
「徳どころか、勇気さえもしめすことができなかったのに、なぜ?」


対してマーリンは「その徳は、命懸けで守った従卒によって示されたのです」と応じる。
従卒によって、アーサー王の徳が認められたというわけだ。



「他人は自分を映す鏡」という言葉には様々な解釈があるが、「類は友を呼ぶ」という視点で捉えれば、この場合は、従卒がアーサー王の徳を映す鏡となった。

 

ところで、自分の周囲は同じ価値観を持つ人が集まりやすく、それは意識的に自分が人を選んで親交を深めてきた結果といえる。
他人の言動や行動に感じる好悪によって、自分の価値観は日々更新されてゆくが、それこそが、他人を鏡として自分を観察する、静かな内省的成長を促す方法の一つだ。
他人に流されているうちは掴めず、他人を拒んでいても到達できない。しかし、それは、救済への脱出口でもあり、それに気づくか否かで、快不快や幸不幸がわかれてゆく。幸せは日々の戦いや抗いで得られることもある。


言いかえれば、自分が自分の世界を作っている。相手に自分を視つつ、大事な人であれば、善いほうを目指して励ましあいながら、共に生きる。
善く生きることには、重要な意味がある。
誰も視ていないけれど、自分が一番に視て聞いているからね。

 

その善し悪しを判断し、そこに満足できていなければ、まず自分を変える必要がある。それが、自分のために生きるということだね。

 

 

 

 

 

最近、スコーンの原型がバノックであると知った。

最近、スコーンの原型がバノックであると知った。
バノックといえば、「赤鬼エティン」で、母親が旅立つ息子に「祝福をつけた半分と、呪いをつけた丸ごとのどちらがいいか?」と問うて与えるパンだ。


バノック(英: Bannock)は、多種多様にある大きく平らな無発酵の速成パン。
ゲール語で軽食を意味する「bannach」に由来するらしい。

 

 

米が儀式に用いられてきたように、バノックもまた様々な祭りで食された。
はるか昔より祖先が命を繋いできた神聖なるもの。
それなくしては、旅立つこともできぬ。
飽食の時代にあっては、想像すらできないね。

 

歴史的にはゲール人(Gaels)は、春(2月1日)に聖ブリギッドのバノック、夏(5月1日)にベルテーン(Béaltaine)のバノック、秋の収穫(8月1日)にルーナサ(Lughnasadh)かラマス(Lammas)のバノック、冬(10月の終わり)にサウィン(Samhain)のバノックといった季節の変わり目を祭る儀式で、特製のバノックを用いた。

 

 

 
 
「Hogmaney bannock(年越しのバノック)」は、儀式の要素がより強く、子どもたち一人一人に与えられたバノックの焼き上がりによっては、その破損状態が当人の病気や死の予兆を示したらしい。

今から50~60年ほど前、パトリックの父の家では次のような習慣があった。ホグマネイの夜、子供たちは寝る前に全員体を洗った。バノックを子供たち一人一人に焼いた。エンバクの端は丸く裂かれ、中央には穴が開いていて、キャラウェイシードで味付けされていた。このバノックが焼成中に割れてしまわないように細心の注意が払われた。このようなことは、バノックが割れた子供にとって非常に不吉な前兆と見なされたからである。これはその年の病気や死を意味する。

 

 

 

そのホグマネイ(大晦日)の台所の様子。

 

 

様々なバノックの種類。

 

 

そして、現代に再現される古代のバノック。

 

 

 

ああ、そうそう。

スコーンについてはこちらから。

バノックを想いつつ、スコーンをいただこうかな。

 

 

 

シッティング・ブルも、河合隼雄さんも、同じようなことを言っている。

ある国や文化に特化した本を読むと、言葉と共に風習や精神がどっと心身になだれこむ。内側から思考が塗りかえられてゆく感覚。

一話ずつおはなしを読んだり聞いたりするよりも、確実に本質にたどり着けるような気がする。

 

 

異国のおはなしの理解に近道はなく、それを取り囲み醸成していった空気を肌に感じるほど沢山の言葉を浴びなければ、おそらく不可能だ。

そういう意味で、日本人がヨーロッパのおはなしを語るというのは難しいし、その反対も不可能なのだと、最近は考えるようになった。

 

 

ところで、スー族の聖人、シッティング・ブルが、河合隼雄さんのチャイルドネス(子ども性)に通じるメッセージを残している。

 

子どもは_____

赤いのも、白いのも、黒いのも、黄色いのも

みんな無垢であるという点では同じだ。

大人たちが心の中に子供を

ずっと入れておくことができれば、

万事うまく行くのだ。

 

『アメリカ先住民の神話伝説』P.327より

 

 

 

 

 

 

臨床心理学者の河合氏は、昔話を聞いて育ち、研究者であり語り手でもあった。
著書「声の力」では、「大工と鬼六」について語っている。

 

仲違いをした人の間にカウンセラーとして立つ時、何度橋をかけても壊れてしまう。
それはまるで「大工と鬼六」に登場する大工のよう。
だから、鬼にまかせる。
じっと、鬼の登場を待つ。
争う二人のチャイルドネス(子ども性)を信じて、橋がかかるのを待つのだそうだ。

 

続きは下記で。

 

 

 

大人たちが心の中に子供を

ずっと入れておくことができれば、

万事うまく行くのだ。

 

その子どもの部分が大人の自分を支えているのかもしれないし、大人の自分に虐げられ、消滅させられている場合もあるかもしれない。

 

どこまで自分のチャイルドネス(子ども性)を維持できるか、それが、人類の精神的な進化へ通じているのかもしれないし、そうであるように願う。

 

おはなしの魅力に気づかなければ、私もまた自分の子ども性を殺していたはずだ。だからこそ、忙しいのだけれども、語り続けてゆきたい。どんなに殺伐としても、本を開くと解放されるのだから。