山姥(やまんば)に出会う。 | 働くママ(SOHO編)

山姥(やまんば)に出会う。

昔話の起源を探るうち、様々な昔話が同根であることを知る。
時代をさかのぼり、生物進化の系統樹のように末端の枝葉から太い根幹へと降りてゆくと、そこに視えるのは、我々の祖先が崇めた自然や古い神々だ。

私はようやく山姥に近づいた。

 

そう。時には、「三十郎、牛よこせえ!」と恐ろしい声で叫びながら、髪ふり乱して追いかけてくる、あの「やまんば」のことね。

 

 

 

柳田國男が宮崎県椎葉村で採録した「後狩詞記(のちのかりことばのき)」の付録「狩之巻」は、マタギが肌身離さず持ち歩いた秘伝書で、その中に、山の神のお産を助ける話が登場する。

 

西山小猟師(にしやまこりゅうし)は、小摩(しょうま)の猟師とも言い、大摩の猟師と共に狩に出かける。

2人とも、山中で山の神が出産している場面に遭遇するが、大摩は産の穢れを嫌い助けず通り過ぎる。しかし、小摩は粢(しとぎ)とヨイノシタタメ(一夜造りの酒)を山の神に食べさせ、火を焚いて体を温めさせ介抱する。
山の神は小摩に御礼として獲物を数多く授けることを約束し、小摩は以後、多くの獲物を獲得する。
山の神信仰の系譜(永松 敦) P.212

 

 

 

吉田敦彦氏の『縄文の神話』にも、同様の狩人の起源譚が登場する。
猟に出かけた大山祇命(オオヤマツミノミコト)の兄弟が、お産で苦しむ山姥に出会う。二人の弟は山姥を助けず通りすぎるが、大山祇命はハヤゴや蕗の葉に水を汲んで山姥に与える。山姥は元気を取り戻して78,000人の子どもを出産し、大山祇命は千頭の鹿がいる猟場を教えてもらい、それらが視える特殊な能力を授かるのだ。

 

 

 

狩猟習俗は、神話成立と前後する時代までさかのぼることができ、そこで交わされる言葉や空気を感じたければ、現代の常識を捨てる必要がある。

手当たり次第に集めた資料を、なおも興味がつきずに二度三度と読み返して、ようやくとっかかりを掴む。

多くの思い込み(既成概念)の壁を壊してゆくと、いつの間にか恐ろしい山姥が消えている。

 

 

長野県飯田市上村程野の伝説では、猟に出た山神の兄弟がお産に苦しむ山姥に出会うが、長兄オホヤマツミノミコトがこれを助け、7万8000の子を産み、彼に猟運を授けた。 

 

山の中で出産に苦しむ山神や山姥、女に出会い、それを助けた人間が福をもたらされるという伝承は全国各地にいろいろな形で伝えられるが、同様に、女神たる山神も、多産、また難産であることが知られている。 

 

長野県飯田市上村下栗では、一度に75人の子を産むという山神や、徳島県では一度男の肌に触れただけで8万近くの子を妊娠した山神などがいる。宮崎県の1,200人の子を出産する山の女神また徳島や高知の昔話によると、山神の妻になった乙姫は一度に404人あるいは9万9000もの子を産んだと伝えられている。

 

このように、非常に妊娠しやすいという特徴、異常な多産と難産であるという資質は、元来、山の神の性格であり、山姥が、山岳信仰における神霊にその起源を持つことを示している。

 

 

 

はるか古代の山の神は、多くの命を生み育む豊穣の女神だ。
山中の者が道徳を持って接すれば、猟運(山の幸)を授かり、その逆であれば災厄を被る。

やがて、女神にかわって大山祇神(オオヤマツミノミノカミ)が山の神となるが、男神であれば、ひとりで命を生み出すことができない。
そこで、龍王の娘(乙姫)を娶り、海辺もしくは山中で多くの神々を産む。

異類婚姻譚の始まりかもしれないね。


神は時代を経て性格を一転させることが多く、女神は山姥へ変化してゆく。

豊穣神の名残として、「天道さんの金の鎖」では山姥の死体から作物が生じる。

死と再生をつかさどるため、「三枚のお札」や「牛方山姥」のように人間や動物を喰らう。

 

 

 

 

 

私をここまでいざなってくれたのは、「山の神と乙姫さん」だ。

いざなぎ流をはじめ、狩猟伝承や日向神話や縄文神話など、私を深く闇い場所へ沈めてくれるすごい昔話なんだよ。