風の神と子どもたち―古志郡二十村郷昔話集 (1980年)
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「鶯の内裏」は、日本の民話の類型「見るなの座敷」に含まれる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/見るなの座敷
「見るな」とされた禁域は、神の領域だ。
「風の神と子どもたち : 古志郡二十村郷昔話集 第1集」の序文に、「山の神の座があり、ウグイスは山の神の使者」とある。
「見るなの座敷」系統の話には、山中深く「ウグイスノカクレ里」(ウグイス浄土)という異郷があると信じた古い幻がある、そういう古人の異郷信仰をのせ、そこには、山の神の座があり、ウグイスは山の神の使者であるという民間信仰をひそませている。
新潟の「鶯女房」では、「あの十二月の座敷は、山の神の休みどこであったがんだ。」と明かす。
山中で木挽はきれいな姉さに出会い、こわれて聟になる。姉さの家で楽しく暮らし、子もできる。ある日、留守居を頼まれ、十二の座敷のうち、十二月の座敷だけは見てくれるなと頼まれるが、覗いてしまう。
中には鉄びんのお湯がチンチンとわいていて、うまそうな御馳走が、たくさん並べてありました。あまり、うまそうな御馳走でしたので、木挽は、みんな食べて、知らん顔をして留守をしていました。やがて、姉さが、泣き泣き帰ってきました。
「おらが見てくれんなと、あんげに頼んで行ったがんに、どうして十二月の座敷を覗いたがんだい。お前があの座敷を覗かんければ、おらたちは、いつまでも年をとらずに、仕事もしないで、うまいもん食って、楽しく暮らしていがれたがんに。もう、おらたちは、二人で一しょに暮らすことも出来んければ、この家にいる事も出来ん。あの十二月の座敷は、山の神の休みどこであったがんだ。そいじゃ、これで、お前ともお別れだ。それから、この鏡を見たがいい。」
と言って、鏡を木挽の前に出しました。そうして、姉さは、たちまち一羽の鶯になって、子供を、その尻尾にぶらさげて、どこかへ飛び立ってしまいました。
鏡にうつった木挽の姿は、もう、もとの若者でなく、腰のまがった白髪爺さになっていました。そうして、気がつきましたら、斧と鋸を持ってもとの山小屋の中に坐っていました。
(資料=水沢謙一編「越後の民話集」他)
経済人 1959.11 関西経済連合會刊
異郷は不老不死の世界で、時の流れかたが違う。
生老病死で終わる現世にあっては、幸福なひとときがあっという間に過ぎ去り、栄枯盛衰諸行無常を身をもって苦く知る。
かつては、年神様を山から迎えて年齢を足して正月を庶民の誕生日としたから、年神様に会わなければ、異郷では永遠に年を取ることなく、その幸福をとどめておけたのだ。
お前があの座敷を覗かんければ、
おらたちは、いつまでも年をとらずに、
仕事もしないで、うまいもん食って、
楽しく暮らしていがれたがんに。
時をとどめておけさえすれば、この至福が続くのに。
と、私もよく考える。
山の神の使者たる鶯は、春告鳥(はるつげどり)とも呼ばれ、「ホーホケキョ」と新年を告げる。
幼い聴き手は、番頭と共に豊かな十二月に魅せられて、新年に期待を膨らませるだ。
座敷をみな見たらそのときな、ホーホケキョと啼(な)いたから番頭な、びっくりして周囲(あたり)を見たら、何んにも無くて、もとの野原であったけど。
これは鶯の内裏というところで、容易(ようい)に人の行かれないところだけど。
どんぺからっこねっけど。
「鶯の内裏」は、1935年に山形県で採話された昔話で、それがなぜ「うぐいすの里」に改題されたのか不思議だが、この世は変化するのだから仕方ないか。
五来重氏の著作に、昔話は地方に残るのみと書かれていたが、現代ではそれも失われつつあるのだと思う。
今日語った「鶯の内裏」を自分の経験と重ねて楽しめる年代は、おそらく私より上の世代で最後だろうから、この昔話もあとわずかの命だろう。
夏の夕暮れに、遠くから聞こえる太鼓の音。
友人に連れられて、初めて見た獅子舞。
花見がてら、偶然出会った花御堂や甘茶の味。
盆棚の四隅にたてられた笹の結界に驚いたことや、昨年食べたゆで栗の味を思い出したり。
子どもの頃、風に飛んでゆく庭の枯れ葉に魅入ったり、冬に大人たちが交わす「毎日毎日、雪ばりふって…」という声が耳元によみがえる。
そういう体験を私の息子はしていないしね。
でも、だからこそ、目を見開いて集中する人、反対に目をぎゅっとつぶって何かを思い出そうとする人、遠い記憶を辿る人、取り戻そうとしている人がいてくれて良かった。
これはそのために語ったのだから。
この昔話が生きるのは、そういう聴き手が存在している間のみで、もうすぐ消えゆく。
方言で語る昔話は、言葉よりも音の響きを伝える。
それが馴染みのない方言であっても、教科書にある標準語よりは人の気持ちを乗せやすいから、自分を育ててくれた言葉の響きを思い出すヒントになるかもしれない。
私は「鶯の内裏」を覚えながら、わずかながらも思い出した言葉と記憶を愛おしみ、懐かしさと共になくした宝を取り戻したような気がした。
そこから記憶を広げれば、私はいつだって、自分を物語ることができる。
まさしくそれは宝だ。
先日、「鶯の内裏」を親しい人に聴いてもらい、とてつもなく幸せな気持ちが就寝するまで続いた。
それは、おはなしが喜んでいる感覚で、私は出産を無事に終えた満足感。
十月の座敷は、遠い山々は白い頭巾をかぶり、庭の木の葉はひらひらひらーと風に吹っ飛ばされている。二月に山神さまは里へおりてきて様々な豊穣の恵みをもたらし、十月に山へ戻ってゆく。村人は新米で作った餅でお腹がいっぱいだ。
十一月の座敷は、えびす講。鮭の魚はうんと採れて、お振舞いをするのだ。
十二月の座敷は、正月の支度で大人たちは忙しく、子ども達はみんな邪魔にされて、部屋のこたつで昔語りして遊んでいる。
番頭が十二座敷を見終えたとたん…
「ホーホケキョ」と鶯が鳴く。
そして、新しい年が明ける。
めでたきことの初めとして、正月に集う語り婆さと、婆さに手をひかれて集う幼き子どもたちは、1年の始まりを予祝の昔話を聞きながら過ごしたのだろう。
九月の座敷までブログに書いてきたが、もう明日が発表の日なので、とりあえずここで終了。
琴と尺八と昔話のおはなし会です。
https://hasudaohanashinokai.jimdofree.com/
以前、「知る」ということは、対象物の各々の違いを「区別」できることだと読んだことがある。
例えば、花にも様々な特徴と名称があるが、その名前と特徴を認識できれば、「私が知る花」となる。
そして、その「知る」の向こうに更に道が続く。
「ゴールデンカムイ 絵から学ぶアイヌ文化」を読み終えた後、興味を持って「知る」ことは、その対象物に「畏敬の念を抱く」ことなのだと気づいた。
アニメやコミックでも気づかなかった知識を得て、再び、ようやく物語の隅々まで楽しむことができた。そのリアリティの追求こそが、「ゴールデンカムイ」を特別な作品にしたのだ。
厳しい自然と共に生きてきた人たちの信仰や風習は、現代人を圧倒させる。
その生きる力の強さに、思いを馳せる。
偶然にも文字や絵で残されたアイヌの記録がこの物語の細部を構成しているが、作者が「描かされている」と感じるように、別の力が采配したと思うのも楽しい。
「偶然」もまた、人の力で采配できぬカムイの要素を持つね。
つまり、私はアイヌを少し知り、そして、もっと知りたくなって、今、畏敬の念に打たれている。
深い敬意と畏怖をもっと感じたい。
アイヌの民話を再読しようと思う。
おそらく、何度出会っても、完璧に知ることはないはずだ。
浅く広く、そして深く広く掘った穴が繋がってゆき、自分を再構築してゆく。
さて、「六つ首の化け物」は、「猿蟹合戦」に似ているよ。
息子が幼い頃に、揚げたてのカレーパンに出会った。
熱々で、サクサクで、これ以上ない完璧なカレーパンだ。
やわらかく膨らんでいる頃合いをねらって、通い始めた。
私が鬱っぽかった頃、今度は揚げたてのあんドーナツに出会った。
陳列前の店の奥で冷ましているものをいただいたら、口中に広がるふわふわの食感と温かな餡のとりこになった。
息子のために買っておいたものさえ食べてしまうから、あらかじめ多く買うようになった。
何度食べても、優しい甘さのこし餡の旨味となめらかさに感動した。
こんなに美味しいパンを作る人はどんな人だろうと感謝した。
そして、最近も焼きたてのレーズンパンのぷるぷるふわふわで雪崩のようにレーズンが入っている様子に驚いて、二人で美味しいね!すごいね!と歓声をあげたのだ。こんな体験は初めて。こんなパン初めて。
そして、今月で閉店のお知らせを見て呆然と立ち尽くす。
帰宅して食べた低糖あんぱんの、まだ温もってツヤツヤでふんわりとしているそれにかぶりついたら、もう本当にこれまた美味しい餡で、いくら食べてもあきなくて、もっと早く出会いたかったと、切なく美味しくいただいた。
どんなパン屋さんよりも、ボナペティの焼きたてのパンが大好き。
サンドイッチのパンの美味しさも、最近知ったばかりだったのに。
悲しい。
というか、前から気づいてたんだけど、現代の語り手の欠点は、音読のクセにある。
普段の会話では絶対にしないアクセントが、「おはなし」には頻繁に登場する。
先ほども、とある音読動画を聴きながら、「おはなし」の結びの言葉、「〜、それからというもの」に違和感を持ち、調べてみたのだ。
言葉を目で追えば、後半の「いうもの」を強く発声しがちだが、それはあまりに不自然だ。
音読ならば聞き流せるが、「おはなし」では一気に興醒めする。なぜならば、「おはなし」は会話に近いのだから。
「おはなし」を一生懸命暗記し、澱みなく暗唱できるようになって、1年後ぐらいにようやく本来のアクセントに気づくことがある。
「おはなし」、つまりその物語を自分の言葉で伝えるということは、それほどに困難でそして面白いのだ。
誰かに聞いてもらうことが大事だが、それ以上に重要なのは、音読のクセを指摘してくれる仲間かもしれないね。
そして、「おはなし」の「一言一句」を正確に伝えることよりも、相手に通じる言葉や届けるようとする情熱を大事にしたい。
到達地は、流暢な暗唱の先にこそあるのだと思う。
だから、寝かせる、つまり時間をかけて熟成させ、覚えた「おはなし」を自分の体温を宿した言葉に変えてゆくのだ。
伝承の語り手は、耳で覚えた昔話を語り継いだので、普段使いの言葉、つまり日常会話で楽しんだはず。
しかし、現代の語り手は本を片手に、音読から始めるので、自分の音読のクセには注意すべきだ。
ただ、一度でも、自分の音読のクセに気づけば、おそらく不要になるはずだ。
昔話の定義の一つに、「昔話は中身を抜いて語る」というものがある。
例えば、「馬方やまんば」で、やまんばに足を食われた馬が、三本足で逃げてゆくように。
もしくは、「しりなりべら」のしゃもじのごとく、昔話に登場する道具は本来の役目を果たさないのだ。
ならば、糞(うんこ)を食べるおはなしだって、それと同じこと。
「中身を抜いて語られる」から、なお面白いのだ。
京極夏彦氏は、小学生の頃から松谷みよ子さんの日本昔話シリーズに始まり、日本昔話大成を読まれていたらしい。
「型が決まってなくて、土地との結びつきもある程度あるけど、妙に面白い話」の民話にはまったと、「ひどい民話を語る会」に書かれている。
嬉しいことに、「竹伐爺」に続く「屁こき爺(鳥呑爺)」の話題が多い。
柳田国男氏も興味を持ったほどに、日本全土に古くから伝わる昔話だ。
その鳴き声(屁の音)は、語り手から生まれる。
その源泉は、語り手の真意にある。
面白がらせよう、楽しませようという、囲炉裏端の過剰サービス。
そして、それは、昔話の型を大きくはみだして、多くの聴き手を楽しませたはず。
その結果、「屁こき爺(鳥呑爺)」を現代まで生きながらえさせたのだ。
さて、これらの一見ひどい民話は、「面白く語ろうとしたから、面白いんです」とある。
つまり、語り手ならば、誰もが面白く語ろうと思って当然で、簡単ではないけれど、目指すところはそこにある。
笑いが源点だ。
本来、民の間での「おはなし」は、神妙に聴かせるものではないということを忘れずにいたい。
民話とそれに続く昔話、そして「おはなし」は、さほど高貴なものじゃない。
さて、私が興味を持ったのは、「林檎の怪」。
ある晩のこと、この爺の家に妙な者がやって来たかと思うと、言うに事欠いて「糞ご馳走してけれ」と乞いました。あまりにも不思議な頼みだったため爺も呆れてしまいましたが、それでも願い通りに糞を持ってきて出してやりました。
するとその者は「旨い、旨い」と喜んで、いかにも旨そうに糞を食べてしまいました。
そして帰り際には自分の尻からホヤホヤと温かい糞を掴み出すと「これを喰ってみろ」と言います。
柿男の尻をほじるのも、想像してはその甘さを思い出してしまうのだ。
食べたこともないのにね。
また宮城県栗原郡(現・栗原市)には「柿の精」と題し、以下のような民話がある。ある屋敷に仕える女が、庭に実る柿を見てなんとか食べたいと思っていたところ、夜中に真っ赤な顔の大男が現れ、尻をほじって嘗めろと言う。言われるままにその男の尻をほじって嘗めたところ、甘い柿の味がした。翌朝に柿の木を見ると、その実には抉り取った跡があったという[5]。佐々木喜善の著書『聴耳草紙』にも、「柿男」と題して同様の話がある。
鳥呑爺については、こちら。
出会う人には、「黄金千貫」を聴いていただいています。
ぜひ、お声がけください。
十二様という言葉やそれにまつわる風習がある。
山の神が、十二人の子(神)を産む昔話も多くある。
そして、「鶯の内裏」で繰り広げられる十二座敷は、山神様のお住まいでもある。
民話と文学 (23)
民話と文学の会 1992-03
真室川の昔話
山の神と太郎コ次郎コ 柿崎宥存
むかしあったけど。
あるどこさ、次郎コと太郎コていう狩人がいだっけど。んで、兄の太郎コの方、また甑(こしき)山の方で、弟の次郎コの方また薬師山の方で狩場もって、そこで冬になっど山に登って獣獲っていだけど。
ある大雪降った、吹雪の晩に、太郎コ、山小屋に入って火焚いていだでば、夜中、誰か来て、小屋の戸叩く音すっど。んで、太郎コまた、そっと戸開けて見だっでば、外さ一人の女(おなご)の人立ってだけど。その女の人の姿見だでば、何とボロボロという獣の皮どもつかね、木の皮どもつかねものを着て、見た目にはとってもおっかない女の人だけど。そしてその人が太郎コさ向かって言うには、
「この通りで、お腹大きくて、今にも産みそうになって、お腹が痛みだしてきたから、どうか一晩宿貸して下さい」
と頼むなだけど。
さあ、それ聞いだ太郎コは、
<こりゃ、狩人にお産でいうのは、これは不浄なことだ。これぁ大変だ>と思って、
「はあ、駄目だ、駄目だ、お産は一番嫌うんだから駄目だ、決して宿は貸さんない」
そこで、断ったけど。そうしたら、その女の人は困った風な、苦しそうな顔して、また吹雪の中を山の方さ消えて行ったけど。
そうしてしばらく経ったでば、こんどぁ、次郎コが、やはり山小屋で火焚いであたっていだでば、夜中、戸叩く音すんなだけど。んで、次郎コが出てみだでば、やっぱし女の人が立っていだっけど。見だでば、お腹大きくして、今にも産みそうな恰好して、着ているものったら、獣の皮どもつかない、木の皮どもつかない着物を着て、みすぼらしい恰好して、苦しそうな恰好して立っていだけど。
それを見た次郎コは、
<これは憐れなごんだなあ、むずさいごんだなぁ、狩人はお産は不浄ていうこと言うてるげんども、今この人の命を捨てさせるわけにはいかない。まして、お腹には子どもが入っているんだもの>と思って、
「よしよし、ええがら、ここでお産しろ」
て、家の中に入れて、そして山小屋の隅さ藁(わら)を敷いで、お産する場所を作ってやったけど。そしたら、その女の人ぁ、
「どうか外に出て行って、わたしからええて言うまでは絶対小屋の中を覗かねでください」で、こう言ったけど。それで次郎コは外に出て、吹雪の中を一晩中、外でいだけど。そうしたら、夜明け頃になって、中からオギァーオギァーで、子どもの元気な泣き声が聞こえできたと思うど、戸開けて、
「こんどぁ無事に生まっだから、どうか入ってけらっしゃい」と言うもんだから、次郎コが中にはいったど。そうしたら、丈夫な男の子が十二人生まっでいだけど。そして、次郎コに向かって、
「おかげさんで、宿借りてこの通り、十二人の丈夫な男の子を産んだ。ありがたいがった。実はおれは、この山に住む山の神だ。おかげさんで十二の月を守る十二人の山の神さまの子どもを産むことができたから、ありがたいがった。お礼にお前に山にいる獣を、たーんとたんと獲らせてやるようにするがら、この山のもの、たくさん獲ってくれ。それでも子連れの獣だけは獲るなよ」
そう言い残して、山の中さ消えて行ったけど。
次郎コは不思議に思って、<これは不思議なごんだ。まず兄に行って話すんべ>と思って、どんどん雪の中を駈けて行って、兄の山小屋に行ったど。そして外から声かけだげれども、声一つしながったど。それで戸を開けて中を覗いてみたれば、何か藁っこのかげでカサカサ、カサカサ音立てるものあるど見だでば、ちっちゃなネズミコが一匹いだけど。
きっと情のない太郎コどこ、山の神さま、ネズミにしてしまったなべちゃなあ。
【1990.8 採話=武田正】
最近、「いしになった かりゅうど」を読んだが、前半は猟運を授かる狩人の話でもある。
世界の神話を読み続けて、いざ日本の記紀神話に挑めば、曖昧模糊たる内容で多様な解釈にも面食らう。
しかし、民俗学的なアプローチであれば、柳田國男や折口信夫が、片目の山の神や常世の国など、既に昔話に関連する様々な謎を解き明かしている。それらの豊富な成果を土台に、五来重がさらに鋭く追求している。
それらの知識は、語り手に力を授ける。
なぜなら、「鬼一口」を知れば、「牛方とやまんば」の中に新たな発見をするだろうし、「山の神」に連なる「山姥」を知れば、他のモチーフと代替不可な「山姥」が自分の中に息づくからだ。
鬼や山姥が実在したものとして語る、その自信が「おはなし」を輝かせる。
素話をする人の多くは、昔話の話型を学び、語り方の指導を受ける。
けれども、民俗学を外して昔話を分類解釈すれば、重要な要素や言葉が取りこぼされてゆく。
皮肉なことに、昔話の定義の理解が、その物語固有の理解を遠ざける。
もったいない。
細部にこそ、物語の深い理解への糸口があるというのに。
そして、目的と手段が入れ替わるという、本末転倒の事象も起こりうる。
語られるべき昔話と、そうでないものが生じるように。
存在意義のあった昔話が、現代の語り手のコンプライアンス(社会的規範や倫理観)で取捨選択されてゆく。
長い時を生きながらえてきた昔話にとっては、誠に不幸な時代だ。
かつての民話、つまり私たちの祖先の物語が消えてゆく。
しかし、口承昔話の終焉のこの時代に、失われた祖先の物語を取り戻そうとする流れもある。
小説「八咫烏シリーズ」には、山神と神使たる八咫烏や猿が登場する。
神と人との共存関係と、巫女から人身御供への継承経緯がとてもわかりやすく描かれていて驚く。
「ひどい民話を語る会」では、京極夏彦などの作家が現代では語りにくい民話を紹介しつつ、民間説話の本来の姿と語りの極意や魅力を教えてくれる。
それは、教育や啓蒙や教訓とは遠くかけはなれたところにある。
とても原始的な、もしくは根源的な、驚きや発見や笑いなどのエモーショナルな衝動と欲求であり、我々祖先が求め、そして享受継承してきたものだ。
「手無し娘」の類話は世界じゅうにあるが、そのモチーフ(話の最小要素)はその土地ごとに異なる。
グリムでは娘の信仰心が神の奇跡をよび、日本では滝や川などの水場の奇跡、つまり自然神の慈悲に救われる。
どちらも切られた手が再生するが、聴き手が受け取るものは大きく違うはずだ。読んでみて。
昔話の話型の知識や語りの修練もよいが、必須だろうか?
型を知って分析し体良く語る、どちらも形式的かつ表面的なものだ。
民間説話はそれらと縁遠いもののはず。
それは、心の内面にさざ波をたてる。
私は語ることの意義を知りたく、『昔話の魔力』に光明を見つけたが、それを超える愉しみを知ったとたんに、少し悲しく、そして寂しい心境にある。
自然や神々と共存してきた私たちの古い物語が、既に不要とされ消えてしまったと感じるからだ。
例えば、語ってみようと覚え始めた昔話を、もっと深く知りたいと思えば、用いられている言葉が手がかりとなる。
しかし、現在流通している本から、それらが消えているのだ。
「鶯の内裏」の場合、「内裏」「番楽舞」「ぼた餅」などが該当するが、ある本では題名が「うぐいすの里」になり、「番楽舞」が省略され、「ぼた餅」が「牡丹」に変えられている。方言による語尾も、適当な標準語に変えられ、表現が限定されている。
普段の生活でさほど重要視されなかった思想や習慣ほど、時代を経るほどに言葉の響きを残して意味を失ってゆくが、昔話も同様だ。
「鶯の内裏」を調べながら、そのことにようやく気づいたのだ。
そして、文献に残されなかったものが、口承昔話のなかで生き続けていることも知った。
土地に依存する集落で語られる口承昔話は、集団組織内の共通認識と暗黙の了解のなかで繰り返し語られる。
そのため、モチーフの意味するもの(象徴的意味や暗喩など)の説明は、昔話に一切登場しない。
記録された書承昔話から抜け落ちていったものを、他国の民族が同様に理解することは絶対に不可能だ。
だからこそ、せめて日本の昔話を理解したいと強く思う。
昔話は支離滅裂な物語ではなく、言葉の端々に私たちのルーツを隠している。
今まで気づかなかったことに気づいて、驚くのだ。
だから、今日はそれを吐き出した。
ほんとは昔話は面白いんだぞっ というはなし。