働くママ(SOHO編) -2ページ目

ツクツクボウシの秘密

昨日の夕方、秋の空に誘われて近くの公園へ。

風に吹かれながら、ツクツクボウシの合唱に聴き入ってしまった。

 

 

ただでさえリズミカルな鳴き声が、徐々にテンポを速めてゆく。

まるで、ドラムの高速連打のような高揚感でクライマックスを迎えると、突然メロディを変えたエンディングでフェードアウト。

個々の蝉がオーケストラのような演奏をしていることに驚いた。

仲間の声に自分の声を重ねて楽しんでいるかのよう。

そして、これは命の合唱だ。

 

前触れなく、しんと静まり返った数分間の休憩後、再び極上のコンサートが始まり、しばらく私は公園の思い出に浸った。息子も木々も大きく育ち、私や桜は年をとったが、10年前よりも楽しい。

感じることも多いし、発見もあるようだ。

 

 

ツクツクボウシの秘密を知る人は意外に多く、研究された方もいる。

やはり、ツクツクボウシは、合いの手をいれるらしい。

彼らも共鳴を楽しんでいるのかもしれないね。

 

 

 

 

 


小川洋子さんの『ことり』に出会ったおかげ。

 

 

 

「語りかけるおはなし」とは?

先日のおはなし会の後で、「語りかけるおはなしを試みた」と教えてくださった方がいた。
それはどのようなものだろう?

会話の延長か。
ならば、相手の理解を待って、次の言葉に繋ぐ「間」か。
筋書きに連なるイメージを、暗唱ではなく、自分の言葉で表現することか…
では、それはどういうことなのか?


などとメモしながら、たまたま読んでいた本にヒントを見つけた。
「起承転結の整った話をすらすらよどみなく語っても、聴いている人の食い付きがよくないことがある」
逆に、語り手が言葉につまると、聴き手は語り手の不安や緊張感を感じ取り、会場全体が静まりかえる。そして、聴き手は聞き耳をたてて、次の言葉をじっと待つ。

人が絶句する時ほど、聴き手の集中力が高まるのは、オリンピック選手がインタビューで、感極まって言葉につまる場面に似ている。試合直後の興奮や感情は言葉に変換しにくく、また私たちがそれに耳を澄ますのは、その言葉が生まれる瞬間に立ち会うリアリティー、もしくはそれへの期待だ。



語り手が言葉につまる時、聴き手は船頭を失った乗客のように心許ない。
しかし、語り手が迷子になったその時こそ、次に掴む言葉は会場全体の艫綱に変わる。
訥々とした語りに惹き込まれるのは、聴き手に先読みをさないせいでもある。

 

何が語られるのかわからない。
次に何が起きるのかわからない。


それこそが、聴き手を真の聴き手に変身させる重要なポイントだ。

なに? そのはなし?
って、思った瞬間に、自分はお婆さんの話をさらに注意深く聞こうと、前のめりになり、表情やしぐさで次の展開を促している。
本気で聞くって、そういうことだ。

 

 

「語りかけるおはなし」は、語り手と聴き手のアイコンタクトの繰り返しによって進んでゆく。
そこではおそらく、物語のイメージや解釈が語り手と聴き手の間を行きつ戻りつしている。そして、物語はゆっくりと現在進行形で流れてゆく。
そういえば、口承昔話は、聴き手の相槌で進んでゆく物語だ。

 

『日本昔話通観 第22巻 愛媛・高知』に、高知の昔話の相槌について書かれていて、納得すれば「ふーん」と返し、嘘だと思えば「とっぽーん」と返したらしい。

 

 

 

書承文学は、伝えたいことを文字で記す。著者の技術にもよるが、その多くは澱みなく読み手を結末へ導く。
だからこそ、語りが流暢であればあるほど、そして、感情をこめて熱演するほど、予定調和に陥いらないか?
受け取る情報量の多さに、聴き手が先読みをしてしまう。
すると、言葉は音楽のように耳のそばをただ流れ、心地よさに浸り目を瞑れば、そこは番狂せのない穏やかな空想の世界だ。
語り手の視線をシャットアウトすれば、更にライブ特有の臨場感が消えてゆく。
耳で楽しむ文学となりはてた時、目は不要となる。


あ、わかった。
聴き手に目を瞑らせたら、それは「語りかけるおはなし」ではなくなるんだ。



そこにはやはりアイコンタクトが必須だ。
なぜなら、語り手の技術と聴き手の聞き耳(おはなしを楽しむ技術)によって、予期せぬ相乗効果が生まれるからだ。
ほらほら、これぞ、一期一会の「語りかけるおはなし」だ。
その可能性にワクワクして、私はおはなしに耳を傾けていたんだ。
 

とはいえ、そう何度も聴き手として目をひんむくおはなしと語り手には出会えない。
しかし、確実に、忘れられない感激をこうして言葉に変えてきたのだから、それはあるんだ。

それを目指せば、どのおはなしも語り手も全て私にヒントをくれる。どの語りを選ぶかは自由であり、私は、私が好むおはなしと語りの道を目指す。

 

「私は神になりたい」グリム童話「漁師とおかみさん」のオチについて。

グリム童話「漁師とおかみさん」のオチについて、どう思います?


貧乏な漁師がヒラメを釣る。
そのヒラメが自分は魔法にかけられた王子だと口を利き、命乞いをする。
漁師はヒラメを逃してやるが、帰宅するなりおかみさんに「先に願い事を言わなかったのかい?」とあきれられる。

おかみさんは、小さな家を要求するように漁師に強要し、ヒラメはその願いを叶えてやる。
おかみさんは更に欲を出し、大きな石作りの城を要求し、次に王様や皇帝になりたいと言い出す。
ヒラメはその都度願いを叶えてやるが、しかし、「神様になりたい」とヒラメに伝えたとたん、元の貧乏な漁師小屋の夫婦に戻ってしまう。


私は、その最後のオチについて、神様=かみさま、つまりおかみさんという語呂合わせという解釈をしていた。
その場合は、ヒラメは最後までおかみさんの願いを叶えたことになる。
すると、強欲への教訓譚ではなくなり、どちらかといえば滑稽譚になる。


だが、『漁師とおかみさん』はグリム童話で、ドイツ語の原題は「Von dem Fischer und syner Fru」。
日本語のオチが無効となる。

 

"Na, was will sie denn?" sagte der Butt. "Ach," sagte er, "sie will werden wie der liebe Gott." - "Geh nur hin, sie sitzt schon wieder in der Fischerhütte."

 

 

上記を訳してみる。


「それで、彼女は何を望んでいるんだ?」ヒラメは言った。
「ああ、彼女は神のようになりたいんだ。」と彼(漁師)は言った。
「行け。彼女はもう漁師小屋に戻っている。」


神になりたい」ではなく、「神のようになりたい」と願ったことによる顛末だろうか。
その場合は、漁師が帰宅すると、強欲だったおかみさんが神さまのように穏やかに座っている… のか?
まぁ、神様の解釈は個々に違うが、ここでは漁師の夫が考えるような神さまだ。

 

 

とはいえ、矢崎源九郎さんは、「おかみさん」と「神様」をかけてるんだろうなとは思うんだ。青空文庫で読んでみて。

 

 

ドイツのwikiによれば、同時代の人々は、このおとぎ話をナポレオンとその親戚に対する風刺として理解していたらしい。

 

 

それから、「この物語の最後の行は、夫がもはや妻の支配下にあるか、あるいは妻が教訓を学んだかのどちらかであることを示している。」という解釈もあるので、まぁ私の解釈も当たらずといえども遠からず?

夫婦の地位は逆転し、後悔と悟りの境地にいる夫婦が見えてくる。

 

 

 

オチはともかく、もしも願いが叶うならば何を望むかと想像したら、おかみさんの欲望は最高に突き抜けていて面白い。

「私は神になりたい」と願う、ふてぶてしくも優雅なおかみさんの姿をモーリス・センダックが描いている。

蓮田市図書館にありますよ。

つねに人々のこころの深層にせまる表現をめざしてきたセンダックにとって、こうしたグリムとの出会いはほとんど宿命的なものだったにちがいありません。挿画はもちろん、装丁や造本の隅々にいたるまでこまかい神経のゆきとどいた、「センダックのグリム」とよばれるにふさわしい決定版が、こうして十年がかりで生まれました。(中略)

(訳者あとがきより)

 

 

ピーナッツを洗って食べる。

2年以上、減塩生活が続いている。
嗜好が変化し、スイカの白い部分が好物になり、調味しない切り干し大根の煮物を食べるようになった。


先日は、卵の白身に塩分を感じて驚いた。
ならば、醤油もいらないのではと思い、残った黄身をご飯にのせて、くずしながらいただく。
意外に美味しく食べられる。
ただ、ほんの1〜2滴たらせば、さらに極上。
一瞬、美食家を錯覚したが違う。私は犬猫並みの食塩感受性なのだ。


ケンタッキーの塩辛さに悲鳴をあげ、試供品のピーナッツを水洗いして食べる。

工夫すれば、捨てずにすむ。
だいぶ、柔軟に対応できている。
今日は肉をたくさん食べて、体から塩分を抜かないと。

 

 


汗をかいても血圧が下がらない。
私の場合は、食べて塩分を抜くほかない。
行動変容は最終ステージの「維持期」に入り、ひたすら血圧の正常化を望む。
そのほかにも利点があればよいのだけれど。
若返るとか。美しくなるとか。


 

方言の語り。2

語り手たちの会」初代理事長の櫻井美紀さん(故)が、「新たな語りの現状」と題して、現代の語り手たちについて書かれている。

 

伝承の語りが滅び、現代は書承の語り手が主流となる。
その問題点は、音の伝達だけであった口承文学が、文字をそのまま音声化した物語や昔話の伝達になっていることにある。
図書館主導型の語り活動においては特に、「文学体験としてのストーリーテリング」が重視され、テキストを一言一句違えずに語られる。なぜなら、その出典を明記しなくてはならないからだ。この場合、ストーリーテリングは、聞き手を読書へ誘う一手段となる。

それでは少し寂しいね。
しかし、その問題点を意識すれば、脱却点が見えてくる。

 

 

Ⅲ 書承の語り手、その語り方の傾向

西暦2000年を過ぎた段階で、明治生まれの優れた伝承の語り手の多くの方々が鬼籍に入られた。今、伝承の語り手といわれる方言の語り手は、ほとんどが大正期以後に生まれた方である。(中略)

しかし、“新たな語り”が、この三十年で台頭したことが、種々の現象で顕わになってきた。今、問題にしているのは、音の伝達だけであった口承の文学が、“民話の語り” “ストーリーテリング” の語を使われていても、文字の世界と密接な形で進行していることである。あるいは、文字をそのまま音声化して、物語や昔話を伝達しようとしていることである。それは図書館型の語りの場において堅く守られているように見受けられる。その根拠は “文学体験としてのストーリーテリング” ということばから来ている。図書館では話が終わった時点で「そのお話はこの本に入っています」と、語りの担当者が言わなければならないからである。図書館系の語りでは、本を紹介するためと「読書へのいざない」の一手段にストーリーテリングが行われるからである。

伝承の語りを聞きなれている人には、本に書かれた物語や昔話を、テキストのまま丸覚えして語る語りかたには異を唱える人が多い。たしかに本の字の通りに “一字一句たがわず” に語ろうとするのは大変な努力で、結果的に緊張の高さが語り全体を堅くしてしまうのである。また、あまりにも “字の通りに” 覚えすぎると、個性や自由さが失われ、語りの生気が感じられないのが難点であるようだ。

(中略)

私は以前、1909年から1998年までに日本で出版されたストーリーテリングの指導書、13種を調べたことがある。執筆者は岸辺福雄、水田光、下位春吉、松村武雄、久留島武彦、巌谷小波、ユーラリー・ロス、ルース・ソーヤー、小河内芳子、間崎ルリ子、松岡享子、アイリーン・コルウェル、櫻井美紀(以上出版順)である。どの指導書にも「本の字の通りに暗記するのがストーリーテリングである」とは書かれていない。それぞれの執筆者は少しずつ違うニュアンスで「お話を覚えるのは暗記することとは違います」という記述をしている。ロスと松岡と間崎の三人は「一語一語にこだわることはない」ということを根底にしながら「初心者に限り、本の言葉どおりに覚えなさい」となっている。

シンポジウム・書承から口承へ 〜伝承は滅びるか〜「新たな語りの現状」櫻井美紀(PDF)より

 

上記を最後まで読むと、その脱却方法について書かれている。

書承の語りから再び口承の語りへ、原点回帰を目指す。


民話研究者の小野和子さんの言葉が紹介されている。
「いったん文字通りにそっくり覚えてから、今度は覚えたことばを忘れなさい、テキストのことばを忘れてから自分のことばで語りなさい」


物語を心に深く沈めて。
時々、それをすくいあげて。

その脈動を感じれば、自分もおはなしも育っていく。

 

 

 

 

 

 

方言の語り。

先日語った「ばあさまと踊る娘たち」は、最後に「とっぴんぱらりのぷう」とあるので、秋田の昔話だ。

方言が多いので、最初は戸惑った。

 

しかし、字面を追って何度も声に出すうちに、難解なジグソーパズルがぴたりとはまるように、懐かしい言葉の響きを取り戻していった。

私は宮城の方言を聞いて育ったのだから、当然、方言を使っていたということ。

子ども時代の言い回しの癖を思い出すようなものだ。

 

 

標準語と方言では何かが違う。

同じ昔話でも、整った文体の標準語は朗読のように滔々と、もしくは詩のように感傷的に響いたりするが、方言は本来が語り口であるため、ざっくばらんな日常会話に近い。

会話なのだから、相手あっての自然体の語りになるのはもちろんのこと、その日常会話に続く気やすさが、方言で語る昔話には滲み出てくる。

また、耳慣れない方言であっても、その表現の豊かさは標準語に勝るとも劣らない。

だから、ちょっとずるいのかもね。

おはなし会であれば、標準語か方言のどちらかに統一すべきなのかもしれない。

 

 

ただ、本来の素話の源点を探ろうとすれば、そのヒントが発音すらままならない言葉の連なりにあったのだと今は強く感じる。

方言のような話し言葉を文字にすると、非常に読みにくい文章になる。

けれども、その不便な記録文こそが、私に過去の言葉を取り戻させた。

「書き言葉」ではない、「話し言葉」だ。

 

 

「方言を取り入れた昔話の語りの授業プログラム構想(PDF)」という論文を見つけた。

その意図を理解して、語ってゆきたいな。

 

 

 

海幸山幸や、海神の娘と山の神の婚姻と破綻の物語は、どこからやってきたのだろう。

「山の神と乙姫さん」に、浜辺で三日三晩をかけた神産みが登場する。

その後、二人は別れて元の世界へ帰ってゆく。

山の神は、山の奥深くへ。
乙姫は、海の底深い龍宮へ。

 

この昔話は、ラブロマンスとはほど遠く、登場人物の出自と役割の説明に徹している。
海神の娘と山の神が出会い、人や神や病が生まれるという起源神話でもある。

 

 

豊玉姫(トヨタマヒメ)もまた、浜辺で壮絶な出産をする。

海幸彦の釣り針を探し求めて、山幸彦は龍宮の豊玉姫と出会い、3年を過ごす。

その後、故郷へ戻った山幸彦を追って、豊玉姫は浜辺にてウガヤフキアエズノミコト(鸕鶿草葺不合尊)を出産する。その際、本来の姿である八尋ワニの状態を山幸彦に見られたため、龍宮へ帰ってしまう。
後に、ウガヤフキアエズノミコトと玉依姫(豊玉姫の妹)の間に生まれたのが、初代天皇となる神武天皇。

再び、海神の娘と山神が出会い、皇祖が誕生したのだ。

 

 

海幸山幸や、海神の娘と山の神の婚姻と破綻の物語は、どこからやってきたのか。その答えを、ようやく『神話からみた古代人の世界』で知ることができた。


海幸山幸の類話はインドネシアに多く、水界の姫と天界の王の結婚は高句麗やスキタイの神話にも登場する。
そのスキタイ人こそ、紀元前6世紀を中心にユーラシア大陸の西と東を往来した遊牧騎馬民族。彼らによって、古代ギリシャやインドなどの交易品はシルクロードを通り、中国や朝鮮半島に運ばれていったのだ。

絵本の『バーバ・ヤガーとままむすめ』に、「三枚のお札」やイザナキの黄泉国訪問のような呪的逃走譚が登場する。また、死んだ妻を取り戻そうとするイザナキとギリシャ神話のオルペウスは、「妻を見てはならぬ」という禁をおかして失敗する。

同じくギリシャ神話のペルセポネが、ザクロを食べて冥界にとどまるのは、「黄泉つ竈食(よもつへぐい)」に通じている。

それらは偶然の一致ではなく、必然の理由があったのだ。

 

 

 

 

『古事記』や『日本書紀』ができる少し前の古墳時代には、わが国は、世界中のほかのどこより朝鮮半島との結びつきが強かった。当時の朝鮮半島には、シベリアからヨーロッパにかけての広い地域で活躍したスキタイ人の文化の影響が、中国の東北部からもち込まれていた。そしてそのスキタイ人は、黒海のまわりにつくられたギリシア人の町から、古代ギリシアの文化と神話の強い影響を受けていたので、この時代のわが国には朝鮮からの文化や神話とともに、スキタイ人の神話やギリシア神話の影響も、もたらされたと考えられる。

 

『神話からみた古代人の世界』
P.41 第4章 縄文時代にもうあった神話と昔話のつながり/日本に神話を運んだ道 より転載

 

 

 

 

そして、さらに古い縄文時代には、南方から芋栽培と共に女神の惨殺やその死体から生まれる様々な食物の起源神話と宗教を持つ民族が渡来し、新旧入り混じる物語が作られ、共通概念として語り伝えられる。やがて、文字として記録され、現代社会に容認された物語だけが書籍として残り、好みに応じて私たち現代の語り手が子どもたちに語り聞かせている。

 

 

その昔話に、どれほどの時が流れているのだろう。

「ハナタレ小僧さま」のように体から富を生むものや、「花咲かじいさん」や「かにかにこそこそ」の犬やカニのように殺され埋められた場所から富を生じるものは、ハイヌウェレ型神話に連なる可能性がある。
 

もしかすると、庭に生き埋めにされて蚕を生じる「おしらさま」も、その流れを汲むのかもしれない。そうであれば、生き埋めという残酷な仕打ちは、この世に富をもたらす女神の犠牲、かつ必須の儀式(筋書き)であったことになる。

神話学や民俗学的な調査により、地理的・時間的変化を把握することで、当時の語り手が予想だにしなかったであろう昔話の壮大な歴史を、現代の私たちは知ることができる。

昔話の見方が大きく変わる。

語るためのというよりは、知るための昔話となってゆく。

 


様々な土地を通り過ぎ、異国の言葉や多様な人生を旅してきたのだと想像しただけで、芳醇さが増してゆく。それらの独特な香りをかぎわけ、幅広い知識で鑑賞できたら、もっと昔話は楽しめる。

 

 

怪談。

もうすぐお盆、怪談の季節だ。
先日のおはなし会に刺激をうけて、覚え始めたのがきのこのお化けの昔話。
山で一人暮らしのばあさまの家に、毎晩のように奇妙な娘たちが歌いながらやってくる。

うすい峠の法覚坊に
このことあのこと知らせんな
おらの命はたまんねえ


 

秋田を中心に類話も多く、「茸の化け」では…

うすい峠の法覚坊に知らせたら、おらの命はたんまらね

 

同じく秋田の「化けきのこ」では、笠を被った化け物が歌い踊り歩く。

唐土の虎より、おろし汁がおっかない

https://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=2322

 

 

宮城では、白い笠と白い着物を着た化け物が呟く。

塩と味噌、おっかねぇ…

 

山形では、白いふわふわとした一つ目の大きな化け物が…

お化けのオラもナス汁が怖い

 

 

 

 

自分の弱点を晒す昔話といえば、「しっぺい太郎」や「猿神退治」だ。

偶然だが、私の郷里で語られていた「しっぺい太郎」に登場する歌は、私が覚えた「ばあさまと踊る娘たち」のものとよく似ている。

あのこと このこと聞かせんな

竹箆(しっぺい)太郎に聞かせんな

近江の国の長浜の

竹箆太郎に聞かせんな

すってんすってん すってんてん

 

(宮城県旧桃生(ものう)郡で採集)

 

 

うすい峠の法覚坊に
このことあのこと知らせんな
おらの命はたまんねえ

 

法覚坊は、山の怪から身を守る術を知る。

人と精霊との間に境界をつくり、力関係を逆転させてゆくのが、山伏に始まる宗教者たちだったんだろうね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

星めぐりの歌

歌う会なる同好会の仲間に、今日、教えてもらった歌。

同じ曲でも、様々な人や合唱団が歌っていて、もうすでに10曲以上聴いている。

その中からお気に入りを探すのもまた、楽しいね。

その積極的かつ能動的行為は、自分との静かな対話でもある。

 

 

 

昔話や神話は入り口であって、その先にこそ、面白いものが沢山あったのだ。

『山妣』で山神祭りや奉納芝居やマタギが語る山神のお産と狩の風習に出会い、『邂逅の森』でマタギ富治が抱く山の神を感覚的に掴む。

 

 

 


先日訪れた荒井良二さんの展覧会でも、「山の神さまちゃん」に出会って嬉しくなった。
何だか過敏になっているようだが、その全てが楽しいのだ。

 

 


今、持ち歩いている本にも「山の神」考が登場する。
稲作が普及するよりもずっと以前の私たちの暮らしが、山での狩猟採集や焼畑を伴う雑穀栽培であり、それらが私たちの物語にどう影響してきたのかがようやくわかってきた。
昔話や神話は入り口であって、その先にこそ、面白いものが沢山あったのだ。