こんにちは🍀
書道教室ばんぶーしゅうと
あらい じゅん子 です🍀
「特攻資料館に行きたい」
と言ったオリンピック選手
ちょっと前
銀と銅メダルをとった
オリンピックの卓球の
早田ひな選手が
「鹿児島の特攻資料館に行きたい。」
と発言されましたね。
それを聞いて
まだ書いていなかった体験を
思い出し😆書いてみることにしました。
阿見町の予科練平和記念館
茨城の阿見(あみ)町には
予科練(飛行機に乗る為の訓練所)
がありました。
その敷地の近く霞ヶ浦のほとりに
昨年、家族でそこを訪ねました。
娘たちが
と言ったからです。
福原遥ちゃんと
朝ドラ「ブギウギ」のヒロインの旦那さん役、水上恒司君のダブル主演。
若い年代も観るわけです。
私、基本的に悲しくなる体験は
したくなくて
こういう所へは
あまり行かないのですが
もう名前も忘れてしまったある方を思い出したので
行ってみることにしました。
「予科練にいました。」
私、最初に就職したのが
大手電気メーカーの女子寮でした。
まさに
朝ドラの「ひよっこ」みたいに
工場で働く女の子達の寮で
女の子達の生活管理や相談役と言うか
今で言うカウンセラーみたいな
「寮姉」と言う仕事。
心理系を学んだ女子4人でシフトを組んで、自分達もその寮に住込みんでいました。
そこには、年配の男の寮長や食堂のおばちゃん達もいました。
女子寮の寮長は、人徳があり寡黙な、それでいてあの年代には珍しいくらい体が大きくて、変なやつが来たら、投げ飛ばしてくれそうな方でした。
女子寮寮長にピッタリです。
でも、何となく影があるような
暗くはないけど
静かすぎない?
と私は感じていました。
ある時、事務所でみんなでお茶をしていたら、その方が
「私は予科練にいました。
生き残りです。」
と言い、
予科練のことをとつとつと
話して下さいました。
出撃命令が下される前に
終戦になったそうです。
生き残ったのは2割。
亡くなった方もそうですが
残った方も辛かっただろうと
想像がつきます。
時はバブル期。
寮姉4人の中には、
当時流行っていたテレビ番組の
「ねるとん紅鯨団」に出た人もいて
(分かる人には分かるw)
毎日をそれなりに楽しく過ごしていたと思います。
そんな私達に
寮長は何かを言いたかったのかもしれません。
でも、
基本的に聞き上手な4人。
寡黙だった寮長も
1年経つ頃には
声を聞く事も増えて
たまには
笑顔で冗談も出るようになっていました。
あの頃の将来の夢
今、この年になってみると
いろいろ見えることもあります。
入社してすぐの研修で
「将来の夢をビデオカメラの前で話す。」
と言う課題がありました。
ほとんどの子は
「可愛いお嫁さんになりたい。」
「優しいお母さんになりたい。」
という夢。
私、それに衝撃を受けて
何を言ったかと言うと
「自分で作った畑で、真っ赤な採れたての完熟トマトを孫と食べながら、人生を振り返って、
『あー、私頑張ってきたなぁ。』
と思いたい。」
と言ったんですよ😆
ええ、バブル期の
この間まで女子大生だった人の夢とは思えない。(笑)
でも、ある意味願いは叶ってるのかもしれません。
今だったら
その孫ちゃんに
「人生って面白いよ。
楽しいよ。」
って言いたいです。
戦後を引きずっていたような
時代に合わない
職場にあきたらなくて
私は、1年少しで退職しました。
その後、女子寮も解体されて
独身者向けアパートになり
バブルも崩壊しました。
今の私だったら、会社は辞めずに
そのまま働いていたかもしれません。
高学歴、高収入の人が
たくさん居ましたから😊
でも、どんな道を選んでも
『私頑張ったなー、と思いたい。』
と思っていれば、
そうなっていたはず。
どんな道を選んでも
大差は無いような気がするんです。
今、アマゾンプライムで
「あの花が咲く丘で、また君と出会えたら。」
も見放題になっています。
是非、観てみて下さい。
そして
鹿児島の特攻資料館に行きたいけど遠いな、と言う方は
茨城の予科練平和記念館
へ足を運んでみてください。
へ足を運んでみてください。
世の中や自分の見方が
少し変わるかもしれません🍀
こちら↓もお読みください
●書道のこと
●心のこと
お読みくださりありがとうございました