(FNNPRIME)「ここにいてはダメ」江戸川区の水害ハザードマップが直球すぎて話題…担当者に聞いた

 

東京都江戸川区の水害ハザードマップ、すばらしいですね☆

広報で大事なのは、わかりやすさだと思います。


ダメなものはダメとはっきり言ってくれれば、

本気で対策を立てることができるし、いざという時の慌て方も少なくてすみますね。

 

「ここにいてはダメです」という表現がキツイとかなんとかケチをつける人は、

自分が被災した時には、それを行政の周知不足のせいにするのでしょう。

「もっとわかりやすく伝えてくれれば自分も避難できたのに」と。

 

今回は、江戸川区ハザードマップの話題から思いついたことをいくつか書いてみます。

以前の記事と重なる部分も多いですが、重要なことは何度でも再確認したいと思います。 

 (参考) 熱中症になりました((+_+)) … 預言のオオカミ少年化、警報を聞く側の心がけ

 

【今回のもくじ】

 

・ ダメなものはダメです

・ そのままではたぶんダメです

・ そこにいてはダメです

・ ダメなものがOKになることもあります

 

 

■ ダメなものはダメです

 

20代に、2年ほど勤めていた小さな会社が、経営難でつぶれたことがありました。

いきなりつぶれるんじゃないんですよね。

水害と同じで、つぶれる前には予兆がいくつもある。

 

まず、だんだん売り上げが下がってくる。

これはどの部署の社員にもわかるから、

このままだとヤバいんじゃない?という空気がどんどん濃くなってくる。

社員の士気が下がる、社内の空気が暗く重くなる。

給与の支払いが遅れるようになる。


要領のいい人は、ヤバいと感じた時点で転職活動を始めます。

 

「ここにいてはダメです」

 

できる営業さんは、彼の部下数人を引きぬいて、新しい会社を作ってしまいました。

 

私は事務アルバイトでしたから、会社の口座残高を知っていました。

実情を知っているからこそ、わりと高みの見物というか、

「会社が倒産するとどうなるのかを体験する機会」と考えていました。

会社がつぶれたら、また別のバイトを探せばいいだけですから。

 

でも、社長をはじめ、経営者は経営難を認めなかったんだよね。

いったいどこで見つけたのか、うさんくさい税理士のおっさんに経営アドバイスを頼んで、

その手付金がたしか400万円だったかな……ぜったい騙されてるやろ!アホか!

 

さらに社長の親族にパチンコ店のオーナーがいて……

ようするに、その親族が金持ちだったから、その人からの借金で会社を回していた。

 

早めに経営の行きづまりを認めて倒産させていれば、

残務処理も借金も最小で抑えられただろうにね。

この会社の場合は、金持ちの親族の存在がかえって仇になってしまいました。

 

旧約聖書の預言者エレミヤは言います。

 

 預言者はあなたに託宣を与えたが、
    むなしい、偽りの言葉ばかりであった。
 
 あなたを立ち直らせるためには、
    一度、罪をあばくべきなのに。
 
 むなしく、迷わすことを、
    あなたに告げるばかりであった。
                        
 ――旧約聖書 『哀歌』 2章14節

 

ダメなものはダメ。

はっきりそう認めるまでは、有効な対策をねることができません。

どんな名医も、傷口を隠す患者を治療することはできない。

 

会社経営に限らず、どんなことでも、

中途半端な延命でごまかすぐらいなら、いったんいさぎよく潰した方がいいと思います。

早めに敗退すれば被害は最小限ですみます。

被害が少なければ、たてなおすためのチャンスをつかむこともできるでしょう。


ダメなものをダメと認めないで、「大丈夫」といってしまうから、

すべてが後手に後手にまわって、最後には首がまわらなくなるのです。

 

 身分の低い者から高い者にいたるまで、
 皆、利をむさぼり、
 預言者から祭司にいたるまで皆、あざむく。
 
 彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、
 平和がないのに、『平和、平和』と言う
                    
 ―― 旧約聖書 『エレミヤ書』 6章13、14節

 

平和がないのに、「平和、平和」とむなしい嘘をつく。

もう助からないことはわかってるのに。

古代ユダヤ王国と同じ。

素直に行き詰まりを認めて、白旗を上げていればよかったのに。

 

ただ、この社長と経営者は、会社の口座残高がヤバい月には、

自分たちの給与をゼロ円にして、従業員への給与支払いを優先していました。

私が給与データを毎月打ちこんでいましたから、これは間違いないです。

 
ある日突然シャッターを下ろして消えてしまう経営者もいるわけですから、

そういう人に比べれば、あの会社はまだ誠実だったのだろうと思います。

ただ、早期退却する勇気がなかったために、負債が大きくなってしまいました。

 

私の損害は……未払い給与が約10万円ほどですかね。

実家暮らしだったから、生活に困る心配はなかった。

こうなることは数か月前からわかってましたから、これは人生の勉強代ですね。

 

 

■ そのままではたぶんダメです

 

以前に私が参加したあるサークルの活動体制に、

明らかに不合理な点がいくつかありました。

どう考えてもやっぱりおかしいし、それを放置している状況は、

サークル全体にとってマイナスだと私には感じられたので、

その旨をサークルの責任者に意見しました。

 

丁寧に話を聞いていただけましたが、最終的な返事はこうでした。

 

「あなたが言っていることは、生まれたての赤ちゃんが、

 サークルのアラさがしをして裁いているようなものですよ。

 人はだれにでも欠点がありますから……云々」

 

サークルに参加して間もない新人が、

正義感をこじらせて個人攻撃をしていると受け取られたようです。

私の伝えたいことが伝わらなかったのは残念ですが、それはそれで構いません。

実際、私の無知、勘違いだという可能性も十二分にあります。

 

それに、私の目的は、私の主張を相手に認めさせることではなく、

おかしいことはおかしいと指摘した事実を残すことでした。

その目的は達成できたから、神の前にはそれでOK。

明らかにおかしいことに対し、見て見ぬふりをするのは、

自分もそれに賛同して加担しているのと同じです。

 

どうにもスッキリしない違和感を覚えたら、ぼーっとそこにいてはダメです。

 

賛同も加担もしたくないなら、取るべき道は二つ。

そこから去るか、賛同できないという意思表示をするか。

どちらでもいい。

 
預言書のエゼキエル書で、「知った者の責任」について語られています。

 

 人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。
 
 わたしがある国に向かって剣を送るとき、
 その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。
 彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、
 角笛を吹き鳴らして民に警告する
 
 角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず
 剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。
 彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。
 彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救いえたはずである。
 
 しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、
 民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、
 たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、
 血の責任をわたしは見張りの手に求める。
                          
 ――旧約聖書 『エゼキエル書』 33章2~6節 

 

海水浴場の安全監視員みたいなイメージですね。

危険な状況が迫っているのを見つけたら、すぐにライフセーバーに連絡する義務がある。

 

自分が職業的な安全監視員でなくても、

一般人としてたまたま知り得たことについても同じです。

それをこのまま放置すると、後々よくない結果になるという予感がしたら、
とりあえず一回だけ、それを関係者に伝えてみる。
自分の勘違いかもしれないけれど、とりあえず一回は意見しておく……自分のためにも。
 
とりあえず一回伝えてみて、それが受けいれられなかったなら、それ以上は言わない。
私が間違っている可能性もあるし、相手を説得する義務もないし。
 
近年は、企業の不正が内部告発で明らかになるニュースが増えてきているように思います。
おかしいことはおかしいと、匿名であっても、声を上げる人が増えてきたのかな。
それならいいな。
 
見ざる、言わざる、聞かざる……神はそんなこと命じていません。
 
「健全な批判眼をもたない集団は、全体主義にかたむく」
そしてみんなで仲良く沈没する。
 
知らんぷりして後悔するよりは、
早合点して裁き魔よばわりされる方がマシです。
 
■ そこにいてはダメです
 
世の中の99%以上のことは、なあなあで放置していいことだと思います。
 
目玉焼きには塩か、ソースか、マヨネーズか……お好きにどうぞ。
サラダ巻をお寿司と呼ぶのはいかがなものか……どうでもええし。
日本のカレーは本場インドカレーとは別物だ……あっそう。
 
なんでもかんでも潔癖的に正しくあろうとする必要はまったくないですね。
 
でも、どうしても妥協できないことにぶつかったなら、
うやむやにしたまま従わないで、そこを去るか改善するか、考える責任が生じます。
 
10代で私が初めてアルバイトをしたのは、お弁当屋さんでした。
でも、一日でやめました。
 
調理場の床が、油でギトギト真っ黒になってて汚かった。
ゴキブリもちょろちょろしていた。
 
それだけならまだよかったのですが、
ベテランパートのおばちゃんが、鶏肉を一切れ、うっかり床に落としてしまいました。
おばちゃんはそれを拾って、ふつうに揚げ鍋に入れました。
 
「えっ、それ、捨てないんですか?」
 
家庭のキッチンの床に落ちただけなら、また洗って揚げ鍋にいれますけれど。
その弁当屋の床は、めっちゃ汚いわけですよ。
鍋に入れるにしても、せめて洗ってから入れるべきだと思うのですが……
 
「高温で揚げるから大丈夫よ」
とおばちゃんは言いました。
周りの人も、何も気にしていませんでした。
 
たしかに、高温の油で数分揚げますから、衛生的には大丈夫でしょう。
でも無理。
生理的に無理。
それで私は、そのお店を一日で辞めました……
 
価値観は人それぞれです。
飲食業界はそんなものかもしれません。
私が潔癖すぎただけかもしれません。
 
でも、私はその唐揚げを食べたくないのです。
自分が食べたくないものを、お客さんに出したくないです。
 
汚い床に落ちた肉をそのまま揚げ鍋に入れるのがダメとは断言できません。
落ちた肉の扱いをどうするべきかは、論点じゃないです。
 
「私はその唐揚げを食べたいか? 平気で食べられるか?」
これですね。
 
私の基準が世界基準じゃないことは知っています。
それを平気で食べられる人がいたっていい。
たぶんそれが当たり前の国や文化もあって、
私がそういう地域に旅行にいったなら、カルチャーショックを受けつつ、
カルチャーギャップを楽しみながら、しかめっ面で(笑)それを食べたことでしょう。
 

でも、日本国内の大きなお弁当チェーン店では、それをしてほしくない。

お金を出してお弁当を買いに来るお客さんに、そういうものは出したくない。
 
世間知らずの小娘の主張かもしれません。
正義感をこじらせていただけかもね。
でも、そのお弁当屋さんのバイトを即日辞めるという選択をしたのは正しかったと、
今あらためて思いました。
 
 何を守るよりも、自分の心を守れ。
 そこに命の源がある。
 
  ――旧約聖書 『箴言』 4章23節
 
朱に交われば赤くなる。
それがイヤなら、そこにいてはダメです。
 
何かを生理的に嫌だと思う感覚は、とても大切なものだと思います。

理屈としては理解できても、皮膚感覚で息苦しく感じることは、避けた方がいい。

少なくとも、自分にとっては害にしかならないことだから。

 (参考) 環境が人をつくる①――合わない所に長居するのは命の時間のムダづかい。

■ ダメなものがOKになることもあります

 

先日、ある方からお手製のラッキョウ漬けをいただきました。

実は私はラッキョウが嫌いなんですが……(´・ω・`)

せっかくいただいたのだから、感謝して2,3個は食べてから、

こっそり処分しようと考えました。

 

で、いざ食べてみると。

あれれ、意外においしいよ?

 

私が最後にラッキョウを食べたのは、たしか20年ぐらい前ですね。

母がラッキョウ好きで、毎年漬けていましたが、

私はどうしてもラッキョウ独特のあの味がダメだった。

 

でも、今食べてみたら、ラッキョウの臭みというか、あの変な味が、

妙においしく感じられました。

年齢とともに、味覚の好みは変わりますものね。

私もいつの間にか、ラッキョウがおいしいと感じる身体になっていたようです。

 

基本的に子どもは、珍味、苦味、アクの強い食べ物を嫌いますね。

それを毒物と判断してしまう本能のためだそうですが。

 

でも、安全な珍味は、身体が適度にビックリして、代謝が良くなります。

私がよくお世話になっていた漢方薬局の先生は、

「身体が必要としているものは美味しく感じられる」とおっしゃっていました。

 

20年前にくらべて代謝が悪くなった私の身体には、

ラッキョウ漬けの刺激が心地よかったわけですね(笑)

 

ラッキョウ漬けがダメだったのは過去の話。
昔はダメだった食べ物、その他の事物も、
今ならいけるのかもしれない……
 

私はコーヒーを飲むと胃が気持ち悪くなる体質でした。

コーヒーの香りは好きなのに、飲むと胃がムカつく。
 
ところが、2014年の元旦に、なぜか無性にコーヒーが飲みたくなったので、
ダメ元で、お試しドリップコーヒーを買って飲んでみました。
お腹は痛くなりませんでした。
 
どうしてコーヒーが平気な体質になったのか、理由はわかりません。
とにかく、その日以来、コーヒーが私の定番ドリンクになりました。
それまで好んでいた紅茶の出番は激減しました。
 
私自身もまったく知らないうちに、
自分の体質がすっかり変わってしまっていることもあり、
味覚の好みが変わってしまっていることもあり……
心が変わってしまっていることもあります。
 
諸行無常なんですね。
今日はダメでも、明日はOKかもしれない。
今日OKなものが、明日にはダメになる可能性もある。
良くも悪くも、この世に不変のものはないのでしょう。
 
この世の有様がコロコロ変わるからこそ、
千代に八千代に不動の神にしっかりアンカーして、
自分の立ち位置を間違わないようにしたいなと思います。
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
■ 「神と聖書と日ユ同祖論」 記事一覧&リンク →こちら
 
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