■  Memento mori 死を想え

 

今の時期は、ヒロシマ、ナガサキの原爆、敗戦記念日、そしてお盆と、

「死」を意識する機会が多いよね。

私もいつか必ず死ぬのだから、今の時間をできるだけ有意義に使いたいと思う。

 

Memento mori  (メメント・モリ、死を想え)

Man is mortal (人は死すべき存在)

 

私自身は、メメント・モリなんていう言葉も概念も知らなかった中学生の頃から、

自分は身体が弱いから40歳までには死んでいるだろうという、

漠然とした危機感があった。

 

だから、比較的元気に身体が動いているうちに、

やりたいことは何でもチャレンジして、実際に試してみたいという気持ちが強かった。

それが失敗しても成功しても、どっちでもいい。

とにかく「やり残し」がない死に方をしたいと考えていた。

 

 すべてあなたの手になしうることは、力をつくしてなせ。

 あなたの行く陰府(よみ)には、

 仕事も計略も、知識も知恵もないからである。

                 ――旧約聖書 『伝道の書/コヘレトの言葉』 9章10節

 

いつも「死」というタイムリミットを意識していたおかげで、頭では無理だと思う事でも、

思いきってチャレンジして、予想外の結果がえられたことがたくさんある。

 

「もしかしたら、明日死ぬかもしれない」という想いは、

「こんなことをして失敗したら恥ずかしい」というつまらない自意識よりもはるかに強い。

 

■ 一日一生

 

しかし、「死」を意識することが仇となったこともたくさんある。

 

一日一生! 身体が動くうちに、あれもこれも全部やってしまわなければ!

という焦りが、過剰な無理を自分に課してしまって、健康を害したことも多くある。

 

明日は明日の風が吹く」というのが信用できないんだな。

明日には起き上がれないかもしれない、明日も元気かどうかわからないと思ってしまうから。

今日、元気なうちに、できるだけ何でも前倒しでやってしまわないと気が済まない。

「一日一生」という言葉の意味を、極端にとらえすぎていたのかもしれない。

 

私が昨年までに著書の出版を急いだのも、

40歳になるまでに、やりたいことはやっておきたいという気持ちが強かったからだと思う。

 

新約聖書でイエスがこういうたとえ話をしている。

 

 ある金持の畑が豊作であった。

 そこで彼は心の中で、

 『どうしようか、わたしの作物をしまっておく場所がないのだが』

 と思いめぐらして言った。

 

 『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、

 そこに穀物や食糧を全部しまい込もう

 そして自分の魂に言おう。

 たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさん蓄えてある。

 さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。

 

 すると神が彼に言われた。

 『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。

 そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。

 

 自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである。

                             ――『ルカによる福音書』 12章16-21節

 

私は金持ちではないから、誰かに残せる金銭的遺産はない。

 

しかしこれまでに私が得てきた無形の知識・スキル・経験・思考の産物などを、

私一人が抱え込んだまま死ぬのは嫌だと思っていて。

だってそれらの知的資産は、神様からもらったものだと思うから。

世に放出する価値がありそうなものは、死ぬまでにぜんぶ放出しておきたいと思った。

そのリミットが、私の個人感覚では40歳だった。

 

 ただで受けたのだから、ただで与えなさい。  ――『マタイによる福音書』 10章8節

 

書籍は経費が発生するから無料配布というわけにはいかないが、

このブログは維持経費無料だから、私も購読料は取らない、常に無料で全体公開。

読者登録も不要。

 

このブログで、実用ルーン占いの詳細解説はじめ、私にとっては価値のある知的資産を、

8割方は放出できたのではないかと思っている。

 

あくまで、「私にとっては価値のある知的資産」だから、

あなたには無価値なゴミ屑かもしれない。

それでもぜんぜんかまわない。

誰かの役に立つ可能性がある資産を、

私一人の倉に死蔵したままにしておくというのが嫌なのだ。

 
ここで知的資産のガレージセールをして、
一つでも二つでも、誰かに役立ててもらえればそれで十分だ。
誰の役にも立たなかったとしても、
神様は私のこの選択にうなずいてくれるはずだから、それで良い。

 

■ Carpe diem カルペ・ディエム/その日の花を摘め

 

でも、私は死なずに40歳になった。

あいかわらず身体はフラフラしているが、生きている。

今年も人間ドックは異常無し。

生物学的には、まだまだ生きていけそうだ……

 

だから私は今、ちょっと戸惑っている。

「40歳までに死ぬ」という前提で生きてきたから。

世間的なライフプラン、キャリアプランなどは完全無視してきた。

 

 あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、
 寿命をわずかでも延ばすことができようか。
                           ――『マタイによる福音書』 6章27節

 

世間的には無計画で、無謀と見える選択を重ねてこられたのは、

「私はどうせ長生きしない」という安心感があったから。

 

長生きしないゆえの安心感ってのもあるんだよね……

医療保険や介護保険の説明には「長生きリスク」という言葉が出てくる。

介護疲れの悲惨とか、延命治療の苦しさとか……今の時代、長寿はリスクなんだよな。

 

私には長生きリスクがないから、将来年金がもらえないとか、

老後の生活資金がどうのこうのということは無視してこれた。

長生きしない者には関係のない話だった。


じゃあ、幸いにも(?)私の予想が外れて、40歳になってもぼんやり生きている今、

これからは気持ちを切り替えて、老後資金を貯めたりするかというと、いや、

私はこれからも何もしないと思う。

40歳にはなったけど、41歳には死ぬかもしれないしね。

長生きしてしまったら、それはその時に神に聞くしかないね。

 

Carpe diem quam minimum credula postero

     (その日の花を摘め、明日のことを信用しすぎないように)

 

 明日のことを誇るな。

 一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。   ――旧約聖書『箴言』 27章1節

 

これまで、何をやっても思い通りにはならなかったから、

これからも結局思い通りには運ばないと思う。

良くも悪くもね。

 

「思い通りにならないって言いつつアンタ、

 ルーン魔女KAZとしてちょっと成功したんじゃないの?」

 

言っておくけど、私がルーン魔女をすることにしたのも、ルーン解説書を出版できたのも、

いずれも私が狙ってたことじゃない。

昔からの夢とかでは、ぜんぜんない。

そういう意味で、私の思い通りではない。

 

棚ボタみたいにあっさりチャンスが回ってきた役割だったから、

チャンスが来たらさっとそれを掴んで、それをする流れの時はそれに集中して、

その流れが去っていくと感じた時には、ホッとして、わりと簡単にやめることができた。
    (参考) その日時は誰も知らない … エゴの世界が崩壊する日/私がルーン魔女活動をやめた理由

 

それに、占い鑑定で生計を立てるということは、お客さんにリピートしてもらうことだから。

それって、お客さんを占い依存にするってことなんだよね。

お客さんがどんなに喜んでくれたとしても、助かったと言ってくれても、

お客さんを占い依存にさせているという事実は変わらない。

 

私がルーン魔女KAZとして飯を食っていくというエゴを実現するために、

お客さんを占い依存にするのは嫌だ。

私の鑑定件数 = 私の占いに依存させた件数。

私はそこのところがどうしても割り切れなかったから、続けるのが苦しかった。

占い技術はあったとしても、職業占い師としては不向きだった。

 

ルーン魔女業は、その時の私には必要だった役割の一環と考えている。

あくまで役割だから、役割の目的を果たせばそれで終了だ。

それはある種の「死」だと思っている。

 

When the apple is ripe it will fall.  (熟れたリンゴは地に落ちる。)

 

すべてのことには時がある。寿命がある。

世間的には、「まだまだ続けられる」「まだまだこれからだ」と見える段階でも、

それ自体の「時」がもう満たされてしまっているなら、それはそこで満了なのだ。

そういう風の流れは、当事者ならよくわかるはずだ。

 

 風は思いのままに吹く

 あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない

 霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

                           ――『ヨハネによる福音書』 3章8節

 

人間は、神の風を感じることはできる。

しかし風向き、タイミングを予測することはできないし、風を操ることもできない。

神の風に従うか、逆らうか。

二つに一つしかない。

 

私の感覚では、神様がうなずいてくれていれば進む、神様の顔が険しければやめる。

それだけだな。

 

このブログで中東情勢について書き、今年から聖書と神について書き始めたのは、

霊的に、そういう風向きになっているから。

それに、占いではなく、本当の神に依存してほしいと思うから。

スピリチュアル依存、宗教依存は不健全だけど、神に依存することは必要だ。

 

占いやスピリチュアルワークが人間の心臓を動かしているわけじゃない。

今生きていて、「命の源である神/神の息」に依存していない人は一人もいない。

神依存の事実を自覚していない人、自覚を拒否する人は多くいるが、

それでも神に依存せずに生きている人は一人もいない。

とくに旧約聖書のテーマ「神に立ち返れ」とは、そういうことなのだと思う。

 

■ Tomorrow is another day 明日は明日の風が吹く

 

私に関しては、昔からの予想に反して40歳ラインを越えたから、

ようやく本気で神を信頼してアンカーできたのは事実だ。

なので、これまでの神との関わり方を反省して、日々修正中だ。

 

まず、「一日一生」を狭くとらえるのをやめて、もっとおおらかになりたいなと思う。

毎分毎秒、有意義なことをしなければならないと、自分を強迫的に追いつめてたかなと。

私の場合、もっともっとブランク時間を増やして、行動を遅くすることで、
やっと本来のリズムに合うみたい。

 

すでに世間の流れには完全に置いて行かれているのだから、
十二分に「遅い」つもりではいたのだけれど。
神様から見れば、まだまだ「急ぎすぎ、焦りすぎ、詰めこみすぎ」のようだ。

時間を大切に使うことと、詰めこむことは、違うんだねえ。

             (参考) すべてのことには時がある … 神はナマケモノの時間基準を良しとされた

 

今日できるかぎりのことをなすのは大事だけれど、

将来の分まで前倒しでやるのは「やり過ぎ」ってことなのね。

 

聖書の神は、怠け者には厳しいけれど、やり過ぎている人にも厳しい。

なにしろ、週に一度の安息日を守らない者は死刑だからね。

 

休みを削ってまで働いてしまうのは、神より金を信頼している証拠。

あるいは、神への信頼よりも、将来の不安の方が大きい証拠。

安息すべきときに安息しないのは、神を信頼しないという意思表示。

 

 だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。 
 それはみな、異邦人が切に求めているものだ。
 あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。 
 
 何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。
 そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。 
 
 だから、明日のことまで思い悩むな。
 明日のことは明日自らが思い悩む。
 その日の苦労は、その日だけで十分である。 
                              ――『マタイによる福音書』 6章31-34節

 

緊急時の備えとして、食糧などをためておくのはOK。

それは生活の知恵の一部。

でも、将来のため、老後のために、今日を犠牲にするのは違うってことね。

 

将来は、法律制度が変わってるかもしれず、

通貨の価値が激変しているかもしれず……

実際、日本でも、1945年8月15日を境に、何もかもがひっくり返ってしまったのでしょ。

天皇は現人神ではなくて、「人間」になったよ。

天皇を神だと信じていた人は敗戦の日、どうしたのだろうね……

 

 わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 

 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
                             ――旧約聖書 『出エジプト記』 20章2-3節

 

近年だって、あちこちで予期せぬ天災が起こっていて、

それで人生プランが崩れてしまった被災者も少なくないでしょ。

 

規模はどうあれ、今の価値観、将来予想がまったく通用しなくなる事態が、

今後は起こらないという保証はどこにもないよね。

自分だけは大丈夫という保証もないね。

 

これまで多くのことが、私の思い通りにならなかったことを神に感謝している。

おかげで、思い通りにならない事態に対して、少なからぬ免疫ができたから。

 

これは神への嫌味ではなく。

もともと私の思い通りになっていないのだから、

これからも私の思い通りにはいかないだろうし。

私の死期でない限りは、予期しない方法でまた助かるのだと思う。

 

阪神淡路大震災の日の私は、高校の修学旅行で長野県にいて無事だった。

震災の前日に、同級生・先生たちと楽しく神戸を発ったところだった。

そういう不思議な偶然で助かってしまうことは、実際にあるんだよね。

(この出来事が、神という存在を本気で意識した最初のきっかけだったかも。)

 

その一方で、まったく不運としかいいようのない事故で亡くなる人もいるよね。

頭上から看板が落ちてきたとか、歩道に突っ込んできた車にひかれたとか……

 

空が落ちてくるかもしれないと脅えながら生きるのはおかしいけど。

メメント・モリ……健康状態などとはまったく関係なしに、

誰もが死と隣り合わせである事実を健全にうけとめて、

神に良しとしてもらえる日々を過ごせたらいいなと思う。

 

雨上りのベランダから見た二重虹☆

虹は、神の約束のシンボルの一つ。

               (参考) 八雲立つ出雲 … 試練の暗雲、恵みの雨雲

 

 

 

 

 
 
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