イエス・キリストが
魂の救い主だと気がついた。
イエス・キリストにお従いするのが、
命の道だと気がついた。
それで私はいままでの生き方をやめて、
イエス・キリストと共に生きたくて、
2016年の5月(ペンテコステ)に洗礼を受けました。
洗礼を受けた当初は、
教会の行事にまじめに参加して、
奉仕活動もさせていただきましたが……
霊性が枯渇している教会に通う意義を見出せず
教会を辞めました。
今は無教会主義キリスト者として、
イエス様と歩んでいるつもりです。
私のキリスト歴がもうすぐ6年になるのを前に、
私の何がどう変わったか、
箇条書きにしてみました。
本気でキリストにコミットした結果
1、霊的自己責任論の呪いから完全解放された
2、健全な自己肯定感をキープできるようになった
3、スピリチュアル、占い業界と完全に決別した
4、あらゆる開運法やジンクスから完全解放された
5、自己実現に興味がなくなった
他にも細かいことはたくさんありますが。
とくに上記の点で、
Before/After の違いが際立ってるかなと。
いずれも、私個人の意思や努力では実現不可能なことです。
イエス・キリストを信じて、
聖書を神様の言葉として受けとりなおす過程で、
自然にそういう風に変わっていきました。
自然にそうなるってのが大事だと思います。
とくにスピリチュアル・占い・開運法などについて。
誰かに注意されたとか、
聖書に反してるとかで、
仕方なしにやめたのではありません。
私が心の底から
馬鹿馬鹿しくなったからやめた。
だから私は、
誰にもキリスト信仰を強要したくないのです。
相手に強要して、説得して、脅して、
むりやり印鑑をおさせるようなやり方では、
キリストの愛も福音も伝わりません。
天地を創造した神が、まことの神様だ。
イエス・キリストが、まことの神の子だ。
私の救い主だ。
そういう確信は、
神様が直々に与えてくださるものです。
最低限のキリスト情報は、
既存のキリスト者によって伝えられるものですが。
イエス・キリストの福音を知らされた人が、
その後イエス様とどういう関係になるかは、
神様とその人の問題です。
神様のご計画しだいです。
一つずつかんたんに説明しますと。
1、霊的自己責任論の呪いから完全解放された
2、健全な自己肯定感をキープできるようになった
神様に愛されている安心感があるゆえ、
あるがままの自分存在を
肯定できるようになりました。
詳細は下記参照。
3、スピリチュアル、占い業界と完全に決別した
詳細は下記参照。
占いとは完全に決別した。
といいつ、私がいまだに
ルーン占い解説書の販売を続けているのは、
それが「人をすなどる網」だからです。
→ KAZのルーン本を読めば、
ルーン占いの上達が速くなる
→ ルーン占いの限界に気がつく
→ 占いコンテンツそのものに落胆する
→ 魂の飢餓感を覚える
→ 魂の救いを求めるようになる
→ KAZさんのように聖書を読んでみようかな?
……という流れになるのを期待しています。
いまルーン占いに興味がある人に、
キリストの話をしてもぜったい聞かないでしょう。
だからルーン占いを知りたくて
KAZのルーン解説書を購読された方は、
ぜひ真剣にルーン占いにとりくんでください。
シンボル読解のよき訓練になるのは間違いない。
そしてはやくルーン占いの限界に気づいて、
占いそのものに落胆してください。
私のルーン本の読者一人ひとりが、
聖霊様によって心がひらかれ、
主イエス・キリストに出会えるよう祈っています。
4、あらゆる開運法やジンクスから完全解放された
開運法やジンクスを気にする人はすべて、
「運の奴隷」です。
運を思い通りに操るための
開運メソッドを開発・販売している成功者も、
運にふりまわされているという点では、
運の奴隷です。
いまの私の主人は、イエス・キリストです。
私の魂は、まことの神様の支配下にあります。
だからもう「運の奴隷」ではありません。
主なる神の前には、
まったくどうでもいいことです。
5、自己実現に興味がなくなった
自己実現の満足感は、
せいぜい2週間しか続かない。
1か月もすれば飽きる。
2か月もすれば虚しくなる。
詳細は下記参照。
人間が思いつく程度の夢、ビジョン、野望は、
神様の前にはなんと小さく、幼稚なことか。
人間レベルの夢をぜんぶ叶えて、
たとえ全世界を手に入れても、
死ねばそれっきりなわけだが。
命の主である神様の御心とビジョンは、
超デカくてはかりしれない。
飽きようがない。
イエス・キリストに救われた事実に感謝して、
自分の魂の主導権をすべてイエス様にお返しすれば、
神様といっしょに永遠の創造事業に参加させてもらえる。
一代限りの人間的な自己実現より、
永遠スケールで神様の御心を生きる方が、
ぜったい面白いにきまってる。
苦労するにしてもそう。
自己実現のための苦労は、
自分がつくりだした苦労だから、
自力で解決するしかない。
強引に力づくでなんとかするか、
さもなくば死ぬしかない。
自己実現の道には救いがない。
弱肉強食パラダイム。
しかし神様にお従いする苦労は、
神様といっしょに苦労して、
神様の御力で解決されるもの。
人間の自力ゼロでも、
神様が全能であるゆえに
乗り越えられることが確定してる。
どうせ苦労するのだったら
神様といっしょに苦労する方がいい。
神様といっしょの苦労なら気はラクだ。
そういうわけで、
私は自己実現に興味がなくなった。
クリスチャンになっても、
人間的な功績の誘惑で苦しい人は、
いっそ自己実現をがんばったらいいと思う。
そして自己実現しても、
ぜんぜん心が満たされない虚しさを味わうといい。
徹底的に虚しさを味わえば、
自己実現には何の魅力も感じなくなるよ。
その点、私はとても恵まれているのだと思う。
自己実現できて、すぐに虚しくなった。
もともと飽き性なのも幸いでした。
あとたぶん、私はものすごい野心家なのよね。
野心家だから、
自己実現程度ではぜんぜん満足できない。
自分の何かの実現よりも、
神様のビジョンの実現を見たいと思う。
私は、まことの神様のことを、
もっと知りたい。
もっと親しくなりたい。
いつもいっしょにいたい。
神様にずっとついていきたい……
そういう神様に対する野心のことを
「信仰」というのかもしれない。
宗教臭くいえば「聖望」。
Be Ambitious
大志を抱け
自分を抑えて我慢して神に従うのではない。
自分のエゴとちまちま格闘しなくても、
主イエス・キリストに対して、
もっともっと貪欲になればいい。
神様とともに生きたいという野心が、
どんどん大きくふくらむにつれて、
自分のエゴはどこかに消えていくから。
以上がキリスト歴6年目を迎えた
今の時点での感想です。
私のキリスト信仰実験は、
まだまだ続きます(^^♪
その後、イエスは出て行って、
レビという徴税人が
収税所に座っているのを見て、
「わたしに従いなさい」と言われた。
彼は何もかも捨てて立ち上がり、
イエスに従った。
――新約聖書 『ルカによる福音書』 5章27、28節
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