前回の続き。

 (前回) 平成を和了して令和の局面へ … 和して同ぜず、生来のリズムを大切に

 

 

【今回のもくじ】

 

・ 「令」 = 人がひざまずいて神意をきくさま
・ 人が発する「令」は不完全
・ 上にはカミがいる
・ 命令に従うか否かは、各自で決めていい
・ 神の「令」は使命でもある
・ 心がすがすがしくなる選択を

 

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■ 「令」 = 人がひざまずいて神意をきくさま

 

新元号の「令和」を、私は気に入ってます。

凛としてスッキリした感じがするから。

 
そして恥ずかしながら、「令」に「良い」という意味があることを初めて知りました(^_^;)

そういうことなら、なおさら新元号は令和でええやん、と私は思うのですが……

 

「令和」の反対派は、「令」という漢字に抵抗を覚えているようですね。

「令」が命令を想起させる、権力のおしつけに感じる等……

 

それで、「令」はいったいどういう意味なのか漢和辞典(新版漢語林)で調べてみました。

 

漢字の成り立ちとしてはこう。

 

 「令」の上部は、集めるの意味とも、頭上にいただく冠の形ともいう。

 下部の 卩 は、人のひざまずく形にかたどる。 

 人がひざまずいて神意をきくさまから、いいつけるの意味を表す。

 

 (1) 神意をきく

 (2) いいつける

 

意味的に、どっちにアクセントを置くかですね。

アクセントの位置は各自で決められます。

私は「神意をきく」のが好きだから、「令」の字は好きです。

「いいつける」にアクセントを置くと、嫌な気持ちになるのかもしれません。

 

さらに漢和辞典の説明は続きます。

 

 令を音符に含む形声文字に、

 伶、冷、囹、怜、玲、嶺、羚、耹、鈴、零、領、齢 などがあり、

 これらの漢字は「ひざまずき神意に耳を傾ける」の意味を共有し、

 そこから「すがすがしい」の語感を伴う 玲・冷・怜 などの漢字も派生した。

 

どうやら「令」は「いいつける」という意味よりも、

「神意をきく」「すがすがしい」という意味にアクセントを置く方が正しそうです。

 

「冷」はすがすがしいという意味もあったんですね。

冷静の冷、クールミントみたいにすがすがしいってイメージなのかな。

 

神意をきくことがすがすがしいというのは、

神に対して真っ直ぐ、ナオ(直)である状態のことですね。

 

神意をきかない状態はマガ(曲、禍)、マガを聖書では「罪」と表現してます。

マガやツミの状態では、すがすがしくないのです。

 (参考) 何に対して素直であるべきなのか。ナオ(直)とマガ(曲、禍)。

 

神意をきくことで、人間界に神の秩序がもたらされる。

だから「神にきけ、神に従え、神に立ち返れ」と、旧約聖書はしつこく主張する。

 

神の「令」に従うことで生まれる秩序は、

現代日本なら「民度」と表現してもいいと思います。

行列の順番をちゃんと守る、道端にゴミを捨てないなどの社会マナーですね。

 

ともかく、新元号の「令」の字は、権力者が命令をおしつけるという意味ではないし、

元の万葉集でも、そんな意味では使われてない。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190401/k10011869281000.html

 

↑ここから採った元号だと説明してるんだから、

令和の「令」は、「良い」「美しい」という意味だと、素直にうけとったらいいと思います。


■ 人が発する「令」は不完全

 

「令」の成り立ちは「神意をきく」だとわかりました。

しかし一般的には、上位の者が下位の者に発した命令という意味で使われますね。

 

各種命令の発信者は人間です。

人間の命令にはエラーが含まれていることが多いです。

明らかにおかしな命令を受けた場合は、従ってはいけないですね。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190309-00010002-fukui-l18

 

このお坊さんは、県警の理不尽な「令」には従わなかったのですね。

 

問題が立ち消えになる懸念もあった

パーソナル・イズ・ポリティカル。

個人的な問題ではなく、公的な問題だと考えるなら、なおさら従ってはならない。

 

理不尽な命令に従うと、悪しき前例を残してしまうことになるから。

ここで自分が従うと、自分自身はそれで済んでも、

後の誰かに、同じ内容の理不尽を連鎖させることになってしまう。

「Aさんは従ったのだから、あなたも従いなさい」という形で利用されてしまう。

 

自分が負の連鎖に加担しているかもしれないことに気づいたなら、

従うべきでない命令には従わない。

抜け出すべきところからは抜け出す。

命令内容に違和感を覚えた時は、注意深く選択したいと思います。

 

記事によると、このお坊さんは裁判になる恐怖心も強かったとのこと。

相手は県警とはいえ、国家権力だもんね。

 

心頭滅却すれば火もまた涼しなんて言わなくてもいい。

イエスだって、十字架刑になる前夜は恐怖で震えていた。

 (参考) 人間に弱味をさらけ出すキリスト … 心の痛みで震えるも、軸は不動。

 

恐怖を覚えて、ガクガク震えながらでも、正しい道にとどまることはできる。

このお坊さんのように、恐怖を覚えながらでも踏ん張れる強さがほしいと思います。

 

■ 上にはカミがいる

 

上の命令に従うか否か。

最近は、某コンビニの24時間営業をめぐる契約が注目されてますね。

 

フランチャイズ(以下FC)契約の融通のきかなさとか、

24時間営業をしなかった場合の違約金とか、いろいろあるみたいですね。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190305-00269270-toyo-bus_all&p=1

 

契約は双方の合意で成立します。

 

コンビニFCオーナーは、みずからFCを経営したいと考えて、

コンビニ本部との契約内容に合意したうえで、大手コンビニの看板借りて営業しています。

だから本部の命令を無理やりおしつけられたわけではない……が。

 

 神の令 > 国の法律 > 企業の規約

 

契約の当事者の事情が変わった際に、契約内容の見直しができないというのは、

合法であったとしても、人として筋が通らない気がしますね。

 

これも前述のお坊さんの件と同じ。

FCオーナー個人の問題ではなく、公的な問題の一端なんですね。

 

上の記事では「巨大な象と戦うアリのような構図」とコメントしてます。

それでも戦うべき時には戦う人を、神は必ず見ています。

 (参考) 【ダニエル3章】 好きなものは好きと言え … 常識という神像は拝みません

 

コンビニ本部は、最初は強気の対応をしていましたね。

時短営業はしない、24時間で続行するって。

 

ところが、世論の猛反発、炎上が続くと、「時短営業の試験導入」をはじめた。

やっぱり、おかしいことにはおかしいと、声をあげることは大事ですね。

声をあげたことで、この問題は一オーナーだけの特異なケースではない、

他のコンビニFCでも似たようなケースがたくさんあることがわかったし。

 

FCオーナーに強気だったコンビニ本部も、しまいにはお上に呼び出されましたね。

 

政府のこの対応は意外でした。

働き方改革とか、パワハラ防止の法制化とかに取りくんでいるからかな。

異例でもなんでも、迅速に対応したのは良いことですね。

 

FCオーナーの上には、コンビニ本部がある。

コンビニ本部の上には、日本政府がある。

どこまでいっても上には上がある。

 

 ある州で、貧しい者が虐げられ、

 権利と正義が踏みにじられているのを見ても、

 そのことに驚いてはならない。

 その上役には、それを見張るもう一人の上役がいて、

 彼らよりももっと身分が高い者たちもいるからだ。

 

 ――旧約聖書 『伝道者の書』 5章8節 (新改訳2017)

 

人間界で最高の権力をもてたとしても、そのはるか上には神がいる。

それなら最初から、神に聴き従うのがいちばん確実ですね。

神は命がけで24時間営業をしろとは命じていないのです。

 (参考) 人「責任者を出せ!」 全能神「わたしが最高責任者だが、何か?」

 

神は人に理不尽をおしつけたりはしません。
コンビニFCと同じく、神と人との関係も、双方の合意でなりたつ契約関係です。
神の命令、呼びかけに対して、人間側の意識的な同意(応答)がいるのです。
だからユダヤ教、キリスト教は契約宗教と呼ばれます。
(契約というと味気なく聞こえますが、そういう専門用語としてわりきってください。)
 
人間との契約を忠実に守って、それで病気になったり死んだりしても、
誰も命を補償してくれないですね。
私は神と契約して生かしてもらう方がいいです。


■ 命令に従うか否かは、各自で決めていい

 

神は人に自由意志を与えました。

自由意志があるから、人は「神の似姿」だともいえます。

神の命令を忠実に実行するだけのロボットは「人」ではないわけです。

 (参考) 「私はロボットではありません」… 神は人間に個性と自由意志を与えた。

 

人を造った神ですら、個人の自由意志を尊重している。

だから人は神に背くことも可能。

不完全な人間の命令に対してはなおのこと。

人間の命令に従うか否か、自分で選択していいし、そうするべきだと思います。

 

お坊さんやコンビニFCだけでなく、それぞれの生きている日常現場で、

重要な選択を迫られることはいつでも起こりうると思います。

場合によっては、上位者の命令に従わない選択をすべきこともある。

 

自分で考えて選ぶことをしなくなると、責任転嫁ゲームが始まります。

嘉門達夫さんの何かの歌詞にもありました。

 

 先生 「なんでこんなことしたんや?」

 

 小学生 「○○君がやれって言ったからやりました」

 

 先生 「じゃあオマエは○○君が「死ね」言うたら死ぬんか?」

 

小学生だけじゃないですよね。

どれだけ年齢を重ねた人でも、自分で意識的に選択していないならば、

選択の結果について、いつもこういう言い訳と責任転嫁をするようになる。

 

アダムとエバの失楽園も、まったくこれと同じ構図です。

知恵の実を食べてしまった件について。

 

 神 「食べるなと命じておいた木から食べたのか?」

 

 アダム 「神様がわたしに与えてくれた女が、わたしに実を与えたので食べました」

 

 エバ 「蛇にだまされて食べてしまいました」

 

自分は悪くない。

あの人のせい。

だったら、

 

 神 「オマエはエバに「死ね」って言われたら死ぬんか?

    蛇に「死ね」って言われたら死ぬんか?」

 

ってことになっちゃうよね。

 

禁令を知っておきながらそれを破ったのは、他でもない自分です。

脅迫されたとか、人質を取られたとか、そういう特殊事情があったわけでもなし。

 

自分の選択責任を認めない、罪を認めないゆえに、

アダムとエバは神と共にある状態(エデンの園)に居られなくなりました。

 (参考) ヨコシマ(邪・横縞)とオロチ(蛇・愚血) … アダムとエバは何を間違えたのか

 (参考) 生命の樹への道であるキリスト … 受けいれる(QBL・カバラ)/信じる(AMN・アーメン)

 

2000年前のエルサレムで、イエスを十字架刑にしろと騒いだ群衆たちも同じです。

 

 イスカリオテのユダ 「私がイエスを裏切りました。私の責任です」

 

 群衆 「宗教指導者に乗せられてイエスを裏切りました。

      みんなでイエスを裏切りました。だから私の責任ではないです」

 

 (参考) 【マタイ27章】 選択には責任が伴う … 裏切り者のユダより悪質な群衆(レギオン)

 

何を選ぶにしても、「わたしの意志でこれを選ぶのだ」という自覚があれば、

責任転嫁ゲームにまきこまれることはありません。

 

もし自分の選択が間違っていたなら、すぐに修正、訂正するだけです。

自分で選んでいるからこそ、修正もできる。

「誰々に命じられたからやりました」と言ってしまうと、修正も訂正もできないですね。

 

■ 神の「令」は使命でもある

 

イエスを十字架につけろと騒いでいた無責任な群衆は、いったん解散しました。

しかし『ルカ福音書』の続編『使徒行伝』では、

イエスを十字架につけろという騒ぎに便乗した罪を認めて、

悔い改めた人も多くいたと伝えられています。

 

イエスの復活・昇天後、イエスの一番弟子ペテロが民衆に説教しています。

『使徒行伝』3章の後半です。

ちょっと長いので、分割・割愛してみてみましょう。

 

 「あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、

 その面前でこの方を拒みました。
 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。

 

 あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、

 神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。

 わたしたちは、このことの証人です。」  (3章13-15節)

 

ローマ総督のピラトが、公開裁判でイエスを釈放しようとした経緯は、

以前に見たとおりです。

 (参考) 【ヨハネ19章】 この人を見よ(エッケ・ホモ)… 神の前でも、堂々とそれを選択できますか?

 

ピラトの努力は及ばず、イエスが十字架刑で殺され、

アリマタヤのヨセフとニコデモが墓穴にイエスを葬りました。

 (参考) 【ヨハネ19章】 キリストの死を直視する … 真実を直視した魂は、霊的死人の墓から起きあがる

 

しかしその3日後に、厳重封印されていたはずの墓穴が開いて、イエスが復活します。

映画『RISEN 復活』の予告編で、雰囲気を味わってください。

 

イエスが復活した日を記念するのがイースターです。

今年は4月21日です。

イエスが復活した日が日曜日だったので、キリスト教は毎週日曜日に礼拝をもちます。

 

ペテロの説教はこう続きます。

 

 「……ところで、兄弟たち、あなたがたがあんなことをしてしまったのは、

 指導者たちと同様に無知のためであったと、わたしには分かっています。

 

 しかし、神はすべての預言者の口を通して予告しておられたメシアの苦しみを、

 このようにして実現なさったのです。
 だから、
自分の罪が消し去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。
 こうして、主のもとから慰めの時が訪れ、

 主はあなたがたのために前もって決めておられた、

 メシアであるイエスを遣わしてくださるのです。

 

 ……それで、神は御自分の僕を立て、

 まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。

 それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、

 その祝福にあずからせるためでした。」   (3章17-20、26節)

 

イエスを十字架につけた群衆を根にもって罰しようというのではない。

その罪を認めて、神に立ち返りなさいと勧めています。

罪が赦されるという祝福にあずかりなさいと勧めています。

 

数百年前から預言されていたメシア(キリスト)の苦しみは、

十字架刑の死というかたちで実現されたとペテロが語り、

それで多くの人(ユダヤ人)がイエスを神の子だと信じたとあります。(使徒4章)

 

現代日本人には、そういう説明ではピンと来ないのですが、

当時のユダヤ人には、その説明で十二分に意味が通じたのです。

 (参考) 人類の罪を引き受けるカタシロ(形代)としてのイエス … 神の子羊、子羊の血

 

実はペテロ自身も、イエス逮捕後に、

「わたしはイエスと面識がない」という嘘を3回ついて、イエスを裏切っています。

そしてそのことを激しく後悔している。

しかし復活したイエスに出会い、イエスに赦されている。

 

ペテロはイエスに赦されただけでなく、

「わたしの羊を飼いなさい(イエスを信じる者を導きなさい)」

という使命も授かった。(ヨハネ福音書21章)

ペテロの説教は、その使命の一環なわけですね。

 

使命も神の「令」ですから、それに従うか否かの選択権は人間側にあります。

神の令をきいて使命を果たすもよし、拒否して自己実現に邁進するもよし。

ただし選択の責任と結果は自分で引きうけることになる。

 (参考) あの日あの時あの場所で … 神の招き(calling)に従うのが天職(calling)

 

■ 心がすがすがしくなる選択を

 

しかもイエスはペテロや十二使徒たちを許しただけでなく、

無責任な群衆をも赦しています。

十字架上で息絶える前に、こう祈っています。

 

 「父よ、彼らをお赦しください。

 自分が何をしているのか知らないのです。」

 

 ――新約聖書 『ルカによる福音書』 23章34節

 
自分が何をしているのか知らない。
選択には責任が伴うということを知らない。
神の御心を知らない。
 
そういう無知のゆえに、イエスを十字架につけろと騒いでいる人々を、
イエスはすでに赦しているわけです。
あとは、赦された側の人間が、それを自覚できるかどうかです。
 
無知のゆえに、従うべきでない命令に従ってしまうのは、仕方ないのかもしれない。
でも、何かのきっかけで自分の無知に気がついたなら、それ以降は、
何に従い、何に従うべきでないかを、自分で考える責任が生じます。
 
「誰々さんに命じられたからやりました」
という生き方を意図的に選ぶこともできます。
弁が立つ人なら、それで生涯安泰、
責任逃れと自己保身を続けることが可能だと思います。
素直で忠実な人という評判を獲得することすらできるでしょう。
 
しかし私は、そういう生き方では自分がスッキリしない、
自分の人生を生きている感がしないので、
「誰々さんに命じられた内容を吟味してから、
 私の意思でそれに従いました/拒みました」
という方を選択し続けたいと思います。
 
心底納得できる、心がスッキリするというのが、すがすがしいってことです。
心がすがすがしく晴れているなら、ハレル・ヤー(主をたたえよ)です。
心が曇っている時は、ハレルヤーという気分にはなれない、神の道から外れている。
 
何に従うか従うべきないか、考えてもわからないときには、
自分の心がスッキリする方を選べばいいですね。
神の御旨にかなっている選択ができていれば、心がスッキリします。
堂々と神に顔向けすることができます。
 
 何を守るよりも、自分の心を守れ。
 そこに命の源がある。
 
 ――旧約聖書 『箴言』 4章23節
 
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
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