【今回のもくじ】

・ 熱中症への厳重な警戒が必要です!
・ 気象警報も神からの預言である
・ 正常性バイアスと、警報のオオカミ少年化
・ 警告者は預言者 … 預言を聞く側の心がけ
・ 発信者の責任、受信者の責任

 

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■ 熱中症への厳重な警戒が必要です!

 

命にかかわる危険な暑さです

冷房をためらわずに使いましょう

無理をせず休憩をこまめにとりましょう

 

と、ニュースでも天気予報でも、開口一番に警告してくれているにもかかわらず。

 

私は先週の火曜に、自宅で軽度の熱中症にかかってしまった((+_+))

 

夕食を食べ始めて数分すると、激しい吐き気とめまいがして。

熱中症だと気がついたので、とにかく吐くだけ吐いて、

水シャワーを浴びて身体を冷やして。

エアコンの冷風を浴びながら一晩休んだら、幸い、めまいと吐き気はおさまったから、

医療機関のお世話にはならなかった。

 

それでも、身体にこもった熱が引くまで4日ほどかかった。

胃の具合が回復して、ふつうに食事ができるまでは5日ほどかかった。

冷え性で血圧低めの私ですらこんな症状が出るのだから、

もともと暑がりの人、血圧が高い人なら、なおさら危ないと思う。

 

熱中症は、たしかに命にかかわる危険な症状だということはわかった。

皆さんも、本気で気を付けてください。

 

● 熱中症に気づくのが遅れた原因

 

・正常性バイアス(偏見) … 今までも大丈夫だった。自分だけは大丈夫。という楽観

 

・警告のオオカミ少年化 … 毎日聞かされてるうちに、警告に慣れてしまった

 

・茹でガエル現象 … じわじわ悪化するから異常を自覚しづらい、気づいたら手遅れ

 

・根性論の呪い … 病は気から。暑さに慣れれば平気になる。冷房に頼ると身体が弱る。

 

● 実際に熱中症になってわかったこと

 

・顔のほてり、頭痛、頭がぼーっとするという自覚があっても、熱中症だとは感じない。

 夏だから暑くて当然だ、こんなものだろうと思ってしまう ← 正常性バイアス

 

まめに水分補給しても、体内にこもった熱は発散できない。

 身体の外部からクールダウンする必要がある。

 

熱中症になると、吐き気と嘔吐がひどくて、水分補給などできない。

 飲んでも胃が苦しくて吐いてしまう。

 

 
 

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■ 気象警報も神からの預言である

 

私が熱中症になった原因は明らかすぎるほど明らかだ。

――自宅でほとんど冷房を使わず、自然風と扇風機だけでしのいでいたため。

 

このやり方で、今まで大丈夫だった実績があるから、

体調の異常を「そんなもんだ」と小さく見積もり、

まして危険だとはまったく思わないで、熱中症になってしまったというわけ。

 

さすがに猛反省。

自宅にいるときは、寝る時も、必ず除湿か冷房を動かすことにした。

 

おかげで今(7月23日)は、身体がベタつくことなく、さらっと快適。

気温だけでなく、湿気も身体に悪いということがよくわかった。

 

実体験しなければわからないことはたくさんあるが、

こういう危険な経験は、避けて通るのがいちばんだ。

君子危うきに近づかず……私は君子ではなかったようだ ( ̄∀ ̄)hahaha

やっぱり、まっとうな注意喚起、警告は、ちゃんと聞かなきゃダメやね。

 

気象データも神の言葉の一種。
気象専門家が観測データを見て、人々に危険だと警告してくれている内容は、
まさしく神からの預言だと思う。
気象予報士は、気象分野の預言者ということになるね。
 
預言者というと、霊的に特殊な感性をもった人というイメージがあるが、
必ずしもそうとはかぎらない。
預言者は占い師や予言者ではない、「神の言葉の代弁者だから。
 
現代の預言者(良識ある専門家)の警告にもちゃんと耳を傾けて、
自分事として対処しないと、ときには命を失うこともあるんだなあ……
熱中症にはほんとうに気をつけてくださいね。
 
■ 正常性バイアスと、警報のオオカミ少年化

 

この度の豪雨をはじめ、大きな天災があるたびに、

警報発令を知っていたけれど、避難しないで被災してしまう」ケースが問題になる。

 

これもねえ。

避難指示が出ていたから避難したけど、何事も起こらなかった

ということが何度か続くと、各種警報がオオカミ少年の叫びに聞こえてしまうよね。

 

どうせ今回もたいしたことないだろう、警報が大げさすぎると思ってしまう。

熱中症への警告もまったく同じ。

 

これに加えて、正常性バイアスという心理もはたらく。

 

・正常性バイアスとは  ウィキペディア

 

 自然災害や火事、事故、事件などといった

 自分にとって何らかの被害が予想される状況下にあっても、

 それを正常な日常生活の延長上の出来事として捉えてしまい、

 都合の悪い情報を無視したり、

 「自分は大丈夫」「今回は大丈夫」「まだ大丈夫」などと過小評価するなどして、

 逃げ遅れの原因となる。

 

良く言えば、「胆がすわっている」「落ち着いている」

悪く言えば、「危機に鈍感」「間違いを自覚できない」「過信」

 

さらに、熱中症の場合は茹でガエル現象があてはまると思う。

 

・茹でガエル現象とは  ウィキペディア

 

 2匹のカエルを用意し、

 一方は熱湯に入れる → 直ちに飛び跳ね脱出・生存する。

 もう一方は緩やかに昇温する冷水に入れる → 水温の上昇を知覚できずに死亡する。

 

天災も熱中症も、連日報道されていることに慣れてしまわないで、

自分事として受けとめなきゃいけないんだなあ。

 

気象警報、避難指示等のオオカミ少年化については、各自治体も頭を悩ませているようで。

大げさに警報を出して何事もなければ苦情が来るか、次回から聞いてもらえなくなる。

かといって、発令に慎重になり過ぎると、避難が間に合わずに被害が出ることもある。

 

それでもここ数年は、各地で大きな天災と被害が続いていることから、

警報が空振りになってもいいから、早めに発令すること」が原則になっているみたい。

 

すでに警報のインフレーションが起きてしまってる気もするけど、

警報の発令者にあれもこれも求めすぎるのは、きっとこちらの甘えだ……

あとは、個人レベルで、健全な危機感(過度の杞憂ではなく)をもって判断するしかないね。

 

■ 警告者は預言者 … 預言を聞く側の心がけ

 

熱中症になったことで、預言者と民衆の関係が少しリアルにわかった。

 

旧約聖書の預言者は、「警告者」と言いかえてもいいぐらいに、

ひたすら人間への警告・改善を叫び続けている。

しかし当時の民衆の多くは、預言者をとおして語られる警告を聞かなかった。

だからユダヤ人王国は滅亡したのだけれど。

 

気象警報が発令されても、「ああ、またか、最近多いよね」と他人事に感じるのと同じく、

古代ユダヤ人も、預言者の警告に対して「ああ、またか、ご苦労さん」と思ったのだろう。

多くの人は、たぶん自分事としては聞いていなかった。

 

預言者エレミヤは、オオカミ少年呼ばわりされていたらしい。

その件について、エレミヤは神ヤハウェにこんな愚痴をこぼしている。

 

 主よ、あなたがわたしを欺かれたので、わたしはその欺きに従いました。

 あなたはわたしよりも強いので、わたしを説き伏せられたのです。

 

 わたしは一日中、物笑いとなり、人は皆わたしをあざけります。

 それは、わたしが語り、呼ばわるごとに、「暴虐、滅亡」と叫ぶからです。
 主の言葉が一日中、わが身のはずかしめと、あざけりになるからです。
 
 もしわたしが、
 「主のことは、重ねて言わない、このうえその名によって語る事はしない」と言えば、
 主の言葉がわたしの心にあって、
 燃える火のわが骨のうちに閉じこめられているようで、
 それを押さえるのに疲れはてて、耐えることができません。
                          
 ――旧約聖書 『エレミヤ書』 20章7-9節
 
エレミヤが何か預言して、
「神に立ち返れ、さもなければ暴虐がー、滅亡がー」
と叫ぶのを、当時の民衆は笑いながら聞いていたもよう。
 
最終的に、預言通りにユダヤ王国は滅亡するけど、
滅亡するまでの期間は、エレミヤは「大げさな預言をする人」と思われていた。
はいはい、滅亡滅亡、そりゃー大変だー (*´・ω・)(・ω・`*)ネー
という感じにあしらわれていたのかな。
 
エレミヤは「主に欺かれた」と、神に愚痴をこぼしている。
神が嘘の預言をさせているわけではないことは、エレミヤ自身がよくわかっている。
それでも、民衆の心ない反応と迫害が続くと、エレミヤの心も折れてしまう。
ついつい、「主がわたしを欺いているんだ」と、神に苦情を言いたくなる。
それでも、主の言葉が骨の内からわいてくるので、預言せずにはいられない。
 
日本の自治体の危機管理担当者にも、預言者と同じ葛藤があるのかも。
気象データ的には本当に危ないのだけれど、被害が出るとは限らない。
やたらに警報や避難指示を出すと、警報がオオカミ少年みたいになってしまって、
住民の危機感が薄れてしまう。
かといって警報を出さないわけにもいかないし……
 

どの分野でも、預言者の警告をまじめに受けとめる人と、スルーする人がいる。

二八の法則というね。
たぶん、警告に従う人が2割、聞いてもスルーする人が8割。
ほとんどの人は、そんなに深刻には受け取らないと思う。
 
警報をまじめに聞いてくれなくて、被害が出たとしても、
それは預言者側の責任ではない、預言を聞く側の問題なんだよね。
 
私が熱中症になって苦しんだのも、私の自業自得でしかない……
「熱中症に厳重な警戒が必要です」という預言を連日聞いていながら、
自分事とは思ってなかった。(´д`lll)
 
神ヤハウェは預言者に対して、「警告せよ、預言せよ」と命じるけれども、
「民衆を説服せよ、力づくで神に従わせよ」とはぜったいに言わない。
神はあくまで個人の自由意志を尊重している。
私が熱中症になったのも、神が私の自由意志を尊重してくれた結果だろう……
 
神は預言者エゼキエルに対して、預言者の責任範囲をこう示している。
 
 人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。
 
 わたしがある国に向かって剣を送るとき、
 その国の民は彼らの中から一人の人を選んで見張りとする。
 彼は剣が国に向かって臨むのを見ると、
 角笛を吹き鳴らして民に警告する
 
 角笛の音を聞いた者が、聞いていながら警告を受け入れず
 剣が彼に臨んで彼を殺したなら、血の責任は彼自身にある。
 彼は角笛の音を聞いても警告を受け入れなかったのだから、血の責任は彼にある。
 彼が警告を受け入れていれば、自分の命を救いえたはずである。
 
 しかし、見張りが、剣の臨むのを見ながら、角笛を吹かず、
 民が警告を受けぬままに剣が臨み、彼らのうちから一人の命でも奪われるなら、
 たとえその人は自分の罪のゆえに死んだとしても、
 血の責任をわたしは見張りの手に求める。
                          
 ――旧約聖書 『エゼキエル書』 33章2~6節 
 

何かを知り得た人には、「知った者の責任」が発生する。

 
だから、もし自分が何かの分野で、注意喚起をしなければならない立場になったなら、
やはり空振りになってもいいから、注意・警告すべきことはきちんと伝えることが大事。
警告すべきことを警告しなかったならば、その被害の責任は預言者にある。
 
相手が注意・警告を聞いてくれなくても(そういう場合の方が多いだろう)、
それは預言者の責任ではない。
神はそういう理由で預言者を叱ったことは一度もない。
 
相手には相手の自由意志がある。
預言・警告に従う自由もあるし、スルーする自由もある。
神ですら人間の自由意志を尊重している。
だから人間には、警報をスルーする自由があり、神を拒む自由もある。
もっとも、自由には責任が伴うから、
警告をスルーした結果は本人が引きうけることになる。

 

■ 発信者の責任、受信者の責任

 

私は天災の被災者の自己責任云々について言いたいわけではない。
それは当事者と神との問題。
事情を知らない第三者がゴチャゴチャ言うことじゃない。
 
それが天災でも芸能スキャンダルでも、外野から石を投げる暇があるなら、
「私自身はどうかな、大丈夫かな」と見直す機会とするのがよいと思う。
 
豪雨の浸水被害が大きかったエリアで、逃げ遅れた人の中には、
避難をうながす緊急速報の着信音がうるさいから切っていた
という人もあったそうだ。
私はこういう人の気持ちがわかる気がする。

実は私も、自治体の防災メール登録をしているが、着信音はサイレント。
大雨洪水警報や竜巻警報を深夜に1時間おきに発信されると鬱陶しい。
昼間でもうるさい。

そのかわり、緊急速報(地震・災害・避難)は深夜もオンにしているから、
それでじゅうぶん対応できると思っている。

今回の豪雨では、大雨特別警報の緊急速報が、深夜に数十分おきに鳴った。
うちは兵庫県だけど、兵庫県は広いからね……
兵庫県内のどこかに大雨特別警報が出るたびに、
それも深夜にいちいち緊急速報が鳴ってしまうと、正直うるさいなと思ってしまう。
 
でも、警報を出す立場からしたら、深夜だろうが苦情が来ようが、
発信しないわけにはいかんのよね。
 
もし自分が何かの警報の発信者側になったなら、
空振りになってもいいから、発信すべき内容を発信すること。
警報が空振りして、オオカミ少年呼ばわりされるのは悲しいけれど。
人には理解されなくても、神はちゃんと事情を知ってくれているから、それを頼みとしよう。
 
何かの警報を聞いたなら、それに従うか否か、自己責任で判断すること。
一人ひとり、おかれている状況が違うから。
自分には無関係な警報もたくさんあるだろう。
 
警報を聞いておきながら、なすべきことをしないで被害が出たなら……
自分の落ち度だと認めたうえで、助けを求めるしかないね。
自分が悪いのだ、自己責任だからと、一人で抱え込んでしまうのはNG。
 
古代ユダヤ人は、自分の落ち度で窮地に陥ったときには、
すぐに反省して神に助けを求めた。
旧約聖書『詩編』にはそういう詩が多い。
 
 あなたに背いたことをわたしは知っています。
 わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
 ……御救いの喜びを再びわたしに味わわせ
 自由の霊によって支えてください。
                     
 ――『詩編』 51編5、14節
 
旧約聖書の神ヤハウェは、無慈悲な暴君だと思われがちだが、
「私が間違っていました、ごめんなさい、助けてください」と頼む人を退けはしない。
神が厳しくあたるのは、「私は悪くない」と主張して、自分の罪を認めない人に対して。
 
だから、熱中症でもなんでも、
自分に落ち度があった場合は(他者にはわからなくても自分はそれを知っているはずだ)、
まずそれを素直に認めるところからだと思う。
 
「自分は悪くない。警報の内容が悪いんだ、警報を出すタイミングが悪いんだ。
 もっとわかりやすい警報を出してくれていたら、自分も対処できていたのに」
などと、他者を責めることだけはぜったいにするまいと思う。
 
また、こういう他責癖のある人を恐れて、
出すべき警報を出し控えることもするまいと思う。
 
預言者エレミヤの『哀歌』に、こんな一節がある。
 
 預言者はあなたに託宣を与えたが
    むなしい、偽りの言葉ばかりであった。
 
 あなたを立ち直らせるには
    一度、罪をあばくべきなのに
 
 むなしく、迷わすことを
    あなたに告げるばかりであった。
                        
 ――『哀歌』 2章14節
 
民の顔色を見て、預言内容を曲げてしまう日和見預言者に対して。
あるいは大衆受けのする、楽観的な偽預言をする人に対して。
平和がないのに「平和、平和」と言う人に対して。
 
ユダヤ人王国が滅亡したのは、エレミヤ以外の預言者が、
民に対して警告すべきことを警告しなかったためでもある。
警報を出すべき立場の人が、迫害を恐れて、警報を出さなかったのだ。
それどころか彼らは、エレミヤの真実の預言を否定し、邪魔をしてきた。
 
 身分の低い者から高い者に至るまで
 皆、利をむさぼり
 預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
 
 彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して
 平和がないのに、『平和、平和』と言う
                    
 ―― 『エレミヤ書』 6章13、14節
 
現代人でも、すべての人が預言者と同じ立場にあると思う。
神から与えられている賜物、才能、地位などに比例して、その責任は重くなる。
 
自分のおかれた立場で、伝えるべきことをちゃんと伝えているかどうか。
調子のよい偽預言者になっていないかどうか。
相手への配慮は必要だが、顔色うかがいをしてはいけない。
              
 
 
※ 記事中の聖句引用元/日本聖書協会『新共同訳聖書』または『口語訳聖書』
 
※イエスキリストの純粋な福音を知りたい人には、
 『キリスト教放送局 FEBC 』をお勧めします。
 
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