娘が学校に行かない選択をする
家にずーっといる
何をするわけでもなく
スマホ&タブレットで動画やゲーム三昧
あぁ!モヤモヤする・・・
と思いません
ではどう思っているのか
【私の思う結論】
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☆学校に行くことがゴールではない
☆自分の魂が喜ぶことをして欲しい
☆ニコニコ生きて欲しい
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この3つの私の結論は
娘が家にずーっといても全く問題ない
娘が家でゴロゴロしてても問題ない
私は在宅起業ですから
その横でパチパチとパソコンのキーボードをたたく
ZOOMでお仕事の時は
別室でセッションする
娘が家にいても全く問題無し!
そしてまわりから言われる
将来についての不安
勉強についての不安
将来の不安ですか?
なぜ私が娘の将来の不安を気にする必要がある?
娘の人生は娘が不安に思えばいい
勉強の不安ですか?
なぜ私が娘の勉強を気にする必要がある?
娘の学力は娘が不安に思えばいい
こう言うとたいてい引かれます
極論を言っていると思われます
こんな私ですが
これ
最初から思えたこと
じゃありませんから!
もちろん最初はモヤモヤからスタートする
不安を娘にぶつけまくり
焦りを娘にぶちまけまくり
だんだん娘の顔色は土色になり
だんだん娘の表情は無くなった
その土色で表情の無い娘の顔を見て
気づいたこと
私がやりたいことはこれじゃない!
何やってんだ?私
私はこんなことしたいのか?
『娘を追い詰める人』という役割をしたいのか?
あなたの為よ
あなたが困るからよ
親や先生が言うこのセリフ
それは大きなお世話
私が感じる不安や焦燥感は
50年生きてきた経験から生まれたもの
たかだか14年の人生の
経験が少ない娘が
大人の理屈を受け入れられるわけがない
ここで忘れちゃいけないのは
子どもたちは親の不安を知っていること
頭では理解している
でもそれは自分の経験ではない
だから受け入れられない
でも
ママが悲しい顔をするから
ママを困らせないように言う
「わかった。明日からやるね。」
こんな取り繕った言葉
親を心配させたくないという言葉
こんな言葉を言わせて
こんな言葉を聞いて
私は「あぁ良かった」と安心していたのか
自分!バカなのか!
こんなうわべだけの言葉を言うことで
どんどん感情を押し殺し
表情が消えて行った娘
娘が悲鳴を上げるまで気づかなかった
ほんっとごめん!
だからやめちゃった
娘の人生と私の人生を重ね合わせることを
私の人生と娘の人生を切り離す
娘の不安は娘の不安
私の不安ではない
ただ
私の経験で知っていることは伝える
私も同じこと思ってたよ
私がその時はこうやってたよ
そうすると
自然に娘に伝わる
『怒り』をぶつけて
「こうしなさい!」
と言っても伝わらないけど
「ママが中学生の時はね~」
と言えば同じ内容が伝わる
するとみるみる血色がよくなる娘
ママ!これ見て!
ママ!これかわいいでしょ!
ママ!ここに行きたい!
あんなに無表情だった娘が
私と一緒にいたいと言う
これだ!私がやりたいこと!
『娘を追い詰める人』という役割から
『娘の隣で気分を上げる人』という役割へ
これでやり直し
小さいころから蓄積された大人への不信感
同じぐらい蓄積されている大人への期待感
娘の中のこの陰と陽のバランスを
心地良いバランスへ
こんな風に変化した私
これが正解ではなく不正解でもない
私の場合の話
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