ミルク混合
8週目の娘
娘が2ヶ月目に入った頃、私はすでにミルク混合で育児をしなければならなくなっていた。 当初の目標は最低でも半年は完全母乳。 いきなり母乳育児に失敗してしまった気分でちょっとショックだった。 最初の1ヶ月間に娘に直接母乳を与えられなかったのが原因なのだろうか。 電動搾乳機のお陰で、赤ちゃんに必要な免疫が多く含まれているという初乳はしっかり与えられたものの、正直、こんなに早くミルク混合にしなければならなかったのは予想外だった。
低体重児として生まれてきた娘は母乳を吸わせるとすぐに疲れて寝てしまう為、必要な量の母乳を飲ませるには電動搾乳機でガンガン絞って哺乳瓶から与えるしかなかったのだ。 生まれたての頃はほんの少量しか飲むことが出来なかった娘も、体重が増えていくにつれその分食欲も旺盛になり、気が付けば娘の飲む量が電動搾乳機で絞れる母乳の量を超えてしまっていた。 1ヶ月くらい経った頃、おっぱいから直接母乳を与えるようにしてみたが、時すでに遅しだった・・・。 母乳は、赤ちゃんに吸われる度にホルモンなどが刺激されてどんどん出るようになる。 その頃には私の胸は生まれてすぐの頃のようにすぐにはパンパンに張らなくなっていた。 最低でも4、5時間置かないとパンパンには張らなくなってしまったので、1日に2、3回は粉ミルクを与えなければならなかった。 娘は私の母乳が足りないのか、それとも哺乳瓶に慣れてしまって直接母乳を飲むと疲れてしまうのか、時々授乳の途中でフラストレーションから首を左右に振るようになった。 仕方ないので、こんな時は母乳の後にミルクを足して満足そうに眠るまで与えるようにしていた。 授乳は予定通りにはいかないものだ。
ある時、日本にいる母親と母乳について電話で話していた時のこと。 なんと、私の母親も早いうちに母乳が出なくなり、2ヶ月で断乳しなければならなかったそうだ。 その点、私は完全母乳への道は閉ざされてしまったが、まだ断乳しなければいけないわけではなく、ミルク混合でも母乳は続けられるだけましな方なのだろうか。 そして、更に話を聞いてみると母の姉と妹も同じように、2、3ヶ月であえなく断乳することになったとか・・・。 てっきり電動搾乳機のせいかと思っていたが、実は家系による要因が強いようだ。
何はともあれ、母乳には不思議なマジックがあるように思う。 赤ちゃんにとって、母親のおっぱいをその小さい口いっぱいに頬ばりながら、お母さんの心音を聞き、そのあたたかいぬくもりに包まれて眠りに付くのは究極の至福の時だろう。 同じように、母親にとっても我子が天使のような顔で幸せそうにおっぱいを飲んでいる姿を見るのはまさに母親の至福の時かもしれない。 こんなことを繰り返すうちに母子の絆は益々強くなり、自分の子をもっともっと愛しいと思うのだろう。 父親には絶対に味わうことのできない幸福感だ。
完全母乳ではなかったが、当初の目標だった半年間の母乳育児は無事達成することができた。 娘が生まれてから6ヶ月目の3月上旬、意を決して断乳。 ミルク混合で育てていたため、断乳は思っていたほど大変ではなかったのが救いだ。 断乳から1週間くらいは時折おっぱいを探すしぐさをしていた娘も、その後も何の抵抗もなくミルクを飲むようになっていった。 今思えば、子育てをしている中で一番幸福感を感じていたひと時だったように思う。 二人目を産む時はもっと長く母乳をあげたいと思う。
義母、孫に会いにアイルランドからやって来る
夫の母に授乳してもらっている娘 7週目
私の日本にいる母が帰国してから1週間後、今度は夫の母がアイルランドから孫を見にやって来た。 義母は、現在77歳。 高齢である。 すでに孫も5人いて、娘で6人目の孫となる。 私の母がたったの3日間の滞在しかしなかったのに対し、義母は2週間滞在することになった。 夫とは結婚して5年経つが、義母が我が家に泊まりに来たのは今回が初めてだ。 今まで何度か遊びに来たことがあったが、お泊りではなくお食事かお茶をするだけで、家から車で20分ほどのところに住んでいる義姉のところに泊まっていたのだ。
さて、義母滞在中の2週間・・・・私は掃除の鬼と化していた。 私は大のきれい好き。 というか、ほとんど潔癖症に近い。 乳児のお世話で自分の寝る暇さえないというのに、毎日毎日せっせと家の中を片付け、気がつくとキッチンにこもりがちになっていた。 現在77歳の義母は、アイルランドで最近90歳になったばかりの義父のお世話をしているため、今回の旅行は義母にとっては慰安旅行でもある。 高齢な上、片方の目の視力が極端に弱くなっているということもあり、義母には家事、育児のお手伝いはほとんど頼めない状態なのだ。 産後の身体にはつらい状況だ。 私がもっと適当な性格だったら、こんな時もきっとお気楽に過ごすことができたのだろうに・・・。 しかし、半ば完璧主義者の私には、たとえ産後といえど家を散らかしたままお客様を迎えるわけにいかないのだ。
こうして、育児と睡眠不足で疲れた身体に鞭をうちながら、妻の過酷な2週間は始まった。 まず、娘の授乳で早朝に目が覚め、そのまま朝食の支度をする。 夫と義母が起きてきて3人で朝食をとる。 アイルランド人は(というか、夫の家族はといった方が正解)、朝食を食べ終わってもすぐに片付けず、紅茶を飲みながらだらだらといつまでも朝からおしゃべりに徹する。 その間に妻は軽くシャワーを浴び、夫は朝食の後片付け。 義母は孫と楽しそうに遊んでいる。 こんな感じで、昼食、夕飯と私が全て作り(たまに夫も作るが)、夫と義母が寝た頃に妻は毎日ひっそりとキッチンとフローリングのお掃除。 そして、週に2回はみんなが出払っている頃を見計らって掃除機をかけ、1階と2階のバスルームの掃除。 その間にも鬼のように洗濯物が溜まる。
その頃の私は、娘に直接母乳から飲ませる傍ら、まだ電動搾乳機のお世話にもなっていた。 直接母乳からだと娘の飲む量が少なく、すぐに胸がパンパンに張ってしまうので、朝、昼、晩と1日3回は搾乳し、その度に哺乳瓶の消毒もしなければならなかった。 たったの10分、15分とはいえこの間でさえも惜しいと思えてくる程自分の時間がなかった私。 よく、搾乳している最中に居眠りしていたものだ。 こーんなに大変な思いをしていたのは妻だけではない。 夫も結構手伝ってくれていた。 しかし、母親にしかできないこと(授乳、搾乳など)もあり、夫に比べると妻の睡眠時間は格段に短い。
義母は、アイルランドの自宅ではいつも綺麗にしている人だ。 キッチンもバスルームも、いつも完璧なくらい清潔にしている。 私たちが遊びに行くと、特に気合を入れて家を綺麗にしていてくれている。 きれい好きの私の為に無理にしてくれていたらちょっと申し訳ないが、私にはありがたい限りだ。 まあ、そんな義母なので、今度は彼女の為に居心地のいい滞在にしてもらおうと、妻も毎日張り切ってお掃除のおばさんと化したわけである。 しかし、乳児のお世話でろくに眠れない私の体が2週間も続くわけはなかった・・・。(悲)
義母が帰る3日前くらいから、だんだんと体が動かなくなってきて朝も起きれなくなってしまった。 娘の早朝の授乳も添い寝しながら与えたりしていたのでそのまま寝てしまい、気がついたら午前9時になっていたりした。 夫も義母も私の体を休めてあげようとわざと起こさないでくれていたのだが、最後の日まで起きれずに朝食の準備ができなかったのは正直申し訳ない・・・。 本来なら自分の母や義母に来てもらった時は、産後の身体を気遣い、いろいろとやってもらったりするものだと思っていたのだが、私の場合は産後の身体に更に試練を与える形となった。 産後の育児はそれ程苦ではなかったが、育児と客のお世話、そして毎日のように家事、掃除はやはり無理があったように思う。
今度、赤ちゃんを産む時は私のお手伝いをしてくれる人だけを、ご招待することにしよう。
赤ら顔
顔に赤い湿疹ができている5週目の娘
ちょうど私の母が日本へ帰ってすぐの5週目頃、娘の顔に赤い湿疹が出来始めていたのに気が付いた。 娘のお肌の手入れはかなり念入りにしていたつもりだったので、湿疹を発見した時はかなりショックだった。 娘が生まれてから1ヶ月目くらいまでは、まだまだ真夏の陽気で毎日のように暑い夜が続いていた。 清潔を保つためお風呂には毎日入れていたが、湿気が多かったのでベビーローションは1日置きくらいでしかつけていなかったのだ。 まさか、ローションをつけなかったから湿疹ができたのだろうか・・・。
子育てをしている友人たちに聞いてみると、赤ちゃんの脂漏性湿疹はけっこう普通で、そのうち治るとのことだった。 このままにしていて本当に治るのか、正直半信半疑だった。
6週目になっても、7週目になっても一向に治る兆しがない。 それどころか、だんだん赤い湿疹の範囲が広がって、まぶた、おでこ、耳、首のあたりまで赤くなってしまっている。 特にひどいほっぺの辺りはかさかさし始めているような・・・・。 このままほっといたらアトピーになるのでは、とだんだんと心配になってきた妻。
丁度小児科検診の時期でもあったので、ヤム先生に聞いてみた。 すると、『乳児の脂漏性湿疹は一時的な場合がほとんどだから、そのうち元に戻るわよ。 でも、赤ちゃんが痒くて引っかいてしまうと治りが遅くなったり、もっと広がってしまったりする可能性があるので、もし気になるようだったら、副腎皮質0.5%のクリームを塗るといいわ。』 とおっしゃっていた。 早速薬屋さんで市販のクリームを探してみることにした。
アメリカの薬屋さん(ドラッグストア)には沢山の種類の薬がおいてあるが、かゆみ止めや湿疹用のクリームを探してみると、ほとんど全てが 【副腎皮質1% - Maximum Strength】 となっていて、どの薬屋さんにも0.5%のクリームがおいていなかった。 人間、かゆみ止めは最初から一番強力なやつを使って一刻も早くかゆみを止めたい、というのが心情なのだろう。 しかし、肌がデリケートな赤ちゃんには1%のクリームは強すぎてしまうので、どうしても0.5%のクリームが必要だ。 薬屋さんを3件あたってやっと見つける妻。
早速クリームを塗ってみることに・・・。 デリケートな目の周りにはつけることはできないので、ひとまずほっぺたとおでこに試験的に塗ってみることにした。 2日後、多少赤いのが薄くなってきたが劇的な効き目ではないようだ。 気のせいかもしれないが、ある部分が治りかけるとまた別のところに新しく湿疹が出来ているような気がしてきた。 このままで本当に治るのか・・・。 妻の疑いはなかなか拭えない。 どうしたものか。
アメリカで知り合った日本人の奥さん(娘さんもアメリカ人とのハーフちゃん)とちょっと前に電話した時、こんなことを言っていたのを思い出した。
奥さん: カリフォルニアは空気が常に乾燥してるでしょ、だからうちの子よく乾燥性の湿疹ができて大変だったのよ。 いつもベビーローションを塗っていたらそのうちすーっと消えてきたのよね。
もしかしてこれかも! 湿疹用のクリームもだめならもうこれを試してみるしかない。 そこで、お風呂から上がった後に、いつもよりちょっと大目にベビーローションを塗り始めてみた。 すると、おどろいたことにみるみるうちに赤い湿疹が引いてきたのだ。 とはいうものの、7週目あたりにはかなりひどいお顔になってしまったので、一気に全部がひいたわけではないが、確実に湿疹のクリームの何倍の速さで治り始めたのだ。 白人のお肌はデリケートで乾燥しやすいとはよく言うが、まさか自分の娘が乾燥性の湿疹ができているとは・・・。 それからというもの、ベビーローションはいつも念入りに塗ってあげることを怠らない妻。 その努力の甲斐あって、8週の終わり頃にはほとんど元のすべすべのお肌に戻っていた。
保湿を保ってあげるだけで、これほど効果があるとは正直驚きだ。 娘の小児科医のヤム先生は今でもとても信頼しているが、子育て中のお母さんたちの声にも役立つ情報がたくさんあるものだな、と改めて気づかされた出来事だった。 お母さんネットワークは本当に大切だ。 今後も少しずつ広げていけたらいいなと思う。
日本のおばあちゃん、初孫を見にやって来る
おばあちゃんに抱っこしてもらってご機嫌の娘 5週目
今回は、娘の話と言うよりは私の日本の母が初孫を見に一人ではるばる海外旅行して来た時の話。
私はその昔、4年ほどカリフォルニアで留学していたことがある。 母は極度に海外を恐れている節があり、留学中の4年間に一度たりとも私のところに遊びに来たことがなかった。 唯一渡米してきたのは(それが母の初めての海外旅行となったのは言うまでもないが・・・)、私と夫の結婚式の時。 家族でぞろぞろとやって来て、仕事を沢山休むわけに行かないから、という理由で10時間もかけて飛行機で来たにも関わらずほんの3泊4日で帰っていってしまった。
今回の旅行は、初孫ということもあり母には是非娘が小さいうちに来て欲しかったので、当初の出生予定日の2週間後(娘4、5週目)に来てもらうことになった。 それも母が是非来たい!と言ったわけではなく、私が 『せっかくの初孫なんだからとにかく是非来て欲しいんだけど・・・』 とかなりプッシュして初めて実現した。 しかも、孫を見に来るというのがメインであるとはいえ、産後の私の体も疲れているので、短くても1週間くらいは居て家事を少し手伝ってもらおう、と思っていたのだが、なんと母は・・・
母: それじゃ~、仕事もそんなにお休みするわけにもいかないから2泊でどう? それも土日ね!
初孫を見に行くのに2泊3日かいっ! とはいうものの、人の話を素直に聞き入れる母ではない。 しかたないので、母の希望日程で旅行会社に問い合わせてみることになった。 結果、JALの格安航空券の規定により、現地で最低でも3日間滞在しないといけないということで、1泊多い3泊4日で発券となった。 初孫に会いに行くための海外旅行なのに、ビジネスマンの出張旅行並の日程で来ることになった母。 そもそも、翌月に弟の結婚式があり(またまた海外挙式)、それでもまた数日お休みをしなければいけなかったので、そのことも影響しているのだとは思うが、もう少し長くいてもいいのではないかと思う妻なのだった。
私の母は度胸はあるものの、極度の海外オンチ。 前回、私たち夫婦の結婚式に来た時もあやうく機内のトイレでタバコを吸ってしまうところだったとか・・・。 母は今でこそだいぶ吸う本数が減ってきたが、その当時かなりのヘビースモーカーだった。 そして、サンフランシスコ空港に着くや否や 『喫煙所、喫煙所!』 と手を震わせながらょろきょろと探していたという。 よっぽど、機中のタバコなしの10時間がつらかったのだろう。 今回は一人旅なので止める人は誰もいない。 果たして本当に一人で海外旅行できるのか。 妻の不安は膨らむばかりだ。
母の旅行の手配をするその背景には、航空券の手配から、旅行会社に勤める友人に頼んで記入済みのI-94フォームと税関申告フォームを送ってもらったり、税関で聞かれそうな質問を日本語と英語とカタカナで入力したものを母にファックスしたり、と妻の涙ぐましい努力があった。 税関で万一英語が通じなかった場合は、ここを係員に見せるようにと 『税関の係員へ』 と称した簡単な覚書も書いておいた。
そして、問題の税関での質問。 私の母は全く英語がしゃべれない。 ひとまず英語を聞いてみようという気はさらさらなかったのか、なんと母は自分の番になるなり、バンッ、と私がファックスした紙をテーブルに置き、大胆にもここを読め!と私が書いた覚書の部分を指差したという。 係員は、半ば呆れながらも英語で 『How long are you staying in the States?』 と母に質問し、今度は係員がここを読め、とその質問の答えと思われる部分を指差したという。 母は私の訳したカタカナの部分を読み、無事税関を通り抜けることができた。 親切な税関の係員に感謝・感謝!
こうしてたった3泊の為だけに大変な思いをして一人海外旅行をしてきた母は、無事初孫に会えてとても喜んでいたようだ。 自分で3泊で!といっていたのに、帰える時には 『もう少し居たかったとわ~』、と惜しげに日本に帰国していった母。 何だかんだ言ってもやはり初孫はかわいいのだろう・・・。 いろいろと苦労して来てもらった甲斐があって本当によかった。 しかし、産後の身体で、乳児と海外オンチの母のお世話は何かと大変だ。 この1週間後には義母が2週間やってくる。 つかの間のくつろぎだ。
鼻から牛乳(母乳)?!
娘が我が家の一員になってから2、3週くらい経った頃だっただろうか。 電動搾乳機導入のお陰で、娘は見違えるように母乳(哺乳瓶から)を飲むようになった。 日に日に飲む量も増え、初めての子育てもだんだんいい調子になって来たころ事件は起こった! 娘が2階でお昼寝している間、私たち夫婦は赤ちゃん用のモニターを付けて1階のリビングでテレビを見ていた。 と、その時 『うっ!』 という娘の声が聞こえ、慌てて2階へ駆け上がる私たち夫婦。 そしてそこで見たものは・・・・・。
ぴゅーっ!! 鼻から牛乳(母乳)?!
なんと、娘の鼻と口から同時に母乳がぴゅーっと、噴水のように吹き上がっていたのだ。 一瞬、何が起こったのか分からないくらいあっという間の出来事だった。 娘は自分の身に何が起こったのかもよくわかっていない様子で、しばらくは唖然としていた。 慌てて娘が吐いたものがのどに詰まっていないかどうか確かめてから、娘を抱き上げた妻。 そして、5秒くらい遅れて初めて泣き出した娘。 おとなしくお昼ねしていたのが、急にあわただしくなったかと思えば、おろおろしている両親が心配そうに覗き込んでいて、びっくりしたのだろう。 穏やかな昼下がりに起こったこの事件に、ショックを隠せない私たち夫婦だった。
それにしても、何故こんなに勢いよくしかも鼻と口から母乳が出てきてしまったのだろう。 寝かしつける前にはしっかりゲップもさせたはずだったのに。 母乳を飲ませすぎたのだろうか? 赤ちゃんの胃はまだ未熟で、ミルクをもどしやすいとはよく言われるが、あんなに勢いよく出てくるのを目の当たりにしたら正直ビビってしまう。
初めての育児は心配事が多くて大変だ。 何しろ免疫と言うものがないから、いちいちびっくりしてしまう。 一難去ってもまたいくらでも一難がやってくる。 いくら心臓があっても足りないくらいだ。 しかし、子育てのいろんな問題を乗り越えていくうちに、また一段と我が子がいとおしく思えてくるから不思議だ。 こんな風に思うのは私だけだろうか。 世の親ばかたちの話題が尽きないのも理解ができる。
何はともあれ、『鼻から牛乳事件』・・・2004年の我家の娘大事件トップ10に入る事件となった。
初めての小児科検診
搾乳した母乳を飲む娘 1週目
病院を退院して3日後、初めての小児科検診があった。 通常は1、2週間後とかに行われるそうだが、娘は出生体重が低かった為、体重の増加を見るため1週間待たずに診てもらうことになった。 それまでの私は、育児は絶対に完全母乳でと考えていて、実際、病院から帰ってきてからは粉ミルクは一切与えず、とにかく母乳を飲ませようと必死になっていた。 初乳は赤ちゃんの身体に必要な免疫が沢山含まれているので、何が何でも飲ませねばと半ば意地になって母乳地獄にはまっていた。 しかし、娘の口の大きさは私の乳首がかろうじて入るか入らないかというほど小さく、蚊の鳴くような声で生まれてきた娘はまだ大声で泣くこともできないくらいか弱いのだ。 そんな娘が力強く母乳をゴクゴクと飲めるわけがない。 夫は、そんな私を横目に 『意地を張ってないで粉ミルクをあげた方がいいんじゃないのか』 と言う。 しかし、ここで妥協してミルクをあげるようになったら母乳が出なくなってしまうのでは、という不安がただただよぎり、育児疲れがピークにある中で葛藤する妻なのだった。
そして初めての小児科検診の日。 ヤム先生のオフィスに向かう私たち親子。 日本では検診は母子で行くのが普通だが、アメリカでは夫も同伴で検診に行く家族が多い。 我家も例外にもれず、夫婦で子供の検診に行くことにした。 検診はまず、身長・体重、そして頭囲を測定し、心拍数の乱れがないかなどチェックをしてもらった。 そして、一通り検診が終わり、私たち夫婦はヤム先生の検診結果を聞いて動揺してしまうのだった。 娘の体重は出生体重より500g近くも減っていた。 赤ちゃんの体重は出生後に少しだけ減少するのが普通。 しかし、娘のように低体重児として生まれてきた赤ちゃんの場合、普通の赤ちゃんと違って脂肪分が少ないため、体温の調整がうまくできないので、あまり母乳にばかり頼ってしまうと、かえって母乳を飲んでいる途中でエネルギーを消耗してしまい、十分なカロリーが摂れずに衰弱してしまうとのことだった。 このまま体重が減少し続けてしまうと、必要な栄養分が足りなくなり、最悪の場合は即入院して点滴をうったり、NICU(乳児集中治療室)に送られることもあるとか。 つまり、低体重児にとって体重の減少は死活問題になりうるのだ。 そうとも知らず、母乳にこだわったが為に娘を危険な橋の近くまで連れてきてしまったことに後悔してもしきれず、涙が溢れてしまった。 とにかく今は母乳よりも娘の体重を増やすことが先決! ヤム先生はなるべく母乳で育てたいという私の気持ちも分かった上で、電動搾乳器を購入して娘が乳首から直接母乳を飲めるようになるまで、哺乳瓶で母乳をあげたらどうかと提案してくださった。 それで娘が点滴をしなくてすむなら、何でもやりますとも! あ~、やりますとも!
検診の帰り、私たち親子は早速電動搾乳機を購入。 そして、その足でBabies R Usへ向かい、赤ちゃん用の電動体重測定器も購入した。 しめて$350也-。 ほんの2ヶ月程度使用するためだけの出費にしては少々痛手だが、娘の為なら仕方がない。 私は実は出産前に手動の搾乳機を購入していた。 手動の搾乳機は一度に片方からしか搾乳できない上、握力トレーニングツールのような感じで、ずっと手を動かしていないといけないので非常に疲れるが、その点電動搾乳機は最高! ほんの10、15分程度で一気に両方から絞れるし、手も疲れない。 強いて言えば、音がうるさいことくらいだろうか。 ポンプのウィーン、ウィーン、という音が10分間同じ間隔で継続的に聞こえてくると、睡眠不足の耳にはだんだん訳のわからない言葉に聞こえてくるから不思議である。
電動搾乳機を使用し始めてから、胸の張りがだいぶ楽になったように思う。 ただ、またしばらくするとすぐにパンパンに張ってしまっていることにも気づいた。 乳房を刺激しているので、どんどんと母乳が溜まってしまっているのだろう。 搾乳の回数は1日に3、4回程度。 1回に絞れる量は娘の1回の授乳時間に飲む量よりも明らかに多い量だ。 この頃の娘の飲む量は、せいぜい30mlから40ml程度。 この記事を書いている7ヶ月目の今からでは想像もできないくらい少量だ。 何はともあれ、電動搾乳機で絞った母乳を哺乳瓶で与え始めてから、娘の体重が目に見えて増えているのが分かった。 おしっこもウンチも毎日よくでている。 母乳を飲んでいるかどうかでこれほど違ってくるものなのかと、正直驚かされたものだ。 この調子で、直接母乳から飲めるようになる日まで電動搾乳機で頑張ろうと思う妻だった。
新生児のお世話
2週目の娘の寝顔
病院から自宅に帰って来た週(昨年9月)は、その年のヒートウェーブ(1週間程、全く風のない35度前後の猛暑が日夜続く地獄の気候)の週だった。 我が家は2階建てのタウンハウス。 普通の夏の気候であれば、夜になればある程度涼しくなるのだが、このような猛暑の日は2階は熱が篭ってしまって、眠れないくらい暑いのだ。 普段はエアコンなど要らない我家(私は反エアコン派)だが、この週ばかりはエアコンのない自宅が本当に恨めしかった。 特に新生児がいるので、この熱で娘がどうにかなってしまうのではと心配だった。 2階の部屋に熱が逃げていった分、1階はほんの少し涼しかった(それでもかなり暑かったように思うが・・)ので、その週は親子3人で1階のリビングのソファーベッドで寝ることにした。
さて、病院にいる間は検査と測定以外はずっと母子同室で過ごしていた私たちだが、それでも何かあればナースに頼れる、という心強い環境にあった。 しかし、自宅に着いてからは夫婦二人で全てをやらなければならない。 私の母親を日本から呼び寄せるということも考えたが、まだ働いている上、英語も全くできないので、来てもらっても返って私の仕事が増えるだけだ。 有給休暇もそんなに沢山は取れないようなので、ある程度落ち着いてから初孫を見に来てもらうことにした。 よって、私たちは産後の究極に忙しい時期を誰に頼ることもなく二人で乗り切らなければならなかった。
家に着いてみると、ホット一息を付くまもなく育児が始まる。 電気屋さんで買って来たコンピューターはプラグを繋いで電源を入れるまでその辺にほって置けるが、新生児の娘をその辺にほっておいてお茶でもするわけには行かないのだ。 赤ちゃんには取扱説明書も保証書も無い。 とにかく授かったその日から手探りで、生きていく必要最低限のお世話をしなければならない。 いざ始まってみるとなんと大変なことか! 相変わらず母乳の吸いが弱く、飲んでいるのかどうかもよくわからない。 オムツを替えているそばからおしっこやウンチをされ、ベビー服も何枚も取り替えなければならなかった。 娘は未熟児並みの小さい体で生まれてきたため、用意していた服が全て大き過ぎたので、夫に小さ目の服と赤ちゃん用のてぶくろ、そして爪切りを買出しに行ってもらうことになった。
赤ちゃんの爪を切るのは初めてのことだったので、一番最初の時は特に緊張した。 こんなに小さい指にもしっかり爪が生えているんだな~と思うと、とても神秘的な気分に思えたが、そんな悠長なことを考えている場合ではない。 娘の爪はぐんぐん伸びて、すでに何箇所か顔を引っかいてしまっている。 残念ながら夫が買ってきた未熟児用のてぶくろもどうやら大きすぎたようで、はめてもすぐにするっと脱げてしまって意味無しとなってしまった。 こうなったら爪をこまめに切ってあげるしかない。 赤ちゃんの爪はすぐに伸びるので、最初の2週間は狂ったように娘の爪ばかりを気にしていた。 そのお陰で、気が付いてみたら自分の爪が1cm近く伸びていてびっくりだった。
新生児のお世話は予想以上に大変。 2時間毎の授乳地獄に始まり、お洗濯の山に、睡眠不足ときたもんだ。 普通の状態だったらきっとぶっ倒れていたに違いない。 きっと妊娠後期(臨月)の寝苦しい夜を毎晩のように体験していたので、それがいい予行演習にでもなっていたようだ。 それに出産したという興奮がまだ残っているので、少々眠らなくても気合で乗り切れていたような気がする。
さてさて、育児の大変さの最中赤ちゃんの天使のような寝顔を見れるのは親の特権だと思う。 きっと育児で心身ともに疲れきっている世の親に与えられた神様からのご褒美なのだろう。 ぶつ切りにしか眠れない日が毎日続いて疲れがピークに達し、キーっとなりそうになっても赤ちゃんの寝顔で一気に癒されてしまう。 あ~、この寝顔を見るために約10ヶ月間も妊娠に耐えてきたんだな~と、時々センチメンタルになったものだ。 出産直後はホルモンのバランスが崩れているので涙もろくなるというが、本当にそうだった。 私の場合、母親になった喜びと自分の子供が健康に生まれてきてくれたことが嬉しくて、娘の顏を見てはウルウルしていた。 大袈裟に言えば、人生で一番幸福感に満ちていた時期だったかもしれない。 そしてその幸福がこれからどんどん増えていくことを常に夫と共に祈っている毎日である。
寝ながらポーズをとる娘 2週目
入院中のこと
生後2日目の娘
アメリカでは通常、産後の母子の健康に特に問題がなければ、出産から2日後に退院することになっている。これは病気で入院しているわけではないので、必要最低限の日数だけ入院する、というアメリカらしい合理的な考えによるもの。正直、病院嫌いで、慣れないベッドに横たわっているだけで気分は病人になってしまう私にとっては、早く退院できるのはかえって好都合だった。
2日間の入院中、やらなければならないことがいくつかあった。 子供の名前を決めること、赤ちゃんの聴力の検査、黄疸の有無を調べる血液検査、赤ちゃんのお世話の仕方(オムツの替え方、授乳の仕方など)を看護婦さんにご教授いただくこと、産後の子宮の状態の確認などだ。
子供の名付けは退院する日の朝まで迷って、最後に『えいっ、これだ!』という感じで決めてしまった。 子供のファーストネームは生まれる前から既に決めていたのだが、ミドルネームにしようとしていた日本名でかなり迷ってしまった。 そもそも、アメリカでは夫のアイリッシュの姓を名乗り、日本の戸籍上では私の旧姓のままになっているので、両方の姓に合う名前を付けるのにてこずってしまったわけだ。 入院する前に、3つの候補を紙にプリントして持っていったのだが、そのうちの2つの候補でi意見が分かれてしまった。 そもそも夫がミドルネームは思いっきり日本的な名前にしたいと言い出したから迷ってしまったのだ。 私としては日本語でも英語でも通用する名前にしたかったのだが、将来的に日本に永住することにした場合も考え、日本人らしい名前にすることにした。 たかが名前とはいえ、一生ついて回ると思うと下手な名前は付けられないものだ。
入院中、ある看護婦が娘の顔を見てこんなことを言っていた。
ナース: あら、ちょっと黄疸の気があるわね~。 そんな時は・・・ 窓際に置いていっぱい日光浴をさせるといいのよ。 毎日午前中は窓際に置いて、日光浴をさせると黄色が薄くなっていくからやってみて。
ふんふん、となんと無しに聞いていたが、よく考えてみると観葉植物の育て方でも聞いているかのようでちょっと笑ってしまった。 幸い、その後の血液検査の結果は黄疸の症状も心配するほど数値も高くなく、 1週間くらい日光浴をさせれば時期治るとのことだった。 半分日本人の血を引いているとはいえ、肌の色も髪の色も夫の白人の血を受け継いでいるので、黄疸の症状もかなり軽かったようだ。
2日間の入院で一番辛かったのは授乳の時間。 娘は2300gととても小柄で生まれてきたので、口も小さく乳首をうまく吸うことができず、また私にとっても初めての授乳でどうやったらうまくできるのか分からず、とにかくフラストレーションのたまるひと時だった。 そんな時、何人かの看護婦が次から次へと入って来ては、いろいろと授乳方法を教えていくのだが、看護婦によって方針が全然違っていて、どの看護婦の意見を聞き入れればいいのか本当に困ってしまった。 とある看護婦は、『最初はなかなかでないもんだから焦らなくても大丈夫、そのうち自然と出るようになるわよ。』 と言っているかと思えば、別のナースは『母乳を赤ちゃんに飲ませないと栄養失調になるわよ。 母乳から直接飲ませられないなら搾乳機で出しちゃいなさい。 母乳が出るようになるまではミルクを与えるべきね。』 という始末。 乳首の先を持って、赤ちゃんの口に含ませる動作も看護婦によって全然違っていて、中には無理やり赤ちゃんの口に押し込めようとするナースもいたりして本当にびっくりしてしまった。 日本では完全母乳で育てるのが美徳、という傾向があるように思うが、アメリカでは完全に母乳だけで育てているお母さんの方が少ないように思う。 働くお母さんが多いのと、授乳の時間に縛られて自分の時間が無くなる上、乳首をかまれて痛い思いをするなら、ミルクを与えた方が楽というアメリカ人ならではの風習なのかもしれない。
そうこうして、あっという間に2日間の入院も終わり、とうとう娘を連れて自宅に帰る日がやってきた。 カーシートも用意してあるし、後はお世話になったナースにご挨拶をして帰ろう、と思っていた矢先、担当ナースから思いもよらないことを言われまたまた驚いてしまった。 なんと病室から車に乗せるまで病院側のエスコートが車椅子を押して私と赤ちゃんを連れて行くというのだ。 私は産後の回復も驚くほど早く、もちろん一人で普通に歩けるし、赤ちゃん一人抱いていてもかなり余裕で歩けるというのに・・・だ。 きっと、廊下を歩いていて滑って転んでもしものことがあったら病院側の責任になるからなのだろう。 (聞いてみたわけではないが、多分本当。)
こうして病院のエスコートに車椅子を押してもらい、無事入院生活におさらばした私たち親子なのでした。
ハーフの子供をもつ親の悩み
初めてのSt. Patrick's Day 娘6ヶ月目
娘はアイルランド人の父と日本人の母の間に生まれたアメリカ人だ。
国籍も今のところアイルランド国籍、日本国籍、そしてもちろんアメリカ国籍の3つを保有している。 将来的にどの国に永住するかで選択を強いられる時がくるのだろうが、3つも選択肢があるのは本当にラッキーなことだと思う。特にヨーロッパの国籍を持っているというのはポイントが高い! ヨーロッパの国籍を所持していれば、EU(ヨーロピアン ユニオンの略)の国内ならどこでも暮らすことができるのだ。ということは、3つの国以外の国(EU国内)でもビザ無しで生活することができるということだ。 なんてラッキーなのだろう。 ま、本人がラッキーと思うかどうかは別だが・・・。
ハーフの子を持つ親は子育てをする上でいろいろと気苦労が多いように思うが、その反面ハーフとして生まれてきた子供は特典が多々あるように思う。まず、ハーフの赤ちゃんは見た目が可愛いくなる傾向がある。 傾向があると言ったのは、そうでない場合もあるからである。 私の友人が以前こんなことを言っていた。
友人:ハーフの子供ってさ~、超可愛いか、超ブッサイクかのどちらかだよね~。
実際、本当かどうかは私にはわからない。 ただ、私の周りにいるハーフの友人、その子供はやっぱりひときわ目だって可愛い。(・・・ように思う。) 我が家の娘も例外なく可愛く生まれて来てくれて私たち夫婦は嬉しい。(←親ばかですんません。) 日本人の血が混じっているのに、娘は金髪混じりの茶髪に緑の目をしている。 アイリッシュの血がよっぽど濃かったのだろうか。 地黒の私と違って透き通るように白い肌はやはり父親ゆずりだろう。 何にせよ、ハーフで生まれた赤ちゃんはラッキーだ。
それからハーフの子は言語も自然にバイリンガルになるか、第二外国語の方は万一話せなくても何を言っているのかは理解できるようになる。私の友人の子供さんに何人かハーフちゃんたちがいるが、残念ながらみんな日本語が話せなくなっている。それでもお母さんの日本語は理解できているようだ。 英語圏で育てるとやはり身近な言語で話す方が楽になってきてしまうのだろうか。 どちらにせよ、生まれた時から必然的に二つの言語を習得する環境にいるのは羨ましい限りだ。
その反面、ハーフの子供を育てる親はいろいろと頭を悩ますことが多くて困る。言語・文化の教育から始まって、それぞれの国のイベント行事、宗教、をどうするかなど様々だ。 夫は一応カトリック教ではあるが、毎週日曜日に教会へ行くような厳格な宗教家ではなく、年に一度クリスマスに教会のミサに行くか行かないかのにわか 『なんちゃってカトリック教徒』 である。 そして妻は無宗教。 二人とも特に宗教にこだわりはないので、娘も無宗教で育てることにした。 よって、外国人によくある 『ゴッドファーザー』 や 『ゴッドマザー』 なるものも無し。 元々私たちは、『ゴッドファーザー』 や 『ゴッドマザー』 をそれ程意味のあるものと思っていなかったので、この件は無事解決。 アイルランドや日本にいるならまだしも私たち夫婦はお互いにここ(米国)では外国人なので、とりあえずあまり神経質にならない程度でそれぞれの文化を取り入れた教育をしていこうと思っている。 とはいえ、日本語の教育は絶対に譲れないところだ。 アイルランドは英語圏の国なので自動的に親族とは英語で会話ができるようになるが、私の家族は英語は全然ダメなので娘にはしっかりした日本語教育をしていかなければならない。 夫が日本語を話せないので、我が家では100%英語で会話をしている。 そんな中で娘がどれだけ日本語を吸収していけるのか。 日本語のしゃべれない日本人にはなってほしくないものだ。
何にせよ、3つの違う文化の中で自分のアイデンティティを認識できるよう育てていけたらいいと思う。 まだ育児を始めたばかりなのに、妻の悩みはつきない・・。 あ~、先のことを考えると本当に頭が痛い・・・。 でも、どうせなら楽しく育児をしたいものだ。
長女誕生の日
生まれて1時間後の娘
2004年9月4日、午後5時36分、長女が生まれた。
前日は私たち夫婦の5年目の結婚記念日だった。38週目に入ったばかりでいつお産が始まってもおかしくない。近場で軽くランチでもしてお祝いしようということになり、結婚式のリハーサルで使ったレストランでランチをすることにした。冗談で、『今日はお父さんとお母さんの結婚記念日だからまだ生まれて来ちゃダメだよん。 明日になったらでてきていいからね~。』とお腹の赤ちゃんに二人で話し掛けていた。まさか本当に翌日に産まれてきてしまうとは・・。
9月4日は土曜日。夫は土曜日は仕事の日なのでいつも通り朝から仕事に行っていた。妻、7時起床。トイレに行くと何やら『おしるし』を発見。 通常、おしるしがでてからお産までは当日から1週間後と言われているので、あたかも今日はお産は始まらないだろうくらいな気持ちで、普通にシャワーを浴びた。シャワーから上がると、何だか生暖かいものが出ているような・・。 『こ、これはもしや、破水?』 慌てて生理用ナプキンをあててみた。 5分後確認すると既に濡れている。動揺するも夫に報告の電話を入れる。
妻: もしかして破水したかも。どうしよう。
夫: じゃあ、僕は婦人科の先生に電話しておくから、君は病院の方に連絡入れておいてよ。それで、5分か10分後にもう一度自宅に電話するから。
アメリカでは妊娠中は、クリニックのような小さな産婦人科のオフィスの先生に診てもらい、出産の時だけ大きな病院で分娩するのが普通だ。担当のノーマン先生はその日は非番の日だったが、休日ということもあり、特別に分娩にあたってくれるとのこと。約10ヶ月もの間ずっとお世話になったので、分娩は絶対にノーマン先生にやって欲しかったから本当に有難い限りだ。
病院に早速連絡をしてみた。
妻: 今38週目で、今朝起きたらおしるしがあって、その後シャワーを浴びたらどうも破水しているようなんですが・・・。
ナース: どの程度破水してますか? ちなみに陣痛はありますか?
妻: 今のところちょろちょろ程度です。 陣痛はまだ全然無いみたいで、本当に破水しているのかどうかもちょっと自信ないんですけど・・・。
ナース: 破水しているかどうかは病院に来てもらわないと調べられないから不安だったら今から病院の方に来られますか?
妻: その後入院することになります?
ナース: それは診断してみてからでないと今の時点では何とも言えないけど・・。
妻: それじゃ、夫に運転させてこれからそちらに向かいます。
ナース: まだ陣痛も始まってないみたいだから、焦らずにゆっくりこちらに来て下さいね。
終始リラックスムードで親切、且つ適切に対応してくれたナースの心遣いがとても有難かった。 初めてのお産を迎えるかも・・と考えたら多少なりとも動揺していたが、予め用意しておいた入院バッグに残りの必要な物を詰め、これから始まるかもしれない大仕事に備えて腹ごしらえをすることにした。
20分程して夫が帰宅。 夫もこれから長丁場になる可能性があるので、気合を入れるために腹ごしらえをすることに・・。 午前9時半過ぎ頃病院へ向かう。
午前10時、病院に到着。早速、破水しているかどうか調べてもらった。
ナース: あ~、破水していますね。子宮口も2cm開いているから今日中か今晩遅くに生まれますよ。 もう後戻りはできませんからね~。
なんと! いきなり今日生まれるのかっ??
その後、陣痛・分娩をするお部屋に移動することになった。 アメリカでは、陣痛と分娩は同じ部屋で行われるのが普通。ホテルのスイートのような広くてきれいな部屋だった。 部屋に移動すると、早速陣痛の山を測定する器械をお腹に取り付け、腕には痛々しくも点滴をつけられてしまった。妻は30年ちょっと生きてきて入院するのも点滴をするのも初めてなのだ。 病気な訳ではないのに、何故か気分は病人・・・。 しかも点滴の針が何気に痛い!
この時点で、測定器によると陣痛の山がかなりの間隔で来ているのが分かったが、妻は全く痛みも圧迫感も感じず。 しばらく夫とおしゃべりをしていたが、だんだん暇になってきたので二人で持参した本を読むことに・・・。 30分ごとにナースが部屋にやってきてはどの程度の感覚で陣痛が来ているか確認していたが、妻は不感症なのか、陣痛の痛みを全く感じず。
この状態がこの後延々と5時間ほど続いた。途中お腹も普通に空いたのでナースに食事をしてもいいかと尋ねたが、食べると分娩の時に大変なことになるので、飲み物か飴程度にしておくように言われる。 普通、陣痛で苦しがってたら食事どころではないのだろうが、私はちっとも苦しんでいなかったのでいつもランチを食べる時間に空腹になってしまい、お水と飴だけでは正直つらいところだ。 それを見かねたナースが、内緒でゼリーをもらってきてくれた。
ナース: ゼリーならそれ程影響ないからこれで今は我慢してね。
なんと気のきいたナースなのか! 天使のような看護婦さんに感謝!(涙)
午後3時頃になると、さすがにちょっとだけお腹が圧迫されてきた。それでもまだ本を読む余裕があるようで、この時間になっても未だ本を読んでいる余裕ぶりにナースは半ば呆れたように『オーマイガッー』と連呼していた。
ところが、3時半頃になって急激な痛みに襲われるようになった。廊下まで聞こえるほどのうめき声をもらしていたようだ。出産準備クラスで習った呼吸法のおかげで、最初の頃はだいぶいけていたが、陣痛の痛みで呼吸がコントロールができなくなってきた。 1時間くらい耐えたところで、元々予定していた無痛分娩をお願いすることにした。 この時、子宮口は4cm。 ナースによると、この分だと分娩は夜8時以降になるだろうとのこと。
午後4時半頃、麻酔師なる医師が現る。
麻酔師といっても、私が想像していたような白衣を来た医者ではなく、黒のポロシャツにGパン姿で現れた少々毛深いその中年男性は、どっから見ても電機の修理に来たおじさん、にしか見えなかった。
それはさておき、通常、無痛分娩の麻酔は背中に太くて長い針を刺して行われる。注射嫌いの私が背中に針を刺すと考えただけでも背筋がぞっとしてしまうが、陣痛の激痛に比べたらなんてことない、針を刺した瞬間も全然記憶にないほどだった。 しばらくして麻酔が効いてきた!
妻:おお~、まさにヘブンっ!!
無痛分娩、もう最高!!
麻酔が効いたところでナースが子宮口の開き具合を再度診察してみたところ、
ナース: あらっ! もう既に10cm開いてるわっ。 もう分娩に入れるわね。急いで担当の先生呼ばなきゃっ。
『えっ?』 一瞬耳を疑った。 午後3時半の時点では、4cmしか開いてなかったのにたった1時間そこらでもう10cmまで開いたってことか?
予想外な展開からナースたちの動きが急にあわただしくなっていった。 どうやら私の担当医に連絡をしているようだ。非番な上、分娩は今晩遅くになるだろうというナースの連絡で油断していたらしく、ノーマン先生が病院に着くまで30分以上はかかるとのこと。
麻酔が効いているので耐えられないような激痛はないものの、何か自分の力では止めることもコントロールすることもできないものすごい圧力が腹部にかかっているのが分かる。赤ちゃんが自分の力で下に降りてこようとしているのだ。 自然の力ってすごいっ!
しかし、このままでは担当医が到着するまでに赤ちゃんが出てきてしまうのではないか? 不安に駆られながらもナースたちに指示されるままにいきんだり、止めたりを繰り返していた。
午後5時15分頃、担当医のノーマン先生到着! この時点で既に赤ちゃんの頭が見えていた。 先生とナースの指示に従って一生懸命いきんでみるものの、今度は麻酔が災いして足に力が入らない。 自分ではいきんでいるつもりでもやはり押し出す力が弱すぎるのだ。そこで、ノーマン先生の秘密兵器、吸引器で一気に赤ちゃんの頭を引っ張ってみることに・・。
その瞬間、『つるんっ』といった感触とともに、蚊の鳴くようなか弱い声ではあるが、確かに泣き声が聞こえたっ。
午後5時36分、2308gの小さな女の赤ちゃんが誕生!
あっと言う間の出来事な上、見事なくらいに安産で生まれてしまったので、一瞬何が起こったのかわからないくらい実感がなかった。 夫は大仕事を無事終えた妻へのねぎらいの言葉をかけるのも忘れ、生まれたての娘を覗き込むことに夢中になっていた。
通常アメリカでは、臍の緒がついたまま母親の胸に抱かせるらしいが、娘は低体重児として生まれてきたため、体温の低下が懸念されすぐには抱かせてもらえず、体を洗って一通り測定が終わってから抱かせてもらった。 低体重児でうまれてきた割りにはしわひとつなく、しっかりした顔をしていたように思う。
この子が私のお腹の中にいたのか・・・。 見れば見るほど、この小さな人間を自分が生んだということが信じられなかった。
この後、1時間だけ検査と授乳の為に新生児室に連れて行かれたが、特に問題もないとのことで他の赤ちゃんたち同様、2日後の退院まで母子同室で過ごすことになった。
入院してから出産まで約7時間半。予想以上の安産で自分でもびっくりしている。『案ずるより産むが易し』とはまさにこのことをいうのだろう。子供が無事生まれたことは何よりも嬉しいことだが、あまりにも実感が沸かな過ぎてこの日はまるで夢を見ているような感覚に陥っていた妻なのだった・・・。










