また風邪・・・
☆この内容は2008年に下書き保存したままになっていた原稿を、約10年後の2017年にアップしました。 かなり古い内容になっておりますが、どうかお許しを〜。
年末・年始は夫婦でノロウィルスにかかったり、上のお嬢さんが貧血で倒れてERに連れて行ったりとちょっとバタバタしていた。 年が明けて、さあ、今年こそは家族健康で過ごそう!と意気まいていた矢先、上のお嬢さんがまた学校で何かもらってきてしまった。 突然前触れもなく39度を超える高熱を出して学校を休ませることになった。 この時期は仕方ないことなのかもしれないけど、学校は病原菌の宝庫(?)といっても過言で無いほど、咳き込んでいる子供で溢れている。 共働きの両親が多いので、少々の風邪でも学校に行かせてしまう親が何と多いことか! 家の子のように週二日のしかも午前中だけで帰ってきてしまう子供は免疫が低いのか、すぐに病気をうすされてきてしまうようだ。 そして、被害にあうのは我々家族・・・・。 今回は、上のお嬢さん→母→旦那→上のお嬢さん(再)→下の嬢さんという感じで、家族で仲良く風邪をひいてしまったのだ。 喉の痛みから始まり、くしゃみ、鼻水、頭痛、咳という症状が次々出てきて、特に鼻水と咳がひどくて辛い。 それでも夜は加湿器のお陰で何とか眠れているが、咳のし過ぎでこの頃はあばらのあたりが痛むようになった。 何年か前に気管支炎をこじらせて、咳のし過ぎであばらにヒビが入ったことがあるので、今度はそこまでひどくならないように心がけたいところだ。
こんな時に限って、旦那はアイルランドに1週間の出張。 でも、出発直前に妻から風邪をうつされて、ゴホゴホ咳をしながらの長旅になってしまった。 二人の風邪をひいた小さい子供と具合の悪い妻を残して、一人アイルランドへ出張する旦那を恨んでみたけど、今となってはちょっと気の毒・・・。 しかも、今アイルランドでは目の病気(?)、結膜炎が流行っているみたいで、旦那も今朝電話で話したら『目が赤いんだよねー。』とい言っていてびっくり。 流行に敏感になるのもホドホドにしてほしいものだ。(笑)
長いと思っていた出張もあと3日で旦那が帰って来てしまう。 いや、もちろん待ち遠しいのだけど、旦那のいない間にやりたかったことが何一つ出来ずに終わってしまいそうだ。 やりたかったことって言っても、旦那の嫌いなメニューで私が好物のものを作るとか、写真の整理とか、溜まっていたミシンがけとかその程度のことだけど、旦那がいると何故か全くできないから不思議。 でも、今は風邪でそれどころではないので、静かに過ごすことが懸命だ。
あ~~~、それにしても風邪早く治るといいなぁ。
寝返り
プレイマットの上で寝返りしながら遊ぶ娘 (5ヶ月目)
日本からカリフォルニアに戻ってきて数週間たった頃、娘がとうとう寝返りをした。 いつも上を見て寝ているだけの赤ちゃんがまたひとつ進歩したのだ。 思わず感動。 しかし、どうにもひとつ問題が起こってしまった。 娘は寝返りはできるようになったものの、寝返り返し(寝返りしてまた元に戻ること)がまだできないようだ。 娘は一つ芸が出来るようになったのが嬉しいのかしきりに寝返りをしようとしていた。 しかし、うつぶせになったまま元に戻ることが出来ず、パニックになって顏を左右に動かしてもがいているのだ。 その姿といったらまたかわいい~んだけど、苦しそうなのですぐに元に戻してあげた。 どんなに苦しい思いをしても、寝返りが楽しすぎてその苦しさを忘れてしまうのか、娘は何度も何度も繰り返し寝返りをしては私の助けを求めるのだった。 私が近くにいる時はいいけど、プレイジムで遊ばせて台所で洗い物をしている時にまたもがいたら大変。 今まではプレイマットの上に置いておけば目を離していても楽しそうに一人で遊んでいてくれたけど、これからはもっと監視しなくては・・・。 仕方が無いので、家事をする時はバウンサーに座らせておもちゃで遊んでもらうことにした。 子供の身体がどんどん発達することは親にとってもはこれ以上になく嬉しいことだけど、その分心配ごとも増えていくのだな~って実感してしまった。 これから歩いたりするようになったらもっともっと大変なんだろうな~。
初めての子連れ里帰り (その2)
寒い日のお散歩は完全防備で! 写真の服は友人に借りたもの
子連れ海外旅行は本当につらい! と前回のブログでさんざん書かせてもらったが、今回は子連れで都内お出かけのお話をしようと思う。
久しぶりの日本。 約10日間の滞在中にやりたいことは山ほどある。 しかし、今回は乳児を連れての滞在なので、行動範囲と時間が限られてしまう。 おまけに親戚周りまでしなければならない。 お祝い(¥)をいただいた身なので余りわがままも言ってられないのが辛いところだ。 行きたいお店や会いたい友人などたくさんいるが、10日間でどれだけこなすことが出来るのか。
日本に到着した翌日の1月3日、早速都内で友人の1人と会うことになった。 都内といっても、埼玉県にある実家から一番近い都内は足立区。 準急の電車に乗れば10分ほどで着く。 ひとまず、初日なのであまり無理をせず、足立区のとある駅ビルで友人とランチの待ち合わせをすることにした。 1月3日というとまだ世間はお正月の真最中。 明らかにいつもよりも混雑している。 駅ビルや駅前のデパートでは各種セールをしているので、混雑しない訳がない。 しかし、ストローラーでこの人込みを押し分けて進むのは容易ではない。 アメリカだったら赤ちゃん連れと分かるとみんな道を譲ってくれたり、エレベータにも優先的に乗せてくれたり、な~んてことが多々あるのだが、日本人は心なしかみんな不親切に思えた。 というより、『何でこんな混雑しているところに赤ちゃんなんか連れてくるの?』 という冷たい視線を感じたのは気のせいなのか。
何はともあれ、無事友人にも会えたので早速ランチでもしよう、ということになり駅ビルの7Fにあるレストラン街に行くことにした。 予想はしていたが、やはりどの店もウェイティングで行列が出来ている。 平日は割りとがらんとしているレストラン街なのだが、正月3日目となると行列は仕方のないことなのかもしれない。 待つこと30分、やっと席に着くことができた。 乳児がいるので禁煙席でお願いしたのに、喫煙席に一番近い禁煙席に座らせられ、思いっきり煙が流れてきてしまっている。 全てのレストランで禁煙を導入しているカリフォルニアと大違い!! 文句を言って別の席に・・・とも思ったが更に待たされるのも苦痛なので、ここは娘には悪いが仕方なく我慢。 こうしてようやくランチをしながら友人と久しぶりのおしゃべりをすることが出来た。 楽しい時間はいつものことながらあっという間に過ぎてしまうものだ。 夕方になり、そろそろ帰る時間になってしまった。 娘が居なければ 『夕飯もよかったら・・・』と誘うこともできたのだが、旦那も娘も疲れ気味。 娘を遅くまで外出させるわけにもいかないので、ここは潔く帰ることにした。 『またね~。』 と友人に別れを告げ、『あ~、次会えるのはいつになるんだろう・・・』とちょっとブルーになってしまった妻。
さてさて、次に都内にお出かけしたのは7日の金曜日。 今度は銀座でショッピングがてら親友とランチすることになった。 娘と旦那連れの都内のお出かけ。 家の最寄の駅から銀座までは直通の電車があるので、ストローラーでのお出かけにも便利だ。 ただ、40分もかかるのがちょっとつらいところ。 銀座ソニービルで友人を待ち合わせて近所でお食事することに。 いつものことながら、ストローラー&ベビーを連れて入れそうなお店を探すのは容易ではない。 せっかく銀座に来ているのに、どうしてもデパートのレストラン街になってしまうのは哀しい。 昔、都内で仕事をしていた時はよく銀座に買い物&食事に来ていたものだが、子連れで来てみるとなんだかついついおのぼりさんのようになってしまう自分がいることに気づく。 ストローラーで移動なので、気づくとよくエレベーターの看板を探しているのだ。 トイレも案内図などを見て、おむつ換えの台があるトイレを確認してから行くようになったし。 しかし、平日だというのに銀座はすごい人だかり。 まだお正月休みの人々もいるのだろう。 デパートのレストラン街で軽くランチをしてから、今度はお茶でもすることにした。 今まで行っていたコーヒー屋さんはどこも狭くてとてもじゃないけど子連れで入れる雰囲気ではない。 そこで、親友が行ったことのあるという三越の中にあるコーヒー屋さんに行くことにした。 いつものようにエレベーターの看板を探してから店の一番奥にあるエレベーターへ。 エレベータに着くと、なんと私たちの他に5人くらいストローラーでエレベーター待ちしているお母さんを発見。 3台のエレベーターの前にはそれぞれ空いたら即効乗り込んでやろう、と息巻いてスタンバイしているお母さんばかり。 のんびりしたアメリカから里帰りしてきた私たちはそんな競争心の塊もなく、ただ空いてるエレベーターが来たら乗り込めばいいや、くらいに考えていた。 しかし! 正月のセールでごった返しているデパートのエレベータはとにかく人だかり。 おまけに各階停止しているのでなかなかやってこないのだ。 待つこと5分、やっと1台のエレベータが1Fに来た。 チーン、というベルが鳴ると同時に先ほどの気合満々のお母さんたちがストローラーを押しながらすごい勢いでエレベータに乗り込んだ。 私たちも乗ろうかと思ったが、さすがにスペースも空いてなさそうだし、エレベータの前に来た時にはもう既にドアが閉まっていた。 私たちがのんびりしすぎているのか、先に乗り込んだお母さんたちは私たちを乗せまいとドアを即閉めてしまったか・・・。 何はともあれ、次のエレベータを待つことさらに5分弱。 今度のエレベーターには絶対、と思っていたらまたもやスペースが無くなって断念。 先ほどのお母さんたちが息巻いていたのがやっと納得できた。 ようやく次のエレベータに乗り込むことができた。 さて、目的のコーヒー屋さんへ・・・。 するとそこは既に満席。 とほほ。 ついてないもんだなぁ、とがっかりしてお店の席を見ると先ほど息巻いていたお母さん方が席を占領していたのだった・・・・。 あ~、さっき気合入れてエレベーターに乗ってたら今頃美味しいコーヒーをすすりながらくつろいでたのになぁ。 別のコーヒー屋さんもあたってみたが既に満席。 正月だから仕方ない。 コーヒー屋さんを探して時間をつぶすのももったいないので、近くで買い物をすることにした。 都内の子連れお出かけも慣れないと疲れるものだ。
親友と久しぶりに楽しい時間を過ごすことができた。 そして夕方になり、とうとう帰る時間。 この時間は銀座から私の地元への電車は満員。 ストローラーは場所をとるので、背中に冷たい視線を感じながら奥の方へ乗り込んだ。 案の定、娘は泣き出してしまった。 しばらくは抱っこしてやって収まったが、どうもお腹がすいてきたようで半分くらいまで来た所でどうにも収集がつかなくなって、やむなく途中下車。 下車した駅のホームでミルクを作り、飲ませてからまた帰宅の途についた私たち。 そして、やっと帰宅。 家に着くと、ミルクを作るのに取り出した水筒が無いことに気づく。 あ~、途中下車した駅に置き忘れてきてしまったんだ。 アメリカに帰る時にミルク用の水筒は必需品。 翌日仕方なくまた魔法瓶を買いに出かける私たち。
あ~あ、また無駄な出費をしてしまった。 でも仕方が無い・・・。
そんな訳で、子連れの都内お出かけでも大変な思いをした私たち夫婦でした。 きっと都内に住んでいたらこんなこともすぐに慣れるんだろうなと思う。 車社会のカリフォルニアから来た私たちにはこの人込みは地獄のよう。 次回日本に来た時はレンタルカーにしてみよう~っと。
初めての子連れ里帰り (その1)
日本にいる伯母に抱かれている娘 4ヶ月目
2005年の正月、親子三人で初めて日本に里帰りをした。 元旦のお昼頃、サンフランシスコ発成田行きのJALに乗っていざ出発! は~、それにしても子供1人連れて行くだけで何と荷物の多いことか・・・。 大のスーツケース2つにダイパーバッグ、その他に小さ目のスポーツバッグを持って飛行機に乗り込む私達家族。 その3分の2は全て娘関係のものなのだ。(悲)
ともあれ、JAL内では大画面前にある2席を確保し、娘は膝に抱くかスクリーン前のバシネット(壁に付いているトレイのようなものを倒してつくる長方形の箱型の赤ちゃん用ベッド)に寝かせることになった。 スクリーン前は割と広めで足も結構くつろげるのだが、娘のダイパーバッグを置いたり、バシネットを使用するととたんに所狭しとなる。 私達が乗ったJALは、個別スクリーンが各シートの後部に付いていて、それぞれ好きな映画を好きな時に見れるようになっている。 私は大の映画好き♪ しか~し、大画面前の席はシートの肘掛の中に個人用のスクリーンが入っている。 そんなことも知らず、スチュワーデスさんに頼んでバシネットを先に作ってもらったので、映画を見たいと思った頃には個別のスクリーンを取り出すことが出来ずじまい・・・。 10時間のフライトで映画も見ずにどうやって時間をつぶせというのか。
最初から大体予想はしていたが、娘はバシネットでは寝る気配が全く無し。 スチュワーデスさんがせっかく用意してくれたバシネットは、いつの間にやら物置と化してしまった。 何が悲しくて、映画を見ることもできない上に娘が寝ることもないバシネットを頼んでしまったのか・・・。 私達の隣にも5ヶ月半の赤ちゃんが乗っていたが、この赤ちゃんはバシネットに寝かされるとすーっと魔法がきいたかのように寝てしまったのだ。 その間、お母さんもしっかり睡眠をとっている。 何とも羨ましい光景だ。
娘はこの時4ヶ月になろうとしていたところだった。 ミルク混合ではあるが、まだ私も母乳育児はしていたので、機内でも母乳をあげたりしていた。 娘は母乳をあげるとスーッと寝てしまう。 熟睡した頃を見はからってバシネットに寝かせてみるものの、とたんにぎゃォ~と泣き出す始末。 また私の肩にのせ、そのまま寝かせることに。 バシネットではご機嫌斜めの娘も私の肩ではスヤスヤ寝てくれる。 しかし、これを10時間続けるのは不可能というもの。 肩は重くなり、腕も痛いし、狭い座席で身動きができないのでろくに眠ることも出来ず。 夫と順番に抱っこしたりしていたが、母乳をあげられるのは私だけなので、やはり母親の負担の方がはるかに大きいのだ。
長いフライトもいつかは終わりがやってくるものだ。 永遠に続くかと思われたエコノミークラスでの子守りもやっと終わりがやってきた。 とうとう成田に到着! 1月1日にサンフランシスコ空港から出発して、日本に着いたのは1月2日の夕方だった。 ニュースによると、年末年始に掛けて関東地方を大雪が襲ったとのこと。 しかも、2日到着となると、成田山への初詣客で高速も込み合っているに違いない。 何を血迷ったか、私は迎えに来るといっている家族に来なくていいと言ってしまった。 それは成田空港から私の地元の駅までの直行リムジンバスがでているというのを聞きつけたからだ。 成田に到着したのは午後4時過ぎ。 税関を通ってリムジンバスのチケットカウンターに着いたのは午後5時3分。 次のリムジンバスの出発時間は6時半だとのこと。 ガーン!! そして、その一つ前の便は5時発だったそうな・・・。 夫が外国人用の税関でちょっと時間がかかっていたので、いつもより出てくるのに時間がかかってしまったのだ。 こんなタッチの差でこれからまた1時間半もリムジンバスを待たねばならないとは・・・。 リムジンバスで地元までさらに1時間半。 実家に着いたのはなんと午後9時近くだった。 子連れ海外旅行でこんだけ時間がかかってしまうと、さすがに疲れてしまった。
そして、最大の失敗はストローラーを持ってこなかったこと。 日本にいる育児を終えた友人がこっちにいる間貸してあげるから荷物少なくしておいでよ、というのでお言葉に甘えて借りることにしたのだ。 しかし! 空港での待ち時間などのことを考えるのをうかつにも忘れてしまっていた。 4ヶ月の小さい赤ちゃんとは言え、海外旅行の大荷物も一緒で赤ちゃんも抱っことなるとさすがに無理があるというものだ。 成田空港内では待ち時間にインフォーメーションデスクでストローラーを借りることができるので、帰りの便の待ち時間にはさすがに借りることにしたが、それを知ったのは実家についてからの話。 行きの旅は下調べ不足で本当に地獄のような長旅となってしまった。 子連れ旅行って本当につらいっ。
まだまだ書きたいことが沢山あるが、長くなってしまったので、この続きは次回のその2を読んで欲しい。
日本国籍とパスポートの申請
12週目の娘 (注)今回のタイトルとは何の関係もありません
2005年正月に初の子連れ里帰りをすることになったので、2004年の秋頃に娘のパスポートを申請することにした。 まず日本のパスポートを申請する前に色々とやらなければならないことがある。 それは、出生届(日本国籍保留の届出も)の提出とアメリカのパスポートの申請。
日本では子供の出生届は生後2週間以内に届けることになっているようだが、海外に住む日本人に関しては、日本大使館(領事館)の場所が遠いなどの理由から3ヶ月以内に届出を提出すれば国籍を保留することができるようになっている。 娘が生まれてからの2週間はとにかく忙しく、とてもとても書類を準備してサンフランシスコにある日本領事館に行く暇がなかったので、3ヶ月以内の提出期限は私たちにとっては本当に有難い限りだ。
それに引き換え、アメリカの出生届けにあたるソーシャルセキュリティ番号の申請書は至って簡単! 病院にいる間に病院のスタッフによって書類の記入・署名の催促があり、既にタイプ済みの書類に子供の名前と両親の名前、署名などをして渡せば、病院から直接シティホール(市役所)に提出してもらえる。 その4週間後くらいにシティホールに行けば、アメリカと日本のパスポート申請に必要な出生証明書をもらうことができるのだ。
10月の上旬、早速娘のアメリカの出生証明を取り寄せるためにシティホールに行った。 その翌日、サンフランシスコにある日本領事館に出生届を提出。 日本の出生届は出産前に既にサンフランシスコの日本領事館から郵送してもらっていたので、後はこれに記入してアメリカの出生証明と一緒に提出するだけだった。 シリコンバレーにある我家からサンフランシスコの日本領事館までは、車で約1時間かかる。 そして領事館で提出するのにかかった時間はたったの15分。 車の中では娘はぐっすり寝てくれていたのでよかったものの、たったの15分の為に新生児連れの車で往復2時間は正直つらい。 郵送で何とかできないものかと思ったが、こればかりは両親(もしくはどちらか一人)か代理人が直接提出しなければならないようだ。 いつものことながら、日本の役所のシステムは古い上、効率が悪いように思う。 こんな50年も前のシステムを未だに続けているのはどうかと思うのは私だけだろうか。 電子処理ができる日が早く来ればいいのにとつくづく思う。
ところで、娘の出生届を提出するに当たりかなり迷ったことがあった。 それは娘の戸籍上の名前。 私の姓は日本の戸籍上は旧姓のままになっている。 娘の名前はファーストネームが外国名、ミドルネームに日本名を入れた。 日本ではミドルネームなるものが認められないため、ミドルネームを含めたい場合は、ファーストネームにミドルネームをくっつけた1つづりの名前にしなければならない。(スペースや ・ は認めないとのこと) 私の旧姓にも合うような名前は付けたものの、ファーストネームとミドルネームが1つづりになっているのはやはり聞いた感じおかしいと思う。 かといって、ファーストネームだけだと、せっかくの日本名が無駄になってしまうし、日本名だけにすると、日本とアメリカで全く違う名前になってしまう。 さんざん悩んだ末、ファーストネームとミドルネームの1つづりにしてもらうことにした。 ま、戸籍なんてしょせん形だけのものだから気にしなければいいこと。 とは言うものの、名前は一生ついて回るからやはり気になるものだ。
11月下旬にアメリカのパスポートの申請をした。 必要な書類は近くの郵便局で取り寄せ、必要事項を記入してパスポートの申請を受け入れている郵便局へ出向いて証明用の写真と申請料を渡せばそれで終わり。 証明用の写真も自宅で目を開けている時を狙ってデジカメで撮った写真を自宅のプリンターで印刷したものを使用。 この頃、娘は11週の終わりで、ご機嫌な時はよく笑ったりしていたがカメラを向けて正面をじーっと見ることがなかなかないので、たった一枚の写真の為に何度も何度も写真を撮り直さなければならなかった。 しかし、デジカメならそんなのお構いなし! 要らない写真はいつでも削除すればいいだけだから好きなだけ写真が撮れる。 デジカメ、最高!! 娘はいい時代生まれてくれたもんだ~。
アメリカのパスポートを申請した翌週あたりに日本のパスポートの申請をするために、またサンフランシスコにある日本領事館に向かった。 日本のパスポートは娘の出生届が私の住民票がある市の市役所で受理され、新しくできた戸籍抄本を取り寄せて初めて申請をすることができる。 簡単に説明するとこうだ。
日本領事館に出生届を提出 → 日本領事館から日本の市役所へ出生届の転送 → 日本の市役所で出生届の受理 → 娘の名前が私の戸籍に加えられる → 新戸籍完成 → 日本の家族に戸籍抄本を取り寄せてもらう
こんなステップを踏んで初めて娘の日本のパスポートの申請ができるというわけだ。 10月上旬に提出した娘の出生届は10月下旬に無事受理され、11月上旬には新戸籍が完成した。 早速実家の母に頼んで娘の分の戸籍抄本を取り寄せてもらった。 日本の領事館にパスポート申請書を提出すると、その場でいろんなところを書き直すよう言われてしまった。 日本のお役所の書類は分かりづらいものや必要ないのでは?と思うものが多いので、こういった混乱は私だけではないと思う。 もう少し分かりやすくするか、簡素かしてもらいたいものだ。 ただ、ひとつ嬉しかったのは、戸籍上の娘の名前はファーストネームとミドルネームが1つづりにしないといけなかったが、パスポートの時は何故かスペースを入れて、二つの名前を分別することができた。 アメリカで使用している夫の姓も別名併記として入れてもらったので、日本とアメリカの両方のパスポートで同じ名前が使われていることになる。
さて、アメリカのパスポートは、申請から2週間後に早速届いた。 これで、万一日本のパスポートが間に合わなくても何とか海外旅行はできるので一安心。 と、ホッとしていたら、その1週間後には日本のパスポートも取得! 娘はこれで二つのパスポートを無事確保。 後はアイルランドのパスポートを取得するのみだ。 日本やアメリカのパスポートの申請と違い、アイルランドのパスポートはもっと簡単だそうだ。 聞いた話では、アイルランドに旅行中に現地の警察などで手軽に申請・取得ができるそうだ。 この夏アイルランドへ里帰りするので、その時に現地で申請してみようかと思う。
何はともあれ、無事娘の日本国籍、パスポートを取得できてホッとしている妻なのだ。 あ~、それにしてもハーフちゃんの親って本当に大変だぁ~。
赤ちゃんの髪の毛
坊主頭の娘 9週目
日本ではたいていの赤ちゃんは生まれた時から髪の毛がふさふさに生えていると思う。 よって、『赤ちゃんは髪の毛を生やして生まれてくるもの』、と思われているかもしれない。 しか~し! 外国では、特に白人の赤ちゃんは髪の毛無しで生まれてくる赤ちゃんもたくさんいるのだ。 私がこの事実を知ったのは、恥ずかしながら子供を作る1年前のことだった。
ある友人のパーティに招待された時、赤ちゃん連れで来ていたカップルがいた。 見たところ生後3、4ヶ月くらいと思われるこの赤ちゃんは、金髪の両親から生まれ、自身も雪のように白いお肌をしていた。 しかし、良く見てみると髪の毛が生えていないように見える。 それを近くにいたアメリカ人の知り合いに言ってみたところ、
妻: 『あの赤ちゃんの両親、何で赤ちゃんの髪の毛剃っちゃうんだろうね? ひどくない?』
知人: 『あ~、あの赤ちゃんの髪の毛は剃られたんじゃないのよ。 白人の赤ちゃんは髪の毛無しで生まれてくる人もいるから、まだ生えてきてないだけだと思うわ。』
なんと! そんな事実があるとは知らず、ちょっと恥ずかしい思いをしてしまった妻。 白人の赤ちゃんは満1歳くらいまでにはほぼ全体に髪の毛が生え揃うそうだが、それまでは髪の毛が全くないように見えるらしい。 金髪の赤ちゃんは特に産毛が生えてきても、色が薄くて見えにくい為、余計に髪の毛がないように見えるのだそうだ。
我家の娘が生まれた時は、 少ないながらも一応髪の毛を生やしていた。 見た目黒っぽかったので、きっと髪の毛は日本人の遺伝子を受け継いだのだろうと思っていた。 しかし、月日が経つうち娘の髪の毛が薄くなっているように思えてきたのだ。 髪の毛の量は確実に増えているはずなのに、写真などを後で見てみると生まれた時の方がよっぽど髪の毛の量が多く見える。 よく見てみると、娘の頭には金髪が沢山生えてきていた。
私の夫は子供の頃、つやつやのストレートヘアの金髪少年だったそうだ。 ただ、大きくなるにつれ金髪がだんだんと濃い茶色になってしまったようだ。 誰もが娘の髪の毛は日本人の黒髪だろうと思っていたが、実はアイルランド人の金髪を受け継いでしまったようだ。 おそらく、完璧な金髪にはならないだろうが、おおよそ薄い茶髪になるものと思われる。
娘と同じ頃に生まれた友人の赤ちゃんは生まれた時から髪がふさふさに生え揃っていて、3ヶ月頃にはもう前髪が長すぎるために髪の毛を切ったり、ピンで留め たりしているという。 家の娘は8ヶ月になる今も、おでこにかぶさるほどの髪の毛の長さもない。 このまま髪の毛が薄いままなのでは・・・という不安がいつも妻の頭を よぎる。 しかし、アメリカ人の友人が言うように半分は白人の血を引いた赤ちゃんなのだから1歳になるまでには生え揃うのかもしれない。
ハーフの子供はどう育っていくか、見ていると本当に面白い。 夫の髪の毛の色が年とともに変わってしまったように、娘も大きくなって妻のような黒髪に変わる日がくるのだろうか。 今後の成長が益々楽しみだ。
2ヶ月検診と予防接種
昨年の11月中旬、娘の2ヶ月検診があった。 今回の小児科検診もまたまた、夫も一緒の親子3人で受診。 アメリカでは、予防接種はたいてい小児科クリニックでの定期検診の時に行われる。 それも一種だけでなく、3種も4種も1度に打たれるから赤ちゃんからしたらたまったもんじゃない。
娘の2ヶ月検診の結果はいたって順調だった。 体重は、10.12 ポンド (約4.6kg) で、身長は23.5インチ(約59.7cm)だった。 赤ちゃんの最初の3ヶ月は成長が特に著しいと言われているが、未熟児並の小さな身体で生まれた娘は、3ヶ月弱で一気に平均値を超えてしまった。 気が付けば、体重は平均値、身長はとっくに平均値を越えて90%の成長率だそうだ。 ただ単に母乳やミルクを与えているだけなのにこの成長の早さには本当に驚かされる。 母乳の中に成長促進剤でも入っているのだろうか。
小児科検診のメインイベントは予防接種。 今回は4種の注射をしなければならない。 私が日本の小学校で経験した予防接種は腕にする注射だったが、赤ちゃんの場合は太ももにブスッ x 4 という具合だ。 お尻にするものとばかり思っていたから初めて見た時は正直ちょっとびっくりだった。 看護婦さんは娘が泣いていようとも、手馴れた手付きで表情も変えずにブス、ブス、ブス、ブスと次から次へと事務的に注射を打っていた。 娘は最初の一本目は3秒くらいはショック状態だったが、痛みを感じてすぐにギャオ~、と泣き出してしまった。 続いて、2本目、3本目、4本目を打たれ、その度に泣き声も大きくなっていたように思う。 訳も分からず、太ももに4本も注射を打たれて本当に気の毒だ。 しかし、娘がかわいくてもこればかりは代わってあげることはできない。 注射嫌いの妻は見ているだけでも気絶しそうなのだ。 今後もだいたい2歳くらいまでは定期健診の度に注射をすることになるようだ。 妻が針を見るのに慣れるのが先か、娘が注射に慣れるのが先か今後が見ものだ。
ドーナツ
アメリカのドーナツ (ちなみに左上にあるグレーズというのが妻のお気に入り)
妊娠を経験したお母さんたちは、妊娠中(または産後も)にどうにも食べたくなる食物があったと思う。 妊娠中は、つわりなどの影響もあり味覚が変わると言うが本当にその通りだった。 私の場合、妊娠初期は食べづわりがひどく、会社の机の引き出しには常に飴と軽いスナックを常備。 そんな私が妊娠初期にどうにも食べたくなった物は、オレンジとカーリーチートス(アメリカで売られているチートスがカールされているスナック)だった。 妊娠前はオレンジは嫌いではないが、特に好んで食べるほど好きでもなかった。 それが、妊娠して急に食べたくなり、気がついたらほとんど毎日のように食べるようになっていた。 同じように、カーリーチートスもそれ程好んで食べる方ではなかったのに、一度試しに食べてみたら何故か病み付きになってしまった妻。 一度、私の留守中に夫が内緒で食べ残しのチートスを全部食べてしまったことがあった。 それを見つけた妻は狂ったように夫に当り散らしたのだった。 妊娠中でホルモンのバランスが崩れたのが原因か、それとも食べ物の恨みなのか・・・。 妊婦を怒らせると後が怖い。 それからというもの、我家の戸棚にはチートスの袋が必ず2つは常備されていたのだった。
さて、時は変わって妊娠後期。 妻があれほど狂ったようにむさぼり食べていたオレンジとチートスも時が過ぎると共に、自然と食べたい衝動も薄れていったのだった。 その代わり、また新たな食べ物に執り付かれてしまった妻。 それは、なんとドーナツだった。 妊娠前に最後にドーナツを食べたのはいつのことだったか・・・。 アメリカ人はドーナツ好きが非常に多い。 会社の朝のミーティングには3回に1度は大量のドーナツを差し入れする上司も少なくない。 日本ではドーナツといえばミスタードーナツというイメージがあるが、アメリカではその辺の道にそれ程有名ではないが味はいけてるドーナツ屋さんがゴロゴロある。(注:妊娠して初めて気づいた) ある時、例のごとく私の上司が朝のミーティングにドーナツを差し入れした。 ドーナツなんて油の塊だし、カロリーも高いので普段は絶対に口にしない私が、何故かその日は1つだけ食べてみようかなという気になった。 それがドーナツ地獄にはまる始まりだった。 久しぶりに食べたドーナツは、まるで初めてトリュフのチョコレートを口にしたような衝撃だった。
それからというもの、上司や近くの席に座っている別の部署の秘書がドーナツが余っているから欲しかったらおいで、と言われればほいほい食べに行くようになった。 妊娠後期はカロリーコントロールがとても重要な時期だ。 しかし、ドーナツ教にはまってしまった妻にはそんなことはお構い無しだった。 時には、会社の近くにあるドーナツ屋さんにお昼休みにこっそり出かけ、午後自分のオフィスで一人もぐもぐとドーナツを3つも頬張る妻。 ブレーキが完全に壊れてしまったようだ。 そのうち、その辺を車で運転していて Doughnut (ドーナツ)の看板を見ると急に心が躍るようになってしまった。 ほとんど病気だ。
そんな妻も、臨月になって少しだけコントロールするようになった。 急激に糖分を取りすぎるのは妊婦には禁物だ。 しかし、完璧に断つことはできないので、量だけ減らし子供が生まれたら死ぬほど食べようと自分に言い聞かせていたのだった。 そして、程なくして娘が誕生。 病院から帰るや否や、夫に頼んでお祝いにドーナツを6つ買ってきてもらった。 もちろん妻が6つ全部平らげたのは言うまでもない。 それからと言うもの、事あるごとに大量のドーナツを買ってきてもらってはぺロっと平らげる妻。 しかも、1日に最低4つ(平均6個)も食べていた。
こんなにカロリーの高いドーナツを食べ続けていたにもかかわらず、妻の体重は日を追うごとに減っていった。 まさに母乳天国!! 娘に母乳をあげ続けている限りは自分の身体に影響することはほとんどなかった。 しかし、私が摂取した糖分が母乳に流れていると分かった時はかなりショックだったが・・・。 それでも産後の疲れた身体が糖分を欲しているのでなかなか止められない妻。
育児もだいぶ落ち着いて来た3ヶ月頃、ようやくドーナツ地獄から這い上がることができた。 正直、自分がここまでドーナツにはまってしまったのには驚いているが、時々食べる分にはそれほど害はないように思う。 今思えば、ドーナツを食べることを考えただけでわくわくしていた頃の自分が懐かしい。 二人目の子供が出来た時には今度は何にはまるのだろうか。 今からとても楽しみにしている妻なのだった。
初めてのベビーシッター
義姉に抱かれている娘 8週目
夫の母がカリフォルニアの我家に滞在中、アイルランドからもう一人の義姉が遊びに来た。 この姉は、夫にとっては2番目の姉にあたる。 4人兄弟の末っ子として生まれた夫にとって、この2番目の姉は一番近い存在だそうだ。
さてさて、今回は娘を出産してから初めてベビーシッターをお願いした時の話。 夫の母が2週間滞在している間、私たちはほとんど義母に娘の面倒を見てもらうことができなかった。 というのも、義母は77歳で高齢な上、片目の視力が極端に弱いため、娘をだっこしててバランスを崩して転ぶと危ないという理由からだった。 唯一お願いしたのは、娘に哺乳瓶でミルクをあげてもらうのと、遊んでもらう(といってもプレイマットで遊ぶ娘を見てるだけ)くらい。 新生児のお世話で心身ともに疲れている私たちにとって、新たな客人のお世話は正直つらかった。
そこに夫の2番目の姉が登場! 娘が生まれて8週目にして初めてベビーシッターをしてもらえることになった。 義姉は40代後半ですでに3人の子供がいる。 その日の夜は義姉と義母の二人で娘の子守りをしてもらい、私と夫は子供が生まれてから初めて夫婦水入らずの時間を過ごしたのだった。
久しぶりの夫とのデート。 ひとまず、ディナーを食べてからずっとご無沙汰だった映画を見ることにした。 二人で外食なんて久しぶり♪ おいしい料理を食べに行きたかったが、映画の上映時間に間に合うように食事をしなければならない。 車を飛ばしておいしい店に行くことも考えたが、映画館のすぐ近くの並程度のタイ料理のお店でディナーをいただくことになった。 店に入ってメニューを頼んだ直後、私たちの隣にとてもうるさい親子が入ってきた。 私たち夫婦は顔を見合わせ、沈黙しながら考えていることは同じだった。 料理はもう頼んでしまったし、これから別の店に行ってお料理を頼んでいたら映画の時間に間に合わないかもしれない。 あぁ、せっかくの二人のくつろぎのひと時だったのに・・・。 隣の客はうるさいし、料理もパッと目の覚めるような味ではないし。 久しぶりに夫婦でお出かけしてみればこんなもんだし。
この日、夫婦の会話に出てくるのは、ほぼ 『○○ちゃん、どうしてるかね~・・・・。』 につきる。 考え出したら切りが無い。 普段は没頭して見ているはずの映画の最中でさえ、今頃泣いてるんじゃないか、オムツをちゃんと替えてくれているかな、ミルクの後にちゃんとゲップをさせてくれてるかな・・・なんてふと考えてしまう私。 育児で疲れた身体を休めて、気分をリフレッシュするはずのお出かけが、かえって心配のし過ぎで気疲れしてしまった。 一番ほっとしたのは、家に着いて娘の寝顔を見た時だった。
ベビーシッターを頼むのも楽じゃないなぁと思う。 慣れれば何てことないのだろうが、慣れるまでは心配で気が狂いそうだ。 しかし、こんなことで心配していたら、娘が幼稚園に行く時にはどんなことになるのだろう・・・。ともあれ、しばらくは夫婦で外出なんてしなくてもいいや、と本気で思う妻なのだった。
プレイマット
プレイマットで遊ぶ娘 7週目
私が産休に入る時、会社の友人から出産(前)祝いとしてプレイマットをいただいた。 子育ての経験があるご両親はご存知だと思うが、プレイマットは赤ちゃんの遊び道具のひとつ。 四角い布のマットの上に十字型に交差したバーがアーチ上になってついている。 そのバーに色々なおもちゃがぶら下がっていて、赤ちゃんをマットの上において遊ばせるというものだ。
妊娠中、友人から 『とても画期的なおもちゃだから、是非購入してみて!』 と薦められたが実際に購入するかどうか迷っていた。 我家はいろいろな物を置くほど広くはない。 画期的なおもちゃとはいえ、このプレイマットは場所をとるのだ。 しかし、お祝いでいただいたものなら・・・ということで使ってみることにした。
実際に子育てをして初めて知ったが、プレイマットには実に数多くの種類がある。 我家で使っているプレイマットは、Tiny LoveというブランドのGyminiというやつで、世界中で売られている実に有名なやつだ。 後で知ったのだが、このTiny LoveのGyminiは、『Toy of the Year』、『Best Toy Award』 など数々の賞を総なめにした超優れもので、赤ちゃんの五感を刺激するおもちゃとして知られている。 どんなところが優れているかというと、ただバーからおもちゃがぶら下がっているだけでなく、横に鏡が付いていたり、モーツアルトなどの音楽が流れるようになっていたり、その音楽に合わせて床面のお花が点灯したり、至るところに様々な音が鳴るような仕掛けが施されている。 もちろん、バーと音楽用の電池部分を取り外せば床面の布も洗濯機で丸洗いOKだ。 細かいところまで、赤ちゃんアイテムのニーズをしっかり捉えているところもすばらしい!
我家の娘がどのように反応するのかと、1ヶ月を過ぎた頃に試験的にプレイマットに置いて様子をみることにした。 その当時、娘の視界がどの程度見えていたかは定かではないが、最初の1週間は上からぶら下がっている動物をじーっと見ているだけだった。 そのうちだんだんと手足がバタバタと動くようになり、しまいには娘をプレイマットに置いて音楽のスイッチをオンにしたとたん、『キャッ、キャッ』と声を出しながら手足をバタつかせて楽しく遊ぶようになっていったのだ。 娘はよっぽどこのプレイマットが気に入ったのか、このプレイマットの上に置いておくと、30分から1時間は集中して遊んでくれるようになった。 朝の授乳を終えて、一息ついた頃に娘をプレイマットで運動(?)させるのが毎日の日課となったが、専らこの時間が妻の朝食をゆっくりと食べられるくつろぎのひと時になっていった。 生後4ヶ月くらいまではプレイマットの中にすっぽり納まり、マットの外に出ることがなかったので、よっぽど娘が泣かない限りは目を離して読書をしていたりお茶をしていたり、とくつろぐことができた。
娘がいつこのプレイマットに飽きるのかと思っていたが、寝返りをし始めた5,6ヶ月頃まで結構楽しんでいたようだ。 7ヶ月半になる今でも毎日プレイマットで一日一回は遊ばせているが、今は娘の視界も興味も広くなり、プレイマットでは長く遊ばなくなった。 手先が自由に動かせるようになってからは、ぶら下がっている動物よりも、音楽のスイッチなどの方が面白いのか、オンにしたりオフにしたりして楽しんでいる。 その側で見ている妻にはうざいだけだが・・・。
というわけで、どれだけ画期的なおもちゃかということが少しでも伝わっただろうか。 何はともあれ、買ってみる価値有りなので、これから出産される方、購入しようかどうか迷っているご両親には是非お勧めする。 現に、昨年私の周りで赤ちゃんを産んだ友人・知人はほとんど購入している。 ま、騙されたと思ってひとつ買ってみてほしい。







