同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダー、ふせけいこです。

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これは個人的に常々思っていることなんですけど、私たちって大人も子どもも本当は自分を丸ごと受け入れて許してもらいたい生き物なんじゃないかな。そこには、ママのお腹の中にいたときの様な、絶対的な安心感がある気がします。

 

 

私は根本師匠お弟子限定リトリートで自分が忌み嫌っていた部分を「受け入れて許してもらう」という経験をしたので、それについてしたためます。

 

 

読者のみなさまは、お子さんに嫉妬したりしますか?私はですねぇ、嫉妬しちゃいます。

 

 

「いーなー、ママもパパとデートしたいなぁ。ヤキモチ焼いちゃうなぁ」

 

 

わりと軽く言葉にできていたので、心の底にマグマの様な熱く煮えたぎる嫉妬の塊が鎮座していることには気づきませんでした。・・・というのは嘘で、そういうことにしておきたかったです。

 

 

だって、私ってばいい大人ですし、二児の母ですから。プライドってもんがあるじゃないですか。娘に嫉妬って、そんな私は恥ずかしいし、なによりも惨めだわ。

 

 

なので私は無意識に、嫉妬の本体は心の二重底の下の部分に注意深く隠して、上の部分に軽くお茶目な感じでダミーを置いておいたんですね。だって手に負えるくらいの嫉妬なら、人間味として感じられるし、ちょっとしたスパイスになりますでしょ。

 

 

それなのに、リトリートに参加する心の準備運動をしていたら、いろんなタイミングが重なったこともあって、私が一番見たくなかったドロドロした嫉妬の本体が姿を現してしまったんですね。「ないことにすんなよ!」ということでしょうね、きっと。

 

 

 

 

リトリートまで1週間を切ったある日の夕方、

 

 

「どうしてあんたたちは、自分のタイミングで無邪気にパパに甘えるのよ!私だって本当は甘えたいのに!!」

 

 

「夫も夫で、なんで私を一番にしてくれないのよ!」

 

 

こんな気持ちが頭の中を占拠して、気分は最悪。特に次女を敵視したくなる衝動に駆られました。

家の中の空気もピリピリしています。



このままでは最愛の娘たちを手にかけてしまうんじゃなかろうかというくらいに気持ちがメチャクチャになったんですね。

 

 

このままじゃマズい!と思って、娘たちに夕飯を食べさせ、お風呂の準備をし、夫に早く帰ってきてもらえるように連絡をして、不安そうな娘たちに「君たちが悪いんじゃないよ。ママのお心が困ってるから、ちょっと落ち着いてきます」と伝えて、私はカフェに避難しました。

 

 

おかげで娘たちの命は守れましたが、その代わりに結婚9年目にして第何十回目かのメンヘラ期がやってきました。

 

 

メンヘラ期というのは、「なんでよ!なんでよ!なんでよ!分かってよ!分かってよ!分かってよ!愛してよ!愛してよ!愛してよ!」という風に、私がこれでもかとニーズを夫にぶつけまくってサンドバックにするシーズンをいいます。恐ろしいですよねー。私が逆の立場だったら、ほんと生きた心地がしないと思いますー。

 

 

結婚当初は毎日がメンヘラ期でしたな(夫よ、マジでごめんね)、心理学を学んで自分を癒していくうちに、ほとんど顔をのぞかせることがなかったんですね。

(お久しぶりのメンヘラと夫へのサンドバック事情おそびその顛末については別記事にしたためますね)

 

 

あー、でもせっかくなので正直に告白してしまうと、私のメンヘラ的な要素が出ない距離まで夫と心理的な距離をとる、という作戦を私は注意深く遂行していたんだと思います。

 

 

このことによって私のメンヘラがきっかけになって夫婦関係がギスギスするということは避けられましたし、家庭には表面的には平和がもたらされます。が、「夫と親密でいたい」「もっと仲良くなりたい!」という私の願いは叶わないまま。だから、「近くにいるのに、なんだか寂しいなぁ」私の心には寂しさがあったんですよねー、実は。

 

 

メンヘラを封じ込めることと引き換えに感じるこの感覚は、もっとずっと昔に覚えがありました。

 

 

それは、私と母と弟妹との三角関係の記憶。

 

 

「どうしてあんたたちは、自分のタイミングで無邪気にお母ちゃんに甘えるのよ!私だって本当は甘えたいのに!!」

 

 

「お母ちゃんもお母ちゃんで、なんで私を一番にしてくれないのよ!」

 

 

私には3歳下に双子の弟・妹、10歳下に末の弟がいます。特に3歳下の双子の弟にはめちゃくちゃ嫉妬していました。こっちはお姉ちゃんとしての役割を一生懸命果たしてやっとのことで愛情をかけられる土俵に立てているのに、弟は等身大で愛されているように私には思えてならなかったからです。

 

 

でも、弟に嫉妬の感情を向けてしまうと母に嫌われると思っていたので、ガルガルとした感情は妹に向けていました。弟への嫉妬は、心の二重底の下の部分に注意深く隠していたんですね。

 

 

なんとなく、似てますでしょ?私と夫と娘たちとの三角関係に。私は夫や娘たちに、母と弟妹を映し出していたんだと思います。

 

 

このまま過去に囚われて、今の家族関係をぶち壊すのはイヤだったので、リトリートでは私はこの点を相談してみたいなぁと思っていたのです。

 

 

 

 

ところが、じゃんけん大会に破れ、今回のリトリートではフォーカスパーソンの座を射止めることはできませんでした。残念だなー、これもプロセスの一部か。

 

 

と思いきや、件の自分が忌み嫌っていた部分を「受け入れて許してもらう」というセッションを経験することができたんですね。

 

 

これ、神社に参拝するがごとく、フォーカスパーソンの前に希望性で列を作って、ひとりずつ自分が隠していたいことを告白します。


自分の秘密を公衆の面前で告白するなんて、こんな恐ろしいことをしてどんないいことがあるかというと、自分が忌み嫌っていた部分を自ら告白して受け入れて許してもらうことで、心が軽くなっていくんですね。

 

 

子どもの頃、真っ白い壁に落書きをしちゃったり、花瓶を割っちゃったり、よそ行きの洋服を汚しちゃったり「怒られる!」と思って証拠隠滅を図ろうとしたことはありませんでしたか?



そして、罪の意識から胸がヒリヒリしたりして気持ちが晴れず、頭の中ではバレたときの悪い想像が際限なく繰り返されて、更に気持ちはどんよりとしていく感じ。

 

 

それでも勇気を振り絞って自分がしたことを告白したとき、

 

 

「あらら、やっちまったんだね。ドンマイ」

 

 

優しい眼差しで笑いかけられたり抱きしめられて、ほっとしたり、あんしんしたり、緊張が解けてふっと肩の力が抜ける感じを想像してみてください。

 

 

そんな感覚をあの場では経験できたんです。

 

 

ひとりまたひとりと告白をしていくなか、私も覚悟が決まったので列に加わります。

 

 

参道を進むがごとく、神妙に歩を進めます。目の前にはフォーカスパーソンのお二人。とても慈愛に満ちた眼差しで私を見つめてくれていました。

 

 

「私は、お母さんなのに娘たちに嫉妬していることを隠していました。夫の一番にして欲しかった」

 

 

自分の気持ちを感じながら、それを言葉にします。途中から胸が詰まって涙が流れてきました。

 

 

すべてを言い終わると「ありがとう」の言葉とともに、お二人は両手を広げて私を迎え入れてハグしてくれました。

 

 

ああ、私は許されているんだな。この気持ちを持ったままでも、ここにいていいんだな。迷子の子どもがママを見つけてほっとして泣き出すように、私は少しの間、肩を震わせてすすり泣いていました。

 

 

こんな風に、自分で受け入れられない部分は、だれか受け入れてくれそうな人に受け入れてもらうという方法もあるんですね。神様とか、神父様とか、仏様とか、カウンセラーとかね。

 

 

そうすると、不思議なことに自分でも自分のその部分を受け入れられるようになってきます。そしてそれが、師匠曰く「自分自身とのパートナーシップを結び直す」「自分自身を愛してあげる」ことに繋がって、現実の夫とか子どもに映し出されていくという寸法です。これが、自分が変われば現実が変わるということ。

 

 

「私は、お姉ちゃんなのに弟に嫉妬していることを隠していました。お母ちゃんの一番にして欲しかった」

 

 

きっと過去の囚われの部分も何かしら受け取り方が変わっていくような予感がしています。

 

 

そしてもうひとつ。自分の隠しておきたいくらい忌み嫌っている部分を受け入れると、それがポジティブなものに変身して花開いていくんですね。

 

 

例えば、私の忌み嫌っていた嫉妬は、情の深さや包容力、エネルギーや情熱が大きいことなどなどの裏返しであります。なかなか悪くないでしょ?

 

 

 

 

参拝を終えた後の様な清々しさを感じながら、私はサンドバックにしてしまった夫に対して、あることを決意していました。

 

 

それについては、また別記事にしたためようと思います。

 

 

それでは今日はこのへんで!最後まで読んでくださってありがとうございました。

 

 

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同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダー、ふせけいこです。

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週末は、根本師匠のお弟子限定リトリートに参加してきました。

 

 

師匠のリトリートは、グループセラピーというスタイル。セッション毎にフォーカスパーソンを募って、その人のお悩みをシェアしながら集団心理を扱って場全体の癒しを進めていくもの。私は去年の6月に第二の故郷仙台で初めて参加して、一般向けも合わせると今回で3回目。そのくらい、好きなセミナー。

 

 

なにがそんなに好きなのかというと、心が動くことと、腑に落ちる感覚。いい映画を観た後のような、なんとも言えない余韻を感じながらその後の数日間をフワフワと過ごすことができるんですね。

 

 

そして、潜在意識や無意識の層で変化が起こっているから、無理せず自然に内面が変わって現実も変わっていくこと。

 

 



↑懇親会での一コマ

 

「けいこちゃん、9月のリトリートからめっちゃ変わったね!」

 

 

弟子仲間から指摘をもらって思い返してみると、たしかに感じ方が色々変わったなぁと思う。

 

 

去年9月のリトリートは、これから罰でも受けに行くんじゃないかと思うほどの重い足取りで、心臓が口から飛び出そうになりながら飯田橋の駅からセミナールームまでの坂を20分かけて上っていた記憶があります。(仙台の時はホームタウンのせいか、めっちゃ元気だった)
 

 

これ、今思えば、私が心の鎧を脱いで丸腰でいたからということも大きい気がします。

 

 

ほら、高いお金を払って、子ども達を夫に任せて3日間も家を空けるからには、それなりの変化を伴いたいじゃないですか。だから、心のガードを下げていこうと思ったんです。ふせけいこ、こう見えてだいぶ本気。

 

 

ところが当日いざ出陣!と思ったら、鎧を脱いだ下には傷だらけで一回りも二回りも小さな私がプルプル震えていた、みたいな顛末。

 

 

師匠とセミナールームがなぜか怖くて。参加者さんも怖くて。せっかく鎧を脱いだのに、分厚い象のような皮膚で自分の体も心も覆っているような感覚。

 

 

私は皆と繋がりたいんだけど、同時に「見ないで!だれも私に気づかないで!」と心の中で叫びつつ震えて小さくなっていたんだと思います。

 

 

そんな自分を知られたくなくて、表面上では取り繕って泣いたり笑ったりしていたけど、みぞおちの辺りではポツネンとした寂しさ、というかヒリヒリとした孤独を感じていました。

 

 

「なにか迷ってるみたいだった」

 

 

「見られることに自信がないみたいだった」

 

 

「フォーカスでは何を言ってるのかよくわからなかった」

 

 

上手く隠していたつもりだったのに、私の葛藤は駄々洩れていたみたいです(笑)

 

 

私の心は、二重底になっていたように思います。上の部分は、もの分かりが良くて場に迎合しようとする私。下の部分は、生皮を剥がれた胎児のような妖怪のような、痛々しくて禍々しくて毒々しいと私が毛嫌いして無視してきた部分。

 

 

望めば癒される場にいるのに、私の心は頑なに二重底のふたは開けようとしなかったんでしょうね。怖かったのもあるし、「見せてたまるかよ!」と意固地になっていたのかもしれない。

 

 

どうせ愛してくれないんでしょ。あなたが見たいのはこっちじゃないもんね。汚いし、ぶじゅぶじゅしてるし、気持ち悪いし、めんどくさいし、はしたないし、かっこわるいし、恥ずかしいし、手に負えないもんね。

 

 

この時の私は覚悟は決めてきたはずなのに、薄々その存在に気づいていたはずなのに、二重底の下のふたは最後まで開ける勇気がなかったんですね。

 

 

だって、これは愛してもらえなかった私の醜い部分だから。これがあるせいで私は仲間外れになったり、怒られたり、幻滅されたり、笑われたりしてきたから。と、私が子どもから大人になるまでの過程で思い込んできた部分だからです。

 

 

もちろんセミナー自体は良くって参加してよかったと思えましたけど、強烈な自己嫌悪が炙り出された回でした。


 

 

 

 

ここからですよ。

 

 

>そして、潜在意識や無意識の層で変化が起こっているから、無理せず自然に内面が変わって現実も変わっていくこと。

 

 

師匠のリトリートは、起こることすべてがプロセスの一部のようで、9月のリトリートを終えてから、私は導かれるようにして二重底の下の部分に押込めてきた見たくないドロドロした私の一部と仲直りすることになるんですね。(説明がめんどうだから長くなるから割愛)

 

 

ほいで、今年6月のリトリート。

 

 

もれなく今回も、私は覚悟を決めて丸腰スタートです。別記事に詳しく書きますが、一週間まえくらいから狙ったようにリトリートにおあつらえ向きの夫婦の問題も起きて、気合十分です。

 

 

道中はDef Techを爆音で聴きながら、半分トランス状態のノリノリです。飯田橋の駅からセミナールームまでは、一駅分東西線に乗り換えてショートカット。

 

 

席はカードを引いて決めるんですけど、遅刻ギリギリに到着した私が手渡された最後の一枚は、師匠の真ん前ど真ん中。

 

 

意外なお導きに多少は動揺しましたが、

 

 

>「見ないで!だれも私に気づかないで!」

 

 

はなかったですね。

 

 

むしろ「はーい、ふせでーすヾ(*´∀`*)ノ」

 

 

弟子仲間に話しかけられたときも、私が話しかけるときも、ポツネンとしているときも、笑ってるときも、泣いてるときも、まぁそれなりに等身大。取り繕うことも多少ありましたけど、それで自己嫌悪することはありませんでした。気まずさすら受け入れる感じ。

 

 

座り続けて腰が痛くなっちゃって、師匠の前なのにイスのうえで胡坐なんかかいちゃったりしてね(笑)わりと自由。

 

 

きっと、


>生皮を剥がれた胎児のような妖怪のような、痛々しくて禍々しくて毒々しいと私が思っている部分。

 

 

は、傷口がふさがって、優しい手で産湯につけてもらった後に、真綿に包まれて、お腹もいっぱいで、安心して眠ってるんじゃないかな。



私の中では、すやすや眠っている赤ちゃんのイメージに変わっています。

 

 

 

 

もしかしたら、また傷口が開いたり、血まみれになったり、妖怪みたいになるかもしれないけど。



その度に私が一緒にいてあげようと思います。よしよししたり、なでなでしたり。私だけでは力が足りない時は「たすけてー」を言いに行こうと思うんです。

 

 

本当は、私がいちばん愛してあげたかった、私の一部たちだと認めることができたからです。

 

 

そんなわけで、今回の弟子限定リトリートは、私にとっては答え合わせの回になりました。

 

 

そんな私の顕在意識とは別行動で、私の潜在意識から下の部分は何らかの化学変化を起こしていると思います。今回持ち帰ったもろもろの恩恵を、クライアントさんたちに還元するぞ!と私は鼻息荒く息巻いております。

 

 

それでは今日はこのへんで!

 

 

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同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダー、ふせけいこです。

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連続してお届けしてきた不登校シリーズ、今日でいったんおしまいです。

 

 

今日は長女の不登校の恩恵について。スタンドFMにてお届けしています。ぜひ聞いてね。

 





ここからは補足。



どんなお悩みも渦中にいる時はしんどいけれど「あの時があったから今の私がある」に昇華することができます。人生の汚点にすることもできます。そして、それはあなたが選べます。

 

 

最初、長女の不登校は私の責任でした。私の育て方が悪かったのかと自分を責めました。でも、そうではなかった。

 

 

長女の不登校は、彼女の成長に伴う通過点の一つでした。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

不登校という事実を使って、私が私を責めていただけなんですね。そして、自分を責めているとき、私はその場に留まっていられます。自分から動かなくていい。

 

 

超主体的に捉えると、私がそこに留まっていられるように、長女が不登校という状態を使って私にお付き合いしてくれているともいえる。

 

 

 

 

不登校にかかわらず子どもの問題で悩む時は「ママ、その生き方でいいの?」と問われている時だと私は思います。

 

 

お空から私を選んでやってきてくれた長女が、私にくれた問いかけ。

 

 

長女よありがとう。ママは、長女がどうなろうと自分を幸せにする方向に歩きます。だから、もう大丈夫だよ。ママから手を離して、自分の道に戻って大丈夫だよ。

 

 

彼女がこの先どんな道を辿って大人になっていくのかは、私にもわかりません。私が思いもしない道を通っていくかもしれませんし、私には道だとは思えない荒野を歩いていくかもしれません。

 

 

大事なわが子のことだから、やっぱり私は動揺してしまうかもしれない。そんな時は、このアファメーションを唱えようと思います。

 

 

私は私、子どもは子ども。

 

子どもは、私の思い通りにならなくても幸せになれる。

 

私は、子どもがどうなろうとも幸せになれる。

 

私は子どもの選択を支持するし、その生き方を尊重する。

 

私は私、子どもは子ども。

 

 

出典:根本裕幸『子どもの将来は親の自己肯定感で決まる』実務教育出版P166

 

 

使えるものは何でも使う。頼れるものは何でも頼る。これが問題を恩恵に変える時の本気な感じです^^

 

 

ちょっと勇気を出してみようかなというあなたは、ぜひとも30分の無料個別相談会をご活用ください。聴いてもらうだけで気持ちが楽になる経験と、ご自身の現在地が分かります。ふせけいことマンツーマンで今の状況が少しでも状況が良くなる作戦を立てましょう。

ご希望の方はLINEから【個別相談】とメッセージをお送りください。お待ちしております!

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同志のみなさまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダーふせけいこです。



7月7日の七夕Youtube企画のプレゼント詳細はこちらをご覧になって下さいね。

 

 

 

 

 
 
今日は自己紹介をさせていただきます。
 
 
**************************
目次
・はじめに
・簡単な自己紹介
・生い立ち
・親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ
・「わが子の不登校」という神様のテスト
・私の想い
***************************
 
 

  はじめに

 

 

私は、自分を後回しにするがんばり屋さんのママが、良妻賢母を手放して等身大で愛される女性になるお手伝いをしています。


夫や子どもと仲良く暮らしたいのに、気づけばイライラをぶつけて自己嫌悪するあなたへ。
 
 
本当のあなたは、自分を後回しにするくらいに愛情深くがんばり屋さんです。あなたの愛情がそのままあなたの大切な人に届きますように。愛し愛される喜びを全身に感じることができますように。


そのために、あなたらしさを覆い隠す良いママの仮面を脱いでみませんか?
 
 
私が2度の結婚を経験して、かれこれ14年ほど。最初の結婚は4年で幕を下ろし、2度目の結婚は山あり谷あり笑いありで継続中です。
 
 
2度の結婚生活での失敗経験を振り返ってみて気づいたのは、自分が等身大で自分らしくいられることが幸せな夫婦関係に通ずるということ(ここでいう幸せな夫婦関係とは、離婚を選ぶことも含みます)。もちろん、わが子との関係もそう。
 
 
自分らしさというのは、世間様に顔向けできる自分も顔向けできなくて隠してしまいたくなる自分も全部丸ごとをいいます。そして、これは心理学を学んでから分かったことですが、隠してしまいたくなる自分の中には沢山の宝物が眠っているんですね。
 
 
あなたには世間様から隠してしまいたい自分はありますか?私は穏やかで理知的な仮面をまとって、こんな自分を隠していましたよ。
 
 
・夫や子どもにブチ切れてしまう自分
 
・さみしがり屋な自分
 
・グータラでだらしない自分
 
・イケナイ妄想をしてしまう自分
 
・意地悪な自分
 
・他人に無関心な自分
 
・オトコ男好きな自分
 
・色恋好きな自分
 
・承認欲求強めな自分
 
・お金のコンプレックスを持っている自分
 
 
などなど、あげていくと100個以上は軽く出てくるんですけど、まぁ数々の自分を座敷牢のようなところに閉じ込めて、母親になってもなお「私はいい子ですから愛してください」と生きてきました。いい子でいつづけるための我慢もたくさんしてきました。
 
 
でもね、これって実はしんどいんです。誰かに愛してもらうことと引き換えに、自分をアンバランスな形に矯正していくことになるからですね。
 
 
体は、私たちが最高のパフォーマンスを叩きだせるのは自分らしさが全開の時だと知っていますので、いろんな問題を内外から起こして元のバランスに戻そうとしてくるんですね。
 
 
私の場合は、生きづらさという漠然としたもののほかに、婦人科系の不具合、離婚、再婚後の夫婦仲悪化、わが子の不登校でした。
 
 
これらの問題のベースはどんなふうに作られていったのか、どうやって解消への道をたどったのか。私の自己紹介では、そのあたりも感じていただけましたら幸いです。
 
 

 

  簡単な自己紹介

 

 
わが家はステップファミリーで、夫と子ども2人の4人家族です。

 


こう見えて、私は怒りんぼうです。セクシャリティが強いとも言えます。子ども達は「ママは怒るとゴリラになる」と申してます。


4年ほど前から長女は登校しぶりを経て不登校になり、なにやら発達凸凹の疑いも。「学校には行けないけど、お友達と遊びたい」との長女の声で近隣にフリースクールをさがすも見当たらず。なかったら作ればいいか!ということで、去年5月からフリースクールを小さくオープン。居場所づくりを経験させていただきました。

 

モノと心の関係性が楽しくて、整理収納アドバイザーの知識も生かして私はカウンセラー活動を満喫しています。

 

 

私が使う視点は「ダメな私の問題を何とかしよう」ではなく、「その問題の陰に眠っている私の宝物を使って問題を紐解いていこう」というところです。

 

 


 

 

 

  生い立ち

 

 

一触即発の危機を抱える家庭で育った、長女で優等生タイプの私。

 

 

3世代同居の家族が不仲な家庭に生まれ、小さな時から生き残りをかけて、嫌われないように、見捨てられないように、大人の顔色を窺って生きるすべを身に付けました。

 

 

「いい子になりますから、許してください」


こんな風に泣いて懇願していたことを覚えています。

 

 

そして当時は少しでも平穏無事に過ごしたくて、だれからも頼まれもしないのにカスガイ役を買って出て家中を奔走しておりました。

 

 

image

 

 

もともとは自由気ままなお気楽体質でしたが、家庭内の平和を守るためもともとの自分を無意識に封じ込めて、いつのまにやらベキ・ネバでボンレスハムのようにグルグル巻きになった自分が出来上がっていました。

 

 

とにかく、家族が仲良くなってほしい!安心できる場所がほしい!そのためには私がなんとかしなくては!

 

 

そんな一心だったと思います。

 

 

こんな風に、自由人の自分を心の奥に封じ込めて、家族を背負っていた私。

 

 

幸せという感覚がよく分からなくて、いつも心に黒くて冷たい塊がある感じでした。


女子の集団が怖く、クラスに居場所がない感覚にとらわれる。思春期には、何が好きで何が楽しいのか分からなくなってきて、いつもカラダを固くして身構える感じ。

 

 

「礼儀正しく穏やかだけれど、なぜだかとっつきにくい雰囲気」

 

 

こんな私は、生きづらくていつもなにかに怯えていて、誰かと一緒にいても一人ぼっちのような気がしていました。


一縷の望みは、幸せな結婚への夢。

 

 

そのためには、まずは実家を出て経済力をつけて、家族の誰にも指図されない状態をつくること。それから、私の生きづらさも葛藤も、すべてを分かってくれる、絶対的な味方の人と結婚するんだ!

 

 

高校受験のモチベーションは早く経済力を持って実家を出ることでした。

 

 

それと同時期くらいから、朝起きるのがツラくて学校に行きたくない日々が続きます。

 

 

でも、学校に行かなければ進学できない。進学できなければ、実家からできなくなる。自分に鞭打って、高校・大学と進学をして、一部上場企業に新卒入社。

 

 

 

それなりに学生生活も社会人生活も楽しんでいたので、表向きは順風満帆でしたし、自分でもこの状態が普通だと思っていました。


 

 

でも、客観的に振り返ると、実生活はボロボロでした。

 

 

心を許せる友達がいない。

 


20歳の頃、右側の卵巣に破裂寸前の11センチの腫瘍が見つかり、摘出手術。

 



この時は、両親の心配をよそに、病院に来られるのが嫌で、付き添いは当時の彼氏にお願いしました。


歴代の彼氏は優しい人が多かったのですが、ついついコントロールしたくなり、窮屈な思いをさせていたと思います。

 

 

仕事では「助けて」「分かりません」が言えなくて、限界を過ぎても一人で頑張りすぎてしまう。

 

 

そして彼氏に怒りをぶつける!彼氏意外には「NO!」が言えない

 

 

健康診断では問題がないのに、「元気」が出ない。朝起きられずに、毎日遅刻ギリギリ出社。

 

 

お給料のうち、自由になるお金はほとんどショッピングにつぎ込む。買っても買っても満足できない。クローゼットは着ない洋服でいっぱい。

 

 

そのくせ、旅行や遊びなど、余暇にはお金を使えない。

 

 

お金はあるはずなのに「ナイ!」と不安になってしまう。

 

 

そんな不安だらけの暮らしに嫌気がさして、逃げるように、結婚への道を選びます。



傍から見れば何不自由のない幸せな結婚生活だったはずなのに、なぜか私は幸せを感じられずメンヘラ全開の日々。「あいつが●んでくれたらいいのに!」一時は元夫の死を望むほど、自分の中がドロドロになっていました。

 

 

なぜかというと、「幸せは誰かにしてもらうもの」という思い込みを持っていたからなんですね。

 

 

その勘違いに気づき、自分の足で歩く人生を取り戻すべく、一念発起して私は子連れ再婚を決意します。紆余曲折を経て、私の一度目の結婚は4年で終わりを迎えました。

 

 

弟の「ふたりは成長し合えなかったんだね」の一言が、今でも心の中でチクリとしますが、この選択は私の人生で最高のファインプレーだったと思っています。
 
 


 

 

  親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ

 

 
さて、ここからは、今の夫とのお話です。
 
 
私は子連れ離婚をした後、10ヶ月という短期間で今の夫と再婚しました。

 
夫とのパートナーシップを振り返ってみると、当初、私が夫に求めていたものは、母のような無償の愛私の自信のなさを埋めてくれることでした。一度目の結婚と同じだったんですね。


私と夫の心理的な立ち位置は、子どもと大人だったのだと思います。
 

 

夫に母のような無償の愛を求めていた私
 

 
夫には無条件で私を分かって欲しい、認めて欲しい、許して欲しい、愛して欲しい。
 
 
人間の心の発達には段階があるんですが、私が夫に求めていたことは、子ども時代に特に母親との関係で満たされているはずだったことだったんですね。
 
 
それはどんなことかというと、どんな私でも大切にされる価値があるという感覚を育てること。「心の安全基地」をつくるということ。
 
 
なにせ、私の幼少期のミッションは「カスガイ」と「サバイバル」でしたから、子どもとして無条件の愛を受けて「心の安全基地」を作っている場合ではなかったのです。
 
 
とはいえ、「心の安全基地」は生きていくうえで必要不可欠。
 
 
親がだめなら「夫」というスーパーマンに満たしてもらいたい!!という強い期待を離婚を経験したもなお、無意識に持ち続けていたんですね。
 
 

 

夫に私の自信のなさを埋めてくれることを求めていた

 

 

当時の私は、自己嫌悪の塊でした。私には「持っているモノ」も沢山あるはずなのに「持っていないモノ」にしか目が行きませんでした。


そして、自信がないので人の目も大いに気になったんですね。


だから、ナイものだらけの私でも「こんな素敵な旦那様がいるのよ!だから私は大丈夫なのよ」と証明しなければ、不安で不安でしかたがなかったんです。
 
 
自信がない大きな空洞を埋めるために、夫は「理想通りのパーフェクトな旦那様」でいてくれなければいけなかったんですね。
 
 
(蛇足です。私は矛先が夫に向きましたが、我が子に向く場合もあります。その場合、無意識にわが子にパーフェクトチャイルドを望むこともあります。)



 

 

さて、夫との日々ですが、こちらとしては「スーパーマンに愛して欲しい、守って欲しい私」「理想通りのパーフェクトな夫でいてほしい私」なのに対して、大人同士として「協力し合う」「補い合う」「愛し合う」スタンスでいる夫には、だんだんと負担がのしかかっていったことと思います。

 

 

おまけに、期待通りのスーパーマンでいてくれない夫に、私の怒りは炸裂します。

 

 

愛情深い夫ではありますが、危険回避のために心の距離をとっていくことは想像に難くありませんよね。

 

 

(当時の私は、怒りと疑問でいっぱいでしたが、今なら分かります。夫の気持ち。)

 

 

夫との間に溝ができていくと、私は幼少時代と同じように自分の気持ちを押し殺し、夫の顔色をうかがって嫌われないように見捨てられないように、いわゆるになりました。

 

 

これは、子ども軸、お金軸、仕事軸、母親軸、父親軸、他人軸、そのほか何でもいいんですが、自分が幸せかどうかは相手次第の状態になります。

 

 

例えば、夫が機嫌よく話してくれたら、私は幸せ。


夫が不機嫌だと、私は不幸せ。

 

 

私は幸せでいたいから、自分をなくしてでも、なんとかして夫が機嫌よく話してくれるように振舞う。

 

 

っていう状態です。なんだかハードでしょ?ストレスたまりそうに感じませんか?

 

 

実際、溜まるんです。

 

 

だから、途中で爆発しまして、元の木阿弥になる。というのをくり返す日々でした。

 

 

 

 

夫軸~他人軸ということは、究極的には「私を愛して!満たして」という立ち位置なんですね。


年齢的には大人ですが、私の心の中には「いい子にしますから、許してください」という、傷ついた小さな私が泣いている状態だったんです。

 

 

「これは正解?」「これは嫌われない?」


私は、外に正解を求めて終始エネルギーを使っていたので、今思い返せば疲労感が半端ありませんでした。


こんなのもう嫌だな。どうして大好きな人と一緒にいるのに、前の結婚と同じことをくり返しちゃうんだろう。もしかして・・・私になにか原因があるのかもしれない。

 

 

ある日ふとそう思いまして、自分と向き合うということをやってみました。

 

 

カウンセリングを受けたりして、これまで年十年も押し込めてきた小さな私の自分の言い分を、スルーせずに聴いてあげるというようなことです。

 

 

私がやってみたいこと、やりたくないこと、好きなこと、キライなこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、がんばってきたこと、イヤだったこと、辛かったこと、悲しかったこと、言えなかったけど言いたかったこと。

 

 

こんなことを棚卸して、いまからできることがあれば実際に行動してみたりもしました。

 

 

何十年も無視され続けていた小さな私なので、最初のうちはうつむいたままでした。

 

 

でも、回数を重ねるにつれ、小さく囁いてくれるようになりました。
 

 

そのうち彼女はだんだん笑顔になっていったんですね。私は私の中の小さな私と、少しずつ仲直りしていきました。

 

 

それと同時に、「わたしはどうしたい?」の自分基準でモノゴトを選んでいくことが増えました。

 

 

そうすると不思議なもので、とりたてて代り映えしない日常が、充実したものに感じられるようになってくるんですよね。

 

 

自分が充実しているからなのか、夫の機嫌もあまり気にならなくなりました。

 

 

イライラは急には無くなりませんが、それでもこれまでのイライラ頻度が100だとしたら、今は20程度になりました。

 

 

そんな日々を過ごしていると「私を愛して!!!」と夫に要求していたときよりも、夫に愛されてるなぁと感じることが増えていきました。

 

 

さらには、今までは「愛して欲しい!」というニーズが主だったのですが「私はこの人を応援したいなぁ」「一緒に幸せになりたいなぁ」という気持ちが湧いてくるんですね。

 

 

とても穏やかで地に足がついているような感覚を感じています。

 

 

成熟した大人の女性には程遠いかもしれませんが、きっといい感じに大人になってきているはず。

 

 

 

 

さてそんなわけで、夫とのパートナーシップを育てる旅は、私を精神的に成長させてくれました。

 

 

感情としては、「渇望」「見捨てられる怖れ」「不安」このあたりから「安心」「充足」「安定」に変化したように思います。

 

 

当時と同じようにトラブルやアクシデントは起きますが、私の感情のベースが変わっているので、現実の受け取り方がガラリと変わりました。

 

 

こう考えると、こんなにもじゃじゃ馬な私を手放さずに、あるときは距離を取ながら、あるときはサンドバックになりながらも側にいてくれた夫には、感謝しかありません。夫よ、ありがとう。

 

 

  「わが子の不登校」という神様のテスト

 

 

さて、夫との関係が落ち着いてきたころに「ママ、学校に行きたくない問題」が勃発します。

 

 

詳しくはこちら『不登校・わたしと娘のストーリー』をご覧いただければと思います。

 

 

長女が不登校4年目にして自ら再登校を果たすまでの間に私が得た恩恵について、こちらではお伝えしたいと思います。

 

 

「ママ、だいぶものわかりが良くなったよね(笑)」

 

 

長女曰く、彼女が不登校になってから、だんだんと私が変わっていったそうです。

 

 

というのも、長女の不登校が深刻化していって食欲不振や寝つきが悪いなどの身体症状が出たときに、ふと思いついて母親として自分に禁止してきたことを解除したんですね。

 

 

なぜなら、私が自分に禁じていることを長女がしようとしたときに、私のイライラが頂点に達することに気づいたからです。母がイライラしていると、子どもとしてはストレスや恐怖を感じちゃうからですね。

 

 

(心理学では、相手の行動にイライラするときは、その行動を自分自身が禁じているからという見方があります。)

 

 

気づけば私は良妻賢母としてのベキネバがだいぶ緩んで、適度にグータラな日々を過ごせるようになりました。そのおかげか、夫や子どもたちがグータラしていてもほぼ気になりません。この点が一番大きかったように思います。

 

 

実は私、母になってからというもの無意識に、グータラすることを含めて「楽しむこと」を禁止してきたようなんです。

 

 

「もうお母さんになったんだから、●●は卒業しよう」そういえばこんな風に自分のなかで決意したまま忘れ果てていたことが沢山あったことを、私は思い出しました。

 

 

例えば、メイクをすること。質の良い洋服を着てオシャレを楽しむこと。テレビもここ10年大河ドラマをのぞいては見ていませんでした。他にも、コンビニでお菓子を買う事や、カフェでのコーヒータイム。子どもと一緒に外食したときに辛い物を食べること。映画を観に行ったり、ネットでゲームをしたり。朝寝坊したり、子どもの前でスマホをいじったり。

 

 

これらを恐る恐るですが、全部解禁しました。
 

 

当初、私はダメな母になるんじゃないかと思いましたが、大丈夫でした。むしろ家庭内の雰囲気は良くなりました。



恐らくですが、長女が不登校にならなかったとしたら、今も私はベキネバに囚われた自分ルールだらけの気難しい母親だったような気がしています。

 

 

image

 

 

 

  私の想い

 

 

私の夢は、世界平和です。

 

 

平和な世界ってどんな世界かというと、子どもたちの笑い声が、あちらこちらから響く世界。


そのための最重要課題はなにかというと、まずはママが無理なく自然に笑顔でいられることだと思うんです。


なぜなら、その安心感のもと、子どもたちは安心して子ども時代を全力で子どもらしく過ごして、大人になるためのエネルギーを蓄えられるからです。

 

 

そのために私にできること。


まずは、わたし自身が幸せでいること。


つまり、ベキネバから自由になり、たった一度きりの人生を自分らしく生きること。そして、隣には最愛の夫が一緒にいてくれたら尚良しです。

 

 

私は、わが子に平和な世界に住んでほしい。そして、「まずは自分が自分を幸せにしてあげるんだよ」というスタイルを手渡したい。

 

 

いまこれを書いているときに、思わず涙しちゃうくらい切実な、祈りにも似た願いです。

 

 

もし私の願いに共感してくださったとしたら、あなたもぜひ、私と一緒に、ベキネバを緩めて自由なママになりませんか?それが、良妻賢母を手放して等身大で愛される私になることにもつながっていきます。

 

 

家庭の平和は、世界の平和に繋がっているから。

 


ママがごきげんだと、ご家庭はパワースポットになります。

 


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さいごまで

読んでくださって
ありがとうございました!



LOVE & PEACE
ふせけいこでした♡


 

同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダー、ふせけいこです。

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不登校シリーズもあとわずかとなりました。今日は、不登校と夫婦仲の関係について。

 

 

今日の内容は、夫婦仲が険悪なわけではないけれど、ワンオペ育児中だったり、ご主人との会話が業務連絡的な感じだったりすることが多い方におすすめです。

 

 

ちなみにわが家も平日はほぼワンオペ育児ですし、夫婦で気持ちレベルのコミュニケーションをする感じではありませんでした。今もそこまで密ではないなぁということをお伝えしておきますね。

 

 

と、ここまで書いても尚、私はどんな風にしたためようかと書いては消しをくり返しています。ドキッとしたりグサグサ刺さったりしたらごめんなさい!最後の方に対処法を書いておきますね。

 

 

 

  夫婦仲はどうですか?

 

 

えっとですね、一般的に言われることなんですが、私たちは夫婦仲が上手くいっていなかったり夫との関りが希薄な場合、子どもとの関りを強めたくなる傾向があります。

 

 

夫がハードワークなどで家庭に意識が向かなかったり、子育てに理解が足りなかったり、浮気中・別居中だったり、単身赴任中だったりすると、妻としては寂しいですし怒りもこみ上げてくることと思います。そのほかにもネガティブな気持ちが頭の中で渦巻くことも多々あるのではないでしょうか。

 

 

それってつらい状況ですよね。日々の暮らしがある中でそのつらさに目を向けるのはしんどいので、私たちは自分の心を守るために無意識に矛先を子どもに向けて意識をそらすということをしたくなります。

 

 

そうすると、ついついわが子に過剰に関わったり、見守っているつもりが監視になったり、子どもの問題を自分の問題のようにとらえてしまいがちになるんですね。これが過干渉や母子癒着に繋がります(場合によっては子どもに夫の役割を担わせてしまうこともあります。そして夫はATMになるという・・・)

 

 

ちなみに過干渉や母子癒着がよろしくないのは、ざっくり言うと子どもが自分らしくいられないからです。過干渉というのは、子どもの代わりに親が考えて意思決定をします。母子癒着は、二人羽織をしているイメージです。不自由ですし窮屈ですし、なんだかストレスたまると思いません?

 

 

もちろん子どもも自分で考えることを放棄してしまえば、意思決定やもろもろのお膳立てをママがしてくれるので楽ではありますが、大人になってから弊害が生じます。

 

 

例えば主体的に仕事に取り組むことができないとか、恋愛や結婚をするときに自分基準ではなく親基準で相手を選んでしまいうまくいかないとか。「親が敷いたレールを歩いてきたので、気づけば自分のやりたいことや、自分の気持ちすら分かりません」とカウンセリングにいらっしゃる方もいらっしゃるんですね。

 

 

今の子どもとの関りが子どもの将来にそんな風に影響するなんて!ちょっとドキっとしてしまいますよね。

 

 

そんなわけで、まずは現在地を知ることが肝要かと思いますので、子どもとの距離が近い場合の特徴をあげてみました。

 

 

・子どもを置いて自分だけで外出するのは気が引ける

 

・子どもがご機嫌だと自分の気分も良いが、子どもが不機嫌だと自分の気持ちも下がる

 

・不機嫌な子どもをなんとかご機嫌に戻したくなる

 

・「こんなママでゴメン」と自分を責めてしまう

 

・ゲームやスマホなど、自分の気に入らないことを子どもがしているとイライラする

 

・子どもが学校に行けないことを、自分の悩みのように感じてしまう

 

・夫のことは諦めており、人肌のATMくらいに思っている

 

 

ひとつでも当てはまった場合は、良い悪いをジャッジする必要はありませんので、あぁ、今の私は子どもとの心理的な距離が近いのかもしれないなぁと現在地を把握しておくと良いかもしれませんね。

 

 

 

  わが子と心理的な距離が近すぎる時の対処法

 

 

じゃぁどうしたらいいの⁉という方向けに対処法をしたためます。

 

 

まずは、自分と子どもとの間に境界線を引いてみることがおすすめです。

 

 

ほとんどの方がわが子とはお腹の中からのお付き合いだったと思います。自らの血肉を分け与え、一心同体だった約10ヶ月。出産後も寝食を共にして密度の濃い時間を過ごしてきたのではないでしょうか。

 

 

「●●ちゃん」と子どもの名前を呼ばれては「はい!」と自らが返事をしたり、ものをもらえば「ありがとうございます。よかったねー、嬉しいねー」と子どもの代わりにお礼を言ったり模範的な感情を代弁したり。

 

 

こんな年月を過ごしてくれば、私と子どもが混ぜこぜになってしまうことも無理のないことだと思います。でもせっかくですから、このタイミングで「私は私、子どもは子ども」とわが子との関係に境界線を引いてみましょう。心理的な母子分離というやつです。

 

 

ちょっと寂しいような心細いような感覚があるかもしれません。やっぱりこっちの方が居心地が良いと感じてまたくっつきたくなるかもしれません。

 

 

でも、ここが心を鬼にするポイントですぞ。

 

 

まずは、主語を明確にすることを意識します。日本語は主語がなくても伝わる言語ですが、あえて「私は」「●●ちゃんは、●●君は」という風に主語をつけます。私と、この子を分けて考えるイメージですね。

 

 

それから、涙がポロリと落ちてしまうかもしれませんが、もしよかったら「私は私、子どもは子ども」と何度も唱えてみてください。

 

 

これは2人の間に境界線を引くためのアファメーション。肯定的な言葉にをくり返し自分が唱えて自分に聞かせてあげることによって、理想の状況を引き寄せてくれます。


私のカウンセリングで多くのママさんに唱えてもらっています。全文はこちら。ぜひ、声に出して唱えてみてください。「子ども」の部分をお子さんのお名前にしてみたり、夫や母などに置き換えてみるのも良いかもしれないですね。
 

 

私は私、子どもは子ども。

 

子どもは、私の思い通りにならなくても幸せになれる。

 

私は、子どもがどうなろうとも幸せになれる。

 

私は子どもの選択を支持するし、その生き方を尊重する。

 

私は私、子どもは子ども。

 


 

ちなみに、この元ネタは師匠根本裕幸の通称親子本『子どもの将来は親の自己肯定感で決まる』実務教育出版の166ページにあります。これね、みんなでわちゃわちゃシェアすると理解が深まるので、今年もどこかのタイミングで読書会を開きたいなぁと思っとります♪


 

 

 

  まずはママ自身が幸せになる

 

 

次の対処法が、意外かもしれませんが、まずはママ自身が幸せになるということです。

 

 

たとえば、毎月口座に2,000万円振り込まれていて経済的にも安泰だし、体も軽いしお肌もツヤツヤで、人間関係も良好だし、何を食べても美味しいし気分もいいし、私ってばめっちゃ幸せ!毎日笑いが止まらないわーという状況だったとしたら。

 

 

お子さんが不登校になったとして、あなたは今と同じ関わり方をすると思いますか?

 

 

ビルの1階から見る景色と20階から見る眺望が異なるように、どんな感情の階層にいるかによって、不登校にたいしての印象や関わり方も変わってくると思います。

 

 

例えば、道でおばあちゃんに「あのー、すみません、えっと、はて?なんていったかな?あー、ほらコーヒーを飲むあのお店、えっと、ス、ス、スターバックス?はどこにありますか?うちの息子と約束したんですけどね、私はじめてなもんでよくわからなくて」みたいな感じでスタバの場所を聞かれたとします。

 

 

あなたが「ランチ♪待ち合わせまで時間があるからどっかでヒマつぶししよっかなー」と思っているときと、「ヤ、ヤバイ!!漏れる、マジでヤバイ!このままだと人としての尊厳が!!!」と可及的速やかにトイレの個室に籠りたいときと、同じ対応ができそうですか?やっぱり態度や声色などからダダ洩れてくる鬼気迫るものは隠しきれないと思うんですよね。

 

 

幸せな状況は心に余裕をつくりますけれども、心に余裕があるのとないのとでは醸し出すものが変わってきます。そして人は、相手が醸し出すものから影響を受けるんですね。

 

 

ということで、心に余裕をつくるべく、まずはママが幸せになれることを探すことがおすすめです。

 

 

小さなことで大丈夫です。

 

 

例えば、気の置けない友達とお茶をするとか、行ってみたかったお店でランチをするとか、好きなチョコレートを食べる、映画を見に行く、ひとりでボーっとする、マッサージを受ける、お風呂にひとりでのんびりと浸かる、好きな音楽を聴くなどなど。

 

 

日常で、ホッとしたり笑顔になれることを自分に許してあげるんですね。これだけで呼吸も深くなりますし、血の巡りも変わってきますので、体もリラックスモードになります。そうすると、表情筋や声帯も緩みますので、笑顔や声のトーンも自然と穏やかなものになっていくという寸法です。相手に与える印象、違いますでしょ?

 

 

え?夫との関係は改善した方がいいかって?

 

 

もし改善したければチャレンジしてみるのも良いかもしれないですね。お子さんの健全な成長にとって夫婦仲が良いに越したことはありませんので、そこにコミットする余裕があればぜひ。

 

 

でも、ちょっと今の状況でいっぱいいっぱいということであれば、まずはご自身に小さな幸せを許すことをされてみてくださいませ。自分がご機嫌になっていくと、醸し出すものが変わって、それが家族に伝染していきます。それだけでも、夫婦関係は穏やかなものに変化していくのではないでしょうか。

 

 

レンジでチン♪のようにすぐにわかる変化ではありませんが、数か月続けることによって状況が変わっていきますし何より自分が楽になっていきます。

 

 

そんな風に、ママが幸せになっていくと、子どもは「ママはもう大丈夫そうだな」と安心して不登校のフェーズから抜け出て行ったりするんですね。

 

 

はい?って思いました?思いますよね。私もスピリチュアルだよねー、と思いますけど、そうなんです。

 

 

このお話は、次のブログにしたためたいと思います。

 

 

ちょっと勇気を出してみようかなというあなたは、ぜひとも30分の無料個別相談会をご活用ください。聴いてもらうだけで気持ちが楽になる経験と、ご自身の現在地が分かります。ふせけいことマンツーマンで今の状況が少しでも状況が良くなる作戦を立てましょう。

ご希望の方はLINEから【個別相談】とメッセージをお送りください。お待ちしております!

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