同志の皆さまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダー、ふせけいこです。

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週末は、根本師匠のお弟子限定リトリートに参加してきました。

 

 

師匠のリトリートは、グループセラピーというスタイル。セッション毎にフォーカスパーソンを募って、その人のお悩みをシェアしながら集団心理を扱って場全体の癒しを進めていくもの。私は去年の6月に第二の故郷仙台で初めて参加して、一般向けも合わせると今回で3回目。そのくらい、好きなセミナー。

 

 

なにがそんなに好きなのかというと、心が動くことと、腑に落ちる感覚。いい映画を観た後のような、なんとも言えない余韻を感じながらその後の数日間をフワフワと過ごすことができるんですね。

 

 

そして、潜在意識や無意識の層で変化が起こっているから、無理せず自然に内面が変わって現実も変わっていくこと。

 

 



↑懇親会での一コマ

 

「けいこちゃん、9月のリトリートからめっちゃ変わったね!」

 

 

弟子仲間から指摘をもらって思い返してみると、たしかに感じ方が色々変わったなぁと思う。

 

 

去年9月のリトリートは、これから罰でも受けに行くんじゃないかと思うほどの重い足取りで、心臓が口から飛び出そうになりながら飯田橋の駅からセミナールームまでの坂を20分かけて上っていた記憶があります。(仙台の時はホームタウンのせいか、めっちゃ元気だった)
 

 

これ、今思えば、私が心の鎧を脱いで丸腰でいたからということも大きい気がします。

 

 

ほら、高いお金を払って、子ども達を夫に任せて3日間も家を空けるからには、それなりの変化を伴いたいじゃないですか。だから、心のガードを下げていこうと思ったんです。ふせけいこ、こう見えてだいぶ本気。

 

 

ところが当日いざ出陣!と思ったら、鎧を脱いだ下には傷だらけで一回りも二回りも小さな私がプルプル震えていた、みたいな顛末。

 

 

師匠とセミナールームがなぜか怖くて。参加者さんも怖くて。せっかく鎧を脱いだのに、分厚い象のような皮膚で自分の体も心も覆っているような感覚。

 

 

私は皆と繋がりたいんだけど、同時に「見ないで!だれも私に気づかないで!」と心の中で叫びつつ震えて小さくなっていたんだと思います。

 

 

そんな自分を知られたくなくて、表面上では取り繕って泣いたり笑ったりしていたけど、みぞおちの辺りではポツネンとした寂しさ、というかヒリヒリとした孤独を感じていました。

 

 

「なにか迷ってるみたいだった」

 

 

「見られることに自信がないみたいだった」

 

 

「フォーカスでは何を言ってるのかよくわからなかった」

 

 

上手く隠していたつもりだったのに、私の葛藤は駄々洩れていたみたいです(笑)

 

 

私の心は、二重底になっていたように思います。上の部分は、もの分かりが良くて場に迎合しようとする私。下の部分は、生皮を剥がれた胎児のような妖怪のような、痛々しくて禍々しくて毒々しいと私が毛嫌いして無視してきた部分。

 

 

望めば癒される場にいるのに、私の心は頑なに二重底のふたは開けようとしなかったんでしょうね。怖かったのもあるし、「見せてたまるかよ!」と意固地になっていたのかもしれない。

 

 

どうせ愛してくれないんでしょ。あなたが見たいのはこっちじゃないもんね。汚いし、ぶじゅぶじゅしてるし、気持ち悪いし、めんどくさいし、はしたないし、かっこわるいし、恥ずかしいし、手に負えないもんね。

 

 

この時の私は覚悟は決めてきたはずなのに、薄々その存在に気づいていたはずなのに、二重底の下のふたは最後まで開ける勇気がなかったんですね。

 

 

だって、これは愛してもらえなかった私の醜い部分だから。これがあるせいで私は仲間外れになったり、怒られたり、幻滅されたり、笑われたりしてきたから。と、私が子どもから大人になるまでの過程で思い込んできた部分だからです。

 

 

もちろんセミナー自体は良くって参加してよかったと思えましたけど、強烈な自己嫌悪が炙り出された回でした。


 

 

 

 

ここからですよ。

 

 

>そして、潜在意識や無意識の層で変化が起こっているから、無理せず自然に内面が変わって現実も変わっていくこと。

 

 

師匠のリトリートは、起こることすべてがプロセスの一部のようで、9月のリトリートを終えてから、私は導かれるようにして二重底の下の部分に押込めてきた見たくないドロドロした私の一部と仲直りすることになるんですね。(説明がめんどうだから長くなるから割愛)

 

 

ほいで、今年6月のリトリート。

 

 

もれなく今回も、私は覚悟を決めて丸腰スタートです。別記事に詳しく書きますが、一週間まえくらいから狙ったようにリトリートにおあつらえ向きの夫婦の問題も起きて、気合十分です。

 

 

道中はDef Techを爆音で聴きながら、半分トランス状態のノリノリです。飯田橋の駅からセミナールームまでは、一駅分東西線に乗り換えてショートカット。

 

 

席はカードを引いて決めるんですけど、遅刻ギリギリに到着した私が手渡された最後の一枚は、師匠の真ん前ど真ん中。

 

 

意外なお導きに多少は動揺しましたが、

 

 

>「見ないで!だれも私に気づかないで!」

 

 

はなかったですね。

 

 

むしろ「はーい、ふせでーすヾ(*´∀`*)ノ」

 

 

弟子仲間に話しかけられたときも、私が話しかけるときも、ポツネンとしているときも、笑ってるときも、泣いてるときも、まぁそれなりに等身大。取り繕うことも多少ありましたけど、それで自己嫌悪することはありませんでした。気まずさすら受け入れる感じ。

 

 

座り続けて腰が痛くなっちゃって、師匠の前なのにイスのうえで胡坐なんかかいちゃったりしてね(笑)わりと自由。

 

 

きっと、


>生皮を剥がれた胎児のような妖怪のような、痛々しくて禍々しくて毒々しいと私が思っている部分。

 

 

は、傷口がふさがって、優しい手で産湯につけてもらった後に、真綿に包まれて、お腹もいっぱいで、安心して眠ってるんじゃないかな。



私の中では、すやすや眠っている赤ちゃんのイメージに変わっています。

 

 

 

 

もしかしたら、また傷口が開いたり、血まみれになったり、妖怪みたいになるかもしれないけど。



その度に私が一緒にいてあげようと思います。よしよししたり、なでなでしたり。私だけでは力が足りない時は「たすけてー」を言いに行こうと思うんです。

 

 

本当は、私がいちばん愛してあげたかった、私の一部たちだと認めることができたからです。

 

 

そんなわけで、今回の弟子限定リトリートは、私にとっては答え合わせの回になりました。

 

 

そんな私の顕在意識とは別行動で、私の潜在意識から下の部分は何らかの化学変化を起こしていると思います。今回持ち帰ったもろもろの恩恵を、クライアントさんたちに還元するぞ!と私は鼻息荒く息巻いております。

 

 

それでは今日はこのへんで!

 

 

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