こんにちは!

ふせけいこです。


今日は私と不登校中の娘のストーリーを、ダイジェストでご紹介したいと思います。

 

 

必要としている方に届きますように!
私一人では高が知れていますので、ブログを読んでなるほど!と思った方は身近な方におしえていただけましたら幸いです。


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小学3年生から、娘が不登校になりました。

 

 

幼稚園から皆勤賞で、健康優良児。

 

 

コロナの自粛を皮切りに、少しずつ学校から足が遠のいて、ついにはランドセルを背負って玄関に立ち尽くすようになりました。

 

 

最初、私は学校に行かない娘に対して


・勉強をさぼりたいのかな?

 

・甘えてるだけでしょ?

 

・本当は行けるんでしょ?

 

 

心のどこかでこんな風に思っていました。

 

 

だって、朝は元気に早起きをして、ご飯もモリモリ食べて、学校にいく時間になるとモジモジしだすから。
 

 

ランドセルを背負って玄関でモジモジしている彼女を、

 



怒ったり、なだめすかしたり、励ましたり、校門まで送って行ったり、

 

 

手をつくしましたが、状況は変わらず。

 

 

そのうち娘はだんだん人目を気にするようになり、

 

 

大好きだった公園にも行かず、家の中で過ごすようになりました。


私はどうしたらいいのか分からずに、娘に詰め寄り、将来の不安を煽り、なんとか学校に行かせようとしました。

 

 

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だって、学校に行かなかったら将来はどうなるんだろう。

 

 

このまま引きこもりになってしまったら、両親亡き後のこの子はどうなってしまうんだろう。

 

 

それに、正直なところ周りの目も気になりました。

 

 

毎日のように状況を確認に電話をくださる学校の先生に、成果のようなものを報告したいという気持ちもありました。

 

 

社会的に良い親だと思われたかったのだと思います。

 

 

それと同時に、自分を責めました。

 

 

私の育て方がわるかったんだろうか。

 

 

私がもっといいお母さんだったら、こんなことにならなかったんだろうか。

 

 

自分では精一杯の子育てをしてきたつもりだったので、これまでの親としての正しさのようなものがガラガラと音を立てて崩れ落ちました。


「私は間違っていない、私は頑張ってきたのに、私は・・・」


やるせなさを胸に抱えて、それを子ども達や夫に爆発させてしまう日々でした。


そんなときに、カウンセリングで自分に向き合う機会がありました。

 

 

その時に衝撃の事実に気づきました。

 

 

私は、娘のことを考えているようで、心の矢印は自分を守ることに向いていた!


私は娘に自分の不安をぶつけていて、娘が学校に行くことで娘に私の不安を解消してもらおうとしていた。

 

 

不登校になった娘が一番傷ついていたことは、

 

 

不登校になったこと、そのものではありませんでした。

 


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自分のせいで思い悩む、私のツラそうな顔を見ること。

 

 

家の中でマイペースに過ごしているように見えた娘は、その胸の中で自分のことを強烈に責めていたのです。

 

 

ある夜、突然娘が自分の頭を叩き始めました。

 

 

「私のバカ!学校に行けない私なんて大嫌い!!・・・ママ、こんな私でごめんね」


自分が学校に行けないせいでママを悲しませている、と思っての衝動でした。

 

 

この時に、私は頭をガンと殴られたような気持ちでした。

 

 

同時に、私の脳裏に入学式でランドセルを背負って誇らしげに笑っていた娘の姿が浮かびました。


「わたし、今日から小学生さんになるの!」

 

 

ワクワクとドキドキに胸をときめかせていた娘。

 

 

そんな娘が今、自分を責めて自らを傷つけている。娘の心は今、大ケガをしている!!

 

 

胎内記憶のお話で、子どもはママを笑顔にしたくて生まれてくるという話を聞いたことがあります。

 

 

たしかにうちの娘も「ママあのね、ねぇねはママを笑顔にしたくてやってきたんだよ」とおしえてくれました。

 

 

だとしたら、私が娘のことで悩んで暗い顔をしているということは、娘の存在価値が足元から崩れていくような感覚だったのかもしれません。

 

 

それは、どれほど苦しい感覚だったでしょう。

 

 

私はいたたまれない気持ちになりました。

 

 

「いいよ!学校に行かなくてもいいよ!ねぇねはバカじゃない!ママの大事な宝物だよ!」


私は泣きながら長女の頭をさすりました。

 

 

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自分を守っている場合じゃない!

 

 

私は母として、今この瞬間苦しんでいる長女を守りたい!

 

 

私は自分の不安を解消するために、カウンセリングで自分と向き合いはじめました。

 

 

そして、今までは学ぶだけで満足してきた心の学びを、実際に行動に移しました。

 

 

不登校は、だれが乗り越える問題かを明確にして「私は私、娘は娘」と、境界線を引きました。

 

 

そして、世間一般の常識とわが家の方針を分けて考えることにしました。

 

 

私は、長女を学校に行かせようとすることをやめました。彼女の「行く、行かない」を尊重することにしたんですね。



すると、彼女はスルスルとイキイキと、自分らしさを取り戻していきました。

 

 

学校をお休みしている間は、もともと好きだったお絵描きから始まって写真撮影、動画の撮影、画像編集など、クリエイティブな方面に興味を持って、大人も舌を巻くような作品を作るように。



長女は休みたければ学校を休めるという安心感もあってか、3年生と4年生は年間を通して半分程度は通学することができました。

 

 

とはいえ全部が全部順調にいったわけではありません。


長女は学校の辛さを訴えてくるときもありましたし、メンタルが不安定になることもありました。

 

 

私のメンタルも浮き沈みがあって、時には葛藤の渦に絡めとられてイライラが爆発して夫や子どもにやつ当たったこともあります。

 

 

家の中でゴロゴロダラダラしているように見える娘に、イヤミを言ったこともあります。

 

 

そんな自分に自己嫌悪しつつ、今はエネルギー回復の時期だからと自分に言い聞かせて私は日々を過ごしました。

 

 

そして、長女への干渉を和らげる意味もあって、自分自身のカウンセラーとしての仕事に集中することにしました。


 

今になって思い返せば、あの頃の私は「学校には行くべき」という信念を持ちつつ「学校には行かなくてもいいよ」と言う、というアクセルとブレーキを同時に踏んでいた状態だったのだと思います。ほんと、修行の日々だったなぁ。



そしてなんとか5年生の春を迎えるわけですが、長女は始業式を含めて2~3日学校に行ったっきり、糸がプツンと切れたように学校に行くのを辞めてしまいました。

 

 

 

 

長女の心の支えは、お友達でした。そこをモチベーションになんとか学校に通っていた日々。

 

 

でも、クラスが離れてしまったことに絶望して、心のエネルギーが回らなくなってしまったんですね。

 

 

それでも彼女は元来のがんばり屋さんですから、なんとか相談室にでも足を向けようとしました。

 

 

でも、もう限界だったんですね。

 

 

「ママ、学校はいけないけど、お友達と遊びたい」

 

 

そんな彼女の居場所はないものかと近隣のフリースクールを探してみましたが、見つからず。

 

 

ないなら、作るか!ということで、その年の5月、色々なラッキーも重なって私は超少人数制のフリースクールを立ち上げることにしました。

 

 

週に1回フリースクールに通う長女。

 

 

私は彼女をサポートしつつ、適度な距離感を心がけて自分の仕事や「楽し」「自分を甘やかす」に集中しました。

 

 

私はですねぇ、自分を後回しにする頑張り屋さん気質で「楽しむこと」「自分を甘やかす」が苦手だったんですね。これが形を変えて長女にも何らかの影響を与えていることを薄々感じていました。

 

 

長女にお留守番をしてもらって外出したり、食べたいものを食べたり、家事をサボったり、習い事をしたり、週末の夜に飲み会に行ったり、スマホゲームを始めたり、用もないのにカフェでお茶したり、とにかく自分を楽しませること・甘やかすことに徹しました。

 

 

この頃はまだまだ修行的に「楽しむ」「自分を甘やかす」で、我ながらぎこちなさを感じてはいました。

 

 

でも、そのおかげで良いこともあったんです。

 

 

長女の「●●を習いたい」「ゲームに課金したい」「オープンチャットしたい」「寝る時間を遅くしたい」に対して、闇雲な禁止がなくなりました。

 

どうやったら心身の健康を保ちつつ彼女の希望が叶うかな方面に意識が向かうように。

 

 

落としどころを話し合いながらではありますが、抵抗なくOKを出せるようになっていたんですね。

 

 

そしてこの頃、長女は起きてくるのは遅いし朝ごはんは食べないしYoutubeやらゲーム三昧でしたが、わが家では彼女の不登校は問題にならなくなりました。

 

 

皆が通っている学校に通う以外にも、道はあることが腑に落ちてきたんだと思います。

 

 

それが決定的になったのは、小児科でWISKという知能検査を受けてから。

 

 

 

彼女の特性が客観的に分かったことで、「この子は完全に私とは別な存在なんだな」「うちの子、いろんな意味でマジすごい!←親バカ(笑)」このあたりの心の動きは言語化できてないんですけど、まぁいろいろ腑に落ちちゃったんですよね。


で、彼女の現在地が理解できたことで、私も夫も行動が変わっていきました。

 

 

長女に合う学校はどこかなー、と外に目を向けるようになったんですね。
 

 

 

 

 

 

そうこうしているうちに、なんだか長女の体からエネルギーがみなぎるのを感じるようになってきました。


喜怒哀楽のすべてのボリュームが大きくなってきた感じ。

 

 

そして、自分の進路についても前向きな話をするようになります。

 

 

「中学生になりたい!そしてこんなことをしたい!」

 

 

春休みが終わって6年生の新学期。


前日からいそいそと持物を準備し、まさかのお勉強もし、彼女は始業式に出かけていきました。

 

 

そこから毎日、悶絶したり涙する日もありましたが、朝は自分で6時台に起きて朝食も食べ、長女は学校に通っています。

 

 

あ、でも、今日はお休みしましたよ。安息日です。

 

 

そして、彼女がせっかく登校し始めたにもかかわらずお休みしたことに対して、私は無風。

 

 

むしろ、心が折れる前に自分で自分を休ませる選択ができた長女を誇りに思います。

 

 

生きつ戻りつ、オーライです。

 

 


 

 

不登校は、子ども自身の試練です。そして、終わりを迎えるのは3日かもしれないし3ヶ月かもしれないし3年かもしれません。

 

 

その間に親にできることは、待つこと。←これがねー、しんどいんですけどね。


子どもの状態を観察して、そのフェーズに合わせて適切なサポートをすること。

 

 

ちょっと厳しい表現になりますが、自分の不安を子に解消してもらおうと学校に行くようにコントロールすることではないのですね。

 

 

お互いにエネルギーが削られて心の回復が遅れてしまいますし、子どもの心理的に安心安全な居場所がなくなってしまうからです。

 

 

とはいえ、最愛のわが子のピンチですから、私たちの心が乱れるのは当然のことだと思います。

 

 

やり場のない感情の受け皿は、我が子ではなく別な場所へ。信頼できる友人や、ノート、カウンセラーや自助グループなどがオススメです。


私たち自身も心理的に安心安全な居場所をたくさん作って、ひとりで頑張らずに「助けてください」を言うフェーズなのかもしれないですね。

 

 

 

 

ママがしがらみを吹っ切ると、子どもは心を動かし始めます。

 

 

ママの心が安心すると、子どもは安心を取り戻します。

 

 

ママが自分の本音に気づき、自分の人生を生き始めると、子どもは軽やかになります。
 

 

ママが笑顔になると、子どもは嬉しくて誇らしくて、生きる喜びを思い出します。


あとは大丈夫。子どもは、一回り成長して、その子なりの幸せに向けて歩き始めます。

 

 

不登校のゴールって、個人的には学校に行けるようになることではないと思います。

 

 

もっと先の、人生でなにが起きても「大丈夫」な自分になれること。

 

 

そのためには、大人が「大丈夫」な後ろ姿を見せてあげられることが大事だと思っています。

 

 

なぜならば、子どもは親の価値観を浴びて大きくなるからです。

 

 

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だからまずは、ママがベキネバを手放して自由になり、この先何があっても「大丈夫!」と思える「美しき肝っ玉母さんマインド」を育むことが不登校のお悩み解消のポイントだと、私は思います。
 

【お知らせ】

 

6月からは不登校SOS企画として連続セミナーを開催します。
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さいごまで読んでくださってありがとうございます!