同志のみなさまこんにちは!
良いママの仮面をかぶっている女たちのリーダーふせけいこです。
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目次
・簡単な自己紹介
・生い立ち
・親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ
・「わが子の不登校」という神様のテスト
・私の想い
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はじめに
夫や子どもと仲良く暮らしたいのに、気づけばイライラをぶつけて自己嫌悪するあなたへ。
そのために、あなたらしさを覆い隠す良いママの仮面を脱いでみませんか?
簡単な自己紹介
こう見えて、私は怒りんぼうです。セクシャリティが強いとも言えます。子ども達は「ママは怒るとゴリラになる」と申してます。
4年ほど前から長女は登校しぶりを経て不登校になり、なにやら発達凸凹の疑いも。「学校には行けないけど、お友達と遊びたい」との長女の声で近隣にフリースクールをさがすも見当たらず。なかったら作ればいいか!ということで、去年5月からフリースクールを小さくオープン。居場所づくりを経験させていただきました。
モノと心の関係性が楽しくて、整理収納アドバイザーの知識も生かして私はカウンセラー活動を満喫しています。
私が使う視点は「ダメな私の問題を何とかしよう」ではなく、「その問題の陰に眠っている私の宝物を使って問題を紐解いていこう」というところです。
一触即発の危機を抱える家庭で育った、長女で優等生タイプの私。
3世代同居の家族が不仲な家庭に生まれ、小さな時から生き残りをかけて、嫌われないように、見捨てられないように、大人の顔色を窺って生きるすべを身に付けました。
「いい子になりますから、許してください」
こんな風に泣いて懇願していたことを覚えています。
そして当時は少しでも平穏無事に過ごしたくて、だれからも頼まれもしないのにカスガイ役を買って出て家中を奔走しておりました。
もともとは自由気ままなお気楽体質でしたが、家庭内の平和を守るためもともとの自分を無意識に封じ込めて、いつのまにやらベキ・ネバでボンレスハムのようにグルグル巻きになった自分が出来上がっていました。
とにかく、家族が仲良くなってほしい!安心できる場所がほしい!そのためには私がなんとかしなくては!
そんな一心だったと思います。
こんな風に、自由人の自分を心の奥に封じ込めて、家族を背負っていた私。
幸せという感覚がよく分からなくて、いつも心に黒くて冷たい塊がある感じでした。
女子の集団が怖く、クラスに居場所がない感覚にとらわれる。思春期には、何が好きで何が楽しいのか分からなくなってきて、いつもカラダを固くして身構える感じ。
「礼儀正しく穏やかだけれど、なぜだかとっつきにくい雰囲気」
こんな私は、生きづらくていつもなにかに怯えていて、誰かと一緒にいても一人ぼっちのような気がしていました。
一縷の望みは、幸せな結婚への夢。
そのためには、まずは実家を出て経済力をつけて、家族の誰にも指図されない状態をつくること。それから、私の生きづらさも葛藤も、すべてを分かってくれる、絶対的な味方の人と結婚するんだ!
高校受験のモチベーションは早く経済力を持って実家を出ることでした。
それと同時期くらいから、朝起きるのがツラくて学校に行きたくない日々が続きます。
でも、学校に行かなければ進学できない。進学できなければ、実家からできなくなる。自分に鞭打って、高校・大学と進学をして、一部上場企業に新卒入社。
それなりに学生生活も社会人生活も楽しんでいたので、表向きは順風満帆でしたし、自分でもこの状態が普通だと思っていました。
でも、客観的に振り返ると、実生活はボロボロでした。
心を許せる友達がいない。
20歳の頃、右側の卵巣に破裂寸前の11センチの腫瘍が見つかり、摘出手術。
この時は、両親の心配をよそに、病院に来られるのが嫌で、付き添いは当時の彼氏にお願いしました。
歴代の彼氏は優しい人が多かったのですが、ついついコントロールしたくなり、窮屈な思いをさせていたと思います。
仕事では「助けて」「分かりません」が言えなくて、限界を過ぎても一人で頑張りすぎてしまう。
そして彼氏に怒りをぶつける!彼氏意外には「NO!」が言えない
健康診断では問題がないのに、「元気」が出ない。朝起きられずに、毎日遅刻ギリギリ出社。
お給料のうち、自由になるお金はほとんどショッピングにつぎ込む。買っても買っても満足できない。クローゼットは着ない洋服でいっぱい。
そのくせ、旅行や遊びなど、余暇にはお金を使えない。
お金はあるはずなのに「ナイ!」と不安になってしまう。
そんな不安だらけの暮らしに嫌気がさして、逃げるように、結婚への道を選びます。
傍から見れば何不自由のない幸せな結婚生活だったはずなのに、なぜか私は幸せを感じられずメンヘラ全開の日々。「あいつが●んでくれたらいいのに!」一時は元夫の死を望むほど、自分の中がドロドロになっていました。
なぜかというと、「幸せは誰かにしてもらうもの」という思い込みを持っていたからなんですね。
その勘違いに気づき、自分の足で歩く人生を取り戻すべく、一念発起して私は子連れ再婚を決意します。紆余曲折を経て、私の一度目の結婚は4年で終わりを迎えました。
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親子関係で得られなかったものを求めたパートナーシップ
私と夫の心理的な立ち位置は、子どもと大人だったのだと思います。
夫に母のような無償の愛を求めていた私
夫に私の自信のなさを埋めてくれることを求めていた
そして、自信がないので人の目も大いに気になったんですね。
だから、ナイものだらけの私でも「こんな素敵な旦那様がいるのよ!だから私は大丈夫なのよ」と証明しなければ、不安で不安でしかたがなかったんです。
さて、夫との日々ですが、こちらとしては「スーパーマンに愛して欲しい、守って欲しい私」「理想通りのパーフェクトな夫でいてほしい私」なのに対して、大人同士として「協力し合う」「補い合う」「愛し合う」スタンスでいる夫には、だんだんと負担がのしかかっていったことと思います。
おまけに、期待通りのスーパーマンでいてくれない夫に、私の怒りは炸裂します。
愛情深い夫ではありますが、危険回避のために心の距離をとっていくことは想像に難くありませんよね。
(当時の私は、怒りと疑問でいっぱいでしたが、今なら分かります。夫の気持ち。)
夫との間に溝ができていくと、私は幼少時代と同じように自分の気持ちを押し殺し、夫の顔色をうかがって嫌われないように見捨てられないように、いわゆる夫軸になりました。
これは、子ども軸、お金軸、仕事軸、母親軸、父親軸、他人軸、そのほか何でもいいんですが、自分が幸せかどうかは相手次第の状態になります。
例えば、夫が機嫌よく話してくれたら、私は幸せ。
夫が不機嫌だと、私は不幸せ。
私は幸せでいたいから、自分をなくしてでも、なんとかして夫が機嫌よく話してくれるように振舞う。
っていう状態です。なんだかハードでしょ?ストレスたまりそうに感じませんか?
実際、溜まるんです。
だから、途中で爆発しまして、元の木阿弥になる。というのをくり返す日々でした。
夫軸~他人軸ということは、究極的には「私を愛して!満たして」という立ち位置なんですね。
年齢的には大人ですが、私の心の中には「いい子にしますから、許してください」という、傷ついた小さな私が泣いている状態だったんです。
「これは正解?」「これは嫌われない?」
私は、外に正解を求めて終始エネルギーを使っていたので、今思い返せば疲労感が半端ありませんでした。
こんなのもう嫌だな。どうして大好きな人と一緒にいるのに、前の結婚と同じことをくり返しちゃうんだろう。もしかして・・・私になにか原因があるのかもしれない。
ある日ふとそう思いまして、自分と向き合うということをやってみました。
カウンセリングを受けたりして、これまで年十年も押し込めてきた小さな私の自分の言い分を、スルーせずに聴いてあげるというようなことです。
私がやってみたいこと、やりたくないこと、好きなこと、キライなこと、嬉しかったこと、楽しかったこと、がんばってきたこと、イヤだったこと、辛かったこと、悲しかったこと、言えなかったけど言いたかったこと。
こんなことを棚卸して、いまからできることがあれば実際に行動してみたりもしました。
何十年も無視され続けていた小さな私なので、最初のうちはうつむいたままでした。
でも、回数を重ねるにつれ、小さく囁いてくれるようになりました。
そのうち彼女はだんだん笑顔になっていったんですね。私は私の中の小さな私と、少しずつ仲直りしていきました。
それと同時に、「わたしはどうしたい?」の自分基準でモノゴトを選んでいくことが増えました。
そうすると不思議なもので、とりたてて代り映えしない日常が、充実したものに感じられるようになってくるんですよね。
自分が充実しているからなのか、夫の機嫌もあまり気にならなくなりました。
イライラは急には無くなりませんが、それでもこれまでのイライラ頻度が100だとしたら、今は20程度になりました。
そんな日々を過ごしていると「私を愛して!!!」と夫に要求していたときよりも、夫に愛されてるなぁと感じることが増えていきました。
さらには、今までは「愛して欲しい!」というニーズが主だったのですが「私はこの人を応援したいなぁ」「一緒に幸せになりたいなぁ」という気持ちが湧いてくるんですね。
とても穏やかで地に足がついているような感覚を感じています。
成熟した大人の女性には程遠いかもしれませんが、きっといい感じに大人になってきているはず。
さてそんなわけで、夫とのパートナーシップを育てる旅は、私を精神的に成長させてくれました。
感情としては、「渇望」「見捨てられる怖れ」「不安」このあたりから「安心」「充足」「安定」に変化したように思います。
当時と同じようにトラブルやアクシデントは起きますが、私の感情のベースが変わっているので、現実の受け取り方がガラリと変わりました。
こう考えると、こんなにもじゃじゃ馬な私を手放さずに、あるときは距離を取ながら、あるときはサンドバックになりながらも側にいてくれた夫には、感謝しかありません。夫よ、ありがとう。
「わが子の不登校」という神様のテスト
さて、夫との関係が落ち着いてきたころに「ママ、学校に行きたくない問題」が勃発します。
詳しくはこちら『不登校・わたしと娘のストーリー』をご覧いただければと思います。
長女が不登校4年目にして自ら再登校を果たすまでの間に私が得た恩恵について、こちらではお伝えしたいと思います。
「ママ、だいぶものわかりが良くなったよね(笑)」
長女曰く、彼女が不登校になってから、だんだんと私が変わっていったそうです。
というのも、長女の不登校が深刻化していって食欲不振や寝つきが悪いなどの身体症状が出たときに、ふと思いついて母親として自分に禁止してきたことを解除したんですね。
なぜなら、私が自分に禁じていることを長女がしようとしたときに、私のイライラが頂点に達することに気づいたからです。母がイライラしていると、子どもとしてはストレスや恐怖を感じちゃうからですね。
(心理学では、相手の行動にイライラするときは、その行動を自分自身が禁じているからという見方があります。)
気づけば私は良妻賢母としてのベキネバがだいぶ緩んで、適度にグータラな日々を過ごせるようになりました。そのおかげか、夫や子どもたちがグータラしていてもほぼ気になりません。この点が一番大きかったように思います。
実は私、母になってからというもの無意識に、グータラすることを含めて「楽しむこと」を禁止してきたようなんです。
「もうお母さんになったんだから、●●は卒業しよう」そういえばこんな風に自分のなかで決意したまま忘れ果てていたことが沢山あったことを、私は思い出しました。
例えば、メイクをすること。質の良い洋服を着てオシャレを楽しむこと。テレビもここ10年大河ドラマをのぞいては見ていませんでした。他にも、コンビニでお菓子を買う事や、カフェでのコーヒータイム。子どもと一緒に外食したときに辛い物を食べること。映画を観に行ったり、ネットでゲームをしたり。朝寝坊したり、子どもの前でスマホをいじったり。
これらを恐る恐るですが、全部解禁しました。
当初、私はダメな母になるんじゃないかと思いましたが、大丈夫でした。むしろ家庭内の雰囲気は良くなりました。
恐らくですが、長女が不登校にならなかったとしたら、今も私はベキネバに囚われた自分ルールだらけの気難しい母親だったような気がしています。
私の想い
私の夢は、世界平和です。
平和な世界ってどんな世界かというと、子どもたちの笑い声が、あちらこちらから響く世界。
そのための最重要課題はなにかというと、まずはママが無理なく自然に笑顔でいられることだと思うんです。
なぜなら、その安心感のもと、子どもたちは安心して子ども時代を全力で子どもらしく過ごして、大人になるためのエネルギーを蓄えられるからです。
そのために私にできること。
まずは、わたし自身が幸せでいること。
つまり、ベキネバから自由になり、たった一度きりの人生を自分らしく生きること。そして、隣には最愛の夫が一緒にいてくれたら尚良しです。
私は、わが子に平和な世界に住んでほしい。そして、「まずは自分が自分を幸せにしてあげるんだよ」というスタイルを手渡したい。
いまこれを書いているときに、思わず涙しちゃうくらい切実な、祈りにも似た願いです。
もし私の願いに共感してくださったとしたら、あなたもぜひ、私と一緒に、ベキネバを緩めて自由なママになりませんか?それが、良妻賢母を手放して等身大で愛される私になることにもつながっていきます。
家庭の平和は、世界の平和に繋がっているから。
ママがごきげんだと、ご家庭はパワースポットになります。
読んでくださって
ありがとうございました!
LOVE & PEACE
ふせけいこでした♡