天球と地球のp07・08です。
論争相手のソフィーナは女性ですが、これは「女性は論理的というより感情的」という一般社会の間違った「常識」を意識しました。(昔の小説やエッセイにはよくこういう表現が登場しました)
とんでもない「デマ」です。
科学史でいうと、女性の科学者が少ないのは、能力の問題ではなく、社会的な地位の問題です。
なんと、20世紀の物理界ですら、女性蔑視は残っていました。
原子モデルで有名なラザフォードは、弟子の女性セシリア・ペインのことをいつも「女だてらに物理なんかやって」と揶揄していました。(これについては、別記事「太陽の水素」に書きましたので、そちらをごらんください)
ニュートンのすぐ後の時代に、科学者にはなれなかったけれど、科学への興味を持ち、イギリスとドイツの科学論争に決着をつけた、ヴォルテールの愛人、エミリー・デュ・シャトレのような女性もいます。科学者になれなかったのは、もちろん当時の常識「女は家庭に入り、子どもを産めばよい」のためです。(これについても、別記事「エネルギーとロマンス」がありますので、興味のある方はそちらをごらんください)
「科探隊シリーズ」では、この間違った「常識」に対抗すべく、「論理能力」の担当は、科探隊メンバーではあかね、ゲストキャラでは王女ソフィーナと、女性ばかりにしてあります。
さて、「地球が丸いか平らか」については、このマンガでは早くも決着がつきます。
ソフィーナはすでに地球が丸いことを知っている、という設定で、これは、ガリレオ時代の知識人の常識にもなっていました。教会関係者も、これについて正面切って反対することは少なくなっていました。
ガリレオが指摘した「遠くの島は頂上から見える」というのは、時代を経て「遠くの船はマストの上から見える」という伝説に変わっていきましたが、視力のよい当時の船乗り(今でも、昔ながらの船乗りは視力が6.0あると言われています)にも、なかなか判別は難しかったのではないでしょうか。
ガリレオ氏はキャラが濃いというか、なかなか攻撃的なねちっこい性格の人であったと思われます。自分の発見を盗んだ相手に対しては徹底的に抗戦していますし、虚飾に満ちた当時の大学教授たちにも強烈な皮肉を放っています。
一般には知られていませんが、このねちっこさが、あの宗教裁判につながることにもなったようです。単純な「宗教対科学」という図式ではなかったのですね。
ガリレオの顔は、まだ写真のない時代ですので、後世の絵などで推測するしかありません。この作品はマンガなので、ガリレオのいわゆる肖像画を参考にしながら、ガリレオの激しい性格を強調したキャラクターデザインにしてあります。「科探隊シリーズ」でのガリレオ氏はこの絵柄で統一してあります。
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