メンタルヘルス ~希望へ向かって~ -50ページ目

メンタルヘルス ~希望へ向かって~

メンタルヘルスナビゲータによるカウンセリングの提供と、「ホリスティック医学」の概念を基盤とした「次世代型 療院構想」について発信しています。

 


おはよございます。hamano0708です。

 

先ほど、夜中の3時に目が覚めました。昨夜は多分、0時頃に寝たんじゃないかなと思います。

 

昨日は、かかりつけの内科の病院に行き、5月から全然行ってなかったもんで、約半年ぶりに薬だけもらって帰りました。

 

自覚症状はないので、飲まなきゃ飲まないんでいいのですが、高血圧症と高脂血症なんで、明日の派遣会社の面接で、もしも健康診断とかされちゃ嫌なんで、念のため、薬を前回と同じ分をもらいました。

 

精神科の薬は、断薬継続中です。

 

昨年の今頃は、1日に80~100錠は飲んでました。

朝・昼・夜・眠前に関係なく、少しでも不安や抑鬱やイライラが出たら、一回30錠はかじってました。

 

この一年で、精神疾患の薬を断薬できてるのが、当時は考えもしなかったです。

 

離脱症状が恐くて飲まないといられなかったのですが、病院の保護室で2週間、離脱症状の地獄の苦しみを経験して、現在は回復

しています。

 

適応障害・発達障害・不安障害・双極性障害については、手つかずのままです。

 

なので、時々、抑うつ状態になることはあります。

その時は、水をがぶ飲みしてプラシーボ効果を利用し、集中してパソコンをいじっています。

 

今朝は晴れてて、気分がいいです。(*^▽^*)

 

 

こんばんは。hamano0708です。

 

先日の「治癒の扉をひらく④」では、30名以上の方に、いいね!

いただき、ありがとうございます。

 

前記事作成中に、最後に補足動画をつけようとしていたら、

その間に15名の方から、いいね!されてたものですから、蛇足にはなりますが、追記させていただきます<m(__)m>

前の記事の最後に貼り付けた自撮り動画(補足?蛇足?)を再貼り付けさせていただきます。

 

 

帯津良一先生の語録に、こういう言葉があります

 

【希望を処方する医療】

私たちが生きていく上で、希望ほど大事なものはない。人は希望に支えられて生きていく。医療も同様である。どのような状況でも、患者さんの希望の灯を燃やし続けていかなければならない。(帯津良一先生)

 

医師も含め、どの療法士様にも、同じことが言えると思います。

 

例えば、ホスピス病棟でも、患者様が逝去された後の世界に「希望」を持って戴けるよう、死への恐れを緩和し、最後まで患者様の「尊厳」を大切にするターミナルケアが行われています

 

私は、メンタルヘルス~希望へ向かって~

 

という、ブログ名で掲載させていただいています。

 

帯津先生の仰る通り

 

「私たちが生きていく上で、希望ほど大事なものはない。人は希望に支えられて生きていく」

 

のだと思います。

 

「平和」というのは、戦い争い奪って、その勝者のみ富を得、愛し合うことが許される「共同幻想」であるのでなないかと、私個人はそう思っています。これまでの歴史がそれを裏付けています。

少なくとも人類が在る限り、絶対という「平和」は存在しません。心に平和を持ち続けることが大切なのだと思います。

 

一方「希望」は個人に与えられた、誰も犯すことのできない、生きるために必須なこころであり「人は希望によって支えられ生きていく」ために燃やし続けていかなければならない灯であらねばなりません。

 

「希望」という言葉の思いに馳せられた、私の願いに共感していただけたら幸いです。

 

 

 

次に、ご好評いただいた、A・ワイル博士と帯津先生の「患者学」から、抜粋した語録を取り上げさせていただきます。以前書かせていただいた項目は割愛させていただきます。

 

 

「信念だけでも治ることがある」

(A・ワイル博士)

 

 

 

「病気は新しい可能性が広がるチャンス」

病気を宇宙からの『警告』としてとらえ、それをきっかけに「死」を強く意識して、深く考えたことのある人は、その後、豊かな人生を送ることが出来ます。(帯津良一先生)

 

 

 

「代替療法」(A・ワイル博士)

標準的な医学の世界から飛び出して、思い切って代替療法を探そうとする場合は、現代医学にたいするとき以上に賢い消費者になることが大切だ。

 

 

「治療法の選び方」(A・ワイル博士)

一般的にいって、きわめて深刻且つ執拗な症状、または通常の経験の範囲をこえていて、早急な手当てが必要だと思われる症状の場合は、現代医学を選ぶべきである。

 

 

「生きるために頑張りすぎない」 

がんのような病気を乗り越えていくためには、「何としてでもこれを乗り越える」という覚悟が必要になります。ですが、その思いがあまりに強すぎて「執着」になってしまうと、決してよい結果を生みだせません。(帯津良一先生)

 

 

中庸という言葉があります。

「中国の哲学書で、孔子の孫の子思の作として伝えられています。(中略)天と人間を結ぶ奥深な原理を説いたものとして、特に宋以後に重視された。」「考え方・行動などが一つの立場に偏らず中正であること。過不足がなく、極端に走らないこと。また、そのさま」

 

健康と病においても、同じことがいえるのではないでしょうか。病に対し、自力で立ち向かおうとしないで、その病の患者様を意味する上に於いて、A・ワイル博士と帯津先生が先に述べておられるように、

 

「信念だけでも治ることがある」

(A・ワイル博士)

 

「病気は新しい可能性が広がるチャンス」

病気を宇宙からの『警告』としてとらえ、それをきっかけに「死」を強く意識して、深く考えたことのある人は、その後、豊かな人生を送ることが出来ます。(帯津良一先生)

 

「代替療法」(A・ワイル博士)

標準的な医学の世界から飛び出して、思い切って代替療法を探そうとする場合は、現代医学にたいするとき以上に賢い消費者になることが大切だ。

 

ということであるといえます。

 

また、魂・霊性という目に見えない病態の根になるものの存在を認め、統合医療の現場で、それらに対しに治病に活かされることができれば、人間本来の自然治癒力によって、がんのような難病でも、治癒できる可能性はあるのではないかと言えます。

実際、癌が完治したという症例報告は、たくさんあります。

西洋医療では説明のつかない、驚異的な事例のひとつです。

奇跡と言われる方もいますが、治るべくして治ったのです。

奇跡だと、例外になってしまいます。

 

森羅万象、あらゆるものは、いくつかの不可逆的な「法則」や「原理原則」「摂理」などによって構成されています。

それらは、個々の事象において「おおいなる存在」との「約束」であると考えます。

この「約束」は、地球上どこにいても厳守されなければならないものです。

人間も例外ではありません。

 

「温故知新」

今こそ、原理に根付いた、元来からの健康観に立ち返るべきではないでしょうか。

 

 

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

 

 

応援宜しくお願いします!


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おはようございます。hamano0708です。

 

A・ワイル博士と帯津良一先生の語録、たくさんのイイネ!をいただいて、ありがとうございます。

 

「患者学」・「死生観」というのも、前回抜粋して取り上げさせていただきましたが、詳しく、もう一回取り上げてほしいというリクエストがあれば、掲載させていただきます。

 

もっと、学びを深めたいと仰る方は、

 

NPO法人 日本ホリスティック医学協会

(こちらをクリック!)↑↑↑

への、ご加入をお勧めします。

さて、社会復帰第5幕 派遣会社での就業。

月曜日に面接に行くことになっています。

給料がいいんです。

重量物を運ぶ仕事ではありません。なので、腰にくる激務ではないようです。

夜勤もありません。

通勤は、ちょっと遠いですが。

 

短期的に貯蓄をするなら、集中してやってやろうと思います。

貯蓄目標300万円!

 

これくらいあれば、資本金として賄えるのではないかと目算してみました。

あとは、補助金・助成金・投資を得て、しっかりとした事業計画を作成し、建設に向けて出来得る限りの資金繰りを致します。

 

子供への養育費と友人への借り入れの返済を差っ引いても、1年もあれば、これくらいは貯められると思います。

障害年金と副業とで、併せてみれば無理な目標ではないと思います。

 

希望は捨てていません。まだ、出来る!

どのようなことがあろうとも、「療院構想」 

発起人として、その使命は果たさなければなりません。

 

ところで現在、10~20代の若い世代が、深刻な精神疾患になってるケースが多くなっています。

 

これからの我が国を牽引していかなければならない世代に、将来の希望を持っていただくためには、現在の病院の医療体制と、既存の治療だけでは不可能です。

 

お陰様で、現在130名以上のフォロアーの皆さまがおられます。

様々な代替医療の療法士様がおられます。

その方々の中から、幾人か実際に、療院構想に携わっていただくこともあると思います。

 

前述の、帯津先生のお言葉を借りれば「医師(治療者)の中には、治す心と癒す心が同居していなければなりません。」

 

医師は、薬物の処方で治すことができるかもしれませんが、癒すことができる医師は、多くないと言えます。

 

これからが、統合医療が台頭に立たなければならない時期に来ているのだと言えるでしょう。

 

ただ、収入を儲けることをベースに置いてる療法士さまに於いては、申し訳ございませんが、この療院構想のモデル事業への直接の参画はご遠慮いただきます。

 

これだけのクライアント様がおられるのですから、明らかに莫大なニーズが予見でき、必ず収益があがる事業には間違いはありません。

 

しかし、これまで繰り返し何度か言わせていただいてますが、「療院」は、利潤の追求をするサービス業「会社」ではありません。

 

これまでの医療体制、医療の在り方を打ち破る「医療革命」のリーダーです。

 

恐らく、利潤の追求を目的とする「癒しの市場」は、現在以上に参入も多く見込まれるでしょう。

 

これまで、繰り返し述べていますが「療院」は「協同」は持ちますが「競合」を持たない。

 

市場の動向に左右されない「国家プロジェクト」として、長期的に全国展開をする統合医療の要とならなければならないからです。

 

また、健康保険証を、国で精査された代替医療においても使えるような「法改正」を求めていく立場として、貧富の差なくご利用いただけるための、クライアント様を全人的に診る法人として先頭をきっていかなければならないので、市場参入に特化した企業であってはならないと思うからです。

 

厳しいことを申し上げて恐縮ですが、市場に入れば、喧々諤々として、バブル状態となり、場のエネルギーを逆にネガティブなものにし、最悪は共倒れもしないとは限りません。

 

利用者様より、利潤の追求を主として、心無い療法士を生み出してしまうかもしれません。

 

例えてみれば、介護の現場がそうです。業務に追われ、利用者様とのコミュニケーションは希薄になります。また、例えば、レクリエーションも担当制にしていますが、スタッフによっては得手不得手があり、利用者様側の立場にたって考慮されていない。担当だから、やらなければならない。苦手な方にとってみれば、苦痛しかありません。利用者様にも、それは分かります。苦手な方も、努力はしなければなりませんが、リーダーは、そのスタッフの援助も考慮しなければならないと思います。

 

また入浴の時も、利用者様の満足度より時間に追われ、効率が優先とされています。

入浴を嫌がる利用者様へは、臨機応変に機嫌を見て、時間をおいて声掛けするか、清拭と更衣に留めるなど考慮のしようはあります。

 

食事介助や排泄介助など、スタッフの緊迫した空気と効率のみが目立って、利用者様への主体性が尊重されていると言えない状態が見受けられてきてました。

 

全ての施設がそうとは言えませんが、少なくとも、私がいた現場ではそうでした。利用者様の人数も多かったので、単にマンパワー不足で、喧々諤々とした状態にならざるを得ない感じでした。

 

多くのスタッフに笑顔はみられませんでした。介護が「業務」として割り切られている場面が少なくありませんでした。コミュニケーションより、記録の時間に多くが費やされていました。

 

利用者様は滅多に何も言われないですが、言いたくても遠慮されている場合が少なくありません。

いつも、笑顔を絶やさない立派な介護者もいらっしゃいましたが、そういう方はあまり多くありません。

 

「療院」は、業務として割り切られては困ります。

どの療法士も、その道のプロです。

クライアント様とのラポール形成が基本となっていなければなりません。

 

プロとしてのコミュニケーション技法。

笑顔は基礎の基礎です。

自信と安心感を与えているか。

受容と共感。

一期一会の心。

主体性の尊重。

傾聴の心。

セッションは満足されているものが提供できているか否か。

自然治癒力に立脚した癒しを提供できているか否か。

クライアント様の負の感情に同調されてはいないか。

セッションの時間配分。

自らが、そのセッションの代表者であり、療院の顏という意識にたっているか。

クライアント様の背後に在る、潜在的なクライアント様を意識できているか。

クライアント様に対して微にわたり細にわたり、気配りが出来ているか。etc…

 

これは、これまでの基本的な接遇の中で、各々、ご体験し・ご理解いただいているものと思います。

 

ここで、ホリスティック医学の定義に立ち戻ってみましょう。

1.ホリスティック(全的)な健康観に立脚する

2.自然治癒力を癒しの原点におく

3.患者が自ら癒し、治療者は援助する

4.様々な治療法を選択・統合し、最も適切な治療を行う

5.病の深い意味に気づき、自己実現をめざす

 

最初の療院は、精神・心療内科を併設して建設されます。

クライアント様の殆どは、メンタルケアが必要とされる方であると言えます。

内科や外科のように、目に見える、あるいは、数値化できる診療は難しいと言えます。

 

医師においても、ホリスティック医学に精通した医師を院長として携わっていただくように致しますので、過度の処方薬はせず、クライアント様にとって、基本的には「ホリスティック医学」の定義に基づいた治療を行っていただくことになります。

 

また、魂・霊性といったスピリチュアルな面もケアしていきますので、心霊療法、エネルギー療法、植物療法、芸術療法など、既成の西洋医学とは全く異なった概念も、診療の場で実践していただきますので、洗練された、高度な場のエネルギーの向上のために、ご理解・ご活躍願いたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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~医療~

 

【どのような医療も、それ自体が病を癒すのではない 癒すのは人間が持っている治療するシステムである】

 

 

最良の治療とは、医師と患者の双方が心から信頼できる固有効があり、したがって、それがからだに直接作用すると同時に、心が介在するメカニズムによって、生来の治癒力が発動されるような活性プラシーボとして機能する治療である。(A・ワイル博士)

 

 

【絶対に効かないという治療法はない 絶対に効くとい治療法もない】(A・ワイル博士)

 

 

【医師の中には、治す心と癒す心が同居していなければならない】

(帯津良一先生)

 

 

【現代医学は治癒のシステムという包括的な視点を欠いているために、多くの問題を抱えている】

例えば、現代医学の医師は常に最悪の結果を想定する傾向があるために、患者に負のプラシーボ効果を与えてしまっている。

(A・ワイル博士)

 

 

【医療とは、突き詰めれば命の場のエネルギーを高めること】

それは、❝病気が治るか治らないか❞という短絡的なことだけにとらわれるのではなく、❝今日よりも明日、少しでも前にでること❞を目標にするべきもの。(帯津良一先生)

 

 

【患者さんのために何ができるのか】

医者は治療にあたって、つねにその患者さんと同じ地平に身を置かないと、相手の「いのち」のエネルギーを高めることはできません。(帯津良一先生)

 

 

【患者にとっては、いい医療と悪い医療しかない】(A・ワイル博士)

 

 

【希望を処方する医療】

私たちが生きていく上で、希望ほど大事なものはない。人は希望に支えられて生きていく。医療も同様である。どのような状況でも、患者さんの希望の灯を燃やし続けていかなければならない。(帯津良一先生)

 

 

 

~医療~

 

【どのような医療も、それ自体が病を癒すのではない 癒すのは人間が持っている治療するシステムである】

 

 

最良の治療とは、医師と患者の双方が心から信頼できる固有効があり、したがって、それがからだに直接作用すると同時に、心が介在するメカニズムによって、生来の治癒力が発動されるような活性プラシーボとして機能する治療である。(A・ワイル博士)

 

 

【絶対に効かないという治療法はない 絶対に効くとい治療法もない】(A・ワイル博士)

 

 

【医師の中には、治す心と癒す心が同居していなければならない】

(帯津良一先生)

 

 

【現代医学は治癒のシステムという包括的な視点を欠いているために、多くの問題を抱えている】

例えば、現代医学の医師は常に最悪の結果を想定する傾向があるために、患者に負のプラシーボ効果を与えてしまっている。

(A・ワイル博士)

 

 

【医療とは、突き詰めれば命の場のエネルギーを高めること】

それは、❝病気が治るか治らないか❞という短絡的なことだけにとらわれるのではなく、❝今日よりも明日、少しでも前にでること❞を目標にするべきもの。(帯津良一先生)

 

 

【患者さんのために何ができるのか】

医者は治療にあたって、つねにその患者さんと同じ地平に身を置かないと、相手の「いのち」のエネルギーを高めることはできません。(帯津良一先生)

 

 

【患者にとっては、いい医療と悪い医療しかない】(A・ワイル博士)

 

 

【希望を処方する医療】

私たちが生きていく上で、希望ほど大事なものはない。人は希望に支えられて生きていく。医療も同様である。どのような状況でも、患者さんの希望の灯を燃やし続けていかなければならない。(帯津良一先生)

 

 

 

治癒力

【からだには自然治癒力がある】

治癒は外からではなく、内からやってくる。それは、失われた平衡を取り戻そうとする、からだに本来備わった働きである。

ほとんどの人は受容姿勢で人生を送ろうとしない。反対に、意志に負担をかけることで出来事を自分の都合に合わせ、状況を支配しようとして、たえず対決の姿勢をたもっている。受容・屈服・降伏ーなんて呼ぼうとーそのような心の転換が、治癒の扉を開けるマスターキーなのかもしれない(A・ワイル)

 

【治癒系の活性化をはかるには、まず治療の邪魔しているものについて考える必要がある】

どんなものが治癒を妨害しているかがわかれば、どんな予防手段をとり、どんな修正行動をとればいいかは自分で判断することができる。(A・ワイル)

 

【いのちと自然治癒力】

いのちの情態をよくするには、その人を取り巻く環境全体を見直したり、ときには心や意識の持ち方を変えてみることも必要です。

本人の意欲や気づきも自然治癒力を高め、いのちの情態をよくする大きな要因になるからです。(帯津)

 

【からだは健康になりたがっている】

からだはバランスを崩したとき、自然な状態に戻ろうとする。健康な状態に戻ろうとするその勢いは人為的に活かすことが可能であり、また活かすべきである。それを治療という。(A・ワイル)

 

【治療とは、からだから徴候が完全に消えることなのだろうか?】

そうではない。「ヒーリング(治癒)」の文字通りの意味は「ひとつの全体になること」である。からだは完璧とはいえなくても、こころの内部で全体・完全・平衡・平安を感じることは可能だ。(A・ワイル)

 

      (アンドルー・ワイル博士&帯津良一医師 語録) 抜粋

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『考察』

自然治癒力は、潜在的な生命力から放たれる生きるエネルギーであり、命の源泉から無償の恩恵により与えられた、生きとし生けるものへの、再生と回復という名の力の働きであると考えます。

これは外からの何らかの刺激によって、身体的にのみ働くものではなく、精神・霊性も含めた「生きる」ことへの顕在的な意欲と、受動的な心の転換により、誰の努力によらずして活性化される内面的な潜在能力であると考えます。

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来月、11月11日(日)に、宇部市楠総合センターにて、第9回やまぐち県アディクションフォーラムが行われます。

私は、薬物依存症 本人代表で、体験発表することになってます。

これまでの経験と、現状。

NAミーティングにつながったことで、同じ仲間がいることで、自分は孤独ではないという気持ちになり、仲間も断薬で頑張っているのだから、自分もやめられないはずはないと確信しました。

 

大切なのは、孤独をつくらないことだと思います。

 

今は、発達障害の薬のみ、朝2錠服用してるだけで、あとは全然服用してません。

 

昨年の今頃は入院してて、離脱症状でつらい思いをしましたが、

退院後、様々な試行錯誤を経て、必要最低限の薬にまで減らすことができました。

 

依存症というのは、回復はするが完治はしないと言われています。

 

単に自分の意思の強さや我慢と言うものは不確実なものであり、常に自分対自分との戦いであると思います。

 

様々なストレスやフラストレーションなどが、わが身に起こった時、その不快な感情の逃げ道として、薬物に頼ってしまいかねない状態になることも少なくありません。

 

そういう時は、私はその葛藤を抑えるために、聖なる自分対悪魔の自分との戦いに於いて、第三者の身になって自分を客観視し、今自分に起こっている葛藤をただ我慢するのではなく、不安な苦しみやイラつきなどを、ありのまま紙に書き殴り、その文章を読み上げます。すると、冷静にその葛藤を受け止めることができたのです。

 

この方法のポイントは、第三者の視点で、文章を書く・文章を読む・自分が書いた文章を聞く。

このことによって、不安な苦しみやイラつきなどについて、自分を表現することが出来、まとまりのないネガティブな感情を、自己整理することができたのです。

そして、また入院したいのかと自分を戒め、渇望感を抑えることができています。重要なのは、ここで自分の気持ちをありのまま、表現することだと思いました。

 

その方法で自分を戒める方法を思いついたのが、私の場合は、入院中毎日、日記を書いていたことが原点になっていました。。

いわば、闘病日記です。

 

誰に見せる物ではなく、自分が入院中に起こった不快な感情の、はけ口として自分のそういった感情を書き記すことにより、己と向き合い、軌道修正を図っていました。

 

87日間入院生活を送り、退院してから、もう2度と入院はしないと決断し、薬物に対する依存はなく、今日に至っています。

 

そして、NAミーティングに参加して、同じ仲間に自分の想いの丈を話します。

 

水面下では、まだまだ多くの薬物依存症の方がおられると思います。ミーティングに入る前に、その方々のために、黙想しています。

 

そして、より多くの仲間に自助グループのことを知ってもらい、薬じゃ依存症は完治しない。回復のためには孤独にならない。そのことに気づいて、NAミーティングに参加して戴きたいと思います。

 

 

A・ワイル博士&帯津良一医師 語録

『治癒の扉をひらく』

 

【生きる】

・つながり

 人は世界から孤立分離した状態のままで、全き健康を満喫することはできない。健康とは全体性のことであり、、全体性とはつながり~家族・友人・部族・国家・人類・地球とのつながり、また、いかなる超越的な存在であれ、その人が宇宙の創造主だと考える広次の力とのつながりのことである。(A・ワイル博士)

 

・呼吸を整え、こころの安静を図る

  呼吸は、心臓と同じで休むことはない。生体活動の一つであるのにもかかわらず、自分の意思で速めたり遅くしたり、一時的に止めることもできる。呼吸は心身に大きな影響を及ぼし、健康状態を改善することもできる。(帯津良一)

 

・こころの、ときめきが大事

  生きている以上、不安はなくならない。だから不安を抱かなないようにしようなんて考えない方がよい。(帯津良一)

 

・呼吸はからだこころをつなぎ、意識と無意識をつないでいる。

                          (A・ワイル博士)

・人間は歩くようにできている 

   わたしが会ったもっとも健康な人たちは、みんな歩くことが好きな人ばかりである。(A・ワイル博士)

 

・満足よりも知足を感じる

   われわれは不足しているものを渇望し続けて不幸を永続させることも出来れば、すでにもっているものをあわせて、期待どおりの経験を生きることもできる。「足るを知る心」すなわち「知足」は、欲求や欲望の満足に関心を関心をむけず、自己のありように、自己にあたえられた情況にやすらぎを覚えて、幸福を感じる心に関連するものだと、私は考えている。それは永続するこころであり、常にそこに回帰できるこころの情態である。(A・ワイル博士)

 

・「知性ではなく感性で食べよう」(A・ワイル博士)

 

・食事は「いのちの基本エネルギーである」(帯津良一)

 

 

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こんばんは。

昨日に引き続き、A・ワイル博士と帯津良一先生の語録を抜粋して取り上げさせていただきました。今回は「生きる」 をテーマに述べておられるものを掲げさせていただきました。 

次回は「治癒力」をテーマに掲げさせていただきます。

 

私の考察として言えるのは、人間は無意識(潜在意識)と意識(顕在意識)でなりたっており、生きていく上で、相互に「感性」というこころに息づいている生命体であると言えるのではないかと感じました。また、「生きる」ということは、私たち人間だけでなくすべての生命体において、本能を超えたところでは、ひとつにつながっているものであると考えます。そして、人間だけにある「知性」によって、どう生きるべきかが、自己のこころ次第によって、幸福にも不幸にもできるということを考えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは。hamano0708です。

 

完全に、昼夜逆転になってしまいました。

 

眠くて仕方ないです。

 

A・ワイル博士と帯津良一先生の言葉は、夜に書かせていただきますね。

 

昨日、朝方まで読んでたので、虚ろいモードになってます。

 

今日は、息子の誕生日なんですよ(*^▽^*)

 

 

 

 

こんばんは。hamano0708です。

 

昨日は、あれから「ホリスティック医療」のマガジンを朝まで読んでました。

 

私も知らなかった、たくさんの世界のホリステックセラピーがあることを知りました。

 

特に心響いたのは、A・ワイル博士と帯津良一先生の、「患者学」「死生観」という概念です。

 

 「患者学」

賢い患者の七大戦略

1.否定的見解を認めない

2.積極的に助けをもとめる

3.治った人を探し出す

4.医師との建設的な関係を作る

5.人生の大転換を恐れない

6.病気を貴重な贈り物とみなす

7.自己受容の精神を養う

(A・ワイル博士の患者学から抜粋)

 

 

 「死生観」

ホリステック医学は人間マルごと、つまり生老病死、すべてに焦点を当てています。(帯津)

 

人には死に時がある(帯津)

 

老いを受容する(A・ワイル)

 

死は終わりではなく、宇宙レベルの「いのち」の循環の通過点にすぎません(帯津)

 

癒された人の死とは、自己の人生を満たされたものとして眺め、からだの崩壊を受容することのできる死のことである(A・ワイル)

 

健康な時から「死」を意識する

「最も大切なのは、死後に対する希望をもつことです。死んだらお終いというのではなく、自分なりに死後の世界を具体的にイメージして、死後はそちらの世界へ行けるのだと考えると、死は怖くなくなります。(帯津)」

 

 

これはホンの一部ですが、この概念を受容できるようになると、

 

人生観は苦悩のない世界に変わることだと言えるでしょう。

 

わたしもプロフィールに書かせていただいてますが、バランスよ

 

く、ポジティブシンキングによる霊性の向上を意識しているからこ

 

そ、使命というものに気づき、自分の魂に不動の芯を打ち立てる

 

ことによって、ぐらつかない心の支柱を構築できているのだと思

 

います。

 

 

 

 

 

 

これは、ジェームス・スキナーの「成功のサイクル」というもので

 

すが、決断・学習・健康・感情という4つの支柱が明確になってお

 

り、その上で、目的・計画・行動・改善 そして、リーダーシップを

 

発揮することによって、成功はおのずと手中に収めることが出来るというものです。

 

この「患者学」「死生観」と、「成功のサイクル」に共通するものがあると思いました。

皆さん、分かりますか?

 

「自分を客観的に捉え、あるがままを受容し、決して恐れない」

 

ということだと、私はそう思いました。

 

 

 

次回は、下記の3つを、A・ワイル博士と帯津良一先生の唱える概念を、ご紹介したいと思います。

 

・生きる

・治癒力

・医療