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何かを見たり読んだりどこかに行ったりすると、その都度感想を書かずにはいられない性分ですが、この作品に関してはこの一言に尽きる

映画を観ろ!!
原作漫画を読め!!!

それしか言えません。
私がなにかゴチャゴチャ余計なことを書き散らかすよりも、映画や原作漫画を見た方がいいと思います。
ハイ解散!










というだけではさすがに味気ない。
なので、ちょっとくらいは私の感じたことなどを認めて参りたいと思います。蛇足ですが。

私がこの映画を観ていちばん感じたのは恐怖です。
それについても、ちょっと書きます。


以下、映画「この世界の片隅に」の感想文です。
原作漫画に関しても言及しています。
つまりネタバレしてます。
そして、ちょっとと言いつつ長いです。
さらに乱文甚だしいです。
それでもイイヨ!という方はどうぞ!!










ではいきます。




■職人気質
個人的に好きなのは、すずさんのお義父さんが、すずさんと晴美さんを庇って畑に伏せているシーン。
飛んできた敵戦闘機を日本の戦闘機が迎撃しているのを見て、お義父さんは
「うちのエンジンがいい仕事してる」みたいなことを呟く。
すずさんのお義父さんは呉の工廠に務めていて、機体の整備とかを行っているらしい。
このあたりは映画オリジナルシーンなのですが、とても心に残りました。
お義父さんはいわば職人。作り上げたものがいい仕事をしているのが誇りなのだ。

このお義父さん、ものすごくのんびりしているかと思いきや、原作漫画のラスト近くでは謎の思い切りの良さとかも見せてきて、すごく可愛らしい。


■重巡洋艦「青葉」
すずさんの幼馴染・水原さんが乗っているフネ。
実在したフネで、なんと設計はあの平賀譲中将!!!
戦艦「大和」の設計者として有名な、あの平賀中将!!!

ラストシーン、空襲を受けて呉港で着底していた青葉。
それを岸から見つめていた水原さんは、あの時本当にあの場にいたのだろうか。
すずさんが見た幻ではなかったか。
すずさんは時々不思議なものを見るからな

あと本編には全く関係ありませんが、この水原さんの声が小野Dさんで、「ここにもいらっしゃる!!」とビックリ。
今回は承太郎さんとか「planetarian」の屑屋みたいなつっけんどんな感じではなく、豪快で優しい感じのキャラクターでしたけど。
どこにでもいますね、小野Dさん……さすが人気声優さん(私の不勉強のため、詳しくは存じあげないのですが)……
小野Dさんにイエモンの「バラ色の日々」とか歌ってほしいなってずっと思ってます。


■とにかく音楽が素晴らしい
主題歌と劇中歌を歌うコトリンゴさんの声が身に沁みた。
冒頭で流れるザ・フォーク・クルセダーズ「悲しくてやりきれない」のカバーは鳥肌もの。

コトリンゴさんは劇中歌「隣組」も歌っています。
そう、あの「トン♪トン♪トンカラリと隣組〜♪」ってやつです。
戦時下の生活のノウハウを歌ったものですが、戦後には国民的テレビ番組「ドリフ大爆笑」の主題歌として愛唱されました。
戦時中の歌を、コメディ番組の主題歌にアレンジするっていう精神がね、すごく好きです。
「誰でも知ってるし、歌えるでしょ?」「今はもう誰にも遠慮はいらないから、笑い飛ばしてちょうだいよ!」って言ってくれてるみたいで。

劇中曲には、NHKの音楽番組「ムジカ・ピッコリーノ」にチェロ奏者ゴーシュ役として出演された徳澤青弦さんが携わっていて、ムジピファンの私はエンドロールを見てしてやられた感満載!

さらにさらに、すずさんと晴美さんが入院したお義父さんを見舞うシーン、映画では病室でグレン・ミラー楽団の「ムーンライト・セレナーデ」のレコードがかかっていました。
劇中でも言及されていましたが、当時米英の音楽は「敵性音楽」と呼ばれ、聴くことも演奏することも禁じられていました。
私の大好きな服部良一先生はジャズが得意な作曲家ですが、そんな服部先生も戦時中は「アイレ可愛や」とか「支那の夜」「蘇州夜曲」とか、当時日本が侵攻していた中国大陸、東南アジア風の曲を書いています。

表向きは禁止されていたとは言え、実際は、映画のようにこっそり聴かれていたみたいです。
敵国の人が作った曲ではあるけど、いい音楽であることには変わりないですからね!
芸術は世界を一つに結ぶと偉大な楽聖ベートーヴェン先生もおっしゃっています!フロイデ!


■広島弁かわいい
広島弁がかわいい。のんびりしててやさしい。
広島県でも「やねこい」って言うんですね。
石川県でも言います。ねちっこい、しつこい、みたいな意味です。
関西圏でも言うのでしょうか?
それとも、柳田国男先生の言う「蝸牛考」みたいなアレなのでしょうか?(京の都を中心に、同心円状に言葉が伝播してゆき、その外側の円に行けば行くほど、古い形の言葉が残っている)


■焼夷弾
すずさんにとって、嫁ぎ先の北條家こそ、日常の象徴だったのでしょう。
空襲で家の中に焼夷弾が落ちてきた時、ふだんののんびりぶりからは想像もつかないほど、すずさんが猛然と消火に当たります。
日常の最後の砦を侵犯されたすずさんの怒り。

すずさんを演じているのんさんの声がとても悲痛。
怒りを演じていると言うよりは、身の内から憤りが迸っているようでした。

のんさんの声は、優しくてまろやかでありながら、日常のすずさん、怒るすずさん、むなしさを吐き出して悔しさを滲ませるすずさんと、その時その時の、ありのままのすずさんの声を聞かせてくれました。すごかった。

そして、あの消し止め方。
布団をかぶせて水をかける。
大河ドラマ「八重の桜」では、八重さんが籠城する会津若松城に撃ち込まれた焼弾を、濡れた布団で押さえ込んで消し止めていましたね。
すずさん、乾いた布をかけたら余計に燃えて危ないんじゃない!?と思ったけど、あの時すずさんは右手を失っていて、水分を吸収して重くなった布団を左腕だけで運ぶのは容易ではないから、乾いた軽い布団を先に被せて後から水をぶっかけたんですね。たぶん。

晴美さんのお兄さん、久夫さんは、下関で暮らしている。
原作漫画では、晴美さんにおさがりの教科書を贈ってくれた久夫さん。
作中では描かれていませんが、下関も空襲を受けています。
あれ以降登場しない久夫さん…


■浮かべる城
映画の冒頭、列車に乗っていると、呉が近づいた時に「窓の鎧戸を閉めろ」というアナウンスが入ります。
これは呉で戦艦「大和」を建造していたためです。
この超巨大戦艦の存在は国民にすら秘匿されており、建造中の様子を見られるとマズかったのです。

先日、NHKスペシャルで「大和」の同型艦「武蔵」の番組やってましたね。

武蔵は「不沈艦」と呼ばれていたそうです。
番組を見る限り、確かに武蔵は構造上「沈みにくいフネ」ではあったのでしょう。
だからと言って、何をされても沈まないわけではない。
沈まなかったとしても、攻撃にさらされた乗組員の命を絶対的に守ってくれる保証はどこにもない。

こんなことを言えば、当時だったら私は非国民だと言われただろうか。
すずさんみたいに、恐い憲兵さんに怒られただろうか。

「不沈艦だから大丈夫」と呪文のように唱えれば、本当に沈まないとこの国のみんなが信じたのだろうか。

昔読んだ明治期の女工さんたちの本のあとがきにあった、「女工たちの健康や命とひきかえに、丸々と太っていったのは軍艦だけであった」みたいな一文が何年経っても忘れられない。

すずさんが少ない物資をやりくりして日々の生活を送るシーン。
映画でも原作漫画でも、とても丁寧に描写されています。
映画では詳しく描かれませんでしたが、栄養失調と環境の変化で妊娠しにくい体質になってしまったすずさん(戦時下無月経症といい、当時社会問題になっていたそうです)。
食卓にのぼるのは、お粥と言うにも程遠い、ほぼお湯のような食事。
そこまでして、人の健康を害し、兵器を肥え太らせ、人の命を奪う意味とはなんだったのだろう。

そしてこんな考え方は、戦争を知らない世代だからするんだとも思う。
戦争行為を批難はしても、あの時代に生きた人々の生き方を否定するつもりはない。
戦争を知らない私たちにできるのは、先人たちが残したものを頼りに考え、行動すること。

そして映画ではカットされてしまったあのシーン
この暴力は、こちらが一方的に振るわれたものではなく、
こちらも加害者であった、とすずさんが気付くシーン。
あのシーン、なぜカットしたのか分かるような分からないような…
(映画のすずさんは、原作のすずさんをとある角度からフォーカスしたもので、そのためにカットされたのかな、という気もするけど、釈然としない…)
日本だって空爆を行っていたし、原爆の開発も試みられていたのです。

結局のところ、知識や技術は人間の善悪を超越したところのものである。
少ない物資を上手くやりくりする方法、不沈艦を造る方法、核分裂を起こす方法…
それを善とするか悪とするかは、今を生きている私たちの手腕に委ねられている。
人道というと胡散臭く聞こえてしまうが、この人道という誇り高く曖昧なものが、人間を人間たらしめているのではないか。

こんな大仰なことを書いてみたけど、当のすずさんは至ってニュートラル。
彼女の生来の気質に因るのだろうけど、いつも微笑んでいる。
悲しい出来事はたくさんあった。これからやってくるであろう悲しみも仄めかされている。

すずさんは、何かと戦うとかではなくて、身の回りで起こっていることすべてを、悲しいことも笑いも受け止めて、それらと共に慎ましやかに、日常を全うする女の子だと思えました。
だから彼女はどんなときも笑顔(日常の象徴)なのだ。

街が焼かれ、人が死ぬ。父親、兄、弟、息子が戦場に連れて行かれ、小さな石ころになって帰ってくる。さっきまで隣で笑っていた女の子に、二度と会えなくなる。それが日常だった時代が確かにあった。
悲しくて、悲しくて、とてもやりきれない。
そんな日常を歩いていくすずさん。
限りないむなしさの中にも、ほんの少しずつの救いを見いだしながら。


■森田おすすめ関連書籍
『空爆の歴史 終わらない大量虐殺』荒井信一 岩波新書
世界史において、空爆がいつごろから行われているか、どのような経緯で実行されたか、どのような兵器が使われていたか、などについて。
各事例ごとに詳しく書いていておすすめです。

「この世界の片隅に」に飛行機雲が現れるシーンがあります。
よく考えたら、今ほど飛行機って飛んでないから、当時としては珍しいんですね。


■総括
私はふだんの日常と、戦争という非常事態を分けて考えていたのだ!と気づかされた。
政治的には、たとえば宣戦布告(最後通牒の交付)があれば、そこからが開戦になる。
しかし、ふつうに生活している人々にとっては、ここからここまでが日常、こっちからは戦争、という明確な線引きなんて、どこにもないのだ!!
ある日突然、戦闘機が飛んできて、機銃掃射してくる。
そんな日でも空は青くて、鷺が飛んでいて、風がそよいでいる。
戦争が日常になる。なんて恐ろしいのだろう!!!

この映画を観て真っ先に思ったのは、
やっぱ広島行かねば。
ということでした。

近代史好きなのに行ったことないんですよ私。信じられない。
原爆資料館行かねばだし、呉も行かねば。
呉は軍港だから近くの山に要塞もあるし。
大久野島も行かねばだし。
そうそう、広島城も行かねば。
呉と広島って離れてるんでしたっけ…

他にも「ここ行ったほうがいいよ!」的なところあったら教えてくださいね。


ちなみに、心に残った登場人物は、すずさんのお義姉さんと、リンさんです。晴美さんも、すみちゃんも好き。
みんな愛おしい。

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わたしがきれいだったころ、この国は戦争をしていた