乞食鶏 尻を隠せど トサカ立つ
頑童モードはここまでにして、と。
おっしゃる通りです、七公。
この後ちゃんとコメント確認して、連句考えてみます。
乞食鶏 尻を隠せど トサカ立つ
頑童モードはここまでにして、と。
おっしゃる通りです、七公。
この後ちゃんとコメント確認して、連句考えてみます。
(注:この記事は「頑童モード」でお送りします)。
折角ケンカ買おうとしたら、売った奴がコメント撤回してしもたがな。
どないせっちゅうねん。誰が豆粥や。太宰治の小説に、死に際に「小豆粥が食いたい」ゆうて死んだ奴がおったさかい、縁起が悪いやないかい。
まぁ、またヘソ曲げて、俳句でなしに狂歌つくったけぇ、どっこいどっこいかぁ。
ほな、御覧あれ!
「つきたての 餅のごとくに 見ゆる月
首を伸ばせど、口は届かず」
ハヨ「北侠」と「東邪」と「南僧」(「南帝」でも可)は出てこぉへんかなぁ。つまらん。
一応言うとくけど、俺は「西狂」と「中頑童」の二刀流やからな。
ほんで、俺にとって「西毒」は清志ローやからな。
今「のんのんばあと俺」のビデオのとってあった奴見てます。
しげーさん最高!のんのんばあに感謝!
(「人の心は死者の魂を宿して大きくなる」のだそうな。)
そういや、そのときしげーさん演じてた人は__
って、「ロックオペラ」ぁあああああああ!
また夢が一つ先を越された___
って、ユパかよ俺は。(「ナウシカ」ね)
今まで、谷川俊太郎が師匠やってずっと思とったけど、
どうも最大師匠は水木サンらしいや。
「いつもあくせく屁理屈こねて
八っと気が付きゃ墓の中
あの世とこの世で心は一つ」
後は歌詞忘れた。(劇中で妖怪達が歌う歌)
しみじみ「深いなぁ」と思いました。
先に言っときますが、これは金庸先生の「射鳥英雄伝」(ほんとは「鳥」がもっとかっこいい字なんですが、変換機能のバグで)が元ネタです。
虫の殻は、中が空洞であることに意味がある
器は、凹んでいる場所に価値がある
箱は、中に物をいれられる事に---
家は、雨露をしのぐことに
---ならば、オレノ刃は?
嵐を止めるための
レクイエムのために
俺はツバメのように生きよう
-これはだいぶ前に書いた詩ですが、今にして思えば、
自分にとっての「雨」は演じる役柄のひとつであり、
自分の本質は実は「晴れ」なのではないか、と思います。
『引いて照らすが徳なり』
---また「リボーン」からの引用ですが、僕は、それだけでも良いと、今なら思えます。
逆境を砕くには、俺の身体的「力」は弱すぎたから。
それでも、みんなを「活性化」させる、そういう存在として有れるならば、
それだけでもいいかな、と、自分を納得させています。
つむじ風 縮みて生むは 鎌鼬(かまいたち)
自分の心象風景そのまんまです。この頃よく、自分の中で嵐が起きまして(「メールシュトローム」でも書きましたが)それをなんとか小規模にとどめて(「NARUTO」のカカシの万華鏡写輪眼みたいなイメージです)、やりすごす。そうすると、詩が浮かんでくる。不思議な方程式が僕の中で成立しちゃってます。
余談ですが、「ONE PIECE」の五十七巻読まれましたか?僕は、単行本では始めて金出して買って読みました。(それまでは雑誌か児童館か立ち読み)
そうしたら面白いこと面白いこと。全員強いしかっこいいし、笑いの要素も程よく織り込んである。(「銀魂」は僕に言わせればギャグに走りすぎ、というより僕があの手のギャグに拒否反応起こす)何度も呼んで何度も味わいました(僕の読書の常ですが)。
特に、ルフィの「おれは、『弟』だ!好きなだけ何とでも言えェ!おれは死んでも助けるぞォ!」というあの台詞。しびれました。自分にも姉がいるせいで、感動を勝手に増幅して食らってしまったようです。
読まれたことの無い方はぜひとも最初から。あれほど読んでて面白い漫画はなかなかありません。 ただ、治虫師の「ブラック・ジャック」とどっちが好きかと問われたら、僕は「ブラック・ジャック」をとりますね。
リラックスしてると、特撮やアニメのテーマソングばっか頭に浮かんでくる。
子供のころの刷り込み、恐るべし。
一番すきなのは「ゲゲゲの歌」。
「お化けにゃ学校も 試験も何にも無い!」
お化けになりたい(笑)
今僕は、学校に通っていません。神経衰弱による、いわゆるドクターストップです。
でも、家でずっと過ごしていると、無性に学校に行きたくなる時があります。
ダチ共に会いたい。部活に顔を出したい。バンドのみんなと、練習計画の打ち合わせをしたい。
時々そういう気持ちで胸が一杯になって、たまらなくなります。
今までもそうですが、このごろは特に、「衝動」という名の暴れ馬を必死で押さえつけているような感じで、日々を送っています。
その暴れ馬を御す手伝いをしていただいてる友人がいて、今は只「感謝」の一言です。僕とその友人とは、今思えば、「守り人シリーズ」(上橋菜穂子先生著)のバルサとタンダのような関係にある気がします。性別に関係なく、困ったときには助け合う。 一度本気で『狂った』僕が、今、前に比べれば『まとも』な状態で留まれているのは、友人のおかげです。 その友人からの言葉で、僕は、一気に楽になることができました。これからも、二人三脚でやっていけたらな、と、勝手に考えている夢見がちな僕です。
もし自分を「エースをねらえ」の岡ひろみにたとえるならば、
宗方コーチは池田晶子女史です。
僕はあの人に目を覚まさせてもらいました。
あの人の話無しには、今の僕を語る事はできません。
そして桂大悟氏にあたるのは、詩人の谷川俊太郎師です。
ああ、この人は、僕や晶子女史と同じ仕方でものを見ている。(正確には「見えてしまっている」だけなのですが。)
その上で、立派に人に認められ、自分のやりたいように生きて、それで十分生計を立てている。すごく、憧れました。
幼い頃は、水木しげる先生が僕の理想だったのですが、彼は、したいことして生きるために、貧乏のどん底を、這うようにして生きた人です。僕は、そうはなりたくありません。
その点、彼(谷川師)は富裕層でありながら、自分は不当に優遇されているという感覚を持ち、その感覚を詩で表現していました。
そういう意味で、谷川師は、僕の理想のそのままに生きている人だと思えました。
彼がまだ生きている。そのことが、何度も「死にたい」と思ったぼくを、現世へ引き留めてくれました。(それだけが立ち直れた理由ではありませんが、重要な部分を占めているとおもいます。)
僕は今、詩人になろうと考えています。谷川俊太郎師のように。
それは、水木サンや治虫師が漫画で表現したことを、言葉だけで、ー言い換えるなら、文章だけで表現し直す、という生き方です。
それは、加藤和彦氏が、音楽においてやろうとし続けたこととも、共通点があると思います。
さいごに、きよしろーに一言。
あんたが死に際においてったモンは、しっかり受け取ったかんな!
若林に踏み込んだ気がした
「よってらっしゃい、見てらっしゃい!」
客を呼び込む青年達の
なんと活気にあふれた事か
「お買いあげいただき、ありがとうございます。」
応対をする令嬢達の
なんと心を和ますことか
震災から十五年たって
これほど街が栄えるなどと
誰が想像しただろうか
そういえば、季節は春だ