なななし名無しのひとりごと -5ページ目

なななし名無しのひとりごと

迷ったり、ぼんやりしたり、笑ったり。


乞食鶏 尻を隠せど トサカ立つ


頑童モードはここまでにして、と。


 おっしゃる通りです、七公。

この後ちゃんとコメント確認して、連句考えてみます。

 (注:この記事は「頑童モード」でお送りします)。


 折角ケンカ買おうとしたら、売った奴がコメント撤回してしもたがな。


 どないせっちゅうねん。誰が豆粥や。太宰治の小説に、死に際に「小豆粥が食いたい」ゆうて死んだ奴がおったさかい、縁起が悪いやないかい。


 まぁ、またヘソ曲げて、俳句でなしに狂歌つくったけぇ、どっこいどっこいかぁ。


 ほな、御覧あれ!


  「つきたての 餅のごとくに 見ゆる月

 首を伸ばせど、口は届かず」


 ハヨ「北侠」と「東邪」と「南僧」(「南帝」でも可)は出てこぉへんかなぁ。つまらん。


 一応言うとくけど、俺は「西狂」と「中頑童」の二刀流やからな。


ほんで、俺にとって「西毒」は清志ローやからな。

 今「のんのんばあと俺」のビデオのとってあった奴見てます。

しげーさん最高!のんのんばあに感謝!

(「人の心は死者の魂を宿して大きくなる」のだそうな。)


 そういや、そのときしげーさん演じてた人は__

って、「ロックオペラ」ぁあああああああ!

 また夢が一つ先を越された___

って、ユパかよ俺は。(「ナウシカ」ね)



 今まで、谷川俊太郎が師匠やってずっと思とったけど、

どうも最大師匠は水木サンらしいや。


 「いつもあくせく屁理屈こねて

  八っと気が付きゃ墓の中


  あの世とこの世で心は一つ」


 後は歌詞忘れた。(劇中で妖怪達が歌う歌)


しみじみ「深いなぁ」と思いました。




先に言っときますが、これは金庸先生の「射鳥英雄伝」(ほんとは「鳥」がもっとかっこいい字なんですが、変換機能のバグで)が元ネタです。




 虫の殻は、中が空洞であることに意味がある


 器は、凹んでいる場所に価値がある  


 箱は、中に物をいれられる事に---


 家は、雨露をしのぐことに


 ---ならば、オレノ刃は?


 嵐を止めるための


 レクイエムのために


 俺はツバメのように生きよう



-これはだいぶ前に書いた詩ですが、今にして思えば、

自分にとっての「雨」は演じる役柄のひとつであり、 

自分の本質は実は「晴れ」なのではないか、と思います。

 『引いて照らすが徳なり』

---また「リボーン」からの引用ですが、僕は、それだけでも良いと、今なら思えます。

逆境を砕くには、俺の身体的「力」は弱すぎたから。


 それでも、みんなを「活性化」させる、そういう存在として有れるならば、

それだけでもいいかな、と、自分を納得させています。


つむじ風 縮みて生むは 鎌鼬(かまいたち)


 自分の心象風景そのまんまです。この頃よく、自分の中で嵐が起きまして(「メールシュトローム」でも書きましたが)それをなんとか小規模にとどめて(「NARUTO」のカカシの万華鏡写輪眼みたいなイメージです)、やりすごす。そうすると、詩が浮かんでくる。不思議な方程式が僕の中で成立しちゃってます。


 余談ですが、「ONE PIECE」の五十七巻読まれましたか?僕は、単行本では始めて金出して買って読みました。(それまでは雑誌か児童館か立ち読み)

 そうしたら面白いこと面白いこと。全員強いしかっこいいし、笑いの要素も程よく織り込んである。(「銀魂」は僕に言わせればギャグに走りすぎ、というより僕があの手のギャグに拒否反応起こす)何度も呼んで何度も味わいました(僕の読書の常ですが)。

特に、ルフィの「おれは、『弟』だ!好きなだけ何とでも言えェ!おれは死んでも助けるぞォ!」というあの台詞。しびれました。自分にも姉がいるせいで、感動を勝手に増幅して食らってしまったようです。

 読まれたことの無い方はぜひとも最初から。あれほど読んでて面白い漫画はなかなかありません。  ただ、治虫師の「ブラック・ジャック」とどっちが好きかと問われたら、僕は「ブラック・ジャック」をとりますね。

 リラックスしてると、特撮やアニメのテーマソングばっか頭に浮かんでくる。

子供のころの刷り込み、恐るべし。


 一番すきなのは「ゲゲゲの歌」。

「お化けにゃ学校も 試験も何にも無い!」

 お化けになりたい(笑)

 

メールシュトローム

竜巻がおきている オレの心のなかに
すべてをとりこみ すべてを飲み込み
竜巻がどんどん大きくなる
台風になったそれの目をのぞきこんだとき
なぜかそこには彼女がいた
許してくれ ぼくは君に、いやみんなに
恥ずべきことを強要したいと思った
そして実際にできると思った

刀を持つならオレは秋水で
シシソンソンと謳いたい
なのにオレの手にあるのは
まだ三段鬼鉄
オレらの和道はどこにある
それをみつけだすために オレは
ナタで自分自身をたたき割った
そうして みつけたんだ 一文字の
底を流れる文字の川
ぼくはそこでその川の主(ヌシ)にあった

正しいとはなんですか
ぼくは何度も主に問いかけた
でも主はなにもこたえてくれなかった
ただじっとぼくをみつめていたよ

そのうち息がつづかなくなって
ぼくは浮かんでゆかなければならなかった
そんな時でさえ主は大口開けて
世界でも飲み込むかのように
あくびをしていたよ

.......

静寂(しじま)

なにもしないで座っていると
自分の鼓動がやけに大きい
全身が耳になった気分
いろんな音をひろってしまう
けれどもそれはいつもあるもの
ぼくが気づいていなかっただけで

鳥のデュエット 虫のコーラス
雨のセッション 風のソロ
すべての音がなだれ込む
ひとつの巨大なハーモニー
オヤジのいびきもまじるけど
なんの違いがあるものか
すべてはいつもは聞こえない音
今だけしか聞けない音楽
名づけるならば 素晴らしい静寂(しじま)

..........

↑昨年度二学期末の期末テスト勉強中に
つくりました


狼の 二匹つどいて 狐狸(コリ)と化す




 今僕は、学校に通っていません。神経衰弱による、いわゆるドクターストップです。

でも、家でずっと過ごしていると、無性に学校に行きたくなる時があります。

 ダチ共に会いたい。部活に顔を出したい。バンドのみんなと、練習計画の打ち合わせをしたい。

 時々そういう気持ちで胸が一杯になって、たまらなくなります。

 

 今までもそうですが、このごろは特に、「衝動」という名の暴れ馬を必死で押さえつけているような感じで、日々を送っています。

 

その暴れ馬を御す手伝いをしていただいてる友人がいて、今は只「感謝」の一言です。僕とその友人とは、今思えば、「守り人シリーズ」(上橋菜穂子先生著)のバルサとタンダのような関係にある気がします。性別に関係なく、困ったときには助け合う。 一度本気で『狂った』僕が、今、前に比べれば『まとも』な状態で留まれているのは、友人のおかげです。  その友人からの言葉で、僕は、一気に楽になることができました。これからも、二人三脚でやっていけたらな、と、勝手に考えている夢見がちな僕です。

 


 もし自分を「エースをねらえ」の岡ひろみにたとえるならば、

宗方コーチは池田晶子女史です。

 僕はあの人に目を覚まさせてもらいました。

あの人の話無しには、今の僕を語る事はできません。


 そして桂大悟氏にあたるのは、詩人の谷川俊太郎師です。

 

 ああ、この人は、僕や晶子女史と同じ仕方でものを見ている。(正確には「見えてしまっている」だけなのですが。)

その上で、立派に人に認められ、自分のやりたいように生きて、それで十分生計を立てている。すごく、憧れました。


 幼い頃は、水木しげる先生が僕の理想だったのですが、彼は、したいことして生きるために、貧乏のどん底を、這うようにして生きた人です。僕は、そうはなりたくありません。

 その点、彼(谷川師)は富裕層でありながら、自分は不当に優遇されているという感覚を持ち、その感覚を詩で表現していました。


 そういう意味で、谷川師は、僕の理想のそのままに生きている人だと思えました。


 彼がまだ生きている。そのことが、何度も「死にたい」と思ったぼくを、現世へ引き留めてくれました。(それだけが立ち直れた理由ではありませんが、重要な部分を占めているとおもいます。)

 

 僕は今、詩人になろうと考えています。谷川俊太郎師のように。

それは、水木サンや治虫師が漫画で表現したことを、言葉だけで、ー言い換えるなら、文章だけで表現し直す、という生き方です。

 

それは、加藤和彦氏が、音楽においてやろうとし続けたこととも、共通点があると思います。


 さいごに、きよしろーに一言。


 あんたが死に際においてったモンは、しっかり受け取ったかんな!




 若林に踏み込んだ気がした


 「よってらっしゃい、見てらっしゃい!」

客を呼び込む青年達の


なんと活気にあふれた事か

 

 「お買いあげいただき、ありがとうございます。」

応対をする令嬢達の


なんと心を和ますことか


 震災から十五年たって

これほど街が栄えるなどと

誰が想像しただろうか


 そういえば、季節は春だ