なななし名無しのひとりごと -4ページ目

なななし名無しのひとりごと

迷ったり、ぼんやりしたり、笑ったり。


忘れまじ 地に伸びる陽と 朱き木々


 ご無沙汰しておりました。

句が浮かぶことは浮かぶのですが、どうにも頭に残らなくて、

載せる気にならなかったのです。


 話は変わりますが、今日ふと気づいた、不可解な事があります。


僕が俳句を詠みたくなるのは、なにかの風景が、なんともいえない情感というか印象と共に、頭に残っている時です。それらの情感や印象を、文字で表現したくなるのです。

なのに、いざ俳句に詠んでしまうと、頭の中に残っていた印象が、ふっと消えてしまうのです。まるで、句によって抽出されてしまったかのように。


 不思議なことがあるものです。


あと、公七さん、新しい連句の投稿には、この記事をお使い下さい。

 


 天高く 馬は肥えずに 吾肥ゆる


 風上に 誰を招くか ススキの穂


 恥じらいて 端のみ染まる 秋の松


 ちなみに今日は僕の誕生日です。今後ともよろしくお願いします。

 今日は、二つとも無季ですが、二句浮かびました。



   闇の海 浮かぶ不知火 街灯り


   眺むれば 山のしかかる 闇夜かな


 どうも、秋になると調子が出てくるようです。

 もっとも、連句の方は詰まってますが。

 今日下校の電車の中で、谷川師の「これが私の優しさです」を読んで、改めて「いいなぁ」と感じた詩が二つあったので、ここに紹介しようと思います。


 一つ目は「はる」です。(「はなをこえて/しろいくもが/くもをこえて/ふかいそらが /はなをこえ/くもをこえ/そらをこえ/わたしはいつまでものぼってゆける  /はるのひととき/わたしはかみさまと/しずかなはなしをした」)


 僕は以前、山を眺めているときに、知らず知らずのうちに、視線が山と空の境界や、空と雲の境界へ移って、そのうちに自分が、空よりももっとと遠くにある何かを見ているような、そんな不思議な気持ちになったことがあるのですが、この詩を読んだ時に、そのときの気持ちが、もっと鮮明に表現されているように感じて、「同じようなことを感じている」とうれしくなりました。


 二つ目は「宿題」です(目をつぶっていると/神様が見えた/うす目をあいたら/神様は見えなくなった/はっきりと目をあいて/神様は見えるか見えないか/それが宿題)。これはある意味で、すべての人の、ひょっとしたら一生の宿題かもしれません。

 ところで、ふと思ったのですが、「神様」の正体が明らかになった時、それは一つの人格の姿をしているのでしょうか、それとも方程式のすがたをしているのでしょうか。また、谷川師は、今でも目をつぶると、神様がみえるのでしょうか。


久しぶりに、連句でないオリジナルの俳句が出来ました。


  重陽夜 星に射らるる 我がまなこ


 感想お待ちしてます。

俺は目の前に導火線が並んでいるようにみえた

俺が火をつけさえすれば みんな爆発して

本気だしてくれる、と思っていた

でも 結果的に俺のそういう作業は

自分自身を燃やしてしまっただけで

終わってしまったのかもしれない





 彼女は巫女と自称していた


 述べる事無く伝えたからだ


 

 いつも周りに悪口雑言


 同じぐらいに自分もけなす


 その飄々とした語り口


 私はどれほど魅せられただろう



 誰より強く驚きながら


 誰より深く苦しみながら


 それでも発したあなたの叫び


 私をどれほど揺さぶっただろう



 絶望の淵のどん底に沈み


 そこから私に希望をくれた


 あなたにお礼を言いたいが


 あなたはすでに「あなた」ではない



 「さて死んだのは誰なのか」


 あなたが最期に遺した言葉


 きっとあなたは知らずに去った


 自分がいったい「誰」なのか 


 そんなあなたが死んだとて


 あなたがあなたでいるはずがない



 これはあなたへ捧げる祝詞


 でもあなたには届かない


 神へと叫んだあなたの声が


 神に届かなかったのと同じ



 気づけば私は呟いている


 私はいったい「誰」なんだ?!