秋
人にすごいなぁと思われたくて、認められたくて、自分を誇る。
くだらないなぁ。
人を、すごいなぁと思って、認めて、それを相手に伝える。
そして自分もがんばろうと思う。
それがなにより。
秋は、心がなんだか少しまっすぐになった気がするなぁ。
こういう歌も、心にしみる。
http://www.youtube.com/watch?v=sl-ENKpfDTk
そして明日もがんばろうと思う。
大停電
そういえば2ヶ月前の8月14日に東京で大停電が起きた。
東京の人は大変だなぁと思いながら、あの日私はラーメン屋で川とクレーン車の映像を見ていた。
確かすごく暑い日だったと思う。
あれから2ヶ月、すっかり長袖の季節です。
早いもので。
秋おなじみのこの胸がせつなくなるかんじ。
自分が忘れないための備忘録
飲み屋で隣の人のグラスが空いたら「なんか飲む?」と聞いたり・・・
自分の落し物を拾ってくれた人に「ありがとう」と言ったり・・・
寝てる人の側では静かにしたり・・・
そういうレベルと同じレベルのいわゆるちょっとした「気づかい」「思いやり」と呼ばれるものが、彼には基本的に欠けている。
男同士だと案外こういう気配りをあんまりしない人も多いし、そもそも女のほうがこういうのは得意なのかな、とは思う。
でも、男たるもの対女性には多少気を使って「騎士道精神」を発揮してもいいんじゃないかい、と私は思うのだ。
少なくとも「ありがとう」はどんな仲でも大事だし。
なので、そういう些細な「思いやりのない行動」が起きるたびに私は彼にチクチク言ってきた。
でも彼は何度注意しても「あーうんわかったごめん」と言うだけで、その言った舌の根も乾かぬうちから同じ失態を気づかずに犯す。。。
しかも、付き合いが長くなるにつれて気心知れていることがアダとなり、彼の「思いやりのなさ」が質・量ともにどんどん悪化してくっていう悪循環。。。
最近では時々常識ハズレなくらい失礼な行動が目に余るようになってきていた。
最後にこのことでケンカをしたときに、私はたまっていたものが爆発し、
「もうあなたが反省しないなら付き合い続けることはできない、反省して欲しいから1ヶ月は距離を開けよう」
となった。
まぁ、間違ってはいないと思うし、反省してもらうためにはよかったと思っているけど、それでも距離を開けて5日くらいすると妙にさみしくもなり。
「彼がいなくてさみしい」と「彼が好き」はどうやら似ているんだなぁなんて発見したりした。
気になるPVをYOU TUBE で見つけても、そういうのは彼と一緒に見るから面白いのに、今は「一緒に見れないんだよなぁ」と切ない気分になる、これ、彼を好きだからかさみしいだけか、案外、分からないんもんで。
電話したいなぁ、いやいやまだ5日だよありえねぇー。
電話をかけるなら、向こうのすべてを許す心意気じゃないとダメだしかけるわけにはいかないよ。
と悶々しながら歯医者へ行った。
帰りにある本屋で、相変わらず悶々としながらFIGAROを立ち読みした。
FIGAROの特集は「絶対きれいになってやる」、こういう前向きのテンションいいね、と気分をあげていると。
つんつん。
誰かに肩をつつかれて振り向くと、彼が立っていた。
こんな偶然は初めてだ。
神様も、こんなところでこんなカードを切ってくるとは。
一瞬、驚きで気が緩んで、何で自分が距離を開けるほど怒っていたのかも忘れて、ただ会えたっていう単純なうれしさがこみあげてきたもんで、そのまま突き放すことも忘れて飲みに誘ってしまった。
飲んで、普段どおり、世間話。
距離空けてる間の話もして、仲直りしたような雰囲気で。
帰り道、散歩。
些細なことで急に、怒りがぶり返してきた。
今日会って、ケンカの原因のことを直したかとか反省したかどうかについて、彼からはっきりとは聞けなかったし、そのことについて「あんなケンカの後だし、直さなくちゃ」と気をつけてる様子も見られないし、まるでのんきに
「あー機嫌直ってるーよかったぁ」
ってことしか考えてないような彼に、私はイライラしてしまったんだと思う。
精一杯やってるかんじ、一生懸命になっている感じがこれっぽっちも見えないんだもの。
こんな別れる別れないのケンカであっても、彼の生来の楽観的なところのせいで
「彼女が怒ってるけどまぁいいやー」
「悪いことしたなぁ、どうしようかなぁ、まぁなんとかなるでしょー」
「あれーどーすればいいのかなー」
みたいなのんきで楽観的な考えでいすぎるんじゃないの、と私には見えた。
もう、急に腹立たしくなって
「やっぱりあなたは変わっていないんだね」
と、急に険悪な雰囲気にして、時間だからと彼と別れて家に帰ってきてしまった。
その後、電話で。
私は、見境なくキレて暴言をぶつけてしまった。挙句、
あなたには一生懸命になるってことがないの!?あんなケンカの後なら精一杯努力すべきなんじゃないの!?違う!?距離置いてる間も何も考えてなかったみたいだけどなんでそんないい加減なの!?相変わらず思いやりのかけらも見られないし、そもそも変わろうともしていないし、そんなんだったらもう無理。もう、嫌いです。好きな気持ちが戻るとは思えないから、別れてください。
感情的にぶちまけてしまった。
分かっている。
「彼は変わるつもりがなかった」
のではなくて、
「どう努力していいのか分からない」
「そもそも私がなんでそんなに怒ってるのか、どうすれば怒りが収まるのか、原因も対処法も分からない」
「要点がつかめていない」
だけの、要領の悪い人だってことを私はよく分かっている。
要領が悪くて、口下手で、楽観的。
だからケンカして距離を開けたときも
「彼女が怒ってるなぁ、どうしよう、おれはどうすればいいんだろう、とりあえず距離を開けてればいいのかな」
としか思わなかったんだろう。
私の理想としては
「おれのせいであんなに彼女を傷つけてしまった。おれが悪かったなぁ、直さなきゃ。もう一回彼女に振り向いてもらうために一生懸命がんばろう」
という積極的な責めの姿勢を見たかったんだけどなぁ。
そして。
今回も私は最悪の人間だ。
彼の要領の悪さを分かってはいるのに、許せずに散々彼を責めてしまった。
私は、いつもぼんやりして分かったんだか分かってないんだか反省してんだかしてないんだか分からない彼から、確実な「謝罪・反省」の言質を取りたくて、必要以上に彼を傷つけてしまう。
「あぁ彼も反省しているようだ」と溜飲を下げたくて、彼が傷つく人格を否定するような言葉をぶつけてしまう。
私は理想のものさしを心に持っていて、それから彼が少しでもはみ出た行動をすると、親のカタキに会ったように烈火のごとく責めてしまう。
他力本願だけど誰か理性的で客観的な人に、私を戒めて欲しい。
怒りを止められない私と、彼では、いつまでたっても、この最悪の力関係から脱せず、どんどんお互いの神経をすり減らしてしまうんじゃないだろうか。
どうしたら自分が変われるのか、本当は彼が変わることなんかよりもずっと、私が変わることのほうが問題なんじゃないのか、とにかく彼とケンカした後の私は自分を大嫌いになっている。
変わらなくては。
変わらなくちゃいけないよ。
でもどうやって。
どうやってもなにもあったもんじゃないよ。
怒るのと叱るのは違う、私のは「彼のために」叱ってるんじゃなくて「自分のために」怒ってるだけだ。
怒るのなんて、必要ないんだ、とにかくやめりゃいい。
翌朝、彼からメール。
長々、初めてもらうような愛の言葉と、反省と、思いやりのこもった、メール。
最後に
「口下手でごめん。おれなりの精一杯の気持ちです」
とのこと。
こんなにうれしいメールははじめてだ。
でも、この先こんな自分と彼で、うまくいく自信がまだない。
週末、会う約束をした。
自立
今にも彼に連絡を取りたいのだけど、今ここで連絡をしても、そんなのさみしいからってだけでしょう。
やめましょう。
さみしいからではなくて、もっと本当に本質的に彼が必要なんだって感じたら、そのとき彼に乞いに行きましょう。
まずは自分の足で立ちましょう。
早く人間になりたーい
10月に入ってからの日照時間が2時間しかないそうだ。
雨ばっかり。
そのせいか、今はもう一ヶ月前まで暑苦しかったことが嘘のように、さむさむ。
滅入る。
なにもかもが停滞して、沈滞して、汚泥のように私の心の底に溜まっていく。
もう、ここ数ヶ月、私をこれでもかというほど支配している、私はダメ人間だという思いが強くなる。
今はきっと過渡期なんだろう。心の。
いい時期と、悪い時期は交互にやってくる。
そんな中、心を鬼にして、彼氏とまた距離を開ける。
今まで距離を開けてもそれがなんの突破口にもなっていないのだけど。
懲りない。
地球上のハッピーな事象が、ユニコーンとかドラゴンみたいな空想上の出来事なんじゃないかというくらい、今の自分には雲をつかむような話。
そのうち気持ちが浮上するだろう、がんばろう。
最後通牒
同じようなことで何度も何度もケンカをして距離を開けて、結局元通りになって、そしてまた同じことでケンカして…を繰り返している私たち、はたから見ればコントみたいなんだろうな。
まーた仲直りしちゃったよ、どうせうまくいかないんだから別れちゃえばいいのにねぇ、・・・というふうに見えるのかもしれない。
確かに別れちゃえばいいのかもしれないとも思う。
でも毎回、未練か、情か、なにかにほだされて別れられない。
なにもしなければうまくいかない二人が、放っておいたら壊れてしまうものを、なんとか持ちこたえさせようとして、「努力」を持ち寄ってはみるんだけど、少しずつ見当外れな「努力」ばかりで、努力すればするほどどんどんおかしなほうに・・・ってなんかもうコメディの筋書きみたいだ。
今日、思いやりのない彼に、最後通牒を出した。
本当は私もさみしいけど、ここでさみしさに負けては元のモクアミなので、できるだけ毅然と、冷たい言葉で、彼に最後通牒をつきつけた。
結果、どうなることか。
もう嫌だ。
IKEA港北店
ぷらっとIKEA港北店
へ。
平日だったので、もうだいぶすいていた。
安いし、しれっとかわいい家具やグッズに心弾みつつ。
スウェーデンの人はここをニトリ感覚で使ってるのかぁ、いいなぁ(笑)
フードコートも安い。
ドリンクバーは200円だし、メインディッシュ(スパゲティ・カレーなど)も4~600円だし。
まぁ冷凍食品ということで味は・・・だけど。
最近、こういう家系のグッズに心弾む。
やはりそろそろ家を出て一人暮らししなきゃって心の声かしら…。
さてインテリアといえば、「ZARA HOME」が早く日本に上陸してほしい☆
これはZARAのインテリア・キッチンウェア・雑貨部門で、このあいだスペインに行ったときに入ったんだけどかなりハイデザインなグッズが超お値打ち価格で売ってて、私は感動しちゃいましたよ。
このサイト 見るだけでほんと、いいかんじ。
好きの反対は
「好きの反対は嫌いではなく無関心」
とはよく聞く言葉だがそのとおりだと思う。
好きだった人のことを忘れるとき、私はまずなぜかその人を嫌いだという感情が出てくる。でもそれは単に「もう私は彼を好きじゃないのよ」という自己暗示だったりもして、
「あぁこんなふうに嫌いに思うなんて私すっかり彼のこと好きじゃなくなったんだわ」
なんて思っていると足元をすくわれて急に感情がこみ上げてきたりする。
そりゃそうだ、「嫌い」というマイナスのものであれそういう強い感情を持つこと自体、まだ心が積極的に彼に向いている証拠なのだから。
そしてすっかり年月が過ぎ、
「そういえば最近すっかり忘れてるなぁ」
と無関心になって初めて、彼を好きという状態から脱却できたと本当に実感する。
という、失恋後毎度おなじみ「好き→嫌い→無関心」の心の動き。
これが他のことにも当てはまることに最近気づいた。
それは青春に対する気持ち。
20歳前後の、若気の至り的な発言、勢いだけの行動を見ていると、最近やけに虫唾が走る(笑)
最近まではそういう「オールアバウト若さ」に共感もしていたのに。
急になんだこの嫌悪感。
たとえばレストランで若い子が隣に座っていると、話が聞こえてくるのを疎ましく思うようになった。
最初はこれって嫉妬かなーやだ私バカだなーと思っていたけど、だんだん自分がそういう若さに嫉妬しているのではなく、若さを嫌っているのだと気づいた。
きっと今が「単なる若さ」の脱皮期間だからで、そのうち無関心になるんだろう。
「近い過去が一番ダサい。80年代に人は70年代を馬鹿にし、90年代に人は80年代を馬鹿にし70年代を新しく感じる」
というのと同じこと。
不思議な心の動き。
不倫
- 不倫は、するのも、誰かがしてるのを見るのも、もちろんされるのも、嫌だ。
- 一時期、周りの友達で何人か不倫している子がいた。
その子たちに対して自分の意見を言うときに、ただただ自分の偏見で正義を押し付けることになってはイカンと思い、不倫について頭をひとしきりしぼって考えたけど、結局やっぱり不倫に「嫌悪」に近い感情を抱く自分がいた。
頭ごなしに否定はしなかったし、きちんと各事情を消化してから考えをまとめたつもりだけど、やはり、伝えた言葉は強い言葉になってしまったと思う。
偏見かもしれないが、多くの場合不倫をする女性は弱くて流されやすくて優柔不断という共通点があるような気がする。
- でも、時々エゴと欲が赤ん坊みたいにむきだしになって、その人の人格のすべてで不倫をするような人がいて、私は不倫を嫌悪しながらも、そういう人の強大な磁力にひきつけられてしまう。
- 多くの女性が、歪んだ磁場にハマって不倫から抜け出せなくなるのと違い、明らかにそういう人は自身から強大な磁力を発生させ、磁場を歪めている。
- 女性の泣き顔の表紙が印象的なこの本
- 神蔵 美子
- たまもの
これは、神蔵美子という写真家が、二人の男性の間を揺れる何年かを、写真と日記で記した写真集。
彼女は結婚中に不倫して離婚し、その後その不倫相手と結婚するもまた別の妻帯者と不倫し、離婚した。その一部始終、実在の二人の男との三角関係生活を実名・写真つきでつづる。
と書くと不品行でだらしない女の記録のように思えると思うけど、まぁまさにその通りなんだけど、超自然のものに触れたときのような畏怖・異質な感じにひきつけられて、写真集にしてはけっこうな文章量を、一息つくまもなく読ませられてしまった。
一種、オカルトと言ってもいいような独特で強い、「異」なかんじ。彼女の持つ強大すぎる磁力によって歪んだ磁場を、のぞき見るようなかんじ。
読み終えて、不倫に対する私の批判的な考えは微塵も変わらないけれど、ここまで放埓な彼女を、こんな不埒な写真集を、なぜか嫌悪することができない。ただ圧倒されている。
不倫はよくない、当たり前のことだ。
手と手をからませた写真をプロフィールに載せた自己愛たっぷりの不倫ブログにはかるく嘲笑する気持ちにすらなる。
どこかから借りてきたような陶酔しきった文章や写真によって、自身の現実を直視できていないことがバレバレで、書く人の程度が伺われるからだ。
だけど不倫でも傷害でも、なんでもそういう強い感情が生まれる事象を、自我の強い人間が、切実で肉迫した文章や写真で書き留めたり写したりしたものには。
その事象自体をよく思わない私でも、「不倫」だとか「傷害」だとかいうことを超えて胸を打たれゾクっとさせられてしまうのだということに私はとても驚いた。
同じ「磁場を歪める」強い女性だと私が感じたのが、乳房、花なり。 という本を出している宮田美乃里さん。
この本はガンで余命いくばくもないことを宣告された彼女が、切除した左胸をあらわにした写真をアラーキーに撮影してもらい、自身の読んだ短歌と共に発表した写真集である。
(詳しくはこちら「きっこの日記」より )
この人の場合不倫どうこうではなく、上記写真集と同じように「自我の強い人間が、切実で肉迫した文章や写真で書き留めたり写したりしたもの」の作者として、強い磁場を感じる。
と、理屈っぽく書いてみたけど、これはとても感覚的なもので、単に二人の顔から受ける印象の「強さ」の相似性からかもしれない。
目に見える量で安心を得るという幼さ
損得で
すべての価値が決まるとでもいうかのように
勘定ばかりして
自分が今持っているものを
何ひとつ逃すまいと
必死でかき集めていた
でも
全部を手に入れることが幸せなのではなく
どんな選択をするにしても
「これさえあれば、私は踏ん張っていける」
と信じられる「ひとつ」を見つけられることが
たぶん、幸せというもの。
目を、養わなくてはいけないね。
