Thinking and Sinking -12ページ目

友達が

「雨が降りだしたとき、目の前に干してある洗濯物を、早く取り込まなきゃって頭では分かっているのに、どうしても取り込むことができないことがある」

と言っていたことがあった。

私にはそれがどうしてなのか、さっぱり分からなくて


「どうして??」


と聞いたら、


「どうして、って答えられる問題じゃぁないのよ」


とそばにいた友人に諭された。


そのときは「どうして取り込めないのか」も「なぜ”どうして”と問う問題じゃないのか」もさっぱり分からなかった。









今はおぼろげながら分かる。


どうしてか今その状態になっていて。


脳と手足の間に、ぐにゃっとした間がある。








やっぱりどうしてかは分からないんだけど、なぜか自分に納得してしまう。

好きに慣れる

あるサイトになるほどなぁ、と思うことが書いてあった。



長くお付き合いを続けていると、その人のことが本当に好きなのかわからなくなるときがあって
妙にイライラしてしまったり、内容のない電話を鬱陶しく思ってしまったり。
でも、それって多分さめてしまったわけではなく、やっぱり別れを想像したら怖くなったし、なかなか会えないと寂しくなったりもして。
ちょっと言葉では表しにくいのですが、「その人のことを好き」という感情に慣れてしまった。って表現が一番近い気がします。

それって、理想的ではないのだろうけど、まぁそうなってしまうものなのかなぁと。
感情が落ち着ちつくという表現をよく耳にしますが、それとはまたちょっと違った感覚なんですよね。「好きだ」という気持ちの量は変わらないんだけど。



なるほどなるほど。


「好き」に慣れる!

うんうん、と首肯。

漠然とモヤモヤとした不安な気持ちは、その正体が判然としないから不安が増し一大事なような気分ををあおられるわけだけども。


こうして正体が判明するだけでなんら脅威ではなくなる。

正体見たり枯れ尾花、ってわけだね。

へとへと

虚勢を張って
見栄を張って
虎の威を借りて
傲岸不遜に

そうしていないと人前で息をするのさえ苦しい。



人を見下すポーズをとることで、
自分自身の心の安定を保って

そうしているうちに人と距離ができていく。



嘘にならない程度の自分自身の脚色はもう癖になっていて
でも、脚色すればするほど自分の中身が空洞になるようで
繰り返す、えんえんと悪循環。






本当は自分を見失ってもう久しいし
焦りから詰め込んだ予定は、消化することだけにしか用がない。

なにかを見つけようとして、
見つからない。

もういい加減自分が苦しい。






どうしたら虚飾で固めた自分を
精一杯誇るそぶりをしなくてすむんだろう。





見下されたくない。
自信がないのにプライドだけ高い。






自信。

自信がないからなんだろうな。





こんな裸の王様をいつまで続けよう。
そういえば子供に裸を指摘された後、王様はどうなったのかな。

自分の目に自信を持って、流動する価値に流されなくなることはできたのかな。






ぐるぐる思考は巡って、行き着く答えはいつも同じ。

「何か新しいことを始めてみよう。」

この思いはいつも、行動につながる鍵ではなくて、口に出すだけの単なる願望。

幼い、おぼろげな、リセット願望が形を変えたもの。

渇望や切望や熱望は、常に人を動かす原動力となるけど

おぼろげな願望なんかでは、理想ばかりが高くなり、私はまた一枚虚飾を着ることになって。

またそこでうずくまる。







もうだいぶ長い間、間断なく襲ってくる惨めな気持ちに負けないように自分を奮い立たせていて。

苦しい。

あまりに自分が自分に自信を持てずにビクビクとして、もうどうしようもない。








えんえんと、この自分を続けて、おそらくこのまま60歳になることもできる。

今すぐやめることもできる。

そうやって結果の予測はできるのだけど、でも、
では、どうすれば、そこにたどり着くのか、その手段については
予想することさえ難しい。




不満を願望に変える

不満を「不満不満!!」と伝えるのではなく、

願望として伝えたら、それだけで二人が仲良くいられる。


ということをもう二度と忘れないようにいつも心に留めておこう。



それにしても私は小さなことを不満に思いすぎだ。

忘れっぽいし、気が短い。

私はいい意味でも悪い意味でも理性的な人間だと思っていたけど、

感情という天災の前に、まるで無力。

感情に首輪をつけて、支配の及ぶ範囲を規制したい。

サンボマスターを味方につけた

sanmo



会社に行く日数も残り少なくなってきた。


巣立つ、というのは案外すんなり美しく、とはいかないもので、
最後の最後まで人間関係は泥臭く、もがいてようやく片足出して、と四苦八苦。

これでは巣立つというより這い出る、というほうがふさわしい。

人間関係のしがらみは、出ようとする者にからみつく。



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1人、思うにとても理不尽な同僚がいる。

彼女の理不尽なふるまいや嫌味・居丈高な言動に対し、
「どうせあと少しなんだから」

と巣立つことを言い訳に自己主張を諦めていた。

自分が正しいと思うことでも、それをぶつけて波風が立つのを恐れてすべて我慢するようにしていた。

自分が我慢すれば丸く収まるのだから、という処世術。

自分を守ることを放棄して、相手を攻撃しないことに徹している。


退社間際という時期がそうさせるのか、

もともとの私の性分が悪化したのか。

多分両方だな。



あーあ。

もういやだ。



そうこうしてたら最近、
事を荒立てずに、刃を人に向けずに、人の心を逆なでしないように、

そんなことばかり得意になりすぎて、自己主張の方法を忘れてしまった。



こんな弱い、気の小さい、言いたいこともいえない、こんなことでいいのかと、

自分の情けなさ・弱さが悔しい。


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会社帰り、渋谷へ。

山手線のホーム。

駅張りのタワレコのNO MUSIC, NO LIFE ポスター。

今回の被写体はサンボマスターと高田文夫。
いい組み合わせで、いい絵だ。

サンボマスターに特別な思い入れはないけれど、今日見たこのポスターはやけにありがたかった。



あー。なんかまっすぐ歌を歌ってる人たちだ。

大丈夫だ。私も。

サンボマスターのこのポスターを見て、

安心感。心強さ。味方を得た感じ。全肯定してもらった感じ。

とにかくありがたかった。



これはボーカルの山口さんが仏顔だからってだけじゃないはずだ。



サンボマスターに、勝手に元気付けられた気になって、自分を肯定的に見ることができるようになって、初めて気づいた。



あぁ、私は、自分のしていることへの矜持が足りないのだな、と。

矜持を持っていればこそ人は、戦えるのだな、と。

きっとサンボマスターは、自分たちの音楽に矜持を持ち、だから戦っていられるんだ、あんなに泥臭いのに、かっこいいんだ、年をとっても、まっすぐなんだ。

すべて置いて旅立つ私には今、会社においてその守るべき矜持がないのだな、と。

だから刃を向けてくる人と、戦えないのだ。



それが、私の「退職」なのだと思うとこの3年以上はなんだったんだと思う。



そう思いつつ、暗い気持ちではなく、心がとてもとても力強い。


サンボマスターを味方につけたから。




私もやってやらねばだ。

なんだか晴れ晴れとした気分で、心は暖かく。




ゼロ地点。目黒。

目黒の商店街の、なんでもない看板を見て、そのユーモラスな風合いを伝える相手が隣にいないことに、すごくさみしくなって、そしてようやく気づいた。

思いを伝える相手が隣にいてくれることだけが、一番の願いだったのだなぁ。

それ以外の「ああしてほしい」「こうしてほしい」「なんでこうしてくれないの」は、すべて余計な願いだった。


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昨日、久しぶりに彼と大喧嘩をした。

今日は携帯を持たずに会社へ出かけ、2~3の用を済ませた後、目黒の庭園美術館に行った。

企画展示である「北欧のスタイリッシュデザイン展」を見たあと外に出ると、夕方の曇天。


うすら生暖かい風に吹かれて、庭園内の大木群がその巨体を繊細に揺らしていた。

灰色と、濃い緑の対照に、私は胸がざわざわして、落ち着かない気分になった。


まっすぐ帰れずに、駅の反対側、目黒通りをぶらぶら。


そしてレトロな商店街の感傷に。そこの人の生活のにおいと、その中でまるで孤立している自分に。夕方という時間がゆえに目の前にかかる、灰色のフィルターに。目黒のいたるところの上空にぽっかり開く、都会とは思えない「だだっぴろい空白の空」に。誰ともその面白さを分かち合えない、一人で発見したユーモラスな看板に。



すべてに私はえもいわれず強い強い不安を感じた。

強い孤独を感じた。



こういう、えもいわれぬ不安は、それでいて実は浄化作用があるように思う。


火事のときに本当に必要なものだけ持って家を飛び出すように、

こういう不安のあるときには、シンプルに本当に自分の大事なものだけがきわだってくる。

そして、今まで絶対!と望んでいたものの多くは、余計なものだったと気づく。



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家に帰ると、置いていった携帯電話、彼からの着信があふれていた。


会って、お互い謝って。


そして、目黒の街中で今日見つけた看板のユーモラスな風合いを心置きなく彼に伝えた。





おそらく私はこれからも、大事なものは何かをたびたび忘れるだろう。


そうしたら、自分の心が欲と決め付けでうずまいたら、また曇りの日の夕方目黒に行こう。

たまに完全な日もある

心が幸せで満たされておぼれそうなくらい。

と言う感覚を、彼といて半年ぶりくらいに味わった、土曜・日曜。


いつも、好きだけどケンカばっかりで彼を恨んだり自分のことをダメダメだとがっかりしたり、そんな半年を過ごして久方ぶりの休息。パックス=ロマーナ。

すごく、幸せが完全なように感じた。

二度とケンカなんかしなくて済むと確信した。

日曜、終わって月曜の朝。

さっそく口げんか。

なるほど、完全なものはもろい。

スーパーマリオのスター期間は短い。

盛者必衰。

うーん。


丁度僕なんかのように 君なんかのように

不完全なもんが合わさって

たまに完全にみえるんだ

でもすぐにその角度を忘れてしまうんだ



とレミオロメンも「モラトリアム」の中で歌っていた。

定期を落とした

昨日、絶対落とすはずない!と思っていた定期を落としてしまいました…
というとなんだかオオゲサですが。



去年の暮れにも定期を落としたことがあって、それ以降は


定期を絶対に落とさないためのクセづけ

をせっせと意識のうちに行うようにしていました。

にもかかわらず、昨日定期を落としてしまって、注意してたぶん、どこでどうして落としたのかもさーぱり思い当たらず。



結局、期限も近かったしいいか、と思って新しい定期を買った1時間後に、

「落し物ありましたよ」

との連絡が。



誰かにいたずらされたような気分。



母いわく、これはきっと神様とか仏様が、

「近いうちに起こるなにかに備えておきなさいよ」

と注意を促してくれているのだ、ということらしい。



うーん、そうかも。

これが落としたのがお財布とかだったら、

「あーあ、ショック。私ってホントバカ」

で終わるけど、



「念入りに気をつけていた定期」
をわざわざ失くさせるあたり「見えざる手」を感じる!?



なんてね。



迷信深くもない私だけど、
まぁこういうのって虫の知らせって言うのかもしれないと思って、気をつけマース。

またまたまたまたケンカ

おかしい。

もう私の頭がおかしいに決まっている。

なんでまた10日しかたっていないのにケンカをしてしまうのだろう。

今日なんてケンカになりそうな予感は何もなかった。

ただ二人で別れを惜しんで車にいただけ。



いつのまにか、彼を責めていた。

彼が冷たいと言いがかりをつけ(彼はそこまで冷たくはなかった、多少無神経なくらいで)

彼のせいで不安になるのだと彼を責めた。



私は浮気のひとつもしたほうがいいのかもしれない(しないけど)

彼に執着しすぎて彼に依存しすぎて、彼を責めてしまう重さを分配したい。

怒らない彼をいいことに私はどんどん増長していく。



「すきって気持ちを言葉とか態度に出してくんなきゃわかんない!そうやって冷たいから私もどんどん不安になって責めちゃうんでしょう?!」

だなんて、馬鹿だもう。

表面上の言葉や態度でしか彼の気持ちを量れないほど私は鈍感な人間なのか?

彼がしっかりした愛情を持ってくれていることにはきちんと自信があるはずだ。

その上で彼がちょっと気もそぞろだったりぼーっとしているのを、なぜ許せない。

自転車のチェーンとかを巻くときに「ちょっとあそびを持たせないとね」って言う、あの「あそび」。


あの「あそび」が私の心にはないんだ。

キツキツで。

ぎゅうぎゅうで。




でも、なぜ彼に。


元彼にも家族にも友達にも、こんな理性でコントロールできないわがままな面は見せてこなかったし、自分自身こんな自分に初めて出会った。





彼の言う


「かわいげがないよ、そういう態度とられると逃げたくなる」

とかの脅し文句を、本気では受け止めず

「口ばっかりだろ、どうせ離れていかないだろ」


ってタカを括る余裕はあるのに、彼の表面的なちょっと無神経な態度を許すあそびはない。


つまり本当のところ私は、

彼の気持ちが不安、とか、彼と自分との気持ちの温度差が不安、とかじゃなくて、


ただ、

彼が自分の思うとおりに私を愛してくれないことが不満


ってだけなのかな。


最悪だ。



彼の彼なりの精一杯の愛を目いっぱい感じているのに。


結婚を考えて将来設計を立ててくれる彼に驚かされたり、思いがけぬ日に会いにきてくれたり。


でもだめなんだ、些細なことですぐに「首を切れ!」とわめく不思議の国のトランプの女王様みたいだ。





とりあえず二週間時間をもらった。


メールも電話も会うこともしない二週間。


頭を冷やそう。


よく、考えるんだ。






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上の文章を書いて1時間、

彼からメールが来た。

来ないはずだったのに。

「ちょっと時間を空けて、友達や仕事とか他のことに目を向けて見るね、2週間連絡取らないでいよう」

と言って互いに了承して別れてきたのだから。

「おれはメールできないとすごく寂しいし日曜は会いたいから会おうね、おれはgunnerが好きなんだよ」

とのこと。

ケンカの前と後で変わらないやさしい文面にホッとしたけど、

「こうして甘やかすから私がつけあがるのに…」

とか

「おそらく彼は、はいはいしょうがないな、おれが折れますよ、みたいな簡単な気持ちでこう言ってるのかも・・・」

とか

「これってもはや共依存・・・?」

とか被害妄想的なことをあれこれ思う。





もういやだ、本当に嫌だ。

謝っても、また同じ事を繰り返す学習能力のない無能な自分が。

いや過ぎる。

どうせまたすぐケンカ。

もういっそ終わってしまえば楽になるなぁなんてこれまたどこまで本気なのかもう嫌だ自分が。

女26歳、生き方に迷う。

女友達3人でディナー。

1人は、バリバリ働きながら休みの日には習い事もする行動派の子。
目に見える価値のみを重んじるタイプ。

1人は、3年働いた会社をやめて、今は各国を旅して歩いている子。
目に見えない価値も重んじるタイプ。

そして私。
せっかく好きなことを仕事にしているのに、ぬるま湯みたいな職場に甘えて向上できない、中途半端な子。
目に見える価値に縛られながら、目に見えないものも信じていたい甘ちゃんロマンチスト。

この3人、もうかなり長い付き合いだけどつかず離れずでこうして時々お茶をする。

この中のバリバリ働く子(仮にバリ子ちゃん)がこの間、彼女の友達で一般職の子(仮に般子ちゃん)に会ったときに、
「バリ子の会社ってアフター5まるでないの?そんな生活信じられない」
と言われたことで憤慨していた。

「アフター5あるの?今どき信じらんない」
とバリ子ちゃんは言い返してやったそうな。

うーん。
私はバリ子に「アフター5がないなんて」という言葉をかけたくなった般子ちゃんの気持ちが分からなくもなかった。
言葉選びがまずいことは言うまでもないが。

バリ子はちょっと前のマンガに出てくるようなプライドの高いキャリア志向の女の子で、仕事も習い事も充実したバリバリの生活を送っている。
出世欲がない子には
「そんなのもったいない!」
と変なものを見たような言い方をする子だ。

「よく働きよく学びよく遊ぶ」
これら全てで高い成果を収める生き方しか認めないようなところがある。
彼女は彼氏に振られた後でも、振られたときのシチュエーションで自分がいかに素晴らしい応対をしたか、というような話ばかりして私たちに弱音は吐かなかった。
こんな子だから、きっと一般職で気楽にアフター5を満喫する般子ちゃんの生き方をダメな生き方だとレッテルを貼っているのが見え見えなのだろう、だから般子ちゃんのプライドに触れたのだと思う。

と、ふと思いつつも、
こういう風に般子ちゃんの肩を持ち、バリ子の一面的な考え方・視野の狭さを「どうなの?」といぶかしむ私はやっぱり
「せっかく好きなことを仕事にしているのに、ぬるま湯みたいな職場に甘えて向上できない、中途半端な子。」
こんな自分に自信がなくて、バリ子に反対したいだけなのかもしれない。


自分に自信のある人は、他人にも寛容だ。
自分に自信がない人だけが、他人に難癖つけて手厳しい。


私も、バリ子も、般子ちゃんも、皆同じ。
本当はまだ自分の生き方に自信がないんだ。


人がどうであろうが私は私。

っていうオリジナル感覚をまだつかめないから、人に倣ったり人に反発したりして自分の生き方に正誤をつけたがるんだ。