ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2018年タラワ、マキン御慰霊行 目次(鋭意更新中)
母娘ふたりガダルカナルの旅 最新 第十一話 (鋭意更新中)
マキン環礁 その四 オンチョンワーフ
マキン環礁 その三 コンビニで常温ビール より続いております。
現在地は宿泊先 Council house キングワーフ付近を拡大して
↑グーグルアースの位置関係を当時の↓米軍戦闘経過図に書き込むと
現在地Council houseよりメインロードを左オンチョンワーフ方面へ
進行方向右はイエロービーチながら・・・ 豚や
鶏に阻まれ
中々ビーチへ進出出来ず
漸くビーチへ 此処が米軍上陸地点イエロービーチであります。
人為的石積み
はて・・・ 現地の方々が使用している気配はない
戦時日本軍が構築した防塁であろうか・・・
さらに歩を進めるとコンクリートの構造物
この一帯はビーチより海へせり出しているようだ・・・
先端付近にコンクリート構造物
接近して海側を見ると・・・
嗚呼・・・ 此れは
拡大して見る
明らかに着弾痕であります。
現在地は↓米軍のマキン陥落戦闘要図、オンチョンワーフ
赤く書き込まれたGunマークであります。
Gun = 大砲に関係する構造物のように思えます。
昭和17年8月17日~18日 マキン奇襲の戦闘要図
↑マキン奇襲の際はオンチョンワーフがで戦闘が行われたようには見て取れません。
こちらは昭和18年11月20日~23日のマキン陥落時の戦闘要図
イエロービーチから上陸した米軍は東西に分かれて侵攻、
この銃弾痕はマキン陥落時の戦闘により遺されたと考えて間違いないと思われます。
残念ながらこの銃弾痕を裏付ける資料を未だ拝読しておりません。
生きて語り継ぐべき方が居られない戦場は此処に限らず数え切れぬ程あるのでしょう。
銃弾痕は此の地で過去に何があったのかを語りかけて来るようでありました。
つづく
此の地を訪れる為、慌てて勉強したマキン・タラワの戦い
最後まで勉強し切れて居りません。
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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勇一三〇二
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
お立ち寄り戴けましたら幸いです。
新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。