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タラワの戦いを勉強してみる その1 より続いております。

故あって、ソロモン諸島ガダルカナル陸上戦と並行しキリバスのギルバート諸島、タラワの戦いについて調べる事と相成り一から勉強しております。

 

タラワの位置関係は↓であります。

 

ガ島戦を研究していると、ちょいちょい

「なんでこんな遠くまで進出したのですか」

と質問を頂戴する。

 

「米国と豪州の連絡を途絶する為、FS作戦(フィージー・サモア進攻作戦)が計画されその前進基地としてガ島にルンガ飛行場を造成したのですよ」

この回答でご質問された方は概ね納得して頂ける。

 

今、正に 

何故、太平洋のど真ん中にあるタラワへ進出したのだろう???

正直、切実な疑問であります。

 

そんな疑問に応えてくれそうな書は

戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦(1) 昭和17年5月まで

戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和17年6月以降

この辺りにギルバート諸島・マキン・タラワの戦いが収められていそうな気配だっので注文してみた。

 

昨日、届いた戦史叢書 やはりギルバート諸島の攻防はこの二冊の中でした。

この手の書は拝読しているうちに睡魔がグイグイ襲って来るのが難点でありますが、詳細な記録が残されており基礎資料としては欠かせない書であります。

 

戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦(1) 昭和17年5月まで

のまえがきに・・・

開戦劈頭、ハワイを攻撃し、南方資源確保のための南方進攻作戦を容易にした。

これと並行して、開戦初期に実施したグァム、ウェーキの攻略およびハウランド・ギルバート攻撃ならびに引き続き実施したビスマルク諸島方面の攻略作戦は、西太平洋の対米態勢を整えた。

これらの作戦は、主として海軍が担当し、陸軍の南海支隊が協力し、きわめて順調に経過した。

 

一方、ハワイ攻撃で被害を免れた航空母艦を基幹とする米機動部隊は、まもなく反撃に転じ、昭和17年2月1日マーシャル方面の空襲を皮切りに、ラバウル(空襲を断念して途中で引き返す)、ウェーク、南鳥島、ラエ、サラモアという空襲を矢継ぎ早に実施してきた。

日本海軍は開戦初頭、西太平洋の敵兵力を駆逐し南方資源地域を攻略する等、長期不敗態勢を概成するまでの作戦を第一段階とし、その完成までを第二段階とした。

 

この第一段階が予期以上の成果を収めた結果、米主力艦隊の邀撃撃滅と外郭敵前進基地の奇襲破壊とを主な内容とする第二段階作戦は、その性格を改めざるをえなくなった。

すなわち、戦局は飛躍して、従来具体的に研究していなかった局面に入った。

したがって、大本営陸海軍部、連合艦隊司令部の三者のおのおのの作戦思想等の相違もあって、次期後送は早急に決しかねた。

そのため第一段階は三月上旬に終了したのに、インド洋機動作戦を実施して、第二段階作戦への転換を四月十日に伸ばす様な処置がとられた。

 

わが海軍は、この作戦期間の内容を第一期作戦として五月にポートモレスビーおよびナウル、オーシャンの攻略二期作戦として六月にミッドウェーおよびアリューシャンの攻略第三期作戦としてフィジー、サモア、ニューカレドニアの攻撃破壊のそれぞれ作戦を計画した。

ところが実施の結果、第二期作戦まではアリューシャン攻略作戦を除いて敵の機動部隊に阻止され、いずれも失敗に終わった。

特にミッドウェー作戦では、航空母艦四隻を失い、空母勢力の恢復には相当の時日を要することとなり、次期作戦に間に合わないため、ソロモン、ニューギニア方面の航空基地捜索、設営作戦を促進せざるをえなかった。

 

八月七日早朝、ツラギ、ガダルカナルに敵の攻略部隊が上陸し、反抗が開始された。

以来、ガダルカナル島奪回のため彼我双方の争奪戦と航空撃滅戦が展開された。

 

ガ島奪回作戦が行われている最中の八月十七日早朝、敵はガ島方面反攻の牽制とも考えられるような潜水艦二隻をもってするマキン島への奇襲上陸作戦を敢行、約六十名のわが守備隊はほとんど全員玉砕した。

しかし、それから二日後に救援陸戦隊が急派されたが、敵はその前に引き揚げた。

 

ここまでが戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦(1) 昭和17年5月までにおさめられているらしい。

 

ミッドウェーとは関係なくガダルカナルに飛行場を設営したと理解していましたが、ミッドウェーで母艦四隻を失った結果、止む無くガ島飛行場設営だったとは・・・

 

愈々持ってミッドウェーの敗戦が対米戦争の分岐点だった事が理解出来ました。

陸軍の分岐点となったガダルカナルの戦いはこのまえがきを拝読する範囲では

「母艦四隻も沈められ仕方ないからガ島に飛行場を作るか」

であの飢餓地獄・・・

 

本記事の目的は何故タラワまで進出したのかという疑問の解決なのでグイッと飛ばして

戦史叢書・中部太平洋方面海軍作戦(2) 昭和17年6月以降 より 

アパママ、タラワの攻略作戦

アパママ、タラワ両島は、太平洋中部ギルバート諸島に属し、日米両国の一方においては米豪連絡線の、他方においてはマーシャルの防衛線の、互いにそれぞれの防衛に対する側方の脅威を形成していた。

よって日本軍は開戦初頭マキン、タラワ両島を攻略した。

しかし、その後、タラワ島からは兵力を撤収し、マキン島は、既述のように米潜水艦の奇襲上陸に対して奪回したばかりであった。

ガ島奪回作戦に伴い、連合艦隊は、その側方警戒と連合軍の後方連絡線妨害、さらに、連合軍の航空基地使用阻止のため、すみやかに、同方面をわが手中におさめる必要を感じていた。

 

こう読むと重要地点に思えて来る。

しかし、個人的には兵站限界をあきらかに超えていると考えるのは後出しジャンケンか・・・

 

昭和18年9月2日 海軍陸戦隊・谷浦隊 アパママ無血上陸に成功

翌3日、一部をアパママに残し、谷浦隊タラワ無血占領

※谷浦隊の隊長 谷浦英男大尉の著書 タラワ・マキンの戦い

 

未だ拝読中でありますがタラワ・マキンの戦いを見事に纏め上げた一冊であります。

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 


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