ガダルカナル戦書籍一覧
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ソロモン諸島 ガダルカナル島 御戦没者名簿(鋭意整理入力中)
2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
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母娘ふたりガダルカナルの旅 最新 第十一話 (鋭意更新中)
タラワ その八 鋼製トーチカ
タラワ環礁 その七 東端陣地南側 より続いております。
谷浦英男氏の著書「タラワ、マキンの戦い」↓376頁に掲載されている鋼製トーチカ
この他に鋼製トーチカがタラワに存在していたかを証拠づける写真は無いものかと探してみたところ・・・
なんと!! 鋼製トーチカのプラモデル があると知り吃驚
さらには楽天ブックスさんで販売されている「太平洋戦争の日本軍防御陣地1941-1945」
知らぬのは自分だけで知る人は知っているのだと当たり前のことに驚く。
そして・・・1943年12月13日のLIFE誌に掲載された写真を発見致しました。
The Fight for Tarawa (continued )とあります。
continuedは 続け で良いのだろうか・・・
破壊された鋼製トーチカの手前には御英霊の屍が・・・ 瞑目 低頭 合掌
戦争とは言え、敵愾心を煽り売り上げにつなげる為にこのような写真を掲載するLIFE誌には米国を感じます。
気を取り直して鋼製トーチカの部分だけ
自分が現地で見学させて戴いた鋼製トーチカ
下半分の腐食が進んでおります。
トカさん曰く、現在地の左4~5㍍地点にあったトーチカを基礎を造り移動させたとのことでありました。
下半分埋まっていたのではないかと想像します。
また移動した際、トーチカの出入り口を本来とは逆の海に向けて設置してしまったとの事。
トーチカの銃眼は内陸部、我々のエクストレイルを捉えておりました。
出入り口右脇の穴
大きな穴の周りの破損は小口径の小銃弾でしょうか・・・
大きな穴を内側から見ると貫通しておりました。
中から上を見上げて
丸い穴は戦後、何かに利用する為切り取られたのではないでしょうか。
再び外壁の被弾痕
こちらは鉄の二重壁構造の為、貫通しておりませんでした。
内陸に向いた銃眼の斜め左右に開く大きな開口部には重機関銃を据え付けるような構造となっております。
再び外より組立構造を・・・
ボルト止めの後、リベットで固定していったように思えます。
自らの位置を敵に知らしめる鋼製トーチカで死守をした陸戦隊員の胸中に想いを馳せてみる。
現在地を死守したのは ↓ 谷浦英男氏の著書「タラワ、マキンの戦い」から
佐世保鎮守府第七特別陸戦隊高射砲隊とある。
レッドビーチ1・2・3より上陸した米軍が現在地の東端陣地に到達したのは上陸四日目。
昭和18年11月24日
08:00 艦砲射撃の中止と共に海兵第六連隊第一・第二大隊はシャーマン中戦車2輌・スチュアート軽戦車7輌を先頭に、TNTと火炎放射器を持つ工兵続き200メートル前進。
何の抵抗も無かったとある。
いたるところら砲爆弾で引きちぎられた日本兵の死体が散乱ししている。
掩体陣地、塹壕、防塞などの迷路には多くの日本兵の死体が発見されたが、いずれも自決死体だった。
以上、谷浦英男氏の著書「タラワ、マキンの戦い」から
米軍が現在地に進出した24日03:00に陸戦隊は約300名で最後の総攻撃を決行されている。
此の地の陸戦隊員も戦闘能力のある兵は総攻撃に参加された筈。
従って今迄見学させて戴いた東端陣地で大きな戦闘は行われなかったのかも知れません。
鋼製トーチカを後に西方を望めば
愈々 タラワの20cm要塞砲が近づいて来ました。
つづく
此の地を訪れる為、慌てて勉強したマキン・タラワの戦い
最後まで勉強し切れて居りません。
過去の記事
第二師団歩兵第十六連隊 第三機関銃中隊長 亀岡日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊長 西山日誌
第三八師団 歩兵二二八連隊 第三大隊 第十中隊長 若林日誌
堺台第一拠点の記録
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歩兵第十六連隊 連隊本部 最後の人事係 准尉 長谷川榮作さまのホームページ
冥府の戦友(とも)と語る
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新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。