**これまでの話**
父が脳出血で深夜から明け方にかけ、救急搬送された。
妹・莉子とともに一度は病院に向かったが、父は意識がなく、入院手続きなどの説明だけ受けた二人は病院からそれぞれの自宅に帰宅した。息子を学校に送ったのち、休んでいたコオに、莉子がやるといった入院手続きを、かわりにやってくれという電話が入ったがコオはそれを受ける。途中で入院に必要なものの買い物を済ませ、コオは病院で、意識のない父に会う。
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「パパ、色々入院の準備のやつ持ってきたよ。今度、遼太と、健弥もつれてくるからね。お母さんがいなくなってから色々大変だったんだよね。遼太も健弥も、今年は受験だよ。本命はこれからだけど、健弥はとりあえず、私立受かってるからホッとしてる。行くとこはあるって感じ。公立の試験はこれから。」
コオは話しかけてみた。もちろん応えはないが、思ったより顔色はいい。
母が亡くなるときは、土気色だったけど、父はまだつやつやとしてるな、とコオは思った。モニターの中の血中酸素量の変化を示すカーブと、血圧を示すカーブを見つめる。父が脳出血を起こしたときは、これはどれくらい上がっていたのだろう?
まだ、実家と行き来があった頃、父に脳ドッグを勧めたことがあったことを、コオは思い出した。正月に酒を飲みすぎて、一時的に意識を失い、母はコオに電話をしてきて『パパが倒れたの』とコオに訴えた。父はただの急性アルコール中毒で、結局意識は取り戻した。しかし動揺している母に、コオは、父を脳ドックで検査するように、と勧めた。何もなければそれでいいから、と。
結果はいつまでも、コオに知らされなかったので、電話をすると母は言った。脳ドックに行って、父は、『全然問題なかった』と自慢気に結果を持って帰ってきたのだ、とあっさりと。あれは確かまだ、次男の健弥が1歳にもなってなかった10年以上前のことだ。あのあと、父は、定期的に検査を受けていたのだろうか。
コオにはわからない。昔からいつも母は、困ったときにしか、コオに連絡はしてこなかったし、そもそも、遼吾が小学生になってからは、コオの方から連絡を取るのは一切やめていた。母とのやり取りを思い出すと、母が亡くなった今でも、胸の中で、黒い虫がザワザワとうごめくような、もどかしさとやりきれなさを、どうすることもできない。
コオは頭を振った。いや、蓋をするのだ、今は。
ポツポツと、答えのない父に脈絡のない事を話しながら、コオは布団の上から、父の足を擦った。腕は点滴がついていたから。
「嶋崎さん、そろそろお時間ですが…」
遠慮がちに病院スタッフが声をかけてきた。
救急、特に父のいるERエリアは、面会時間は通常の病室とは異なり、かなり短時間に制限されている、と病院のスタッフが説明をしてくれた。コオは、ともかく短時間でもなるべく毎日来ようと思いながら、病院を後にした。
どす黒い感情には蓋をしたのだ。
娘らしいことをしばらくはしてみよう、そんなことを思っていた。




