あらすじ部分が長くなってきてしまったので、別記事に格納することにしました。ついでにタイトルを随時変更していきます。コオのバトルのDay表示をあたまにつけることにしました。

 

これまでの話、Battle Day0-Day86 のあらすじは、以下のリンクをご覧ください、

あらすじ BattleDay0-Day86

 

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  立石さんは、父は退院後、老人保健施設に2週間ほど短期入所してから自宅に戻ったのだ、とコオに言った。

 

 「え・・・?私知らなかったです。もう病院から直接自宅に戻ったものだとばかり。」

 「お姉さまにお知らせしなくていいのですか、と伺ったのですが、自分でやるから大丈夫です、とおっしゃって。」

 

 莉子は電話はしてこなかった。しまった。FAXチェックしてない。忙しくて・・・職場に泊まったりもしてたし、でも遼吾や子供たちも何も言ってなかった。

 

 「電話はもらってなかったです・・・でも、FAXは、トラブルがあったのかもしれません、あとでチェックしてみます。」

 「それでお父様なのですが・・・」

 

 立石は、父は1週間前に自宅に戻ったが、尿道カテーテルが取れていないので、入浴の介護サービスが必要なのだといった。しかし、未だに父は帰宅後一度も風呂にも入れていない、つまり入浴サービスを受けることができていないのだという。

 

 「?どういう・・・ことでしょう?介護認定、降りてるんですよね?」

 

 「ええ、要介護2です。ただ・・・妹さんが、ケアプログラムを決定できないんです。どのサービスを使うのか、こちらでご提案するんですけど、ちょっと待ってください、っていうばかりで。それに、主治医も、未だに決まってないんです。尿道カテーテルは、定期で交換しなければなりませんから、決めなくてはいけないんですけど。なんだか最初にご入院されたJ医大病院がいい、っておっしゃって。」

 

 「いや、それは無理でしょう。大学病院なんだし、そういうのは・・・多分近所のクリニックとかになるはずですよね。」

 「そうなんです。ともかく・・・主治医は自宅に戻った段階で決まってなくてはいけないんですが・・・・お父様、カテーテルのほかに高血圧もありましたよね?」

 

 「父は・・・血圧関係では確かずっと長いこと、近所の恵クリニックに行っていたはずですが・・・」

 

 コオは言いよどんだ。

 

 「そういえば・・・父が、言ってました。詳しいことはわからないんですけど・・・父が倒れる前に、父の付き添いで恵クリニックに行ったとき、なんか厳しいことをそこの医者にいわれてたって。病気の事じゃなくて、ただの注意みたいなことだったみたいですけど。それから、極端に恵クリニックに行くの嫌がるようになって…薬をもらわなくちゃいけないのに行けなくて、とかなんとか。そんな話でした。結果どうなったのかは知らないですけど。」

 

 

 

 

 

あらすじが長くなってきてしまうので、このあらすじ部分はリンク先として独立させることにしました。

コオの父が脳出血を起こして、自宅に戻るまでのDay86までのあらすじです。

 

**Day0からDay86までのあらすじ***  

 

父が脳出血で深夜から明け方にかけ、救急搬送された, と妹・莉子からコオは連絡を受ける。

ERに搬送された父は意識がなく、コオは父の死を覚悟し、それまで確執のあった実家の父や母、妹への想いはしばらく封印することを決心する。

 

 父は意識を取り戻し、順調に回復、大学病院から脳血管外科の専門病院に転院する。コオは、話をすることこそ、脳機能の回復につながると信じ、10年以上実家と連絡を絶っていた父と毎日のように面会をし、つかの間の穏やかな時間を送る。

 父の回復は順調であったが、父と同居しているのは妹・莉子であり、父に関する意思決定をするキーパーソンになる。しかし、莉子はあらゆる場面で動かず、遅々として手続きは進まず、コオはいら立ちを募らせる。FAXや電話でコンタクトしても、全く意思疎通ができないことに加え、父の入院時の常識外れな義兄への依頼の仕方、仕事を辞めた時の奇妙な経緯、被害妄想のような発言、などから、コオは莉子が鬱病かノイローゼではないかと疑う。莉子は父の退院がせまったころ、父を短期で老人保健施設に入れたいという考えをコオに連絡を取るが、まだ、その時ではない、とコオは反対する。

 

 コオの息子、健弥と遼太がそれぞれ高校と大学に入学し、仕事と子供たちの卒業・入学、加えて父の手続き関係で忙殺される中、父が退院。コオは、様子を父のケアマネージャーである立石にきくため連絡を取るが、実は父は退院後の2週間、自宅ではなく老人保健施設・北寿に入所していたことを知る。

あらすじ部分が長くなってきてしまったので、別記事に格納することにしました。ついでにタイトルを随時変更していきます。コオのバトルのDay表示をあたまにつけることにしました。

 

これまでの話、Battle Day0-Day86 のあらすじは、以下のリンクをご覧ください、

あらすじ BattleDay0-Day86

 

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 父は老人保健施設に2週間ほどいて、自宅に戻った。

 コオがそれを知ったのは、父が退院して、そろそろ3週間というところだったろう。コオは父が老人保健施設に入っていたのを知らなったので、自宅に戻って、そろそろ落ち着いたころだろう、と思っていた。父の事が気にはなっていたが、莉子と連絡を取る気にはなれず、ずるずると時間がたってしまっていた。ゴールデンウイークが来る前に、一度様子だけでも知りたいな。

 コオは、ケアマネージャーの立石さんに連絡を取ることにした。実は父が退院する前に、コオは、父のケアマネージャーの担当をお願いした際に、莉子と自分の関係がひどく悪く、莉子から父の様子を直接知ることは難しい、とすでに伝えてあった。

 病院のケースワーカーは、コオと電話で話をするたびに、『深谷さんの次女さん、莉子さんとなかなか連絡が取れないんです。留守電に入れても折り返しがないんです。』と何度も訴えていた。

  これも、また、奇妙なことだった。

  接客のアルバイトをしているなら、接客中は当然連絡は取れないだろうが・・・・折り返しもないのは奇妙だ。しかもフルタイムではないのだし、いやそれよりも、父が倒れて入院しているのだ。何かあった時のために常に電話を特に病院からの留守電はチェックするのが普通ではないだろうか。

 コオはそう思ったが、ともかく病院のケースワーカーには繰り返し、

 

 「緊急の時は私の番号にかけてください、お金のことも、深谷莉子と連絡が取れなくてどうしようもない時は私にかけて下すって結構です、責任は持ちますので、父をよろしくお願いします。」

 

と伝えていた。そういうことがケースワーカーから、ケアマネージャーにも伝わっていたのかどうかはわからないが、『父の様子を、時々教えてもらえますか?』といったコオに、立石さんは好意的であるように思えた。コオは病院と同じく、『妹の莉子と、連絡が取れなくて困ることがあるようなので、そういう時は自分に連絡をください。』 と伝えてもあった。

 

 「立石さんですか?深谷はじめの長女の嶋崎です。あの・・・父が退院して3週間たつので・・・そろそろ様子をうかがってみたくてお電話しました。父...どんな感じでしょう。」

 「ああ、お姉さんですか?お電話した方がいいかしら、って思っていたところだったんです。」

 

電話の向こうの立石さんの、少しだけ緊張したような声に、コオは、背中の皮膚の内側がザワっとするのを感じた。

 

 

 

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送されたのをきっかけに、実家と連絡を絶っていた娘のコオは、意識を取り戻した父との短いが穏やかな時間を送る。

 一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、電話・FAX・コオの夫遼吾を介してのやり取りを使っても会話が食い違い意思疎通ができず、険悪な状態にある。

父の入院から1ヶ月が過ぎたころ、 コオは自宅に父が戻っら介護サービスを受ける準備を始め、父のことを話したいという莉子と会う。

 莉子の言動の端々に違和感を感じつつ、父の退院にそなえてケアマネージャー立石に連絡を取るように言うコオ。自分の家族や仕事に忙殺される合間に、父の銀行通帳の手続き、莉子の代わりにケアマネージャー立石との連絡などを行っていたが、再び莉子から父を短期で施設に預けたい、という連絡が入る。コオは、金額的に「今はその時ではないと思う」と反対し、かねてから気になっていた、莉子はにもしかして精神的に病んでるのではないかと、ということを問いかけたが答えは得られず、いつものように、不毛なやり取りのまま、終わった。

 父の認定調査は終了し、コオは病院のケースワーカーから、認定調査の状況を聞いた。父の退院の日は迫っている。

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 父が、退院した。

これもコオのノートが途切れている間の出来事だ。ただし、父は自宅には帰らず、老人保健施設に入所したことを、コオは知らなかった。

 一人暮らしが確定した遼太の引っ越しでいっぱいいっぱいだったせいもあるし、父を施設に入れたい、と電話をかけてきたときの莉子に腹を立てていたせいもある。莉子のやつ、私は反対したんだから、今度は施設代にお金出してくれって言ったって出さないんだから。そして、あえて連絡を取ることもなく、コオは父の退院する日も病院のケースワーカーだったか看護士から知った。

 父が退院する前にコオが失敗したことがもう、ひとつある。

 それは莉子からのFAXだった。莉子は、結局、老人保健施設への2週間の短期入所を申し込んでいた。どこのの施設なのかを莉子は書いて送ってきたのだが、吐き出されたFAXが、物の影に落ちてしまっていたのだ。息子の入学や引っ越しなどの忙しさにかまけていたコオは、ろくに家の掃除もしておらず、結局落ちてアコーディオンのようにクシャクシャとよれたFAXをみたのは、父が既に施設も出た後だった。

 

老 人保健施設という施設は、いわゆる老人ホームとは異なる。空きさえあれば、日の単位での短期の入所ができる場所で、長期だと3ヶ月単位。自宅介護になるまでのバッファとして利用するというのが建前で、元気だと退所させられてしまうこともある。3ヶ月毎に、まだ施設入所が必要かどうか一応チェックが入る。最大でも基本的には1年程度ででる事が暗黙の了解となっている、そんな施設だ。殆どは行政管轄らしい。父の入った、北寿老人保健施設は、病院の大部屋のような6人部屋と、広めの個室があった。もちろん6人部屋のほうが格段に料金は安いのだが、莉子は6人部屋に空きがないといわれ、個室でもいいから、といって父を入所させたのだった。

 そんなこともコオは知らず、FAXも気づいたのは父が既にその施設も退所して、1週間近くしてからだった。

 

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送されたのをきっかけに、実家と連絡を絶っていた娘のコオは、意識を取り戻した父との短いが穏やかな時間を送る。

 一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、電話・FAX・コオの夫遼吾を介してのやり取りを使っても会話が食い違い意思疎通ができず、険悪な状態にある。

父の入院から1ヶ月が過ぎたころ、 コオは自宅に父が戻っら介護サービスを受ける準備を始め、父のことを話したいという莉子と会う。

 莉子の言動の端々に違和感を感じつつ、父の退院にそなえてケアマネージャー立石に連絡を取るように言うコオ。自分の家族や仕事に忙殺される合間に、父の銀行通帳の手続き、莉子の代わりにケアマネージャー立石との連絡などを行っていたが、再び莉子から父を短期で施設に預けたい、という連絡が入る。コオは、金額的に「今はその時ではないと思う」と反対し、かねてから気になっていた、莉子はにもしかして精神的に病んでるのではないかと、ということを問いかけたが答えは得られず、いつものように、不毛なやり取りのまま、終わった。

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 コオのノートが途切れている間、父の認定調査が終了した。認定調査の様子を、病院のケースワーカーと電話で話したという薄っすらとした記憶が残っている。

 印象的だったのは、父はかなりしっかりと受け答えをしていたこと、そして立ち会った莉子が認定調査後に、ドクターを相手に、《父は人がいると頑張っちゃうだけで、本当はしっかりなんてしてない。本当はなにもよくわかってない。家族だけになると危なっかしくて、放おっておける状態ではない。》というようなことを言ったということだ。

 

 「ドクターも、思ったより深谷さんはしっかりされている、とおっしゃってたんですけどね、娘さんが、そうおっしゃるので《そうか?》と。」

 「確かに、認知症の方が、他人の前では頑張ってしまって、ご普通に見える、っていうのはよく聞きますけどね…でも父は私の前でも割としっかりしてます。年齢なりのボケはあるかな、とは思いますけど。…まぁ妹は、どうも、父の状態を悪く考える癖があるみたいで。」

 

 もしかしたらあまりしっかりしてると思われて、介護認定が降りなかったら困ると考えたのだろうか。それならまだ理解できるのだが。

 いずれにしても、介護認定が降りるには、1ヶ月位はかかるでしょう、といわれ、コオは、やはり施設に入れるとしても介護保険は使えないだろう、と検討をつけた。

 施設についても、少しまた知識を仕入れないと。また響子に聞いてみよう。

 

 コオにとっては、年齢なりだった、父の状況。現役時代、いつもきちんと書類を処理して(今思うとそうでもなかった気もするが)、何でも早めに済ませて、予定の時間に送れたことのなかった父が、耳が遠くなり、物事の理解に時間がかかるようになり、書類の字がうまく読み取れず、何回も間違える。

 コオは、離れているから自分は受け入れられるのかもしれない、と思い、かすかに罪悪感も感じた。一緒に暮らしていた莉子には、おそらく我慢できないような辛いような状況があったのかもしれない。だから、私には自分は受け入れている、などと偉そうに言ったりはできない、できることは、様々な事務処理をこなすことくらいだな、とコオは思った。

 

 

 

 

このブログは小説の体裁をとっており、物書きの私Greerが文責ですが、

実際に戦っているのはK(コオのモデル)です。

合作なので、コオこと、Kへのメッセージも承ります

彼女はそれなりに有益な情報もこの戦争を通じて溜め込みましたので

同じようなことにお困りの方のお役に立てたらいいな、と私も思っております。

 

どんなに用心しても、どんなに予防しても、病気にはなるときはなります。

それでも、みんなコロナに感染しないように手を洗いマスクをし、免疫力をあげようとします。

メンタルの病気の手洗いやマスクにあたるものはなんなのでしょう。

 

コオは「私は20代の時に、ほんとに周りに迷惑をかけるバカないけない若者だった」

といいます。それを聞いて思ったのは

その時期に、大量にヘマをして人を困らし同時に自分も困った

そして、コオは学び、鍛え、成長したのではないかと思うのです。

若いときの苦労は買ってでもしろ、っていうことわざは、

年をとってからだと、鍛えることも難しくなるから、ってことで

でも、難しいけど不可能ではない。

だから、自分はまだ行ける、と思い続けることで莉子だって回復するのではないだろうかと、

そんなことを思ったりします。

 

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送された。2日後、意識を取り戻しERから別病院に転院し、実家と連絡を絶っていた娘のコオは仕事帰りの面会で父との短いが穏やかな時間を送る。
一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、会話が食い違い険悪な状況が続く。1ヶ月が過ぎたころ、 コオは自宅に父が戻ってから介護サービスを受ける準備を始め、父のことを話したいという莉子と会う。

し莉子に違和感を感じつつ、父の退院にそなえてケアマネージャー立石に連絡を取るように言うコオ。自分の家族や仕事に忙殺され合間に父の銀行通帳の手続き、莉子の代わりにケアマネージャー立石との連絡なども行っていたコオだが、そんな時に、再び莉子から電話が入る。父を短期で施設に預けたい、ということだった。コオは、金額的に「今はその時ではないと思う」と反対する。更に、かねてからの疑問、莉子はにもしかして精神的に病んでるのではないかと、問いかける。しかし、ヒステリーを起こした莉子は答える

「そういうふうに考えるのは楽よね」

 

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「…いい加減にしてよ。YesかNoで答えられる質問してるのに、わけわかんな答え方しないで。聞いてることには答えないで、またそれ?もう、勝手にしたら。立石さんには結局こっちで連絡したから後は好きにやれば。」

 

コオは激しく苛立って、莉子の声を待たずに電話を切った。莉子はプライドが高すぎるのだ、とコオは思っていた。精神的にやられている、という言葉を使ったが、その時に想定していたのは、鬱病・鬱状態・ノイローゼ、のようなものだった。

 長男が生まれる直前、コオはきつい仕事で鬱状態になった。あの時に、週末実家に逃げ帰って、辛い、と訴えたコオに、莉子は言ったのだ。

 

「みんな仕事って辛いんだよ。鬱とか言ってないでよ。自分だけだとでも思ってるの?」

 

 母も父も、何も言わなかった。子供の頃から、コオがひどい言葉を言えば叱られた。でも莉子はコオに何を言ってもよかった。いや、何を言っても父も母も咎めなかったというのが正しい。実家は決してコオの安息の場でもなければ、逃げてこられる場所でもなかったことをあのとき、コオは思い出した。母が死ぬまでに、何度、同じ間違いを繰り返したろう。ここは私の場所ではない。私の味方はここにはいない。何故いつもそれを忘れて何度も繰り返し傷ついているのだろう。私はバカだ。コオはあのときそう思った。

 あのときひどいことを言ったから、莉子は私に助けを求めないのかもしれない、とも思った。

 

 それでも、電話の向こうの莉子が、「私じゃできないの。助けて」と、言ったなら、幼い頃のように「お姉ちゃーん、できないよぉ、やって」といったなら、腹を立てながら、でもコオの体は莉子を助けるために動いてしまうのだろう。 

 私はバカだから。母の呪いが《莉子ちゃんの面倒を見てね》という呪いがずっときいているから。

 でも、莉子は、そうしなかった。

 ただ、電話を切った時に、コオは本当は思ったのだ。

 偉そうなこと言ったから引っ込みがつかなかったんでしょ。莉子の大バカ。どれだけ私が辛かったか思い知れ。

 もちろん、莉子が姉が辛かったことを思うことはなかった。いや、なかったと思う。その後も、コオは罵られることしかなかったから。

 

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送された。2日後、意識を取り戻しERから別病院に転院し、実家と連絡を絶っていた娘のコオは仕事帰りの面会で父との短いが穏やかな時間を送る。
一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、会話が食い違い険悪な状況が続く。1ヶ月が過ぎたころ、 コオは日本の”介護システム”について、友人・響子にレクチャーを受け、してもらい、自宅に父が戻ってから介護サービスを受ける準備を始める

 父のことを話したいという莉子と会い、莉子はコオに母の葬式代50万を請求、コオは、莉子に違和感を感じつつ、父の退院にそなえてケアマネージャーに連絡を取るように莉子に言う。それから数週間の間、コオは自分の家族や仕事に忙殺されるが、合間に父の銀行通帳の手続き、莉子の代わりにケアマネージャーとの連絡なども行う。そんな時に、莉子から電話が入る。父を短期で施設に預けたい、ということだった。

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「・・・私も、今ほんとに大変で、ちょっとパパの面倒を見れる、心の準備がないのね。だから2週間ほど、施設にいてもらおうかと思って。どう思う?」

 

莉子は、どう思う?といった。でも、コオの意見を求めていたわけではない。彼女は、決めていたのだと思う。何故なら、コオが

 

「今はその時じゃないと思う。」

 

と言った途端にまた興奮し始めたのだから。

 

「私はね、ほんとに、もう口じゃ説明できないほど大変でほんと毎日毎日、これほんとに私に起こってるの?っていうくらい大変なんだよ!?」

「でも、考えてみなよ。これからまだまだお金かかるんだよ?なのに介護認定も終わってないのに、施設なんて入れたらいくら掛かると思ってんの?施設に入れつもりなら、もっと早く介護認定頼んでおけばよかったじゃない。なのに、今からじゃ、認定間に合わないんじゃないの?だから、今はその時じゃないと思うよ。私は反対。そもそも、何がそんなに大変なの?いったい、ちゃんと説明してくれないと何もわからないんだけど?」

「お姉ちゃんは冷たいんだよ!!あんなFax送ってくるだけで全然思いやりがなくて…」

「ねぇ。ちゃんと聞いてることに答えてくれない?それともさ・・・あのさ、ちゃんといってほしいんだけど、もしかして、あんた精神的に病んでたりしない?それならそれで…」

 

 それが、コオが自ら手を差し出そうとした最後になった。

 精神的にやられている、何もできないの。だから、助けてと莉子が助けを求めたなら、コオは動くことができただろう。しかし莉子からの返事は、助けを求めるものでも、自分は病気ではない、でもなかった。

 

「そうよね、そういうふうに考えれば楽よね!」

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送された。2日後、意識を取り戻しERから別病院に転院し、実家と連絡を絶っていた娘のコオは仕事帰りの面会で父との短いが穏やかな時間を送る。
一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、会話が食い違い険悪な状況が続く。1ヶ月が過ぎたころ、 コオは日本の”介護システム”について、友人・響子にレクチャーを受け、してもらい、自宅に父が戻ってから介護サービスを受ける準備を始める

 父のことを話したいという莉子と会い、莉子はコオに母の葬式代50万を請求、コオは、父の希望する母の時同じケアマネージャーに連絡を取るように莉子に言う。

 莉子からの連絡はなく、コオが父と日々の面会を再び始めた時に、父から

「家の通帳の管理をしてほしい」と頼まれ, コオは引き受け、F銀行で父名義の2つの口座と複数種の年金を持つことを知る。

 

**************************************

 

 莉子から、父のケアマネージャーの連絡がないままに、3週間が過ぎた。

 息子たちの受験がに入り、行先だけはなんとかきまったが、卒業式の準備、高校・大学それぞれの入学の書類、父の毎日の面会で、コオも遼吾も、目が回る忙しさだった。職場の人手が、予定より2ヶ月も早く減ってしまい、コオは負担が凄まじく増えていたが、長男遼太の地方国立大行きが決定し、次男健弥も第2希望ではあったが私立の第一希望に合格したの嬉しいニュースが、気持ちを支えてくれた。もっとも、コオは喜びながらも、一人暮らしになる遼太が自分のような愚かな20代を送らないで済むように、生活に必要な知識を叩き込もうと必死になっていた。また、そんな時に遼吾は長めの出張がはいり、あらゆる事が重なってコオ達一家は忙殺されていた。

 

 このすさまじい忙しさの中で、コオの父ノートはこの時期ふつり、と途切れている。だからコオは父の関係で何がどの順番で起こったのか、詳細を思い出すことができない。

 覚えているのは、まず、3週間経っても、莉子は、ケアマネージャーに連絡をとっていなかったことだ。しかし、コオが市役所に電話をすると、母が介護サービスを利用したときの記録が残っていて、幸い、母の担当だったケアマネージャーの名前と連絡先を教わることができた。立石さん、という、実家からさほど離れていないところのケアセンターの人で、声だけからすると、穏やかな年配の女性、という感じだった。父の事情を話すと、今なら空きがある、担当できる、と言ってくれた。

 

 そして、もう一つ覚えている。莉子からきた電話だ。ずっと莉子からの電話を避けていたのに、何故その時電話に出たのかはわからない。莉子はあのとき、父が退院になったら、すぐは受け入れられない、短期で施設に預けたい、そういったのだった。

 

 

 

************これまでの話********************************

父が脳出血で救急搬送された。2日後、意識を取り戻しERから別病院に転院し、実家と連絡を絶っていた娘のコオは仕事帰りの面会で父との短いが穏やかな時間を送る。
一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、会話が食い違い険悪な状況が続く。1ヶ月が過ぎたころ、 コオは日本の”介護システム”について、友人・響子にレクチャーを受け、自宅に父が戻ってから介護サービスを受ける準備を始める

 父のことを話したいという莉子と会い、莉子はコオに母の葬式代50万を請求、コオは、父の希望する母の時同じケアマネージャーに連絡を取るように莉子に言う。

 莉子からの連絡はなく、コオが父と日々の面会を再び始めた時に、父から

「家の通帳の管理をしてほしい」と頼まれる。コオは引き受け、F銀行で父名義の2つの口座と複数種の年金を持つことを知る。

 

**************************************

 

 コオは、父がお金の管理をコオに任せたい、といったそのことだけで満足していた。

いくつになっても、親に認められたい、という承認欲求は強烈であることが自分でも分かっていた。

 今の仕事ができるようになるまで、時間がかかった。仕送りもしてもらっていた。でも、今自分は独り立ちして、結婚して子供もいる。色々な困難はあるけれど、親に頼らず、遼吾と乗り切ってきている。「あなたは一人で暮らしてけるような仕事を持ちなさい」と母が言ったように一応プロとして仕事もしている。。苦手だったコミュニケーション、お前はダメだ、と言われ続けていた人間関係も懸命に学んで・・・そして今は、助けてくれる友達もいる。メール一つで出てきてくれる長い付き合いの友達が。母が亡くなった、ときくと、大変だったね、といってすぐにお香典を渡してくれる友達達も。お母さん、パパ。私、ちゃんとやってるよ?

 コオは、どうしてもコオ自身が、今は莉子よりちゃんとやっているのだ、と親の口から言ってほしかったのだ。子供の時莉子にずっと向いていた親の眼を、自分に向けたかった。それだけだった。コオの一部はまったく”褒めて褒めて!”と親にまつわりつく幼い子供のままだった。

 だから父が、

 

 「あのなぁ、通帳の件なんだけど・・・お姉ちゃんに管理してもらおうと思ったんだけれど、莉子が、自分でやりたいっていうんだよ。」

 

といったとき、なんだ、つまらない、と思いながらも、言ったのだ。

 

「別にいいよ。あの子がちゃんとやるなら。別に私、通帳管理どうしてもしたいわけじゃないもの。ただ、手続きはしたけどまだ進行中だから、再発行がおわったら、渡せばいいんでしょ?」

 

 コオは言った。(私のお金じゃないし)とコオは思っていた。パパと莉子が二人で使うお金でしょ?使い方まで口出す気はないし。

 

「お姉ちゃんに管理してほしかったんだよなぁ・・・莉子は、もうパパのあの家を売って中古マンション買って引っ越すとかまで言って、ともかくお金について考えが甘いから・・・俺は、しっかりしているお姉ちゃんに管理してしてほしかったのに、莉子が自分がやるっていうんだよ。」

 

 その言葉は、コオの耳に甘く響いた。だから、父の言葉の底に潜んでいる危険な兆候に気づくことができなかった。

 全く無防備だった。

 今まで莉子を守り続け、実家にいることをゆるして懸命に働いてきた父を、莉子が今度は守ろうとしている、ということをコオは疑いもせず、ただ、父の”しっかりしているお姉ちゃんのほうに頼みたかった”という言葉をこのとき反芻していた。