************これまでの話********************************
父が脳出血で救急搬送された。2日後、意識を取り戻しERから別病院に転院し、実家と連絡を絶っていた娘のコオは仕事帰りの面会で父との短いが穏やかな時間を送る。
一方父と同居のコオの妹、莉子はコオと、会話が食い違い険悪な状況が続く。1ヶ月が過ぎたころ、 コオは日本の”介護システム”について、友人・響子にレクチャーを受け、してもらい、自宅に父が戻ってから介護サービスを受ける準備を始める
父のことを話したいという莉子と会い、莉子はコオに母の葬式代50万を請求、コオは、父の希望する母の時同じケアマネージャーに連絡を取るように莉子に言う。
莉子からの連絡はなく、コオが父と日々の面会を再び始めた時に、父から
「家の通帳の管理をしてほしい」と頼まれ, コオは引き受け、F銀行で父名義の2つの口座と複数種の年金を持つことを知る。
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莉子から、父のケアマネージャーの連絡がないままに、3週間が過ぎた。
息子たちの受験がに入り、行先だけはなんとかきまったが、卒業式の準備、高校・大学それぞれの入学の書類、父の毎日の面会で、コオも遼吾も、目が回る忙しさだった。職場の人手が、予定より2ヶ月も早く減ってしまい、コオは負担が凄まじく増えていたが、長男遼太の地方国立大行きが決定し、次男健弥も第2希望ではあったが私立の第一希望に合格したの嬉しいニュースが、気持ちを支えてくれた。もっとも、コオは喜びながらも、一人暮らしになる遼太が自分のような愚かな20代を送らないで済むように、生活に必要な知識を叩き込もうと必死になっていた。また、そんな時に遼吾は長めの出張がはいり、あらゆる事が重なってコオ達一家は忙殺されていた。
このすさまじい忙しさの中で、コオの父ノートはこの時期ふつり、と途切れている。だからコオは父の関係で何がどの順番で起こったのか、詳細を思い出すことができない。
覚えているのは、まず、3週間経っても、莉子は、ケアマネージャーに連絡をとっていなかったことだ。しかし、コオが市役所に電話をすると、母が介護サービスを利用したときの記録が残っていて、幸い、母の担当だったケアマネージャーの名前と連絡先を教わることができた。立石さん、という、実家からさほど離れていないところのケアセンターの人で、声だけからすると、穏やかな年配の女性、という感じだった。父の事情を話すと、今なら空きがある、担当できる、と言ってくれた。
そして、もう一つ覚えている。莉子からきた電話だ。ずっと莉子からの電話を避けていたのに、何故その時電話に出たのかはわからない。莉子はあのとき、父が退院になったら、すぐは受け入れられない、短期で施設に預けたい、そういったのだった。