”祝 日本一周完走” 《最終話》【講演家 ジョナサンの自叙伝「自転車 日本一周」編】
みなさんこんにちは岐阜県を日本一の観光地にする男『伝説の 講演家 ジョナサン』です!!【感動のゴール】自転車日本一周の旅もいよいよ今回が《最終話》です。1年半にわたり日本一周の旅にお付き合いいただきまして心から感謝申し上げます。本当に本当にありがとうございました。最終話もいろいろあるよーん。柳ケ瀬のロッテリアのメンバーに見送られながら出発して美濃市へ向かいます。不思議なことに途中で物乞いをしながら日本中を旅してるというかなり変わったおっさんに声をかけられ拍手をもらったり・・・(ちょっと神がかってたな~)国道で偶然、ベビーカーをひいて歩いている知り合いに会ったり・・・こんなこともあるんですね?岐阜でゆっくりしていたので、周りはすでに薄暗くなってきました。途中、国道沿いにあるアクタミサイクルさん(シーガルくんをキャンピング仕様に改造してもらったショップです)へ完走の報告に立ち寄りました。ものすごく喜んでくれました。そして、関市のいとこが待つ親戚へいよいよ、美濃市です。ゴールしました~!!日本一周達成です!!同級生が数人で待っているという連絡があったので(こういう時に無線機が活躍しますね)市役所へ向かいました。そこには完走を祝ってくれる同級生たちが花束を用意して待っていてくれました。写真にはなぜか友人一人だけそして、友人が知り合いのカメラ屋さんに連絡してくれたらしく、そのカメラ屋さんが写真をたくさん撮ってくれました。後で額入りでいただきましたよ。そして、本当のゴール家族が待つ実家に4か月ぶりに帰ってきました。5月8日出発9月7日ゴールジャスト4ヶ月ですなんか本当に帰ってきたのかな?という、とても不思議な感覚になったことを覚えています。家の中でもなぜか落ち着きません。その夜、お風呂に浸かりながら「本当に帰ってきたんだ」と少しずつ実感が湧いてきたのを今でもハッキリと覚えています。見るも、触るもの、すべてが当時のままです。といってもたった4か月間の話ですけどね・・・でもまだ信じられず、俺は夢でも見ているのか?俺は今どこにいるのか?と本当に不思議な気分になったものです。夜、自分の部屋で布団に入って見慣れた天井を眺めてまた少しずつ実感が湧いてきました。でもまだ夢を見ているようです。翌朝も目が覚めると「ここはどこだ?なぜ俺はここにいるんだ?出発しなきゃ!」と一瞬、現実なのか夢なのかが分からなくなるほどでした。こんな状態が数日は続いたものです。たったの4か月間でしたが私の中では4年?いや40年分の中身が濃い経験だったのかもしれませんね。だから今こうやって40年ぶりにブログに書いているのかもしれません。本当につい先日のような気がします。【夢が叶ったのに悲しい】 とは?そして日に日に襲ってきたあの何とも言えない感覚・・・「あ~、もう走らなくてもいいんだ」でも言葉にならないほどめちゃめちゃ悲しかったんです。本当に悲しかったんです。なぜ達成したのに、夢が叶ったのに、悲しいの? とよく聞かれます。以前、オリンピックで金メダルを取ったアスリートがTVで同じことを言っていました。それはゴールを達成したものだけが分かる虚脱感!目標がなくなってしまった悲しさ!夢が思い出に変わってしまった瞬間を迎えたこと!そして分かったこと・目標はゴールじゃなかった・重要なのはその過程の貴重な体験・今という瞬間を一生懸命に生きる・今という時間を大切にする・チャレンジすること・楽しむこと・全ての出来事に感謝すること・出会いを大切にすること・夢は必ず叶う・笑顔を忘れない事・恩返し(恩送り)をする事「これが私が自転車日本一周の冒険から学んだ答えでした」 本当に本当にありがとうございました。データ出発 1981年5月8日ゴール 1981年9月7日期間 4ヶ月間走行距離 約10,000km自転車 片倉シルク ランドナー キャンピング改相棒の名前 シーガル荷物重量 約30kgタイヤ交換 1回(青森県弘前市にて)パンク 3回費用自転車 約6万円改造費 約7万円4ヶ月間 約40万円(カンパなどを除く)これは40年も前の話ですが、私の夢であった「自転車日本一周」に関わってくださった多くの皆様にこの場をお借りして深くお礼を申し上げます。両親や家族をはじめ、親戚、同級生、先輩、後輩、友人、旅先で出会った数々の皆さん、自転車屋さん、ご近所の皆さん、応援してくださった方々・・・その他にもキリがないほどです。わがままも言いました、できない無理も言いました、それでも皆さんは応援してくれました。皆さんのお陰で私の夢を達成させていただくことができました。この快挙は私一人の力ではありません。みんなで一緒に成し遂げたものだと40年経った今でもそう思っています。本当にありがとうございました。感謝の言葉しかありません。心より感謝申し上げます。さー、40年経った今、次の夢に向かうとするか。準備はいいか?また飛び立つぞ、みんなついておいで。by ジョナサン私の相棒です。約10,000㎞を一緒に走りぬいてくれたシーガル号です。ありがとう!本当にありがとう!君のことは一生忘れないよ。ありがとう。前輪左のサイドバッグ前輪右のサイドバッグ後輪左のサイドバッグ後輪右のサイドバッグ【追記】日本一周物語は今回で最終話を迎えますが、これは私が講演家になっていくほんの序章です。日本一周の経験から観光の仕事に生かされ、多くの方々に評価を頂きました。これからもその経験を多くの方にお伝えしていきます。これからが本番です。これからもお付き合いくださいね。皆さん、ありがとうございました。涙が止まらないので、ここでこの旅の終演とします。私は40年経った今、さらなる次の夢に向かって羽ばたきます。さー、一緒に飛ぶよ【終わりにあたって】このブログを書くまでは日本一周の記憶が40年経った今でも信じられないほど鮮明に残っていました。それが物語をこのブログにアウトプットした途端、不思議なことに当時の記憶がどんどん薄れていくのを感じます。本当に不思議なことですが40年も経っているのにも関わらず、ブログを書くまでは、まるで昨日の出来事のように鮮明に記憶してきた事なんです。それが今は私の記憶の中からどんどん消えていきます。とても寂しいです。でも、こうして記録として後世に残せた事に安堵しています。これを読んでくれた人がひとりでも多く夢を叶えることができますように。あなたなら出来るよ。私ができたのだから。ジョナサン・リビングストン【今週のジョナサンメッセージ】ゴールなんてないんだよチャレンジしている過程が大事なんだ夢ってそういうもんだよあなたにもできるよ※このメッセージは記事の内容とは関係ありません。過去に書きためたものをご紹介しています。講演のご依頼、お問い合わせは《ここをクリック》※クリックするとメールが立ちあがります。