闇の中で細い枝の輪郭はすっかり見えなくなり、無数の白い花の群れが暗い中空の一面に散らばって静止しているかのようだった。時間が凍ってしまったような静寂の中で、桜のことをぽつりぽつりと話すうち、詩歌の好きだった友人はいくつか桜を詠んだ歌を教えてくれた。今ではもう会えなくなってしまったその友人が教えてくれた歌のひとつを、この季節になると思い出す。
さくらばな見てきたる眼をうすずみの死より甦りしごとくみひらく
雨宮雅子

十代の終わり頃、ボオイに出会った。
彼はいつも悪い夢を見ながら、こんなふうに嘆いた。
—— あ、忘れる、また忘れる、なにもしなかったと同じになる
何もかも忘れてしまって死んだように眠るだけになる。
そのことにボオイは心の底から怯えていた。
十代の終わり頃、ボオイに出会ったのは、
大江健三郎さんの『洪水はわが魂に及び』の中でだった。
忘れるな。そう自らを戒める。
今日この目が見た光景と怒りを忘れるな。
昨日この耳が聞いた言葉と希望を忘れるな。
先日、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルが率いるベルギーのダンス・カンパニー〈ローザス〉の公演を観てきた。
ボンゴドラムの一打と共に1人のダンサーが動き始めた瞬間から、ローザスの世界が舞台の上に開かれる。圧倒的な1時間。ゆるぎない速度で疾走するスティーヴ・ライヒの音楽は、シンプルなモチーフを多層的に重ねながら緩やかに変容し、12人の男女のダンサーたちは音楽の上を自在に動きながら、いつのまにか大きな波のように力を集め、高まり、拮抗し、弾け、泡立ち、ほぐれ、拡散し、終息する。息をつめて見つめるうちに、あっというまに舞台は終わり、余韻だけがさざめきのように残る。
ローザスのダンスを観ていると、最も美しい人間の身体が今目の前にあると断言したい誘惑にいつも駆られるが、ケースマイケルがライヒの音楽を選んで振付けた時は特にそうだ。ライヒの音楽は一定の速度(テンポ)が持続され、いくつかのモチーフが反復されながらフェイズを変化させる。いわゆるミニマル音楽だが、加速も減速もしないことで物語的な起伏や心理的な陰影を回避している。
ローザスのダンサーたちもそうだ。彼らは物語を演じないし、内面を踊らない。ダンサーの身体は一瞬にして張りつめて力を湛え、ゆるやかに花弁が零れるようにほぐれていく。腕が中空に水平に固定され、それを軸にして、身体がやわらかくねじれ、揺れ動く。華麗な跳躍も、目を奪う回転も必要ない。あらゆる制約、たとえばセクシュアリティからも解放された、自然な、ただ美しい人間の身体がそこにある。
作品自体は堅固に構成されていながら、自由と秩序が併存するダンスは、まるでフラクタル幾何学の図形のように流体の運動性に満ちている。舞台の上で、強靭さを内に秘めながらしなやかに踊り続けるダンサーたちを観ながら、水の中にいるような風の中にいるような解放感を感じていた。
先月28日は原田昌樹監督の御命日でした。
原田監督は、デビュー当時、とてもお世話になった監督で、映像の世界で仕事をしていくにあたって大きな道標となってくださった「先生」のような方でした。その原田監督のお仕事をまとめた本が現在、発売されています。
癌で余命が短いことをご存知だった監督ご自身の意思を受けて著者・切通理作さんが行った長時間の監督へのインタビュー、総勢120名の原田監督を知る方々への取材をもとに生まれた本はまさに『原田昌樹の世界』。原田監督の優しい温かいお人柄と、フィルム世代らしい職人気質で辣腕のお仕事ぶりがうかがえる本となっています。書名は『少年宇宙人-平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち』。
著者・切通理作さんのご希望で書名の一部は、監督が拙作のシナリオを撮ってくださった作品名になりましたが、ページをめくれば、助監督時代から亡くなる直前の中国でのお仕事まで、大勢のスタッフ・キャストに愛された原田監督だからこそ集まったたくさんの声と思いの詰まった分厚い本です。また、助監督の方々や撮影・照明・美術をはじめとするスタッフの方々のお話を通して、映像制作の裏側や制作現場の実際も垣間見られます。原田監督の作品を愛されているみなさま、当時をご存知の方、映像制作の実際にご興味のある方、ぜひお手にとってみてください。
相棒season13『アザミ』をご覧くださったみなさま、感想をくださったみなさま、どうもありがとうございました。
放映尺の関係で、決定稿のシナリオにはあったミステリのラインや人物描写がいくつか入りきらなかったのは残念でしたが、橋本監督、会田キャメラマンをはじめとしたスタッフの方々と、水谷さん、成宮さん、笹本さんをはじめとしたキャストの方々が現場で見事に仕上げてくださいました。
いつかまた、完全版もシナリオの形かなにかでお届けできる日があればと思っています。
現在は、晴れの日も雪の日も、鑓水、相馬、修司のサスペンスシリーズ第3弾をひたすら書き続ける毎日を送っています。こちらの進捗もまた、随時ブログでお知らせいたしますので、お楽しみに。