読んだり観たり聴いたりしたもの -2ページ目

三国志魂 上/荒川弘/杜康潤

最近我が家でブームの三国志。

何気なく読んだ、三国志マニアのトツゲキ本が面白かったので、著者の関連本を辿る。

 

と言うわけで、本書は上記の著者の別の本などにもちょろちょろと登場する、荒川弘との共著。どうやら二人は昔から歴史雑誌を通じて三国志マニア友達になった間柄のようだ。

 

内容は、羅貫中の演義全120回を全て読み返してマニア二人が駄弁る、というもの。1回分を見開きに、片ページにあらすじと飲み屋談義的なダベリ、そしてもう半分が荒川の4コマ2本というのがベース。章の幕間に豆知識ページも入る。

基本、登場人物や粗筋・ストーリーはほぼ押さえている、という人向けであり、この本でストーリーを知ろうとするのはあまりお薦めしない。コミックスで言うなら、本編では無くファンブックだろう。

 

ファンと言ってもいろいろなタイプがある訳で。本書は、かなりパロ色が強く、軽妙おちゃらけ路線となっているので、三国志ファンには少なからずいると思われる、そうした軽薄路線が苦手な人には向かないだろう。一方で、三国志の英雄達を肴に、まるでプロ野球の選手談義やアイドル談義のようにワイワイとした与太話を楽しみたい向きには大変お薦めだ。

ただし、荒川の四コマは若干個性出し過ぎの斜め上感が強いので、半分は杜康に描かせたらバランス取れて良かったのでは、と思う。個人的にはあまり面白く無かった。

見た目は薄いが、小さな字で書かれた粗筋や欄外枠外の囲みなども多く、きっちり読もうと思うとかなりのボリュームだ。

 

続いて下巻を読もうと思う。

 

荒川弘/杜康潤
三国志魂 上

ほんきで学ぶUnityゲーム開発入門 Unity5対応/夏木雅規

Unity勉強本第9弾。

 

これも一般的な入門書かな。

全体的に説明が薄く、その分、ページにテクニックを羅列した感じ。

ざっと目を通しておくと大変参考になる。

サンプルゲームも実用的(?)でレベルもそこそこだろう。

全くの初心者は1冊目に選ぶと苦労する可能性があるので、手取り足取りの入門書を1冊読んでそこそこUnityが分かってから手にすべきかな、という印象だ。

 

夏木雅規
ほんきで学ぶUnityゲーム開発入門 Unity5対応

ゲーム雑記 2017/06/03

いろいろ忙しく雑記を書く暇が無かった。

 

雷子。ようやく段々面白くなってきた。ストーリーでじっくりと人物の内面や展開を描くようになってきたからだ。つまり作者の拘りをベッタリ出してきたわけだ。そうでなくちゃな。地味なシムパートも、スルメのように、ようやく面白みが分かってきた印象。自分と敵の攻撃パターンを熟知し、配置・攻撃順・反撃順を工夫して、如何に華麗に敵を殲滅するかにこだわると面白い。

 

閃の軌跡。 散らばった仲間を集める王道展開。装備やりくりとバトルが面白い。特に妻が張り切っていた。

 

ロボティクス・ノーツ。分岐エンド3つ目。多分フラウのエンド。分岐条件は、もう面倒になったのでネットで調べた。シュタゲと違って、ゲームとしてやり込もうという意欲を持てない。お話は面白いんだけどね。本編と全く何も一切関係ないツイぽのリプを選ぶ、という行為に全く何も面白みを見いだせないからだろう。普段からSNSやり付けている人は面白いんだろうか。

 

バッジとれーるセンター。3DSの最大セーブデータサイズを使い切っての新作終了宣言。まさかのエンドロール演出に半年以上ぶりに起動。輪を掛けて重い。中の人始めスタッフはお疲れ様。この起動時の重ささえ無ければな。かなり遊ばせてもらいました。課金も500円は下らないはず。

 

光のお父さん。全話終了。感想はその内単発エントリで。一言だけ書いておくと、普通は病室で術衣に着替えてストレッチャーで手術室に向かうものだと思っていた。眼鏡を掛けたまま、点滴スタンドを押して歩いて手術室に向かうのはやはり、光のお父さん、の強いイメージの絵が欲しかったからか。かくの如く現実パートの細部に多々リアリティを欠くドラマだった。惜しい。

 

しくじり先生。高橋名人が出演するとブログで聞いて予約。出演する番組前半だけ見た。ブログを毎日見に行っているようなファンはよく知っているエピソードばかりだったが上手くまとめてあったと思う。

中国トツゲキ見聞録1/杜康潤

先日読んだ三国志エッセイ漫画が面白かったので、同著者の他の本を借りてみた。

 

本書は、上記の三国志巡りの旅にもチロチロと出てきた中国留学の顛末を詳細に語ったものである。さらっと著者生い立ちを語った後、入学留学までのゴタゴタや、留学後のさらなるドタバタなど、4ヶ月半の留学生活を経て夏休みに孔明の史跡巡りに出立するまでをコミカルに綴る。留学先は中国南部の昆明市である。ちょうど2003年頃という事で、SARS関連の話題があるのも興味深い。

 

著者の興味の中心は無論三国志であって、現代の中国そのものでは無いと思う。しかし、本書に描かれるのは、三国志目的で渡航した現代中国の諸々である。なので、濃い三国志話を求めるファンは拍子抜けする可能性があるだろう。

逆に、三国志にはあまり興味なくとも、中国事情や留学の情報を求める層にはお手軽な入門書かも知れない。だたし、上記のように既に14年近く前の話なので、発展著しい彼の国においては、今は昔となった逸話も多かろうと思う。多分、現代日本の風俗を知るために高度成長期の史料を読んじゃう、位のギャップはあるはずだ。

 

そうした部分を抜きにしても、まあ、普通に読んで普通に楽しい旅行エッセイである。

個人的に気になったのは、本書にも友人として登場する荒川弘との友好関係の方かな。

 

2巻も読みたいのだが、大阪市立図書館には蔵書が無い。まあ、機会があればと言う事で。

 

杜康潤
中国トツゲキ見聞録1

サイチョウ 熱帯の森にタネをまく巨鳥/北村俊平

いつも楽しいフィールドの生物学シリーズ。

 

時間が無いのでメモだけ。

総論的な前半がややダレ気味かも。その分、具体的な研究にフォーカスした後半はググッと盛り上がる。

種子散布と森林形成の、生態系の複雑なシステムは実に興味深いテーマだと思う。

ただ、フィールドワークは大なり小なりそうだと思うが、実際に自分で見ることのインパクトを、文章で表現しきるのは難しいと思う。やはり後半は筆が乗ってきたと言う事もあったのだろうと思うが、そうした文学的な表現も、前半は弱く、後半が盛り上がる印象。

 

北村俊平
サイチョウ 熱帯の森にタネをまく巨鳥

見てしまう人びと 幻覚の脳科学/O・サックス/大田直子

メディカルエッセイの良書。本書では脳機能の驚異の一端を詳らかにすべく、「幻覚」をテーマに取り上げる。

 

人は目で物を観るのでは無く、脳で見る。そして幻覚というのは脳の作用として現れる。つまり幻覚は、精神病の症状としてのみでは無く、どんな人にも脳の恒常的な、あるいは一時的な機能障害として現れうるし、また、目立たないだけで正常な脳のルーティンとしてもそれは常に存在しているのだ。そして、視覚だけでは無く、あらゆる感覚器官が同様の構造を持つ。

正常な脳の正常な精神状態の人が幻覚を見たとしよう。彼はそれが幻覚だと理解している。それは、目の前の異常が、よく見れば現実と区別が付くような不確かさやディティールの欠如をもっているからでは無い。どんなに目をこらしても現実としか見えないが、合理的に考えて「それは存在し得ない」と知識で知っているから、辛うじてそれが幻覚だと分かるのである。

私達が感じている現実は、感覚の入力を元に脳が作る世界だ。同じように脳が作り出す幻覚を、同じ脳の表現空間の中で区別することなぞはできないのだ。

よく知られている五感の他、人にはもっと多くの感覚がある。それは当たり前すぎて、例えば哲学の前提となっているような感覚だ。つまり、自分が自分である感覚。自分が存在してる感覚。時間が流れている感覚。物体の運動を感じる感覚。よく知った人に親しみを感じる感覚。等々無数にある。

こうしたプリミティブな感覚に対する「幻覚」は、容易に超常現象体験や宗教体験をもたらすだろう。そうした体験は現実の経験と区別することはできない。世界各地の古代宗教に共通の感覚的モチーフが現れるのは偶然では無いのだ。

 

我々は、こうした自身の脳の機能を知らなくてはならない。その目でしかと観た物は現実では無いこともあるのだ。感じた感覚や気持ちも同様だ。神を見て神を感じたとしても、神はいない。

 

脳機能とその幻覚作用の研究が進めば、諸宗教の秘蹟は暴かれていくだろう。

さすれば人類が旧態的な宗教を撲滅できる日もやがて訪れると期待できる。

 

私は音楽を聴くことを卑下も否定もする者では無い。大気の疎密波が織りなすパターンがもたらす脳への刺激は、科学的には明白な脳の反応だと分析できたとしても、聴いている本人には、感情の起伏や陶酔、そして人生の意味さえもたらすだろう。確かに音楽は素晴らしい。しかし、だからといって、全ての人々にとってその音楽が重要であり、すべての人々にとって音楽こそが人生の目的に違いない、とするのは短絡だ。好きな音楽の素晴らしさを語り熱心に勧めるのは本人の自由だろう。だが、私には私の音楽の好みがあるし、音楽なんて大嫌いだ、とうい人がいても良いはずだ。

お薦めの際には分を弁えるのがマナーであろう。それがたとえ自分の子供であってもだ。ましてや、気に入らない音楽を好む集団だからといって迫害するのは間違いだし、公共の場で私の嫌いな音楽を掛けた(もしくは好きな音楽を掛けなかった)といって怒鳴り込むのも間違いだ。たとえどんなにその音楽が心地よかったとしても、あくまで一趣味に過ぎない特定の音楽を振興する法人の活動を、行政として特別扱いしたり、課税対象から外すのは問題があるだろう。

 

宗教も同様だ。宗教は法人格を一旦全廃した上で、音楽の同好会などと同列に、好きな人が集まって楽しむ特定の趣味団体として活動すれば良いだろうと思う。

 

O・サックス/大田直子
見てしまう人びと 幻覚の脳科学

PS4/ライフ イズ ストレンジ/スクウェア・エニックス

先日トロコンしてクリア。

プレイ累計は多分30~40時間ぐらいかな。

 

大変素晴らしいゲームだったと思う。

自分がこのゲームに期待していた、アメリカンなティーンの雰囲気を満喫できたと思う。

FPSが10切ってるんじゃないのという視点操作性と引き換えに実現したと思しき、PS4の性能をつぎ込んだ映像表現は、大変素晴らしい物だった。単に機能的表現力があると言うだけでなく(それだけでも私のようなコンシューマゲーマーは結構目を見張るが)、演出的表現力も素晴らしく、何よりベースとなっている視覚的デザインが大変すぐれていると思った。光の表現も絶品で、アルカディア湾に沈む夕日を切り取った各シーンは強く印象に残った。

また、終盤の悪夢の表現など、プレイヤーが操作するゲームならではの工夫された表現の数々に強い矜持を感じた。例えば、逆行する時間流の中でのキャラ操作というのは他に類を見ない表現だった。

BGMもなかなか良かったし環境音もきちんとサラウンドしていて浸れた。

あと、結構重要なポイントだが、日本ローカライズをかなり丁寧にやっていて、声優さんの演技も素晴らしかったと思う。

 

キャラクターの演出が素晴らしい。特に主人公のマックスとクロエが分かりやすいと思うが、初見はあまりパッとしない。造形的にもとくに意識してそう設定してあると思う。しかし、長時間行動を共にして親しんでゆくと、その無骨なポリゴンで覆われた表情の機微が分かるようになって、どんどんと魅力的に見えてくる。

マックスなど、あの人も見抜いていたように、ある種ノーブルな気品さえ感じられる程だ。

他のキャラクターもそうした描き込みが大量のイベントとボイスと共に作り込んであって、フィールドの所狭しと書き込まれた世界観を紡ぐ情報と共に、何周もプレイしても新たな発見を楽しめるだろう。クリアのためには一切話す必要が無いモブキャラにさえ、きちんと選択ボイスが仕込んであることも多く、そのこだわりに感嘆した。特に、同じ時間改変物であるシュタゲで落胆リした、過去を替えた事による現在の変化を、端末の通信ログの「過去」の変化から知る、という様な点をきちんとフォローしているのを見た時には、そうだよ、見たかったのはこれだよ、と口にした程だった。

本作のトロフィーは全て特定ポイントでの写真撮影である。しかし、単なる場所探しでは無く、アクションや操作を工夫しないと撮影できないことが多く、ゲームとしても攻略のしがいがあった。また、同時に、トロコン目指してそうした写真を集めようとすると、上記のような精緻な作り込みを楽しめるだろう。

 

テーマとしては、写真というモチーフをベースに、過去改変とバタフライエフェクトを織り交ぜ、そして、過去を変える力があったとしても決して変える事のできないものを描く。たとえ過去を変えたにしても変えなかったにしても、どちらにしろ、未来を選び取る勇気と決意が無ければ、決して何ものをも掴み取ることはできないのだ、というメッセージ。

本作も、ヘビーレインなどと同様に、主人公がどんな選択をしたとしても、それをそのまま引きずってプレイが続くシステムとなっている(ただし「正解」を選ぶまでシーンが進まない事はある)。主人公が自分で決めた選択に、「間違い」というものは無いのだ。ただし、「選び直す」ことはできる。これが本作のミソで、瞬時の判断が間に合わず流されることの多い現実の世界と違って、巻き戻し能力から得た豊富な情報を手がかりに、意思を持ってきっちりと決断をしなくてはならないのだ。

 

こうしたゲームのポリシーは徹底しており、ゲームの最後の選択までそれは貫かれる。つまり、どちらも手に入れることはできないという現実。どちらを救い、どちらを見殺すのか。重い決断を迫る。

シュタゲもそうだったが、ゲーマー思考としては、得てしてこのようなシナリオでは、再プレイなどで十分に攻略を行えば、両者を共に救えるような、いわゆる真エンドが存在しており、それに至る扉を探すことになるのが相場だと思いがちである。実際、本作のクリア後も、しばらくそうした探索を続け、あるいはトロコンで解放されるかもしれないと頑張ってきた側面もある。

しかし、無かった。そんなご都合主義的なものは無いのだ、というメッセージを突きつけられた。どんな現実であっても、それが選択の代償なのだという、その毅然とした姿勢には驚いた。

 

鋭い閃光のような、ピリッと記憶に残るゲームだったろう。

 

最後にいくつか難点を挙げておこう。

まずフリーズバグである。最終章の終盤の特定シーンで、プレイ3回中、2回フリーズした。直前のオートセーブポイントから始まるとは言え、結構心象は良くない。

また、複雑に入り組んで、かつ選択によって状況が変化するシナリオの構成上仕方ないのかも知れないが、確かにシチュエーションは変化しその後の未来に反映されるのだが、それでも大局のストーリーは何も変わらないし影響を受けない、というのは若干戸惑いがあった。

特に違和感を感じたのが、ネタバレ上等で書くと、最後の選択肢である。

なぜ、その2つしか無いのか。

というのは、未来での竜巻襲来が幻覚などでは無く現実だと判明した後ならば、過去に戻った時に、市民に避難勧告して(少なくとも人的)被害を避けることが可能なはずだからだ。なぜデイビットに連絡したように、竜巻情報もしかるべき組織に通報しないのか。市民も市民である。なぜ竜巻が現れた後さっさと非難しないのか。暴風の中写真を撮りに来たエバンなどは当然のこと、迅速に非難しなかった市民の人的被害の責任までマックスが負うことは無いだろう。

無論、二択のウェイトを上げるため、ストーリー上必須の設定だという事は分かるが、それなら、もっと説得力のある理由を挙げて描写してもらいたかった。

あと、最初にも書いたが、表現優先のため、かなりFPSが低い。そのためもあってか、カメラに変な慣性が付いて大変操作し辛く、これは多分、弱い人はかなり3D酔いしやすいだろうと思った。

いずれもゲーム表現の素晴らしさを致命的に減ずるほどのものでは無いが、メモとして記しておいた。

 

シーン管理ももちろんのこと、キャラのモーションもかなりAIが入っている印象。旧態依然の職人芸頼りの日本とは隔世の感がある。ただし、日本の職人には職人の良さがある。例えばゼルダBotWだ。しかし、インディーではキツイ話で。

 

スクウェア・エニックス
ライフ イズ ストレンジ
 

Vita/雷子/クロン

ライフイズストレンジが終わったので新ゲームとして先日のプレゼントゲームを開始。とりあえず小一時間で2面ほどプレイして見た。

 

うーん。聞きしに勝るチープさだ。往時においてUnity製を隠しもしない潔さがある。無論、偉い人では無いので、絵やUIのリッチテイストなど飾りです、というのは分かっているつもりだ。しかし、シムパートのUIはちょっと流石に今ひとつかな。移動可能範囲が青表示なのに、カーソルハイライトも青だから選択セルが分からないとか、マップローテーションやスクロールが無いから、敵ユニット選択時に移動範囲が表示されるが同時に詳細ウィンドウも表示されるので下の方が見えないとか、誰でも一瞬で分かるだろという駄目出し多数なのは残念だ。

 

お話パートは、女性化武将続々のラノベ調で、まあ、想像通り。悪くは無いと思う。趙雲や周倉が男性だったので逆にビックリしたぐらい。

 

主人公は、キョウという田舎青年。冒頭、のんびり釣りに出たところを謎の女性に謀られ、不可思議な力で激動の蜀陣営に放り込まれることから物語はスタート。孔明を先生と呼んで弟子になる所から察すると、キョウ=姜維なのかな?というのが妻の推理だ。ゲーム中で軍略の筋が良いと言われていたし、どうもそれっぽいぞ。

 

ゲームは、立ち絵付きADV風お話パート(フルボイス) → シンプルかつレトロ風シミュレーションパート → ご褒美お話パートの繰り返しで進むみたいだ。

まだ囓ったばかりなのでシムパートの難易度などは不明。

超シンプルなので、逆に言えば、軍団編成その他の繁雑な作業が無いのは、サクサク&スッキリしていて良いだろう、という考え方もある。いずれにせよVitaなので、スリープ入れれば気軽に中断できるため、気軽に遊べるだろう。

 

全体のボリュームも不明だが、クリアしたり進展があればまたメモろう。

 

クロン
雷子

杜康潤のトコトコ三国志紀行/杜康潤

この所三国志ブームが訪れている我が家(というか妻)。

GoGo文庫を読んだり光輝を読んだりしている訳だが、偶然ふと図書館で見かけたのでタイトルだけで借りてみた。

 

うーむ。まややが居た。特濃の三国志マニアが中国全土を巡り巡って6万キロ。本人が的確に表現するとおり、三国志の英雄の残り香を嗅ぎまくる旅路を綴ったエッセイコミックだ。

 

ノリはほぼジャニーズ追っかけと変わらないので、史跡にたゆたう文学的香りとか系統的歴史雑学とかを期待してはいけない。が、少しでも三国志が好きだと思う人なら、こいつアホだろと思いつつ共感し、クスリとし、時に爆笑し、そして万感の想いを胸に、著者と一緒にホロリと涙することが可能だろう。


ただし、著者は孔明&曹操ファンということで、孫呉情報に関しては極めて比率が少ないため関係者は注意されたい。

 

しかし、1800年という時を考えれば、すでに土に還って場所も定かで無いような史跡墳墓も多いものの、それでもきちんと代々祀られて残っている物も多くてビックリだ。同年代の日本で考えると、邪馬台国はどこにあった?なんて探している歴史のレベルの差に愕然とする。

 

Amazonで調べると、「孔明のヨメ。」という近著があった。残念ながら図書館には蔵書が無かったが、機会があれば手にしてみたい。

 

杜康潤
杜康潤のトコトコ三国志紀行

2003/飯野賢治

99年発行の著者対談集。

当時、世紀を挟んで程よい未来だった2003への展望がテーマ。

 

飯田和敏の発言を調べていて本書に辿り着いたのではあるが、ゲームクリエーターだけで無く、各界の基本敵に知人友人とのダベり、といったふうな人選で、浅野忠信、緒川たまき、ピエール瀧、関根勤、飯田和敏、大川功、坂本龍一との対談を収録。

 

表題の2003自体15年の昔だし、対談はもう20年近くの昔だ。当時DCの覇権を信じ、D2完成に向けて邁進していた時期だろう。そういった角度からの意思表明がポロポロ垣間見えて面白い。史料としての価値はかなりあると思う。

 

飯野賢治
2003