今回の記事もまたTBSチャンネル『夜明けの刑事』のことを。『夜明けの刑事』単体としてももちろん楽しめるのだけど、大映テレビの制作、TBSのドラマ、そして刑事ドラマとしての側面から、それを観ればさらに楽しめるように関連する他のドラマを紹介していきたい。

 

 

ただ、同時期に同じ大映テレビの制作で作られた同じ刑事ドラマの『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』(制作:朝日放送-大映テレビ、1975年4月1日~11月25日放送)なんかをこれみよがしに提示しても、それは視聴困難作品だから書き手の自己満足に終わってしまうので、ソフト化されていたり、スカパー!でも頻繁にやっている、視聴が容易な作品を中心にして綴っていく。

 

まずは意外な作品との関連性から紹介しよう。それは同じTBSで同じ1974年秋改編期に開始した『日本沈没』(制作:TBS‐東宝映像、1974年10月6日~1975年3月30日放送)と。

 

『夜明けの刑事』第11話「それでも結婚したい」(1974年12月11日放送)、続く第12話「二人の妻を持つ夫」(1974年12月11日放送)は二本撮りでの熊本県阿蘇ロケ編となっており、その三日前に放送した『日本沈没』第10話「阿蘇の火の滝」(1974年12月8日放送)もサブタイトルが示すとおりに熊本県阿蘇ロケを行っている。

 

 

 

『日本沈没』(制作:TBS-東宝映像)とは1973年末に東宝で公開された同名の映画とともに、当初から企画されていた連続テレビドラマ版で、制作プロは東宝映像ながら、TBS局側プロデューサーのひとりが『夜明けの刑事』と兼任している安田孝夫であることから必然的に関連性が高いのだ。

 

地方ロケの必須事項である宿舎(つまりホテルや旅館)が同じホテル白雲山荘だし、熊本県の、それも阿蘇という局地的な地域だから、似通っている…のを通り越して同じ場所でロケをしている。東京近郊のロケならばごくごく当たり前のことだけど、これほどまでに同じ場所に赴いた地方ロケで、同時期の撮影および放送がなされたドラマどうしというのは他にないんじゃないかと思う。

 

赤い衝撃|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

TBSと大映テレビは翌年放送開始の『赤い衝撃』でも熊本県阿蘇ロケを行っている

 

第13話「サンタの乗っ取ったバス」(1974年12月25日放送)、第14話「理由あるプレイボーイ」(1975年1月1日放送)は、半年後に同じTBSで番組が始まる『Gメン’75』(制作:TBS-東映、1975年5月24日~1982年4月3日放送)と深い関連性、もっと言うと、ぶっちゃけネタ元のひとつにしていたんではないかと勘繰る。

 

第13話「サンタの乗っ取ったバス」は刑事ドラマ定番のバスジャックものなんだけど、そのバスに乗り合わせていた人間模様の一つとして、粗暴なチンピラが車内で行っている喫煙を正義感の強い女子高生だけが毅然とした態度で注意する描写があるのだ。これは川谷拓三がそのチンピラ役でゲスト出演した『Gメン’75』第47話「終バスの女子高生殺人事件」(1976年4月10日放送)そのもの。

 

川谷拓三が演じた東映映画と「太陽にほえろ!」のバスジャック犯 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

刑事ドラマは、バスジャックにその色が出る | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

また、第14話「理由あるプレイボーイ」は航空会社のキャビンアテンダント(当時の言葉で言えばスチュワーデス)が海外へのフライトをするたびに麻薬の運び屋をやっていて、隠密捜査でそれを摘発する話となっており、まさに『Gメン’75』の記念すべき第1話「エアポート捜査線」(1975年5月24日)そのもの。まあ、他にもほじくればもっといろいろ出てくるかもしれないが、今回はここまで。

 

 

1970年代までドラマ番組の放送期間は半年間が標準で、だからして4月第一週前後の春改編期・10月第一週前後の秋改編期に番組の入れ替えがこぞって行われた。1974年秋改編期開始の『夜明けの刑事』は好評のため、1975年春以降も番組が継続となる。その好評を崩したくなかったのか、レギュラー刑事の入れ替えは一切なし、新機軸もなしで、4月第一週の第27話「夢の新幹線殺人事件」(1975年4月2日放送)を人気絶頂期突入直後の山口百恵、終わったばかりの『水もれ甲介』(制作:日本テレビ-ユニオン映画、1974年10月13日~1975年3月30日放送)で石立鉄男とは兄弟役としてレギュラー共演した原田大二郎、当時大人気だったアメドラ『刑事コロンボ』の吹替をしていた俳優でそのコロンボまんまのコスプレ刑事役の小池朝雄らをゲストに招いたイベント回としただけで3クール目に入っていく。

 

以前も示したように、1975年春改編期からどっと!刑事ドラマが増え始めて、いわゆる刑事ドラマブームの幕開けとなった。日本テレビはその春改編期からの新番組で刑事ドラマ『俺たちの勲章』(制作:日本テレビ-東宝テレビ部、1975年4月2日~9月24日放送)をなんと水曜8時、つまり『夜明けの刑事』の裏番組にぶつけてきたのだ。

 

 

 

ただし、『俺たちの勲章』の放送期間中はプロ野球 巨人戦のナイターシーズンであり、日本テレビもTBSもかなりの頻度でその中継番組を入れてきたから、それで各々の番組は度々休止されていた。その日に巨人戦がなかったか、他局でやっていたときの、どちらの番組も放送した直接対決になったのは『俺たちの勲章』本放送時18回(全19話作られたが、一話分ナイター中継が優先されて流れた)のうち、①4月2日、②4月16日、③4月30日、④6月11日、⑤6月25日、⑥7月9日、⑦7月23日、⑧9月10日のわずか8回に過ぎなかった。

 

ただ、視聴率的なことを持ち出すと、当時の『夜明けの刑事』はそれまで水曜8時枠トップだったフジテレビの老舗時代劇『銭形平次』を抜いて20%台前半を獲っていて、もともと視聴率が獲れなかった日本テレビ水曜8時枠に宛がわれた『俺たちの勲章』はその半分行けばいいほう。まったく勝負にならなかったのだが、そこに巨人戦のナイター中継が入るとガラリと変わってくる。この年、読売巨人軍の監督に長嶋茂雄が就任したことにより、勝っても負けても注目されだして、それまで15%前後だったものからなんと10%も跳ね上がって25%前後獲るようになっていき、その分、『夜明けの刑事』のナイターシーズンにおける視聴率はヘコむことになっていく。

 

なお、日本テレビの水曜8時枠は外注制作のドラマ番組ばかりだったことから、TBS-大映テレビによる一連の刑事ドラマ番組の裏で放送していたものはソフト化されているものがかなり多い。今年は『泣かせるあいつ』(制作:日本テレビ-松竹、1976年3月17日~9月22日放送)までソフト化されている。

 

 

 

次は、第43話「愛の終わりに殺された女」(1975年10月8日放送)から加入した水谷豊について。1975年秋改編期、前述したように刑事ドラマのブームはすでに始まっていて、番組開始からちょうど一年経つ『夜明けの刑事』はその一翼を担っていたと言っても過言ではない。刑事ドラマとして先行する『太陽にほえろ!』(制作:日本テレビ-東宝テレビ部、1972年7月21日~1986年11月14日放送)と同様に所轄署なのに警視庁なんでも課の趣でやっていたのだが、開始時の大きな違いとして『太陽にほえろ!』が売りとしている“新米刑事”がいなかったことが挙げられる。なのに、放送二年目となるのを機に加入した水谷豊の役柄は“新米刑事”であり、すでにブレイクしていたこともあって毎回のようにフィーチャリング水谷豊とその“新米キャラ”エピソード中心で番組作りが行われて『太陽にほえろ!』により近づいてしまった。

 

元祖である『太陽にほえろ!』のほうでもこの1975年秋改編期に“新米刑事”が登場する。宮内淳演じるボン刑事だ。第168話「ぼんぼん刑事登場!」(1975年10月3日放送)での初登場時、すでに他の所轄署の刑事だったからまったくの“新米刑事”ではなかったが、経験の浅さはその程度に過ぎない。

 

1975年秋改編期における刑事ドラマ

月曜 なし

火曜 日テレ●『はぐれ刑事』、NET『二人の事件簿』(ただし、11月で終了)

水曜 TBS『夜明けの刑事』、NET『特別機動捜査隊』

木曜 NET『非情のライセンス』

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』、NET●『燃える捜査網』

土曜 TBS『Gメン’75』、フジ●『新宿警察』

日曜 なし

●印が新番組。なお、『新宿警察』は秋改編期前の9月第1週から放送開始

 

刑事ドラマは当時すでに週9作品となって溢れ出していた。『夜明けの刑事』の水谷豊とともに、『はぐれ刑事』(制作:日本テレビ-国際放映・俳優座映画放送、1975年10月7日~12月30日放送)で沖雅也演じる生意気な刑事も“新米刑事”の範疇でその成長物語が描かれる。こうして『太陽にほえろ!』の成功→刑事ドラマブーム幕開け→“新米刑事”の成長談が番組作りのスタンダードになっていく。

 

それでも純情派だよ、「はぐれ刑事」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

なお、東海地方のメ~テレで放送されている『太陽にほえろ!』は継続に次ぐ継続で先週分からボン刑事登場編になっているのだとか。

 

向こう一週間の太陽放送2024.9.2- - 「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2 (goo.ne.jp)

 

水谷豊にとってTBS-大映テレビのドラマへ出るのは二度目で、最初は『顔で笑って』(1973年10月5日~1974年3月29日放送)、次が本作で、次の次が宇津井健とのW主演となった『赤い激流』(1977年6月3日~11月25日放送)となり、『夜明けの刑事』のレギュラー陣どうしでは石立鉄男と再共演していく。

 

赤い激流|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

水谷豊は当初から半年間の出演であって、第67話「君は妻娘を殺されたらどうする!!」(1976年4月14日放送)で降板した直後、本来ならば、同じTBSでこの1976年春改編期から開始された『火曜日のあいつ』(制作:TBS-東宝テレビ部、1976年4月20日~9月28日放送)への主演と、その掛け持ちで同時期開始の、同じ所属事務所の看板女優である浜木綿子主演『ベルサイユのトラック姐ちゃん』(制作:NET-東映、1976年4月30日~9月17日放送)に主要レギュラーで出演する予定だったのだが、都内で撮影の『夜明けの刑事』と京都で撮影の時代劇『影同心II』(制作:毎日放送-東映、1975年10月18日~1976年3月27日放送)の掛け持ちをしていたことからくる重度の疲労で体調不良となってしまい、長期間の休養生活に入らざるを得なくなって、ふたつとも事前降板した。

 

『火曜日のあいつ』で水谷豊のピンチヒッターとなったのが石橋正次。もう一人の主演、小野寺昭は設定された役であるトラック運転手になくてはならない大型自動車第一種運転免許を忙しい中でもそのために取得していた一方、石橋も同じトラック運転手役だったんだけど、そういう理由で取得が間に合わなかったわけである。だから、劇中では私有地のみ運転していて、公道の場面は“吹替”に頼った。なお、鈴木ヒロミツもレギュラー出演していて、石橋とは『夜明けの刑事』以上に丁々発止のやりとりを見せていた。

 

東宝版トラック野郎「火曜日のあいつ」初ソフト化 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1976年4月、「火曜日のあいつ」と、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

『ベルサイユのトラック姐ちゃん』のほうはレギュラー出演を断った詫びとして第1話にゲスト出演している。『傷だらけの天使』(制作:日本テレビ-渡辺企画・東宝企画、1974年10月5日~1975年3月29日放送)でのブレイク前から途切れなく連続テレビドラマ出演を続けてきたのだが、このゲスト出演を最後に、1976年春改編期→キャスティングが最低半年前には決まる1976年秋改編期における連続テレビドラマの仕事を入れられなかった。この後の1976年における仕事は、映画『青春の殺人者』主演だけで、テレビドラマに復帰するのは1977年に入って放送される、NHK『男たちの旅路』(第2シリーズ全3回、1977年2月5日~2月19日放送)とTBS「東芝日曜劇場」でやった単発ドラマ『バースディ・カード』(制作:北海道放送、1977年2月13日放送)からとなった。

 

「ベルサイユのトラック姐ちゃん」、YouTubeで配信開始。 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

というわけで、ちょうど、TBSチャンネル『夜明けの刑事』は水谷豊が降板したところだから、今回の記事で綴るのもここまでにしよう。後任の“新米刑事”役を演じた山本紳吾とか石立鉄男の降板なんかのことは、またの機会に。

 

『週刊女性』1976年8月3日号広告

水谷豊は休養しててテレビに出てなくても

ゴシップ記事のトップを飾るまでのスターとなっていた

来月10月のスカパー!各チャンネルの番組ラインナップが発表された。

 

残念ながら、TBSチャンネルで9年ぶりにやっている『夜明けの刑事』の後番組は、本放送時の後番組&続編でもある『新・夜明けの刑事』&『明日の刑事』とはならなかった。かなり期待してただけに残念なことだ…。

 

「夜明けの刑事」続報、「新・夜明けの刑事」放送の可能性は? | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

さて、話題は変わって、すでにご存じの方も多いかと思うのだが、先月末にデアゴスティーニから『特捜最前線』DVDコレクションが静岡限定で販売開始されたことを取り上げたい。全509話をHDリマスター化し、既刊のDVDコレクションと同様に一巻に付き3話収録で170巻出すという。試験販売である静岡限定から全国販売に切り替えると完結するまで七年はゆうに掛かる。

 

 

ワタクシは、デアゴスティーニから現在刊行されている『Gメン’75』DVDコレクションを2021年の試験販売開始時に飛びついて、定期購入をいまも続けているし、完結するまでこれからも続けるつもり。しかしながら、というか、いちユーザーだからこそ、この機会に不満な面を述べたい。

 

「Gメン’75」 全355話DVDソフト化開始!? | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

それはやはり刊行開始後に間もなく東映チャンネルで全話放送開始したこと。当時、すごい憤慨したし、いまだ根に持っている。

 

2021年1月、DVDコレクションが地域限定の試験販売開始

2021年5月、全国販売開始

2021年12月、東映チャンネルで全話放送開始

 

2024年8月末時点で、DVDコレクションは86号まで刊行し、それには第256~258話(1980年5月10日放送)を収録。東映チャンネルでの最新放送回は第210話(1979年6月9日放送)。

 

刊行している四年半の間するべきでなかったのは、隔週刊で月額4000円近くも払っている購入者への仁義だったと考える。その告知も含めたら全国販売開始からわずか半年で、半値ほどの月額視聴料で観られる手段を提示してしまったのはいただけなかった(DVDコレクション購入者の多くは既に東映チャンネル視聴者でもあったし)。

 

今回の『特捜最前線』DVDコレクション販売開始、SNSでの様子を見ると、二倍の出費となることから、刊行中の『Gメン’75』DVDコレクション定期購入組は控えているし、刊行開始後すぐに東映チャネルで放送開始したという悪しき前例を作ってしまったから、それをあてにした東映チャンネル待機組もいっぱいいる。それから、全国販売に切り替えたとしてもこれから七年という長い刊行期間に自分自身が生存しているかどうかと自嘲している方も。なにせ、ワタクシのようにアラフィフかそれ以上の人ばっかりなんで。

 

正直、ワタクシも『特捜最前線』DVDコレクションには興味はあるし、全話観てみたい。だけど、そういうわけで今回の販売開始には靡かなかったし、全国販売を開始しても興味ある回が収録されたものしか購入しないだろう。

 

それでは、次の話題。

 

BS松竹東急では今月から1980年代のアクション・アメドラ『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』の放送を開始する。毎週日曜夜10時からの放送で、これは日本での本放送時、日曜夜10時半からの放送と近似している。

 

 

 

1986年9月26日に「金曜ロードショー」枠での初回2時間スペシャル版をプロモーションも兼ねて放送した後、10月19日より先述した日曜10時半からの日本テレビにおけるアメドラ枠で放送が開始された。当時、同じ日曜日の夜には、8時から『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』、9時からは『あぶない刑事』が放送されていて、もちろんこれも観ていて、ずっと日本テレビにチャンネルを合わせていた思い出がある。

 

『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』が終わった11時半近くからやっと学校の宿題を始めて…、てのが毎週で、朝、『パソコンサンデー』(テレビ東京)を観たり、『笑っていいとも!増刊号』(フジテレビ)を観ていたユルい時間なんだったのか?なんて日曜日がジリジリと無駄に終わっていくことに“青春”の疑問を持ちながら、ニッポン放送で深夜1時からやる南野陽子のラジオ番組『ナンノこれしき!』を待つのがルーティンだった。

 

『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』マニアッククイズ | クイズメーカー - こたえてあそぶ・つくってあそぶ・クイズのプラットフォームサービス (quiz-maker.site)

ワタクシの謹製

 

まぁ、そんな思い出バナシなんかはどうでもいいとして、もうちょっと解説を付け加えると、1986年秋改編期、この『超音速攻撃ヘリ エアーウルフ』のほかにテレビ東京で『特捜刑事マイアミバイス』も放送開始。また三か月後にはテレビ朝日で『ナイトライダー』も放送開始され、どれもがゴールデンタイムでの放送だったり、それらの作品の先鞭となった、前年から土曜の昼下がりにやっていたテレビ朝日の『特攻野郎Aチーム』も「日曜洋画劇場」枠で定期的に二時間スペシャルが放送されだすなど、アクション・アメドラはウケていた。詳しいことは過去に書いた長大な文章量の記事があるので、それを参照にしてもらいたい。

 

1980年代後半のアクション・アメドラ全盛時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

TBSチャンネルの『夜明けの刑事』は連日二話分ずつの放送という光速のスピードで進行中。現在は、あっという間に放送開始から一年近く経つ1975年夏のものを放送している。

 

夜明けの刑事|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

当初から掲げていた人情ものを基調にして、そこに載せる笑いとペーソスも回を追うごとに上手く描かれていって、たんに毎回の豪華ゲスト陣や煽情的なサブタイトルだけに頼ったものではく、なるほど、これはヒットしていたのも頷けるナ!というもの。

 

さて、以前の記事でも示したように、1972年開始の『太陽にほえろ!』で“事件ものドラマ”から“刑事ドラマ”に変換して、1974年に開始したこの『夜明けの刑事』が並走して“刑事ドラマ”はジャンルとして確立。そして1975年春改編期から、いくつもの“刑事ドラマ”が生まれて1980年代初頭までの華やかりし刑事ドラマブームが始まっていく。

 

〇 1975年春改編期におけるアクション&刑事ドラマ

月曜 TBS『刑事くん』(30分枠)、東京12『プレイガールQ』

火曜 ●NET『二人の事件簿』(制作局は朝日放送)

水曜 ●日テレ『俺たちの勲章』、TBS『夜明けの刑事』、NET『特別機動捜査隊』

木曜 NET『非情のライセンス』

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』、●NET『ザ★ゴリラ7』

土曜 TBS『バーディー大作戦』→5月から●『Gメン’75』

日曜 なし

●印が新番組、関西ではローカル枠で土曜に『部長刑事』(30分枠)

 

特筆すべきことは、TBSの土曜9時『バーディー大作戦』が終わり、かの『Gメン’75』が改編期からズレながらもようやく始まったことである。

 

というわけで、今回の記事は1970年代後半の、刑事ドラマブーム時におけるTBSの刑事ドラマを系譜で辿っていこう。

 

まずは改編期からハズれて始まった『Gメン’75』についてその前史から紹介。土曜9時枠は1968年春改編期開始の『キイハンター』から東映が制作を請け負い、そのスタッフによって1973年春改編期から後番組『アイフル大作戦』が始まる。そして一年後の1974年春改編期、主演だった小川真由美の降板を受けてリニューアルした続編『バーディー大作戦』に引き継がれる。『アイフル~』と『バーディー〜』は探偵を題材にした荒唐無稽なコメディーアクションではあったが、時代と反りが合わなくなっていく。

 

 

それは視聴率にも反映されていて、『キイハンター』時代と比べて芳しくないものになっていた。TBS側は当時結んでいた制作契約満期の1975年秋改編期で番組終了を東映に通告して、以降の土曜9時枠における制作プロも未定にしたことから、ここで東映の制作陣は奮起。制作スケジュール、出演者の契約等諸々の事情があったので、春改編期を区切りには出来なかったものの、『バーディー大作戦』を自ら打ち切りにして、その続編でもなく、まったく新しい世界観を構築し、『アイフル~』&『バーディー』では杓子定規なことしか出来ない引き立て役として描かれた警察を主人公側の組織に置いた刑事ドラマ『Gメン’75』が生まれたのである。

 

 

また、方向性もそれまでのコメディー色を廃したシリアスなもので、番組冒頭のナレーションでも宣言している“ハードボイルド”を売りにした。青春ドラマを基調とした日本テレビ『太陽にほえろ!』や同じTBSの人情ものに笑いとペーソスを入れていた『夜明けの刑事』とは被らない、つまりはマネたものではないから後発ながら一気に刑事ドラマブームを代表する作品のひとつとなっていく。当然、TBSは制作元の東映と1975年秋改編期以降の制作契約を結ぶに至った。

 

水曜8時の『夜明けの刑事』も、裏番組でその当時視聴率がピークだったフジテレビの老舗時代劇『銭形平次』よりも視聴率を獲るようになり、TBSは刑事ドラマブーム万々歳!となる。

 

1976年1月、その勢いもあってTBSは一時的に三つ目となる一時間枠の刑事ドラマ『事件ファイル110 甘ったれるな』(制作:松竹)を放送する。同年4月の春改編期から始まる青春ドラマ×トラック野郎『火曜日のあいつ』(制作:東宝テレビ部)の前番組で、こちらも青春ドラマを基調として少年犯罪に対処する所轄署の少年係を舞台にした。この作品は後にフジテレビで『大空港』を手掛ける松竹の升本喜年プロデューサーが劇場用映画の製作本部からテレビ部に移動して初めて手掛けたもの。升本の著書によるとTBS編成部のエース級社員と学生時代に同窓だった縁で“ご祝儀”として1クール分の枠を贈られたとのこと。そういった理由で短い放送期間だったのである。

 

また、30分枠の「ブラザー劇場」では『刑事くん』(制作:東映)の出演者が変更。時代に取り残されている桜木健一に替わって、制作元の東映専属で若手俳優のホープだった星正人とまだティーンエイジャーだった浅野ゆう子を相手役にしてアイドル路線に仕立てたが、刑事ドラマブームへは上手く乗れずに、この第4シリーズを持って終了した。

 

1975年に発表されたアルバム『バンドワゴン』からの一曲

曲中に“ショーケンがどんな素敵かを話しては~”という世相を反映した歌詞が出てくる

桜木健一のことなんて誰も話題にしなかった

 

 

1976年8月、順風満帆だった『夜明けの刑事』は揺れる。ボス役を演じていた石立鉄男は1976年秋改編期から、なんと真裏の日本テレビ水曜8時枠で始まる主演ドラマ『気まぐれ天使』(制作:ユニオン映画)に出るため降板。後任のボス役に佐藤允、そして番組スポンサー・大正製薬のCMキャラクターでもあった長山藍子を入れてはみたけれど、パワーダウンした感は否めなかった。ここでテコ入れが行われ、1977年春改編期に、主演・坂上二郎の役と舞台である警視庁日の出署捜査課の設定はそのまま、番組タイトルを『新・夜明けの刑事』とし、それを機に活かしきれなかった佐藤允&長山藍子は揃って降板、三人目となるボス役は梅宮辰夫を迎え、さらには『夜明けの刑事』を途中降板していた石橋正次演じる池原刑事を復帰させて番組の強化を図る。

 

新・夜明けの刑事|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

一方、『Gメン’75』のほうは飛ぶ鳥を落とす勢いであった。1976年正月、その年一回目の放送で、原田大二郎が殉職降板したのだが、なんと欠員補充もせず、メンバーは固定したまま、セミレギュラーとなるキャラも入れずに突っ走っていく。ようやく人事異動が行われたのは1977年5月、放送3年目を迎える際、岡本富士太が殉職降板し、藤田三保子がインターポール所属となってアメリカで犯人を追うために海外転勤という設定で降板。その替わりに加入してきたのが、若林豪、伊吹剛、森マリアなのである。ハードボイルドを体現した立花警部補役の若林豪は中興の祖となり、『Gメン’75』はますます繁栄していったのは言うまでもない。

 

 

前年の1976年に第4シリーズを持って終了した『刑事くん』を放送していた月曜7時半の30分枠は1977年9月から『刑事犬カール』(制作:東京映画・渡辺企画)の放送が開始されて好評を得る。ここで当時幼児だった自分の想い出を。夜7時台までは自分の好きなテレビ番組を観られるのだが、8時台から母親やおばあちゃんにチャンネル権が移る。月曜8時はTBSの「ナショナル劇場」(『水戸黄門』、『大岡越前』、『江戸を斬る』)を観るのが我が家の慣わしであった。そのため、母親やおばあちゃんは8時になってチャンネルを替えさせないために(笑)、この7時半からTBSにチャンネルを固定して『刑事犬カール』の視聴を推奨していたほどなのである。テレビがまだまだ一家に一台の時代、どちらも高い視聴率だった背景には、どこのご家庭でもこういうことがあったんじゃないかと考える。

 

1977年秋改編期になると、『新・夜明けの刑事』は再度リニューアルして『明日の刑事』となる。夜が明けたから明日なのである。タイトルだけだとどっちが先にやっていたのか混同するが、こうして覚えておくと間違いない。

 

明日の刑事|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

引き続き、主演・坂上二郎の役柄と警視庁日の出署捜査課の設定はそのままながら、今度もまた半分となる三人ものレギュラーを入れ替えてきた。加入してきたのは、田中健、谷隼人、志穂美悦子、当時でも著名俳優であり、現在でも芸能界で活動している面々なのだが、正直言って番組ともどもその印象は薄い。当時は刑事ドラマブーム最盛期だったから改編期でも刑事ドラマ→刑事ドラマへと衣替えして、常に週8~10番組が犇めいていた。そのなかで突出していたのは『太陽にほえろ!』と『Gメン’75』であり、日の出署シリーズ第3弾である『明日の刑事』は十把一絡げの存在に陥っていく。『夜明けの刑事』時代から引き続いて売りである有名タレントをゲストに出したりしたんだけど、十把一絡げのところはどこも同じようなことをやっていたんで『夜明けの刑事』の頃にあったような刺激が視聴者はもう感じなくなってしまった。

 

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「中学一年コース」1978年6月号付録の冊子

人気のバロメーターが如実に出ている

表紙は両巨頭の『太陽にほえろ!』と『Gメン’75』が飾っていて

巻頭からの紹介もその順序で、『明日の刑事』は新番組『大追跡』を挟んで四番目であった

 

そして1978年春改編期、TBSは『Gメン’75』と『夜明けの刑事』は継続させて、もうひとつ刑事ドラマを増やす。それが日本テレビの金曜8時に君臨する『太陽にほえろ!』にブツけた『七人の刑事』である。『七人の刑事』とは同局で1961年から1969年まで放送されていたもので、1970年代前半に単発ドラマで4本ほど復活させたのを経て、この刑事ドラマブームに大復活させたものである。

 

〇 1978年4月期のテレビにおけるアクション&刑事ドラマ一覧
月曜 TBS『刑事犬カール』(但し、6月で終了)、●テレ朝『新幹線公安官』、7月から●フジ『大空港』
火曜 ●日テレ『大追跡』
水曜 TBS『明日の刑事』、テレ朝『特捜最前線』
木曜 なし
金曜 日テレ『太陽にほえろ!』 、●TBS『七人の刑事』、●テレ朝『東京メグレ警視シリーズ』
土曜 TBS『Gメン'75』
日曜 なし
●印は新番組
*石原プロはテレ朝日曜夜8時枠で、渡哲也主演のナンセンス時代劇『浮浪雲』を制作

 

1978年4月 「七人の刑事」が「太陽にほえろ!」に挑戦状を叩き付けた時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

『Gメン’75』が東映の制作、『明日の刑事』が大映テレビの制作でTBS映画部を通しての外注だったのに対して、『七人の刑事』は1960年代のオリジナル同様、TBSの自社制作で、制作スタッフは“ドラマのTBS”と讃えられたドラマ制作班が担当。制作費、宣伝費、ゲスト陣、脚本陣、『太陽にほえろ!』を凌駕していたのだけど、結局のところはすぐに惨敗を喫してしまった。1978年秋、日本テレビ側でもTBS『Gメン’75』が寡占する土曜9時枠に『太陽にほえろ!』の制作陣と現役&OB出演者を配した『姿三四郎』をブツけるもこちらも返り討ちの目にあってしまう。

 

こうして天下無双で放送していた『Gメン’75』もいよいよ躓く。当ブログの読者諸兄ならば、「そのハナシを持ち出すの何度目~?」となるものだが、1979年春改編期、日本テレビは『熱中時代・刑事編』をブツけたことにより第1話からして視聴率はWスコアで逆転、話題性も全部奪っていく。この勢いは放送期間である1979年秋改編期までの半年間衰えることはなく、一矢報いることさえ出来なかった『Gメン’75』は下り坂を転げ落ちた。

 

「Gメン’75」を喰った水谷豊主演「熱中時代・刑事編」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

また、『Gメン’75』側からしたらたんに異常人気とだけしか見ていなかった『熱中時代・刑事編』の終了後も、離れていた視聴者は戻って来なかったのは計算違いだったはず。慢心か、それとも何かやっていたつもりなのか、『Gメン’75』は世間の気を引くようなトピックがなく、ただただ鬼の居ぬ間の半年間をだらだらと過ごすだけであった。

 

1979年、「Gメン’75」は起死回生をどう図ったか? | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

日本テレビは1980年春改編期、西田敏行主演『池中玄太80キロ』、その後番組に水谷豊主演『熱中時代』(先生編第2シリーズ)を放送して『Gメン’75』は再びお手上げとなってしまった。さらにテレビ朝日の単発ドラマ枠「土曜ワイド劇場」が同じ東映制作のものを頻繁に入れてきたりと、『Gメン75』は存在そのものが袋小路に追いやられていく。これに対してTBSは大鉈を振ってきた。1981年春、まだまだ刑事ドラマは多かったが、そのブームはとっくのとうに曲がり角であったことから、『Gメン’75』の終了をこの早い段階で決定。一年後の後番組は10時枠とつなげたTBS初の2時間ドラマ枠「ザ・サスペンス」に変更する。そして、『Gメン’75』のプロデューサー、近藤照男を東映から独立させて近藤照男プロダクションとして引き続き土曜9時枠の制作に参加させた。

 

TBS「ザ・サスペンス」、かく戦えり | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

書いてて気が付いたのだが、東映制作の土曜9時枠が上向きならば、大映テレビ制作の水曜8時枠は下向きとなり、そのまた逆もしかり。1979年秋、『Gメン’75』が下り坂に転がっているとき、刑事ドラマブームの中でイマイチだった『明日の刑事』を終了させて、後番組は刑事ドラマという体裁だけは残して何もかも新しくした作品を繰り出す。

 

それが起死回生となった『噂の刑事トミーとマツ』

 

噂の刑事トミーとマツ|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS


主演でありながら地味な鈴木刑事を囲う個性ある刑事たちが一丸となって対処する『明日の刑事』まで続いたパターンから脱却して、主人公はハチャメチャな二人のキャラによるバディものへと転換。

 

1979年秋改編期開始の刑事ドラマといえば、真っ先にテレビ朝日-石原プロ制作の『西部警察』が思い浮かぶであろう。しかし、当時はそれに勝るとも劣らない話題性と視聴率を獲っていたのが『噂の刑事トミーとマツ』であり、学校なんかでは(開始時自分はまだ保育園児ではあったが)トミーとマツの掛け合いごっこが流行ったものである。

 

1979年10月「西部警察」とモスクワオリンピックと、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

〇 1979年10月期におけるアクション&刑事ドラマ

月曜 テレ朝『鉄道公安官』、フジ『大空港』、東京12『ザ・スーパーガール』

火曜 ●日テレ『探偵物語』

水曜 ●TBS『噂の刑事トミーとマツ』、テレ朝『特捜最前線』

木曜 ●フジ『手錠をかけろ!』、●日テレ『怒れ兄弟!』

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』

土曜 TBS『Gメン'75』、●フジ『駆け込みビル7号室』

日曜 日テレ『俺たちは天使だ!』(但し、11月終了)、●テレ朝『西部警察』

●印は新番組。フジ『駆け込みビル7号室』は弁護士が主役の〝事件もの〟ドラマ

 

新番組『噂の刑事トミーとマツ』におけるトピックは、水曜8時枠の刑事ドラマ枠へ石立鉄男が三年ぶりに復帰したこと。『夜明けの刑事』の相馬課長とは別人ながらも演じる相模管理官(本庁から所轄の富士見署に赴いて監督しているという立場)は、まんま同じキャラ。また、舞台となる富士見署の捜査課長(つまりボス)を演じる林隆三とは同期で親友ながら、本庁と所轄、階級の上下など、二人は事あるごとに、その立場からやらざるを得ない葛藤をしていて、毎回の物語に波乱を与える。この絶妙な設定はホントよく出来ていたと思う。また、日の出署シリーズにあった人情ものに笑いとペーソスを入れた設定が引き継がれているのもミソであり、たんなるドタバタ・コメディーに陥らず、見ごたえのある作品に仕上がっている。

 

『噂の刑事トミーとマツ』は当初半年間の放送予定が一年へと延長され、さらに主演ふたりのスケジュールが許すまでやり続けたのだが、開始から一年半経った1981年春改編期で一旦区切りを付けた。後番組は、石立鉄男が今度は主演となり、相手役に大場久美子を迎えて、大映テレビがかつて制作した『奥さまは18歳』を刑事ドラマ版にしてリブートさせた『秘密のデカちゃん』

 

秘密のデカちゃん|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

ここでちょっと裏番組の事情なんかも。日本テレビは1980年秋改編期から当時人気絶頂だった若手俳優の広岡瞬主演で青春コメディードラマ『痛快!ピッカピカ社員』(制作:東宝テレビ部)なる連続ドラマを始めたんだけど、まだ当時は裏で『噂の刑事トミーとマツ』がやっていたから到底敵わなかったわけ。視聴率もすこぶる悪くて春改編期までの放送予定を1月末で打ち切りにしてしまい、本来ならば春改編期から開始予定だった中村雅俊主演『俺はおまわり君』(制作:ユニオン映画)を前倒しで始めてしまった。しかしながら、『噂の刑事トミーとマツ』は相変わらず勢いがあるし、当時落ち目だった中村雅俊がそんなのを逆転出来るはずもなくて最初から大コケ。日本テレビの春~夏場はナイター中継を中心にした編成だからあえて打ち切りにすることもなく、半ば放置されたまま終わっていった。

 

 

で、さらなる余談。『俺はおまわり君』がズタボロに終わった後の1981年9月25日、中村雅俊は当時所属していた文学座の事務所で、その日に放送する『太陽にほえろ!』からラガー刑事役でデビューする後輩の渡辺徹と初遭遇したんだ。興奮したのは渡辺徹のほうで、憧れの先輩に色紙へサインを書いてもらった。そこに加えられた言葉が…

 

いつまでもあると思うな人気と仕事

 

希望に燃えていた新人・渡辺は唖然としたという。中村は1981年秋改編期開始のドラマにも出演はしていくのだけど、当時の偽らざる気持ちだったんじゃないかと思うのだ。しかし、『太陽にほえろ!』の新人刑事を射止めたラッキーボーイと邂逅したことで、中村の運気が上がっていく。主演ドラマなのにもかかわらず、主題歌じゃなく挿入歌に追いやられていた「心の色」が思わぬ大ヒット。オリコン一位を獲るわ、『ザ・ベストテン』&『ザ・トップテン』にも初ランキングして出演するわ、と、もう少しで当時の森田健作なみに過去の青春スターとなってしまうところから現役バリバリの人気俳優&人気歌手へと戻っていったのである。

 

そろそろ大映テレビの刑事ドラマに話を戻そう。1982年1月から9カ月ぶりに『噂の刑事トミーとマツ』は再開。刑事ドラマブームはもう終わっていたんだけど、その勢いと面白さは相変わらずであったし、「何も足さない・何も引かない」設定で、レギュラー出演者がまったく変わらず(第1シリーズの途中で事実上降板した志穂美悦子が出なかったくらい)、もはや『水戸黄門』なみに定番のギャグと定番の流れを期待する番組ファンに寄り添った作りであった。

 

婦警さんは魔女|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

1983年1月、後番組は榊原郁恵主演の『婦警さんは魔女』となる。どんな作品かというとタイトル通り、“婦警さんは魔女”であって、魔法を使えることから、松崎しげる演じる兄貴のダメ刑事(こちらは魔法を使えない)に替わって、直接手を下さずとも悪漢を懲らしめたり、事件を解決してしまう。だがしかし、妹が魔法を使えるなんて思いも寄らない兄貴のダメ刑事はその現場に必ず居合わせているので、それが自分の手柄だと自惚れてしまって大団円ながら益々ダメ刑事っぷりに輪が掛かってしまうというのが毎回のオチ。バカバカしいほど思いっきりコメディーに振った作品となっているのだが、大映テレビだから(!?)生真面目にも魔女という設定に拘ってしまい、トンデモな回があったりする。第3話「人形が歩く!もう絶望ほとんど魔女」は、現代における魔女狩りのハナシで、KKKなみに扮装した黒装束に覆面の魔女狩り団が魔女だと噂される女性を次々と殺害していく連続殺人が発生。その正体を名古屋章演じる父親以外にはひた隠す、榊原郁恵演じる“婦警さんは魔女”もこれには夢でうなされるほど恐怖に怯えるのだけど、勇気を振り絞って、魔女狩り団の標的にされてしまった母娘を救い出し、彼らの正体と本当の目的を探ったら…という、ちゃんと骨子は刑事ドラマらしい話になっているのが、さすがは大映テレビであった。

 

『婦警さんは魔女』にも松崎しげると国広富之のトミマツ・コンビは出ているのだけれども、松崎しげるはさほど出演シーンは減っていないのに対して、国広富之は1シーンだけとかの賑やかしなものとなり、まあそこらへんが『噂の刑事トミーとマツ』が終わった事情なのである。『婦警さんは魔女』は、謂わばその残り火みたいなもので、わずか1クール、1983年春改編期で終わっていき、ここで『夜明けの刑事』以来8年半続いた水曜8時の大映テレビ制作による刑事ドラマは終了する。

 

1982年5~8月まで日曜8時枠で放送した『刑事ヨロシク』(全10話)

当時流行していた青少年の非行問題と刑事ドラマを徹底的に茶化したナンセンス・コメディー

本放送時は視聴率が獲れなかったが、夕方の再放送で人気が出たことにより

同じカノックスの制作で『ビートたけしの学問ノススメ』が作られることになる


また、前年の秋改編期から日曜8時枠で放送していた『Gメン’82』(制作:近藤照男プロダクション)もテレビ朝日『西部警察PART-II』の裏であったことから視聴率が振るわず、半年後のやはり1983年春改編期で終了していき、TBSにおける刑事ドラマはしばらくなくなっていった。

 

〇1983年春改編期におけるアクション&刑事ドラマ

月曜 なし

火曜 なし

水曜 テレ朝『特捜最前線』

木曜 なし

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』、●テレ朝『新・女捜査官』→7月から●『新ハングマン』

土曜 ●日テレ『激闘!カンフーチェン』 

日曜 ●テレ朝『西部警察PART-III』

●印が新番組