今回もまた1976年ネタで、事件記者ドラマ『いろはの“い”』。

1976年8月10日から翌1977年3月29日まで日本テレビ火曜9時に放送されたものである。前番組は石原プロ初のドラマ制作となった渡哲也主演『大都会 闘いの日々』(1976年1月6日~8月3日まで全31回)。じつは、本作『いろはの“い”』と切っても切れない関係だから、まずはそっちの概要から紹介したい。警視庁城西署の組織暴力捜査を担う、通称・マル暴担当の捜査四課と大手新聞各社の番記者たちが詰める城西署記者クラブの微妙な関係を描いた刑事ドラマで、渡哲也は捜査四課の刑事、石原裕次郎は記者クラブ詰めの東洋新聞社キャップを演じた。
知られているように、『大都会 闘いの日々』は石原裕次郎が同じ日本テレビで主演する刑事ドラマ『太陽にほえろ!』(制作:東宝テレビ部)の成功を受けて、自社の石原プロでも同種のドラマ制作を日本テレビに願い出て手掛けたものである。また、石原プロ所属の看板俳優、渡哲也がその二年前の1974年にNHK大河ドラマ『勝海舟』の主役に抜擢されながらも病気で途中降板するはめになるアクシデントが発生し、芸能人生ドン底を味わいながら以後療養していたのからテレビドラマ復帰第一作という気合を入れた位置づけ(前年制作および劇場公開の東映映画『仁義の墓場』が初の俳優復帰作)でもあった。
流行りの刑事ドラマ、石原プロ初のテレビドラマ、テレビドラマ復帰一作目の渡哲也&石原裕次郎二大スターの共演という触れ込みで当初は話題作だったものの、その当時の潮流であるサスペンスアクションではなく、地味な人情噺に傾いて、刑事の悲哀と新聞記者の無力さというダウナーな設定が視聴者の趣向には合わず、視聴率と評判は望んだものを得られなかった。ただ、日本テレビ側は既に至宝となっていた“『太陽にほえろ!』のボス・石原裕次郎”に加え、渡哲也まで他局との掛け持ちもなく出てくれたことから、テコ入れしながらも当初2クール・26話分に加えて、ボーナス分として+5話分の全31話を制作させて、石原プロに成功体験をもたらせた。ちなみに、石原プロ側プロデューサーの石野憲助は、『大都会 闘いの日々』を制作する際に日本テレビ側の斡旋で国際放映から移籍してきた御仁で、テレビドラマ制作の運営を知らない石原プロがそれでツブれないようにと配慮されたもの。ちなみのちなみに、秋改編期の遥か前だった8月第一週という中途半端な時期に迎えた最終回にも理由があり、そのクランクアップは6月末で、渡哲也の体調を考慮して、本格的な夏場に入る前の気候が穏やかな時期に終わらせたから。このように、すべてが日本テレビによる石原プロ・ファーストで作られたものなのである。
あいかわらず、前置きが長くなってしまったが、ここからいよいよ『いろはの“い”』の話をしていこう。
内容は所轄署詰めの新聞記者クラブを描いた事件記者ドラマで、先に示した前番組『大都会 闘いの日々』における記者クラブの設定をそのままスライドさせた。舞台となる警視庁城西署や東洋新聞の名称も引き継いでいる。しかしながら、制作プロは東宝テレビ部に移っていて、それも『太陽にほえろ!』とほぼ同じスタッフで作られ、ゲスト出演者も似通ったものだからして姉妹作品ともいえるのだけど、やはり基本は前番組『大都会 闘いの日々』、その設定の半分をリブートしたものである。八か月後、1977年春改編期からの後番組は、石原プロの制作に戻しての『大都会PART-Ⅱ』となる。そちらにも記者クラブの設定は縮小されながらも残っていくから、まあ、いわば『いろはの“い”』は『大都会PART-1.5』といったところか。言い方は悪いが、『いろはの“い”』は石原プロの制作再開&渡哲也が良好な環境な時期に撮影が開始出来るように、世界観を変えない“つなぎ番組”として作られたものでもある。
ブーム変革期となった1977年春改編期の刑事ドラマ | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry
事件記者もののドラマはテレビ黎明期から存在して、その名もずばり『事件記者』がヒットするなどジャンルとして常にあった。ただ、事件記者もののひとつ、記者クラブと捜査陣を一緒くたに描くことは、登場人物の多さ、場面の割り振り等、一時間のドラマとしてはボリュームがあり過ぎるのか、かの『太陽にほえろ!』でも最初期に片岡五郎と山東昭子演じるライバル社どうしの七曲署詰め番記者を出していたのだが、わずか三話分(第1話、第4話、第24話)しか使い切れずに挫折していく。同じ日本テレビ側 岡田晋吉プロデューサーによる『大都会 闘いの日々』はそれをリブートさせたものの、捜査する刑事たちに軸足を置くと記者クラブたちはおざなりになり、その反対に記者クラブたちに軸足を置くと捜査する刑事たちがおざなりになっていた。
1976年8月におけるアクション&刑事ドラマ 一覧
月曜 TBS『刑事くん』(第4シリーズ)、東京12『プレイガール傑作シリーズ』(いわゆる再放送)
火曜 TBS『火曜日のあいつ』、NET『新・二人の事件簿 暁に駆ける』、日テレ『いろはの“い”』
水曜 TBS『夜明けの刑事』、NET『特別機動捜査隊』
木曜 NET『非情のライセンス』(第2シリーズ)
金曜 日テレ『太陽にほえろ!』、NET『ベルサイユのトラック姐ちゃん』
土曜 TBS『Gメン’75』
日曜 なし
*1976年秋改編期で『火曜日のあいつ』と『ベルサイユのトラック姐ちゃん』、『プレイガール傑作シリーズ』は終了し、フジテレビにて『刑事物語 星空に撃て!』、『コードナンバー 7人のリブ』開始。
刑事ドラマブーム下であり、そのブームを引っ張ってきた『太陽にほえろ!』の日本テレビ・岡田晋吉プロデューサーと東宝テレビ部・梅浦洋一プロデューサーは、刑事ドラマでも、前者ではなく後者、つまり記者クラブたちに軸足を置いたドラマにすることで個性を自ずと確立させた。さらには番組タイトル『いろはの“い”』のインパクトである。当時は番組に長いタイトルを付けるのが流行っていたので、その逆を行き、「なんだかよくわかんない」ものとして気になるものにもした。
ただ、一度でも番組を観ればそれを理解出来る。
毎回、番組の幕開けはバンク場面で、ガス爆発火災の映像が立て続けに流れ、主演の竹脇無我が新宿の象徴であった高層ビルをバックにして公衆電話で通話相手に「現場は新宿五丁目、スナック・イグレット、“え”じゃないよ、いぐれっと!、いろはの“い”」と叫んで輪転機をバックにしたタイトルが出てきてオープニングが始まるのだ。いわゆるタイトル回収ってやつ。
それでは、内容のほうを見て行こう。

日本テレビ広報誌『うわさのテレビ』1976年秋号から
新聞記者は靴をすり減らしてナンボ、というわけで
『太陽にほえろ!』よりも走る、走る、ベテランも走る!
まず、『太陽にほえろ!』のスタッフたちが作ったものだから、主要レギュラーの登場人物たちにニックネームが付けられていて、それで呼び合っている。が、主役の竹脇無我が演じる神谷章に付けられたコベソというのはあまりにカッコ悪すぎだからか、ほとんどが本名の神谷、またはそれにさん付けで呼ばれている。せいぜい、本人が居ないところで、陰口としてそのコベソが出てくる程度。
それから、記者クラブの人員構成が面白い。主役の竹脇無我=コベソが勤める東洋新聞は、大先輩であり、実父役でもある金子信雄演じるベテラン遊軍記者=ヘソタツが時折出入りするけれど基本は一人、藤岡琢也=オニトウが勤めるタイムスは寺尾聡=ハイドンと神田正輝=オクの部下を含めて三人と一番の大所帯、ともに目立たない森本レオ=キクやんと三景啓司=スギが勤める大都日報はこの二人、そして黒沢年男=クロバイが勤める中央新報は一人だけ、合計7人と刑事ドラマの体裁そのもの。刑事ドラマと違うのは、常に一致団結しているわけではなく同業他社どうしだから互いが騙し騙され、抜きつ抜かれつつ行動している点。でも、ときには全員一致団結して一つの真実に向かったり、せっかく一社だけが勝ち取ったスクープのネタを捨ててまでも記者クラブ内で育まれた友情を優先するなど、東宝テレビ部の制作ならではの青春ドラマが展開される。

1976年4月、「火曜日のあいつ」と、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry
『いろはの“い”』の前時間帯、火曜8時からはTBSで同じ東宝テレビ部制作の青春ドラマをやっていた
キャラの配置もよく出来ていて、藤岡琢也=オニトウは本人曰くこの記者クラブの中で一番の古だぬきだから記者クラブ全員で何かをするときの指示役・幹事役も担っている。つまりは刑事ドラマにおけるボス役なのだ。オニトウと同年輩の金子信雄=ヘソタツは、ボスとツーカーのおやっさんキャラだから、部下であり、ひとつ屋根の下で一緒に暮らす息子でもある竹脇無我=コベソを仕事現場でも温かく見守る。後年、金子は『おやこ刑事』でも主役であり息子役の名高達郎とともに同じ署の捜査課に父子で勤める刑事役で、その役回りでもおやっさんポジションを演じている。1979年放送のテレビドラマ版は1977年開始の原作漫画に設定が忠実で、そちらでもヤモメ父子刑事がひとつ屋根の下に住んでいるというもので、おそらく元ネタはこの『いろはの“い”』のヤモメ父子新聞記者から来ているのかもしれない。
東京12チャンネルで放送された刑事ドラマ『おやこ刑事』 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry
黒沢年男=クロバイは一匹狼のクールキャラで、竹脇無我=コベソとの絡みでは、ときに手強い敵になり、ときに絶大な味方となる一番のライバル役。その一匹狼にも相棒が居て、当時まだ現行車種だった初代フェアレディZを専有取材車両として乗り回している。日産自動車から貸与されたツルシではなくて、ボディがカタログには載っていない黒のマット塗装が施されているのが特徴だ。竹脇無我=コベソも機動力で張り合うのだが、記者クラブ連中がたむろする城西署近くの喫茶店&スナック「えんぴつ」所有のチェリーFⅡクーペを飲食代とともに“ツケ”でその都度借り受けている格差…。ただ、これは第1話・第2話のみで、やはり主役には主役に相応しいクルマが用意されていて、放送開始の前月1976年7月にデビューしたばかりの810ブルーバードが途中から専有取材車両として与えられている。

【2025年現在】竜雷太の今は?亡くなったや病気と心配する声も!画像 – GN
喫茶店&スナック「えんぴつ」のママを演じるのは夏桂子
当時、竜雷太の奥さんだった方
『太陽にほえろ!』と同じ国際放映で撮られていたから同伴出勤していたかも!?
さて、『いろはの“い”』は、事実に沿った面白い設定を設けている。それは、新聞における記事原稿の出稿締め切り時間。当時の朝刊ならば午前2時、夕刊ならば午後2時。各社の記者たちはそれに向けて時間を気にしながら事件を追っていくのである。だから、勇み足で、警察よりも先んじて現場に踏み込んだり、容疑者と接触を持ってしまうなど、スリルある場面が出てくるのである。また、朝刊で他社に出し抜かれたりしても、夕刊でリターンマッチが出来るチャンスが常にあるから物語の運びに飽きが来ない。ここが『いろはの“い”』における、他の事件記者ドラマや刑事ドラマにない魅力となるのであろう。