今回の記事もまたTBSチャンネル『夜明けの刑事』のことを。『夜明けの刑事』単体としてももちろん楽しめるのだけど、大映テレビの制作、TBSのドラマ、そして刑事ドラマとしての側面から、それを観ればさらに楽しめるように関連する他のドラマを紹介していきたい。

 

 

ただ、同時期に同じ大映テレビの制作で作られた同じ刑事ドラマの『TOKYO DETECTIVE 二人の事件簿』(制作:朝日放送-大映テレビ、1975年4月1日~11月25日放送)なんかをこれみよがしに提示しても、それは視聴困難作品だから書き手の自己満足に終わってしまうので、ソフト化されていたり、スカパー!でも頻繁にやっている、視聴が容易な作品を中心にして綴っていく。

 

まずは意外な作品との関連性から紹介しよう。それは同じTBSで同じ1974年秋改編期に開始した『日本沈没』(制作:TBS‐東宝映像、1974年10月6日~1975年3月30日放送)と。

 

『夜明けの刑事』第11話「それでも結婚したい」(1974年12月11日放送)、続く第12話「二人の妻を持つ夫」(1974年12月11日放送)は二本撮りでの熊本県阿蘇ロケ編となっており、その三日前に放送した『日本沈没』第10話「阿蘇の火の滝」(1974年12月8日放送)もサブタイトルが示すとおりに熊本県阿蘇ロケを行っている。

 

 

 

『日本沈没』(制作:TBS-東宝映像)とは1973年末に東宝で公開された同名の映画とともに、当初から企画されていた連続テレビドラマ版で、制作プロは東宝映像ながら、TBS局側プロデューサーのひとりが『夜明けの刑事』と兼任している安田孝夫であることから必然的に関連性が高いのだ。

 

地方ロケの必須事項である宿舎(つまりホテルや旅館)が同じホテル白雲山荘だし、熊本県の、それも阿蘇という局地的な地域だから、似通っている…のを通り越して同じ場所でロケをしている。東京近郊のロケならばごくごく当たり前のことだけど、これほどまでに同じ場所に赴いた地方ロケで、同時期の撮影および放送がなされたドラマどうしというのは他にないんじゃないかと思う。

 

赤い衝撃|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

TBSと大映テレビは翌年放送開始の『赤い衝撃』でも熊本県阿蘇ロケを行っている

 

第13話「サンタの乗っ取ったバス」(1974年12月25日放送)、第14話「理由あるプレイボーイ」(1975年1月1日放送)は、半年後に同じTBSで番組が始まる『Gメン’75』(制作:TBS-東映、1975年5月24日~1982年4月3日放送)と深い関連性、もっと言うと、ぶっちゃけネタ元のひとつにしていたんではないかと勘繰る。

 

第13話「サンタの乗っ取ったバス」は刑事ドラマ定番のバスジャックものなんだけど、そのバスに乗り合わせていた人間模様の一つとして、粗暴なチンピラが車内で行っている喫煙を正義感の強い女子高生だけが毅然とした態度で注意する描写があるのだ。これは川谷拓三がそのチンピラ役でゲスト出演した『Gメン’75』第47話「終バスの女子高生殺人事件」(1976年4月10日放送)そのもの。

 

川谷拓三が演じた東映映画と「太陽にほえろ!」のバスジャック犯 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

刑事ドラマは、バスジャックにその色が出る | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

また、第14話「理由あるプレイボーイ」は航空会社のキャビンアテンダント(当時の言葉で言えばスチュワーデス)が海外へのフライトをするたびに麻薬の運び屋をやっていて、隠密捜査でそれを摘発する話となっており、まさに『Gメン’75』の記念すべき第1話「エアポート捜査線」(1975年5月24日)そのもの。まあ、他にもほじくればもっといろいろ出てくるかもしれないが、今回はここまで。

 

 

1970年代までドラマ番組の放送期間は半年間が標準で、だからして4月第一週前後の春改編期・10月第一週前後の秋改編期に番組の入れ替えがこぞって行われた。1974年秋改編期開始の『夜明けの刑事』は好評のため、1975年春以降も番組が継続となる。その好評を崩したくなかったのか、レギュラー刑事の入れ替えは一切なし、新機軸もなしで、4月第一週の第27話「夢の新幹線殺人事件」(1975年4月2日放送)を人気絶頂期突入直後の山口百恵、終わったばかりの『水もれ甲介』(制作:日本テレビ-ユニオン映画、1974年10月13日~1975年3月30日放送)で石立鉄男とは兄弟役としてレギュラー共演した原田大二郎、当時大人気だったアメドラ『刑事コロンボ』の吹替をしていた俳優でそのコロンボまんまのコスプレ刑事役の小池朝雄らをゲストに招いたイベント回としただけで3クール目に入っていく。

 

以前も示したように、1975年春改編期からどっと!刑事ドラマが増え始めて、いわゆる刑事ドラマブームの幕開けとなった。日本テレビはその春改編期からの新番組で刑事ドラマ『俺たちの勲章』(制作:日本テレビ-東宝テレビ部、1975年4月2日~9月24日放送)をなんと水曜8時、つまり『夜明けの刑事』の裏番組にぶつけてきたのだ。

 

 

 

ただし、『俺たちの勲章』の放送期間中はプロ野球 巨人戦のナイターシーズンであり、日本テレビもTBSもかなりの頻度でその中継番組を入れてきたから、それで各々の番組は度々休止されていた。その日に巨人戦がなかったか、他局でやっていたときの、どちらの番組も放送した直接対決になったのは『俺たちの勲章』本放送時18回(全19話作られたが、一話分ナイター中継が優先されて流れた)のうち、①4月2日、②4月16日、③4月30日、④6月11日、⑤6月25日、⑥7月9日、⑦7月23日、⑧9月10日のわずか8回に過ぎなかった。

 

ただ、視聴率的なことを持ち出すと、当時の『夜明けの刑事』はそれまで水曜8時枠トップだったフジテレビの老舗時代劇『銭形平次』を抜いて20%台前半を獲っていて、もともと視聴率が獲れなかった日本テレビ水曜8時枠に宛がわれた『俺たちの勲章』はその半分行けばいいほう。まったく勝負にならなかったのだが、そこに巨人戦のナイター中継が入るとガラリと変わってくる。この年、読売巨人軍の監督に長嶋茂雄が就任したことにより、勝っても負けても注目されだして、それまで15%前後だったものからなんと10%も跳ね上がって25%前後獲るようになっていき、その分、『夜明けの刑事』のナイターシーズンにおける視聴率はヘコむことになっていく。

 

なお、日本テレビの水曜8時枠は外注制作のドラマ番組ばかりだったことから、TBS-大映テレビによる一連の刑事ドラマ番組の裏で放送していたものはソフト化されているものがかなり多い。今年は『泣かせるあいつ』(制作:日本テレビ-松竹、1976年3月17日~9月22日放送)までソフト化されている。

 

 

 

次は、第43話「愛の終わりに殺された女」(1975年10月8日放送)から加入した水谷豊について。1975年秋改編期、前述したように刑事ドラマのブームはすでに始まっていて、番組開始からちょうど一年経つ『夜明けの刑事』はその一翼を担っていたと言っても過言ではない。刑事ドラマとして先行する『太陽にほえろ!』(制作:日本テレビ-東宝テレビ部、1972年7月21日~1986年11月14日放送)と同様に所轄署なのに警視庁なんでも課の趣でやっていたのだが、開始時の大きな違いとして『太陽にほえろ!』が売りとしている“新米刑事”がいなかったことが挙げられる。なのに、放送二年目となるのを機に加入した水谷豊の役柄は“新米刑事”であり、すでにブレイクしていたこともあって毎回のようにフィーチャリング水谷豊とその“新米キャラ”エピソード中心で番組作りが行われて『太陽にほえろ!』により近づいてしまった。

 

元祖である『太陽にほえろ!』のほうでもこの1975年秋改編期に“新米刑事”が登場する。宮内淳演じるボン刑事だ。第168話「ぼんぼん刑事登場!」(1975年10月3日放送)での初登場時、すでに他の所轄署の刑事だったからまったくの“新米刑事”ではなかったが、経験の浅さはその程度に過ぎない。

 

1975年秋改編期における刑事ドラマ

月曜 なし

火曜 日テレ●『はぐれ刑事』、NET『二人の事件簿』(ただし、11月で終了)

水曜 TBS『夜明けの刑事』、NET『特別機動捜査隊』

木曜 NET『非情のライセンス』

金曜 日テレ『太陽にほえろ!』、NET●『燃える捜査網』

土曜 TBS『Gメン’75』、フジ●『新宿警察』

日曜 なし

●印が新番組。なお、『新宿警察』は秋改編期前の9月第1週から放送開始

 

刑事ドラマは当時すでに週9作品となって溢れ出していた。『夜明けの刑事』の水谷豊とともに、『はぐれ刑事』(制作:日本テレビ-国際放映・俳優座映画放送、1975年10月7日~12月30日放送)で沖雅也演じる生意気な刑事も“新米刑事”の範疇でその成長物語が描かれる。こうして『太陽にほえろ!』の成功→刑事ドラマブーム幕開け→“新米刑事”の成長談が番組作りのスタンダードになっていく。

 

それでも純情派だよ、「はぐれ刑事」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

なお、東海地方のメ~テレで放送されている『太陽にほえろ!』は継続に次ぐ継続で先週分からボン刑事登場編になっているのだとか。

 

向こう一週間の太陽放送2024.9.2- - 「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2 (goo.ne.jp)

 

水谷豊にとってTBS-大映テレビのドラマへ出るのは二度目で、最初は『顔で笑って』(1973年10月5日~1974年3月29日放送)、次が本作で、次の次が宇津井健とのW主演となった『赤い激流』(1977年6月3日~11月25日放送)となり、『夜明けの刑事』のレギュラー陣どうしでは石立鉄男と再共演していく。

 

赤い激流|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

水谷豊は当初から半年間の出演であって、第67話「君は妻娘を殺されたらどうする!!」(1976年4月14日放送)で降板した直後、本来ならば、同じTBSでこの1976年春改編期から開始された『火曜日のあいつ』(制作:TBS-東宝テレビ部、1976年4月20日~9月28日放送)への主演と、その掛け持ちで同時期開始の、同じ所属事務所の看板女優である浜木綿子主演『ベルサイユのトラック姐ちゃん』(制作:NET-東映、1976年4月30日~9月17日放送)に主要レギュラーで出演する予定だったのだが、都内で撮影の『夜明けの刑事』と京都で撮影の時代劇『影同心II』(制作:毎日放送-東映、1975年10月18日~1976年3月27日放送)の掛け持ちをしていたことからくる重度の疲労で体調不良となってしまい、長期間の休養生活に入らざるを得なくなって、ふたつとも事前降板した。

 

『火曜日のあいつ』で水谷豊のピンチヒッターとなったのが石橋正次。もう一人の主演、小野寺昭は設定された役であるトラック運転手になくてはならない大型自動車第一種運転免許を忙しい中でもそのために取得していた一方、石橋も同じトラック運転手役だったんだけど、そういう理由で取得が間に合わなかったわけである。だから、劇中では私有地のみ運転していて、公道の場面は“吹替”に頼った。なお、鈴木ヒロミツもレギュラー出演していて、石橋とは『夜明けの刑事』以上に丁々発止のやりとりを見せていた。

 

東宝版トラック野郎「火曜日のあいつ」初ソフト化 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1976年4月、「火曜日のあいつ」と、その時代 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

『ベルサイユのトラック姐ちゃん』のほうはレギュラー出演を断った詫びとして第1話にゲスト出演している。『傷だらけの天使』(制作:日本テレビ-渡辺企画・東宝企画、1974年10月5日~1975年3月29日放送)でのブレイク前から途切れなく連続テレビドラマ出演を続けてきたのだが、このゲスト出演を最後に、1976年春改編期→キャスティングが最低半年前には決まる1976年秋改編期における連続テレビドラマの仕事を入れられなかった。この後の1976年における仕事は、映画『青春の殺人者』主演だけで、テレビドラマに復帰するのは1977年に入って放送される、NHK『男たちの旅路』(第2シリーズ全3回、1977年2月5日~2月19日放送)とTBS「東芝日曜劇場」でやった単発ドラマ『バースディ・カード』(制作:北海道放送、1977年2月13日放送)からとなった。

 

「ベルサイユのトラック姐ちゃん」、YouTubeで配信開始。 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

というわけで、ちょうど、TBSチャンネル『夜明けの刑事』は水谷豊が降板したところだから、今回の記事で綴るのもここまでにしよう。後任の“新米刑事”役を演じた山本紳吾とか石立鉄男の降板なんかのことは、またの機会に。

 

『週刊女性』1976年8月3日号広告

水谷豊は休養しててテレビに出てなくても

ゴシップ記事のトップを飾るまでのスターとなっていた