1982年4月で終了したTBS土曜夜9時『Gメン’75』の後番組は、10時枠と繋げた2時間単発ドラマ枠の「ザ・サスペンス」となった。

 

「ザ・サスペンス」で放送された作品群はTBSチャンネルで頻繁に放送されている。今週末の5月11日(土)に放送される『黄金流砂』(本放送は1983年8月20日)もそのひとつで、以前から気に入っている作品だ。本作も含めて、大映テレビの制作による作品が多い。今回の記事は、その理由を含めながら、TBS初の2時間単発ドラマ枠「ザ・サスペンス」が如何に誕生し、そして終焉していったのかを綴っていきたい。

 

ザ・サスペンス「黄金流砂」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

まずは前史を紹介。冒頭で示したように、刑事ドラマ『Gメン’75』の後番組として誕生した。1975年開始の『Gメン’75』は放送開始から瞬く間に土曜9時枠の覇権を獲り、その頃の視聴率は平均で20%台半ば、30%台も度々記録し、1970年代後半の刑事ドラマブームにおける旗手となっていった。しかし、1979年春改編期、日本テレビが金曜9時枠でやっていて社会現象となり、最終回は驚異の視聴率40.0%を叩きだした、水谷豊主演『熱中時代』(教師編・第1シリーズ)終了から8日後、それがそのまま今度は土曜9時枠に移ってきて同じ水谷豊主演『熱中時代・刑事編』を始めたら、第1話から視聴率が逆転。“フィーバー”に飲み込まれた『Gメン’75』はわずか10%台前半しか獲れなくなってしまう。

 

「Gメン’75」を喰った水谷豊主演「熱中時代・刑事編」 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

1979年秋改編期、『熱中時代・刑事編』は予定通りに終了して以後の半年間、『Gメン’75』は土曜9時枠で再び視聴率のトップは獲っていくものの、以前のように覇権を獲るとまでは行かなく、各局10%台半ばで並んだなかを頭一つ抜け出していたくらいで、20%越えはたまにしか獲れずにいた。また、この間に番組が再興するような新キャラクターや新設定も出せずにいたから、1980年春改編期になると、裏の日本テレビで放送開始した西田敏行主演『池中玄太80キロ』にあっさりと抜かれて、視聴率は再び10%台前半に墜ちていく。1クール後の7月からは視聴者待望の水谷豊主演『熱中時代』(教師編・第2シリーズ)が始まってしまい、そこで『Gメン’75』は番組としての命運は尽きていく。

 

1979年、「Gメン’75」は起死回生をどう図ったか? | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

刑事ドラマブームは1979年~1980年をピークに1981年からは一気に下がっていく。一方で、ドラマ界のブームは単発の長時間ドラマ枠に移っていった。その先駆けとなったテレビ朝日「土曜ワイド劇場」は『Gメン’75』の裏番組で1977年7月開始。『Gメン’75』の全盛期から衰退期まで視聴率は安定していて、それを成功と見た他局も続々と単発の長時間ドラマ枠を作っていく。フジテレビでは1時間半枠で「土曜ナナハン学園危機一髪」、日本テレビでは1980年春改編期に2時間枠で「木曜ゴールデンドラマ」。どちらも当初は苦戦していて、TBS『クイズダービー』と『8時だョ!全員集合』の裏でやっていたフジテレビ「土曜ナナハン学園危機一髪」は半年で打ち切りとなったのだが、日本テレビ「木曜ゴールデンドラマ」は劇場用映画みたいな派手な作りの路線を早々に替えて、嫁姑問題や女の一代記など地味な作風ながらも中年の女性視聴者層(いわゆるF2層)に趣向を絞ったことが幸いとなる。裏番組のTBS『ザ・ベストテン』が寡占していた時間帯ではあったけれど、その『ザ・ベストテン』がトシちゃん・マッチ・聖子ちゃんが常連となって次第にティーン向けのアイドル歌謡番組になっていったことから「木曜ゴールデンドラマ」は大人の視聴者層にとって受け皿となり、軌道に乗って12年もの長寿番組となっていった。TBSも特番形式で単発の長時間ドラマは作ってはいたものの、その沸き出したブームには静観して番組枠を作るまでには至らなかった。

 

しかしながら、1981年に入ると、その春改編期にフジテレビでは時代劇に特化した「時代劇スペシャル」、秋改編期には日本テレビでさらにもうひとつの枠、「火曜サスペンス劇場」を設けるなど、単発の長時間ドラマ=2時間ドラマのブームはますます過熱していく。もはや見過ごせない事態にようやく重い腰を上げて挑んだのが、袋小路に入ってしまった『Gメン’75』に終止符を打ち、その後番組としての「ザ・サスペンス」なのである。

 

「時代劇スペシャル」と、その裏番組「太陽にほえろ!」の関係 | 茶屋町吾郎の趣味シュミtapestry (ameblo.jp)

 

まだまだ“視聴率番外地”だったテレビ東京を除いて、民放4局のなかで最後発となったTBSの2時間ドラマ枠「ザ・サスペンス」は企画当初から苦難の道を辿った。そのブーム下において外注の制作プロが思うように確保出来なかったのである。喧嘩を売られたかたちとなった裏番組のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」は、TBSが「ザ・サスペンス」を始めるにあたって各制作プロに「あちらの制作に参加するならば、こちらでの制作は今後ご遠慮願いたい」という旨を出して牽制した。TBS「ザ・サスペンス」に、東映、東宝テレビ部、東宝映像、松竹、国際放映などの既に2時間ドラマへは手練れた大手制作プロが参加しなかったのはそのためである。

 

そういった理由から番組枠の半分はTBSの自社制作(後期は子会社の木下プロも参入)とせざるを得なかった。ただ、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」がすべて外注であり、当時ほとんどがフィルム撮影の作品だったのに対して、VTR収録の作品は差異となって番組枠の特色を出せた。

 

さて、そのTBS「ザ・サスペンス」がテレビ朝日「土曜ワイド劇場」から唯一引き抜けたのは、大映テレビだけであった。TBSでは大映テレビに連続ドラマの制作枠を常時二つ与えており、対してテレビ朝日では一つも与えておらず、それが大きかったのだ。通産126作品中、四分の一にあたる34作品を担当した理由がそこにある。おそらく大映テレビが参画しなかったら「ザ・サスペンス」は企画倒れで流れていたことだろう。

 

(※ ただし、大映テレビはテレビ朝日「土曜ワイド劇場」で月一回ある朝日放送の制作担当回は手掛けたり、後から再びテレビ朝日制作担当回も手掛ける)

 

また、東映が制作していた前番組『Gメン’75』の担当プロデューサー・近藤照男に独立を促して近藤照男プロダクションを設立させて参画させた。他にもTBS月曜8時「ナショナル劇場」で番組スポンサー・松下グループ側の制作責任者だった逸見稔が松下グループを独立退社して興したばかりの制作プロ、オフィス・ヘンミなども。変わり種としては、ダックス・インターナショナルが二作品担当している。聴いたことあるような…ないような…名前の制作プロだと思う。じつは、TBS土曜夕方5時半から放送していた『まんがはじめて物語』の制作プロであり、とにかくTBSと関係あるプロダクションは端から招かれたのである。

 

柿ノ木坂の首吊り殺人事件 || ファミリー劇場 (fami-geki.com)

近藤照男プロが手掛けた作品のひとつ

丹波哲郎主演で他の面子もGメンおなじみばかりが揃っている

 

1982年4月10日の放送開始、その第1回放送作品は、TBSの自社制作で『陽のあたる場所』。アメリカ映画を原作とした、沢田研二主演・夏目雅子の相手役によるもので、対してこの日の「土曜ワイド劇場」は3時間枠に拡大し、栗原小巻主演・根津甚八の相手役による『松本清張の風の息』(制作:松竹・霧プロダクション)で対抗した。視聴率の結果はTBS「ザ・サスペンス」が13.0%に対してテレビ朝日「土曜ワイド劇場」が21.3%で圧勝したが、やはりそれは“松本清張 原作”によるところが大きい。次週はTBS「ザ・サスペンス」が“松本清張 原作”『内輪の海』(制作:大映テレビ)を持ってきて18.7%を獲り、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」の『西村京太郎トラベルミステリー 北紀行殺人事件』(制作:大映京都撮影所)を14.4%に抑えて勝っている。

 

ザ・サスペンス 松本清張「内海の輪」|ドラマ・時代劇|TBSチャンネル - TBS

 

1981年秋改編期開始の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」もその第1回作品に“松本清張 原作”『球形の荒野』(制作:三船プロダクション)を持ってきており、いかにキラーコンテンツだったのかが伺えよう。前述のとおり、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」はTBS「ザ・サスペンス」に参画しようとする制作プロに牽制をした他、早々に脚本家や監督ら個人スタッフも年間契約で囲い込んだが、“松本清張 原作”はどうにもならなかった。松本清張主宰の霧プロダクションは各テレビ局に対して、粗製乱造を防止するのと公平を期すことから原作の映像化本数に年間で制限を掛けていたからだ。最後発のTBS「ザ・サスペンス」はそこに救われた。

 

1984年9月にTBS「ザ・サスペンス」は終了する。二年半に渡るテレビ朝日「土曜ワイド劇場」との視聴率対決は51勝77敗であった。形として負けて撤退とはなったが、わりと善戦していたとも言えよう。なお、最終対決の1984年9月29日放送分は改編期にもかかわらず、どちらも“松本清張 原作”という絶対に勝てるコンテンツではなしに正々堂々と渡り合い、TBS「ザ・サスペンス」の『戦後最大の殺人鬼・勝田清孝に間違えられた男』(制作:TBSの自社)が16.3%で、テレビ朝日「土曜ワイド劇場」の『処刑教師』(制作:日活撮影所)を13.4%に抑えて有終の美を飾った。

 

後番組の9時台は一時間枠の連続ドラマに戻って、『スクール☆ウォーズ』(制作:大映テレビ)で、半年後のそのまた後番組が『スーパーポリス』(制作:近藤照男プロダクション)。「ザ・サスペンス」を支えた大映テレビと近藤照男プロダクションに対しての報恩であったのだろう。