城山魂 -80ページ目

ちゃどくが

一昨日から、私の体に、とある異変が起きた。突然、全身に斑点が発生したのである。しかも、物凄くかゆい。

早速、区内最大級の総合病院に行き、薬をもらい一晩過ごしたが一向に良くならない。仕方なく、翌日、個人病院に行った。結果、茶毒蛾に刺されたことが原因であることが判明し、薬をもらった。季節の虫、地域、生活範囲等、細かいカウンセリングをして出した結果であった。数時間後、かゆみがだいぶ和らいだ。

今回の経験を通し、感じたこと。それは「地域を知る」ということである。

今回、お世話になった2つの病院。院名だけを比較すれば、きっと総合病院の方が有名である。しかし、結果は上記の通り。

思い返せば、小さな個人病院であったが、院内には長蛇の列が出来ていた。きっと、常連の来院客ばかりであると思う。個人病院ではその土地の虫、生活環境、習慣等、様々な話をして頂いた。その地域に住む人の事をよく知っていた。

私はそこに見習うべきものを感じた。現在、当園では通園用のバスを使用していない。毎日、園児と保護者が一緒に通園する、本当の地域の幼稚園である。しかし、私はどれだけ地域の事を知っているだろうか?正直、あまり自信がない。

今回の経験を経て、自らが自らの住む地域を知ったとき、もっともっと現在の自分に必要な何かが見えてくるような気がする。同時に、自らが気付いていない、自らの強みも見えてくるように思う。

今回の茶毒蛾に刺されるという苦い経験も、それに気付かせてくれるために生じたものであると考えればありがたいものである。

行動は自分にまかせ、噂は人の口にまかせる

人間は非常に弱いもので、他人の噂や流行に踊らされてしまうことがある。特に今日の情報社会における噂の力は凄まじい。私の職場も地域とは切っても切れない関係にあり、常に噂話の絶えない職場である。そういったこともあり、時折、園に来て頂いた方のご機嫌を伺う経営になってしまうことがある。もちろん、来て頂いた方に満足していただくことは大切である。しかし、そこで言われたセリフに対応しているだけでは感動は生まれない。言われてからやったのでは遅いのである。本当にやらなければならないのは、相手が想像もしなかった感動を先に想像し、それを相手の目の前で実現してあげることなのだ。しかし、これは非常に勇気がいる。

そんなフラついた経営をしている私だが、本日、本の中で素晴らしい言葉に出会うことが出来た。

「行動はわし(自分)にまかせ、噂は人の口にまかせる」

切れ味の良い言葉である。本当に信念を持って動いた行動を批判されたら、その人とはご縁がなかったと思えばよい。それをいちいち気にして行動していては、大事は成し遂げられないという意味である。

落ち着いて考えれば噂は行動に対して着いてくることが分かる。逆に、信念を持たず、噂を基準に動いては何時までも自分の存在意義が見出せない。従って、いつまでたっても経営に自分らしさが出てこない。

かたくなに自分の意見を通すことは、良いことではないと思うが、逆に自分の信念とは異なる提案を求められたとき、しっかりと、それに対しNo!と言えるだけの自分の基準を持っておくことが必要である。

では、その判断基準はいかにして見つけるか?それは、現状、私の知り得る限りでは、自身の夢をありありと想像するしかないと考える。そこは何処で、誰がいて、どんな会話をしているか、どんな服を着ているか、それが見えてこれば少しずつ自分の判断基準という物も見えてくるように思う。きっと、その夢こそが経営という大海原を航行する上での、大切なコンパスになるのではないかと思う。

「行動はわし(自分)にまかせ、噂は人の口にまかせる」

あなたは、そう言い切れる位、自分の壮大でワクワクする夢が描けているだろうか?

サラリーマンは凄い!

先日、車で職場まで行くことがあった。車を園内に入れるため、園門を開けようとすると、一人の男性が駆け寄ってきた。当園に出入りする業者のH氏である。H氏は駆け寄ってくるなり、園門を開けるのを手伝ってくださった。後から、H氏の後輩がH氏のカバンを持って走ってきた。それを見て私は初めて気付いた。当園の近くで私の車を発見したH氏は、後輩に荷物を預け、ダッシュで園門を開けるのを手伝いに来て下さったのだ。

私は感動した。お互いに、経済的な意味で利害がある関係ではあるが、H氏の行動は、やろうと思ってもなかなか出来ることではない。

特に我々「先生」と呼ばれる人種は、人のために何かをするという行動力に欠けがちのように思う。もちろん、職場の教員としてやるべきことは当然果たしている。しかし、一歩、職場をはなれると急に足が止まってしまうのだ。例えば、今回のH氏のように、相手の行動を予測して足が動く人間が当園には何人いるだろうか?悩むところである。

昔から、教諭という立場に安住してしまっている人を「先生病」と表現することがある。何かをしてもらったり、年上の保護者からも敬語で話しかけられるのを当然と思いこんでしまっている人のことである。幼稚園という職場も当然、その対象の中にある。短期大学を出たばかりの二十歳の女の子が、突然、業者や保護者から「先生、先生」と呼ばれ、敬語で話しかけられる。社会に出たばかりの女の子がそんな経験をしてしまえば、当然、常識とは少しかけ離れた感覚を身につけてしまう。私の個人的見解を申し上げれば、「先生」と呼ばれる仕事に就く人間は最低3年は民間企業を経験するべきと考えているくらいだ。

しかし、ここで勘違いをしていただきたくないのは私が「敬語で話しかけられること」や「先生と呼ばれること」を否定しているわけではない。むしろ、本来、教諭とはそう扱われるべき存在である。相手を敬い、敬意をもって接せば、当然、相手も敬語を使い話しかけてくるだろう。また、職場を離れても人間的に美しい生き方をしていれば教諭という職業についていなくとも「先生」と呼ばれるかもしれない。教諭とは本来、そういう「生き方」をする存在なのかもしれない。それに対し、現状の形骸化した教諭の扱われ方に私は、少々悲しさを覚えるのである。

とはいえ、これはかなり理想に近い話。どんな人間だって嘘の一つや二つついた経験はあると思う。しかし、現在「先生病」に侵されていらっしゃる先生方を見る限り、明らかに教諭のあり方はおかしいと思う。せめて、一般企業のサラリーマンくらいはお客様に尽くすくらいのプロ魂は欲しいものである。サラリーマンの方に言わせれば、そんなの先生なんかにゃ無理だよ、と言われてしまうかもしれない。実際に、私がサラリーマンだったときもそう思っていた。

しかし、私もただただ、何もしないで突っ立っているだけにはいかない。まずは、自らが行動を示すことで何かを伝えいきたい。早速、明日から人のために一日最低3回は走る習慣を身につけてみよう。きっと感動が生まれる気がする。

チャンス受信!

本日、私は「自分が知らなかった自分」に出会うことが出来た。

今夏より当園では夏休み中に有料でオプショナルツアーを実施することになった。もちろん安全管理上、ツアーには定員を設けた。しかし、その企画が園内で予想を超える反響を呼んだ為、定員漏れをした保護者の方々からクレームが出ることは必須であった。

反響を受け、申込前日になり職員室があわただしくなった。早くもクレームを受けた職員が「定員増加」「日程変更」など、それぞれの立場で提案をし始めている。しかし、私はあいにく外勤。職員室のあわただしさに焦った母親が私に電話をして来た。私は、電話を受け、母親に対してはとりあえず、今日はさっさと寝ることを提案した。

電話を切った後、私なりにクレームが出ない方法を考えたが、いずれのアイディアも、クレームが解消するものではなく、すり替わるだけのアイディアしか思い浮かばなかった。結果、私は自分が従来決めていたアイディアを最後まで貫くことにした。当然、クレームを怒鳴りつけられることはあまり気分が良いことではない。しかし、これは自分のリーダーシップを成長させるチャンスと受け取ることにした。

翌朝、職員を集め、一つだけ約束をしてもらった。「保護者の方々から何を言われても自分のせいにしてくれ」とだけ伝えた。すると、自分の中で不思議なことが起きた。

自分の中ですべてを受け入れる覚悟が出来た瞬間、何故か気分がスーッと軽くなった。そして、しばらく経つと何故か、気分がワクワクして来た。これから押し寄せるであろう津波を想像するとワクワクしてくるのである。決して、強がっているわけではなく、不思議とそういう気持ちになってきたのである。

ところが、結果的に今回の件で、大きなクレームが発生することは無かった。正確に言えば、きっとあったのだと思う。けれども、私の仲間が全て上手く対応してくれ、私のところまで大きなクレームが上がってくることは無かった。

今回の経験を経て私は思うことが3つある。

一つは、土壇場で理想の自分を演じ切ることの心地よさ。

二つ目は職員の責任を自分で背負い切る覚悟が出来た時、かえって心が軽くなるという不思議な感覚。

そして、最後に仲間に支えられている実感である。

これらの三つの感覚今までの私の人生の中には無い感覚であった。通常、クレームに対応した後、強い不快感が残ることが多い。しかし、今回の経験は不思議と私に心地よさだけを残した。

職員のみんな、有難う!

陽のあたらない場所だから

先日、平成21年度向け園児募集のイベントが当園にて開催された。

その準備の中、私は新入職員Uに、ある仕事を任せた。それはイベントで発表する劇の台本作成である。恥ずかしながら当園の職員は皆PCのノウハウに疎く、ワードで台本作成を任せたのはUが初めてであった。しかし、Uは時間をかけながらも、何とか台本作成をやりとげた。

そして、イベント当日、Uと同期の新人Eが、お客様の前に立ち、見事に司会をやってのけた。緊張感の中、ほぼノーミスで司会をやり遂げたことは大いに評価できる。周りの先輩職員もEの活躍を褒めたたえていた。しかし、私の中で最も評価すべき人は、Uであった。新人であるにもかかわらず、いまだ誰も任されたことのない仕事に挑戦したという事実が何よりも素晴らしい。もちろん満点をつけられるくらいの仕事をしていたかといえば、それはまだまだである。台本作成はスポットがあたりにくい仕事であるが、いわばイベントの骨格である。その骨格を新人が作り上げたのだ。

スポットのあたりにくい仕事だからこそ、その人の人柄があらわれる。だからこそ、そういった仕事をしっかり見過ごさないように評価してあげたい。

入園(入社)3か月、Uは早速、小さな変化を起こし始めた。この小さな変化に始まり、今後、Uが、当園にどのような改善をもたらして行くのか楽しみである。

自分も負けてられない!